222話 魔法植物
農業部門の部門長である華はう〜んと背伸びをした。少し疲れちゃったかなと、身体を、おいっちにー、さんしーと動かす。
もう暑さもそんなには感じなくなってきている。風が熱気を纏うことはなく、頬に当たると涼しいので、最近は過ごしやすい。
8月も後少し。今年の残暑は厳しくなさそう。両手をあげて、もう一度背伸びをすると周りを見渡す。
「う〜ん、魔法の植物って何度見ても不思議な感じ」
目の前の光景を見ながら、華はのんびりとした声音で呟く。
天津ヶ原コーポレーション北東地区。草木が生い茂る平原であったが今や一帯耕作地となって、大量の作物が収穫されているこの地を見ながら。
最近育て始めた『バルーンフラワー』。その花が咲き乱れて一面を覆っているのだが、それぞれの花が宿す周囲にそよ風を発生させるという能力により、常にそよ風に揺られているのだ。
しかも、そよ風が相互にぶつかり合い、てんでバラバラに花は揺れ動いているし、花びらが散って空中を舞っているという不可思議な幻想的光景であった。
この花はなかなか枯れることはない。そのためにそよ風は途切れることはなく、花びらもまた地に落ちることはない。
きっと目の前の花畑で、舞い散る花びらの中でくるくると踊れば、まるで自分たちが妖精にでもなった感じがするだろうと、悪戯心がふと湧く。自分も乙女なのだから、そんな妄想もしちゃうのだ。
だが、これは売り物だ。なので、そんなことをして、花を踏み潰すことはできない。今日のご飯代になり、明日に備えての蓄えとなるのだから。
だから、華はニコリと可愛らしい笑みで口を開く。
「命ちゃん! 花畑で遊んじゃ駄目だよ!」
花畑に入ってくるくると身体を回転させて、楽しげに踊る少女へと注意をするのであった。
花びらが舞い踊るこの花畑は困ったことに、子供たちに大人気だ。自分も子供だからわかるのだ。女の子なら一度はこの中で踊ってみたいと思うのは無理もない。
なので、ここは監視が厳しい。理由の一つは子供たちを入れないためだ。入り込んだらこっぴどく怒られるのだが、それがまた子供たちにとっては自分の勇敢さを示すためのいい遊び場となっていた。大人に見つからないように花畑に入ってやると張り切っているので、疲れてしまう。
今みたいに。
「はっ、ほっ、絶世の美少女、命にこの花畑は相応しいのです。見るのです、この華麗なる踊りを。命の踊りを見たら止めるどころか、終わるまで正座をして見とれるに違いないので、ヘブッ」
花畑の中で踊る姿は、言うだけあって上手だ。サイドテールをぴょこぴょこと揺らしながら、腕をピンと伸ばして、足取りはふわふわと、まるで妖精さんのように踊っていて、小柄な身体も相まって可愛らしい。
が、その足は花を潰して、挙げ句に足を花にとられて転んだ。コロンコロンと転がり、咲き乱れていた花々に隙間ができた。せっかく育てた花が台無しである。
これは怒らないといけないところだ。ずんずんと歩き、顔から土に突っ込んでいる命ちゃんの首襟を掴んで持ち上げる。高ステータスの華にとっては、命など羽のような軽さだ。
「もぉー! 何回怒ったら良いのかな? 今日はご飯抜きが良いのかな?」
「達成値が足りなかったのです。やはりセージスキルを上げるべきですね。GMには全てセージレベルで達成値を計算させるのですよ。強引に認めさせるのです」
「今日はカレーなんだけど?」
よくわからない言い訳をする命に顔を寄せて、怒ってみせる。華の顔ではあまり怖くないらしいので、意図して怖い顔を作ってみせる。むむむって。
私が本気で怒っていることに気づいた命ちゃんは慌てて、手をパタパタと振ってきた。
「大丈夫なのです。潰れた花は今日摘み取る予定だったのです。これらはエキスを抽出するのです、潰れていても問題ないのです。命はきっちりとそこらへん考えていたのです。カレーにじゃが芋は入れる予定です? あ、ナンではなくご飯が良いのです」
「しっかりと働いたらね。ほら、やるよ〜」
離してあげて、メッとおでこにデコピンの罰を与えておく。ペチンと音がして、命ちゃんは額を押さえて、痛いですと蹲るが、そんなに痛いはずはない。ほら、花を摘むよと指示を出す。
「華ちゃん、そろそろ収穫するよ〜」
私たちを見ていた人々の一人が笑いを含めた声音で声をかけてくるので、ペコペコと頭を下げる。
「お願いします。今日も張り切っていきましょう」
「おー!」
「たくさんあるなぁ」
「仕事だよ、あんたら!」
えいえいおーと、手をあげて花の収穫を始める。たしかに命ちゃんの言うとおり、花のエキスを抽出するので潰しても問題はないが、花びらだけを取らなくてはならないので注意が必要だ。
花を摘むのは少し罪悪感が湧く。が、これも仕事なのだ。不思議なことに花を摘むと数時間後にこの植物は枯れてしまう。そんなところも魔法の植物ということなのだろう。
「採取するのです。ふんふんふ〜ん」
隣で命ちゃんが可愛らしい鼻歌を歌いながら花を摘んでいく。美しく艷やかな金髪をサイドテールで束ねている少女は、先日天津ヶ原コーポレーションまで旅してきた娘だ。碧眼がキラキラとしていて羨ましい。
子供一人で遠くの廃墟街からやってきたらしい。私たちが出会ったのは、北西にゴブリンの群れが現れたと聞いて退治をしに行った時だ。薄暗く陽が差し込まない廃ビルの合間にある細い道で疲れて蹲っていた。
声をかけると、うぅ、突然しゃくが……と言ってお腹を押さえていたので、お腹が空いていたんだろう。しゃくって、なぁに? と尋ねたら、お腹が空いているという意味なのですと言ってきたので、お腹が空いたという意味らしい。
まだまだ幼い少女なので、私たちのグループで保護することに決めたのだ。
利発で働き者な良い子なのだが、たまに子供らしく悪戯をする。基本良い子なので、特に目くじらを立てて怒るほどではないが。
あと一つだけ………。
「大失敗なのです」
コテンと転がって、籠をひっくり返した。せっかく集めた花びらがひらひらと飛んでいき、慌てて命ちゃんは集めようと手をワタワタと振っていた。
「私も手伝うよ〜」
しょうがないなぁと苦笑混じりに散らばってしまった花びらを集めるのを手伝ってあげる。土で汚れても雛が浄化してくれるから大丈夫だろう。
なぜか、命ちゃんは時折大失敗を引き起こすドジっ子なのである。いつもは卒なく仕事をこなすので、天然というやつなのだろう。
「ありがとうなのです。この恩はカレーのお肉を分けることで礼とするのですよ」
「私が作るカレーだよぉ?」
ペコリと頭を下げてお礼を言う命ちゃんに、ニコリと微笑み返してあげて、私たちは花を摘むのであった。
太陽が頭上に登り、しばらく頑張って、ようやくバルーンフラワーの花を摘むのが終わった。花を摘むのは腰に来ると、他の人たちがぼやきながら腰をトントンと叩いているが、たしかに大変な作業だ。この仕事は背の低い人たちが良いかもしれない。花は機械で摘むことはできないので、私を含めて子供たちの方が簡単かもしれない。
「なぜだ……なぜ、私がこんな仕事をすることに……おのれぇ、ウリエルめっ!」
少し離れた場所で、最近この地に流れてきたおじさんが不満そうにボヤいている。元は内街にいたらしい珍しい経歴の人だ。同じようにボヤいている人たちもいる。なにか失敗をして、財産を全て没収されて追放されたらしい。
未だに内街での暮らしが忘れられないおじさんたちは古着を着込み、ぶつぶつと愚痴を口にしている。
愚痴を口にしている割に、真面目に働いているし、安全で実入りが良いこの仕事をしているしっかりとした人だ。
「すぐにこのような場所は脱して、舞い戻ってやる。まずは資金を集めて……」
大声で呟くという器用なおじさんを周りは呆れながらも、廃墟街には色々な人がいるからと特に気にしない。
「さっさと籠を持っていくのです。その後はカレーの材料を買うのですよ」
クイクイと私の袖を引っ張ってくる命ちゃんに、そうだねと頷き返す。
籠を担いで駐車してあるトラックの前に置く。花びらがぎっしりと詰め込まれている籠が大量に置かれており、懸命に荷物係の人が格納していた。
「私もついていかないといけないんだ。ちゃんとそよ風の指輪ができるか見に行かないといけないの」
「ついていくのです。新技術のクラフトには興味津々なのですよ」
最近天津ヶ原コーポレーションで使われている新スキル。それによるクラフトに命ちゃんは興味があるらしい。
「よし、それじゃ一緒に行こっか」
ニコリと微笑み、手を繋いで定期バスへと向かうのであった。
定期バスで揺られて、天津ヶ原コーポレーション本社に到着する。本社周辺は廃ビルの解体が進み、新しい施設が建設されて、結構騒がしい。重機の機械音が響き、作業員が声を張り上げている。
新しい建物がどんどんと建設されていき、あと数年経てば廃墟街と呼ぶ人は誰もいなくなるだろうと、華は嬉しく思いながら目的地へと向かう。既に輸送トラックは到着しており、籠を運び入れていた。
「こんにちは〜」
「こんにちはなのです」
蒲鉾形の屋根の工場だ。とはいえ、バラックではなくしっかりとコンクリート製の建物であるので、工場というより、研究所と言った方が良いかもしれない。
真新しい建物は外壁の塗装も途中で、内装もまだまだ整っていない。受付カウンターも受付嬢のお姉さんたちが色々と書類棚などを配置しており、家具業者がソファやテーブルを置く場所を社員の人と話し合っているのが見える。
警備員のおじさんは私を見て軽く頷く。私は顔パスなのだ。少し得意げに胸を張り中へと進む。
工場内を進んで部屋に入ると、広々とした部屋内に大きなテーブルが置かれて、その上に花びらがずらりと並べられていた。雛ちゃんがそのテーブルの前に立って、真剣な表情をしている。
私に気づいて、小さく頷きを返してくれる。その隣には純白の髪とルビーのような紅い瞳を持ち、色素の薄い白い肌のアルビノの美少女も立っていた。神代セリカさんだ。
「やぁ、こんにちは、華君。久しぶりだね」
私へと片手を挙げて、微笑みながら挨拶をしてくるので、私も笑って挨拶を返す。
「セリカさんも来ていたんですか?」
「うん。そろそろ量産体制が軌道に乗ったと聞いてね。監督している僕としては確認しておこうと思ってね。ん? その子ははじめましてかな?」
命ちゃんの顔を見て、小首を傾げるセリカさん。命ちゃんに挨拶をするように言おうとしたが……。
「……何やってるの?」
なぜか部屋の隅に座り込み、頭を抱えて小さくなっていた。
「少し待つのです。完璧のはずなので大丈夫なのです。セージスキルは10レベル。気づかれなかったとして、ダイスを振るのですよ」
何やらぶつぶつと呟いてから命ちゃんは立ち上がるとセリカさんに顔を向けてコホンと咳払いをしてからニコリと微笑む。
「命なのです。よろしくお願いしますなのです。ナジャの名前はなんと言うか教えてほしいのです」
「……そろそろ天野セリカになる予定だけど、神代セリカさ、よろしくね命」
セリカさんは変な行動をした命ちゃんを見て自己紹介をしてくれた。なにが大丈夫なのか、ナジャってなぁにとか聞いたらいけないんだろうか……。
「とりあえずはそよ風の指輪の作成を見よっか」
「そうですね」
そよ風の指輪。今魔物退治を生業とする人々に大人気のアイテムである。




