215話 提案
コノハは青褪めて、今の言葉の裏を懸命に考えていた。レイを見ると余裕の笑みを浮かべている。頼もしい姿だが、今のお母様の提案に対して口を挟む様子はない。わたくしが判断しろということらしい。
まさか挨拶が始まってすぐに爆弾を投げてくるとは思わなかった。わたくしの母親ながら、決断力がよすぎる。次に話しかけようとしていた源家当主が唖然としているじゃない。まったく困ったものね。
「お母様。いえ、平政子様。皆様がわたくしに挨拶をしたいと列を成していますの。そういったお話はまた今度に致しませんか?」
上品に微笑みながら、時間稼ぎを図る。ほらほら、お母様はひとり目の挨拶に来た人でしょ? 周りを見てくださいな。
わたくしの他人行儀な言い回しに怒るかと思ったら、ますます顔を綻ばせて、両手を打ってこちらに対して喜びを見せてくる。子供の成長って、嬉しいわねと、声にされなくてもわかるわ。
「ふふっ、そのとおりね。コノハちゃんも立派になってお母さんとっても嬉しいわ。検討しておいてね。海軍と連携を取れれば、天津ヶ原コーポレーションも各地に支店を作ることも可能よ〜。しっかりとした地盤作りができると思うわ〜」
「この提案は持ち帰って、じっくりと検討したいと思いますわ。政子夫人」
軽く頭を下げてお願いすると、それじゃまた後でね〜と、気を悪くするでもなく、軽い感じでフレンドリーに手を振りながら去っていった。見た目も行動も若いお母様である。
「いやはや、血の繋がりとは良いものですな」
と、重々しい口調ながら、親子の仲の良さを褒め称えてくるのは源家当主源九郎であった。奥さんと一緒にこちらへと声をかけてきた。後ろには源風香の姿もある。わたくしとは違った美しい少女は僅かに眉を顰めている。
「そうね、貴方。うちの子も政子さんとコノハさんぐらいに仲が良ければ良いんだけど。この子ったら好きな相手を紹介してくれないのよ。独占したいなんて可愛らしいところがあるんだけど、親としてはねぇ、寂しい限りなのよ」
ほぅ、と頬に手を添えて悩ましげに、源九郎の奥さんが源風香を見て言う。誰のことを言っているのかはすぐにはわからなかった。恋人なんて源風香にいるのだろうか?
「お互いに牽制しあうのがパーティーの醍醐味ですね。大変面白いです」
クスクスと笑いながらレイがわたくしを見る。この会話にはなにか意味があるのだと、レイの視線から読み取り考えを巡らす。風香の恋人は誰なのか? いや、好きな相手?
「これからも長い付き合いになると思うしな。今度、夜会にご招待しなさい」
「そうよ、恋愛は戦争なの。ねぇ、そう思わない、レイさん?」
源家の夫妻がレイへと思わせぶりな態度をとり、それを見てレイは軽く肩をすくめてみせる。
「そうですね。仁義なき戦い。それが恋愛戦争だと思います。ですが、相手と釣り合えるかというところも気にしないといけないかと思いますよ」
「私も隣に立つために、精進を重ねていきたいと思います」
多少冷ややかな声音のレイの返答に、微かに小首を傾げて源風香が微笑む。作り笑いなのはわかるが、その中にレイに負けないという恋愛感情ではない、ライバル心を源風香は感じさせた。
う〜んと悩んでいたが、源家の家族、その中でも源風香の態度を見て、ハッと気づいた。
天野防人のことを言っているのだ。源家は天野防人と付き合いが深い。わたくしとレイのように、相手も天野防人との付き合いが長く窓口であるとアピールしているのだと悟った。
レイのライバルと思われる天野防人。わたくしは一度夜会で挨拶しただけだが、レイと覇権争いをしているのは理解しているつもりだ。即ちライバル関係と言うことだわ。レイは天野防人を嫌っているのか、まったく会話には出さない。犬猿の仲なのだろう。
そして、なぜ源家がここで牽制をしてきたかも理解できた。お母様が投じた内容のせいだ。
確認するために、レイへと顔を向けて尋ねる。
「恋愛なんてわたくしはまだまだ縁がありませんわ。今は事業で精一杯ですわよね?」
「ソーデスネ。沢山の申し出があるみたいですし、それを考えないと」
沢山の申し出とレイが答えたところ、その言葉に僅かに源九郎は反応した。そして、それ以上に他の人々が反応した。
「いやはや、平団長はお忙しそうですな。そうそう、そういえば名古屋までの陸路の確保。道路周りのダンジョンを片付ける話があるのですが……」
「東京湾にはまだまだ危険な魔物が棲息しています。それを退治できれば、さらなる漁業の発展が見込めますが……」
「今季もそろそろ終わり、秋も近い。作物の育ち具合はどうですかな? 宜しかったら販売の一助になれればと……」
多くの人々がわたくしに近寄ってきて、様々な提案をしてくる。目の回るような忙しさだ。この提案、わたくしが決めても良いのだろうか?
「簡単な契約から始めてみても良いですよ、コノハ団長」
微笑むレイの言葉に、わたくしは舞い上がるかのように嬉しくなった。お飾りの団長ではなく、しっかりと提案を自分で決めることができる! やり甲斐がでてきたわと、ニコニコと周りの人々の話を聞く。頑張らなくちゃ! 道化の騎士団の団長、平コノハここにあり!
平コノハとレイが多くの人々に囲まれて話に興じるのを見ながら、足利尊氏は口をへの字に変えた。
「こういうやり方でいくのかよ。よく考えてやがるな、魔女か、オメェ?」
手に持つワイングラスを口元に近づけながら話すと、近寄ってきた平政子がふふっと穏やかな笑みとなった。
「コノハちゃんも、そろそろ自立する時だと思ったのよ〜。親心って大切だと思うの」
「レイを目標にする……なるほど、お飾りの団長に少しでも実権を持たせれば、後々それを契機に勢力拡大を図れる。あの嬢ちゃんを怒らせることなく、平家も力を持てるわけか」
「ぜひ、あのふたりで道化の騎士団を盛り上げて欲しいの。レイちゃんは、どうやら天野防人と対立しているようだし、ね?」
平政子がウインクをしてくる姿は下手したら年若い少女に見えると苦笑混じりにワインを呷る。アルコールが喉を通り、僅かに焼けるような感覚を受けつつ、狡猾な平政子へと言う。
「周りがあれだけいる中で、素晴らしい団長と褒めそやして、さらには大口の取り引きだ。団長としては断りにくいだろうよ。レイもあからさまに止めることはできないという理由ができちまった。周りの奴らはコノハ団長が取り引きを決めることができる権限を持っていると勘違いして、自分たちも取り引きをしようと群がる」
空になったワイングラスをクルリと回して、尊氏はウェイターに手渡す。
「小さな取引ならば体面上受ける必要ができちまった。レイは会社に戻ったらこう言うだろうよ。今回は仕方のないことだった。傀儡とはいえコノハ団長の面目は保たないといけなかった。なに、安心してほしい。コノハ団長が引き受けた仕事は私が責任を持ってやろうじゃないか、とな」
「レイちゃんの仕事を増やしてしまって申し訳ないわ。私のうっかりした発言からだから、報酬は手厚くしないとね〜」
何を言いやがる、この魔女めと、平政子を見ながら舌打ちする。レイは本社に独断でコノハ団長が決めてしまったと言い訳ができて、自分の利益を増やせる。勢力を伸ばせるということだ。
反面、コノハ団長はお飾り団長から抜け出すことができる。少しでも仕事を自分で決めることができれば、実績が生まれる。そうして、どんどんと実績を上げて、力を持ち始めることができるはずだ。利益を求める会社ならばこそ、平政子の作戦は上手くいくはずだ。
実績というのは、なによりも重要視される。このような形で、平家が力をつけようと考えるとは、相変わらず食えない女だ。
「尊氏ちゃんも一口のらない? コノハちゃんとレイちゃんの、あ、と、お、し。源家と違って天野防人とはそこまで縁が深くないでしょう?」
色気を振りまきながら言ってくる平政子の提案。魅力的な話だ。2家が後援すればレイの勢力は大きくなるに違いない。
天津ヶ原コーポレーションの弱点。それは利益を産む構造が弱いことだ。特区として地盤を持ち、広大な土地も手に入れているが、それでもまだまだ弱い。
多大な利益を産む構造を手に入れたいはずであり、2家が後援すれば、レイはそれを手に入れることができるかもしれない。道化の騎士団の中でも圧倒的な勢力を作ることができるはず。
魅力的だが……だからこそ、尊氏は首を横に振った。
「オメェは防人とマトモに話したことがねぇだろ? あいつは恐ろしい奴だ。この展開も利用されているかもしれねぇなぁ」
「……ふぅん。たしかにこの間見た時は只者じゃないとは思ったけど……。尊氏ちゃんがそこまで言うんだ?」
相手が防人でなければ、尊氏も首を縦に振っただろうし、その提案を利用して、足利の勢力を作ることも謀ろうとしただろう。
だが、あの危険な男を前には、この程度で敵対するのは危険極まりない。頷くことはできない。
「なによりも、どれぐらいの規模か判明していないんだぜ? 儂は遠慮しておく」
「たまには大きく賭けないといけないわよ〜?」
からかう政子に、ニヤリと悪人のような笑いを見せてやる。
「この間、大きな賭けはしたからな。儂はまだまだ長生きしたいんだよ。そうちょくちょく命懸けの賭けはしない」
儂の言葉を聞いて、政子は珍しくキョトンとした顔になりながらも、その意味を悟り、微かに口元を笑みの形に変える。
「もちろん勝ったんでしょう? ねぇ、何を手に入れたのかしら〜? 私と尊氏ちゃんの仲じゃない? 一口噛ませてくれないかしら〜」
「やだね。一点賭けの大勝負だったんだ。テメエに分け前を渡すほど耄碌もしてねぇ」
「そんな酷いこと言わないで。それじゃ、裏情報の摺り合わせをしない? きっと私たちは――」
可愛らしく言ってくる詐欺女をからかってやろうと尊氏が考え始めた時であった。
「馬鹿馬鹿しい。なんだね、この騒ぎは。誰も彼もあんな幽霊出身の奴に翻弄されている。内街に生まれたもののプライドというものがないと見えるな、まったく」
居丈高な態度で、不遜な感じを与えてくる男の声が聞こえたので、尊氏は政子共々振り返る。
と、予想外の人間がいたので、ふたりとも多少驚くが、すぐに気を取り直して、片手を上げて挨拶をする。
「よう、三好長慶じゃねぇか。えぇ? やけに久しぶりの感じがするな」
そこには内街でも有数の家門であった三好家当主が立っていた。苦虫を潰したような顔をしていた。貫禄のある体躯に、スーツ姿の中年の男だ。少し髪が寂しいか。
レイを幽霊扱いとは、馬鹿な男だ。そんなに生まれを気にするような男ではなかったはずだが……。
「尊氏翁。久しぶりですな。見ない間に、随分と弱腰になったもので」
「ヘリの事件で謹慎していたはずだ。その間に頭がどうかしちまったか?」
防人たちを襲おうと以前に軍用ヘリを使い、全て撃墜されて、その責任をとって自粛という名の謹慎をしていた男。それが三好長慶だ。
雪花事件までは高い勢力を保っていたが、最近は落ち目の家門の当主である。
「どうもしていない。お綺麗に片付けようとするから、幽霊が調子に乗る。そういうことですぞ」
やけに自信ありげに不穏なことを言う男に尊氏と政子は顔を見合わせて不思議に思うのであった。




