214話 夜会
内街にある明治時代の鹿鳴館のような趣のある西洋の屋敷にて、上品な内装の控室でコノハはソファに座り、ソワソワと身体を揺らしていた。
控室といっても、一般人なら怯むだろうレベルの部屋だ。50畳はある広い部屋、いくらになるかわからない高級感のあるテーブルにソファ、毛足の長い絨毯が敷かれて、壁にかけられている絵画も金額を聞いたら、普通の者なら腰を抜かすであろう。
まさしく上流階級の人間のためにある部屋だ。一般人なら、家族親戚がまとめてこの部屋で暮らせるに違いない。
コノハは外街のことも勉強をしているので、どのように人々が暮らしているか、その年収もいくらなのか、なんとなくだが理解しているつもりになっているので、たぶんこの部屋は贅沢なのだと知っている。
外は既に帳が降りて、すっかり夜になっている。8月も中旬になり、少しずつ暑さも収まっていくのだろうが、今はまだまだ外は暑い。この部屋はエアコンが利いており、涼しいが。
その部屋で、落ち着きなくスカートを弄りながら平コノハはため息を吐いた。最新の流行を取り入れて、最高級の布を使い、自分に似合うように有名ファッションデザイナーが監督して仕立てられたドレスである。
「お嬢様。シワになってしまいますので、そんな風に触らないでくださいませ。着たままアイロンをかけますよ?」
「最後のセリフが不穏なのですが、わかりましたわ。わたくしも今や時の人ですものね」
メイドがそっと近寄り、注意を促すので素直に頷く。今や、わたくしは内街の時の人なのであるからして。正しい振る舞いも求められるのである。
「時の人……。10年後に、あの人は今、とかもう一度騒がれる人ですね、わかります」
対面のソファにわたくしと同じようにドレスを着込んでいるレイがいまいちわからないが、あまり褒めてはいないとわかるセリフを言ってくる。
「レイ、その言葉は不穏ですわ。訂正なさって。おーほほほほほ?」
胸を張って高笑いをすると、レイはやれやれと肩をすくめつつダメ出しをしてきた。
「駄目ですよ、もう少し胸を張って、扇子を持ちながらでないと。ちゃんと練習してますか? 高笑いは一日にしてならず、ですよ?」
人差し指を振りながらのどや顔だが、団長として高笑いを覚えてくださいと、この間からかってきたので、わざと期待に応えてやったのにと頬を膨らませる。
顔の上半分を銀色の仮面をかぶっているので、目つきはわからないが、口元は可笑しそうに笑っている。可愛らしい唇が微笑むので、顔の上半分がわからなくても、美少女は美少女だとわかるものねと内心で羨ましく思ってしまう。
着ているドレスも美しい。わたくしが紹介したお店で仕立てたドレス。わたくしは美しさを際立たせるためのドレスだが、レイは可愛らしさを引き立てるためのドレス。どこかとはいわないが、なにかを基準にそれぞれ別のドレスを着たのだ。
「高笑いはやはりギャグにしかなりませんわ。今年の忘年会までに練習しておくとします」
「ハードボイルドな返し方をしますね、コノハさん。だからコノハさんは好きなんです」
クスリと笑うと、テーブルに置かれているプチシューをつまみ、口へと放り込むレイ。
「もう夜会はいらないんじゃないですか? 私は控室で楽しむだけで満足ですけど」
コップを取り、コクコクと飲むレイを見て、飲む姿だけでも可愛らしい人はいるのだと思いながら、苦笑で返す。
「わかっていますけど、面倒くさいんです。そうだ、配る飲み物に睡眠薬を混ぜましょう。眠らなかった人は夜会を楽しむ権利を手に入れます。古からの選別方法ですね」
「なにか、レイ少し変わりました?」
良い考えを思いつきましたと、人差し指を振ってドヤ顔でアホなことを言い始めるレイをジッと見つめる。なにか、以前と違う感じがするのだ。なにがどうと聞かれると困るが。前よりも人間味があるような感じがする。何かあったのだろうか。
「そうですね。少し浮かれ気味なのかもしれません。元に戻るには少々時間が必要ですね。でも、よく気づきました。コノハさん、なかなか観察力があるんですね、意外でした」
「これでも平家の娘ですわ。しっかりと相手を観察しないと痛い目に遭うことがたびたびありましたから」
感心するレイへと答えながら、昔を思い出して遠い目をしてしまう。無邪気に親切そうに近づいてくる相手と友人になって……。
「友だち友だち詐欺ですか。詐欺に引っかからないコツは一つ。友だちになりましょうと言ってくる相手は無視するんです」
「ふふっ。たしかにそうかもしれませんわね。友だちになりましょうとわざわざ口に出してくる相手は要注意ですわ」
思わずクスリと笑みをこぼすと、レイは輝くような笑みを口元に浮かべた。
「では、改めて。友だちになりましょうコノハさん」
「詐欺ですわね。胡散臭い笑みに見えないところが美少女のお得なところですわ」
ジト目で答えると、レイは可笑しそうに屈託のない笑みを見せながらクスクスと笑った。やはり、以前と何かが違う。良いことでもあったのだろうか。
なにがあったか聞いてみたいと、興味を持ったので尋ねようとしたところ、コンコンとノックの音がしてきた。メイドがドアを開き、ノックをしてきた人間に対応して振り向く。
「お嬢様、そろそろ出番のようです」
メイドの報告にコクリと頷き、レイへと振り向く。
「ようやくですわね。待ちましたわ。さ、行きますわよ、レイ」
「西洋風の夜会なのに、エスコート役が無いのが日本人らしいですよね」
「懐古主義の方々でもエスコート役を用意するのは止めようと、特に独身の男女から反対意見が続出したらしいですわよ」
クスリと笑い、お手をどうぞと私は戯けながらレイへと手を差し出すと、レイも微笑みながら手を差し伸べる。仲良く今から出席をする。わたくしたちの出番がようやくきたのですわ。
ギィと大扉が開いていく。それとともにホールにいる大勢の人々の姿が目に入ってくる。シャンデリアのきらびやかな明かりの下で老若男女着飾った姿だ。大粒の宝石を身に着けて、上質な布を使った服を着込んでいる。
中身も上質な人々であれば良いのですがと、コノハは内心で苦笑してしまう。お金をかけて着飾っていられる人程、腹の中は狡猾なのだ。
「道化の騎士団の副団長レイ様と、団長平コノハ様がいらっしゃいました」
扉を開けてくれた召使いが声を張り上げる。皆がこちらに注目する中で、コノハは毎回召使いの言い回しが違うのよねと、以前と違い注目されることに慣れてきたので、そんな益体もないことを考えながら中に入る。
所詮、なんちゃって夜会なのだ。色々と日本風に変更をするからだろう。もう数十年したらへんてこな仕来りとかもできているかもしれないと、余裕の態度でレイと共にホールを進む。
後ろで扉が閉まっていき、招待客はもう終わりであることを示す。コノハたちが最後の入場者だったのである。
それが指し示す意味は、この内街で一番勢力を持つ、ということであった。
特区を支配する天津ヶ原コーポレーションの支配者たる道化の騎士団の副団長レイ。急速に力を得てきた神代コーポレーションも裏では繋がっており、習志野シティと提携を結び、スキル結晶を扱うようになったことと、昨今における関東北東部の開発、それに伴う作物の収穫量の増加を考慮されてのトップ扱いだ。
内街に対しては会社も置いてないし、実際にトップ扱いされるほどの財力、権力は持ってはいないが、間接的に権力はあり、武力も軍を支配する御三家には敵わないが持っている。全てを考慮されての結果である。御三家が大事に扱っている相手であると、気を使われたのだが、それでも凄い成り上がりだと言えるだろう。
なかなかに気分が良いわねと、スキップになりそうな足取りを気をつけつつ、周りを見渡す。
皆はちらちらと見てくるが話しかけてはこない。牽制しあっていることもあるが、御三家がまず声をかけるだろうとの思惑からである。その邪魔をして顰蹙を買うことはできない。ここ最近の御三家の勢力拡大はかなりのものがあり、相対的に他の家門は神代以外は大きく力を減じられてもいるからだ。
ナンバー4の織田家すら、遠ざかって他の者と会話をしている。それが、今の内街の勢力図を如実に表していた。
「二人とも綺麗で羨ましいわ〜」
褒め言葉と共にその集団から歩み出てきたのは母親である政子母様であった。
穏やかでおとなしそうな顔つきを柔和な笑みへと変えて近づいてくる。ドレスも華美ではなく、シックな感じでとても似合っていた。
「ふふっ。照れますわ、お母様」
頬に手をそえて、ニコリと上品な微笑みで返す。お母様はその言葉にふふっと微笑んだ。
「本当に綺麗よ〜。子供ってあっという間に成長するものね。もうすっかり立派なレディじゃないの」
褒め殺しでもするつもりなのか、お母様はつらつらと流れるように褒めてくるので、ここまで褒められたことはないコノハは頬を薄っすらと赤くして照れてしまう。
そして、頭の片隅で嫌な予感もしてしまう。なぜ、ここまで褒めてくるのだろうかと。
「レイちゃんも、綺麗よ〜。美しい二人が並んで立っていると、他の人たちが霞んじゃうわ〜。そのドレスとっても似合っているわよ」
おっとりとした口調で、今度はレイを褒めてくる。レイへとちらりと視線を送ると、フッと口元をクールそうに曲げる。
「コノハ団長が紹介してくれたお店のドレスですが、なかなか気に入っています。さすがは団長、武力、知力、魅力だけではなく、流行や人脈など、あらゆることに精通している方だと尊敬しきりです」
今度はレイが私を褒めてくる。なんだろう、二人で私を褒め殺すつもりなのかしらと、デレデレとクラゲのように身体をくねらせてしまう。
少し褒めすぎではと、あらゆることに精通しているなんて、なんて……少しどころじゃないわね。誰も笑ってはいないわよねと、ちらちらと周りを窺うが、皆ニコニコと作り笑いを浮かべているだけなので安堵で胸を撫で下ろす。
「尊敬だなんて嬉しいわ〜。娘がこーんな素敵なレディになって、しかも企業人として立派に成長して、親として鼻が高いわ〜」
なにか含みがありそうだと、もう一度周りを見渡すと姉さんと兄さんが集団の中にいた。兄さんは相変わらずよくわからない感じだが、姉さんはニヤニヤと悪そうな笑みを浮かべていた。
能天気に褒められて喜んでいる場合ではないと気づくが、何を目的としているか、さっぱりわからない。
ヘルプミーと、頼りになるレイへと視線を向けるが、やはり予想できないようで、何を言ってくるのかと薄ら笑いを浮かべている。
うちの子は道化の騎士団の団長ですよアピールだろうか? だが、それはいつものことだ。実権の無い傀儡団長だが、名前だけは売っているのである。少しは旨味を貰いなさいと、姉さんがたびたびパーティーなどで吹聴しているのだ。姉さんが甘い汁を吸っているような気もするけど。
だが、お母様の次の言葉を聞いて青褪めた。
「そんな素晴らしい団長と道化の騎士団に海軍との連携をとってほしいの、昨今各地が不穏だからね〜。きっと道化の騎士団と組めば、素晴らしい結果になると思うのよ。どうかしら、団長さん?」
実権の無い団長に、驚きの提案をしてくるお母様をまじまじと見つめるが、その顔は冗談を言っているようには見えない。
本気なのだと、コノハは内心で慌てふためくのであった。




