198話 純
「鉄工所ですか?」
天津ヶ原コーポレーション本社から少し離れたビルの駐車場を改修して作った整備所。そこでオイルを鼻につけて、作業服を着込んで働いていた純は南部のお爺さんの言葉を聞き返した。
整備所は怪我を防ぐために、真夏でも長袖の作業服だ。額を汗が流れ落ち、たまに口の中にしょっぱさを感じる。
「らしいぞ。もうこの街もかなりの大きさになったからな」
南部のお爺さんがスパナを握って、ジープを点検しながら言ってくる。たしかになぁと、純はジープのオイル交換をしながら、周りを見渡す。数多くの車両があり、純以外にも多くの人々が整備に精を出している。
カンカンガガガと音が響き、ここはいつもうるさい。怒鳴り声も聞こえてきて騒がしい職場になっている。
「鉄工所って、何をするんですか?」
「色々だな。俺もよく理解はしとらんが、鉄製品のなんでも屋という感じじゃねぇか? 自前で農業機械を作りたいと勝頼は言っていたな」
腕組みをして抽象的な返答をしてくるので、南部さんも完全に理解しているわけではないらしい。元整備兵だ。鉄工所とは無縁の生活だったのだろう。
「自前で農業機械なんか作れるんですか?」
農業機械も整備したことは山ほどあるが、『金属加工』を駆使しても一台作るのは至難のはずだ。設計図を見て、細かい部品などは、スキルを駆使する。う〜ん、作ったことがないからなぁ。ICチップとかも製造しないといけないし。
「まずはそのための機械を仕入れないといけないだろうなぁ。旋盤なんか素人じゃ作れねぇし」
腕組みをして、南部のお爺さんは難しい表情となる。
「あれって、見た目は簡単に作れそうに見えますけど、実際は作れませんものね」
丸いし、簡単な機材と思いきや旋盤って、製作困難な代物なのだ。丸鋸みたいなものを、ただ回転させているだけだと思ったんだけど、繊細な技術で製作されているらしい。
製作用の機器一つとっても、人類のえーちが詰まっていると、外街から流れてきた同僚が教えてくれた。
外街からも人が続々流れてきているのだ。仕事が山ほどあって、儲け話に困らないからだとか。
「そうなんだよな。そこらへんは全部内街から仕入れるらしいぞ。資金があるなら鉄工所を手に入れたらどうだ?」
「そんなお金ありませんよ。たしかに少しは貯金ができましたけど」
特別賞与を貰っているが、そこまでお金はない。だって数千万円とかかかるのではなかろうか。最近は掛け算も割り算もできるようになってきたから、なんとなくわかるようになってきたのだ。
宗がお金がかかる時は、とりあえず数千万円かかると思っておけば良いと言っていたし。洋がその頭を叩いて怒っていたけど。
「ま、そりゃそうか。どうせあの社長のことだ。きっとドカンと設備投資するだろうし、数億円はかかるだろうよ」
一桁違った。そんなにお金がかかるなら、そのお金で暮らしていけるんじゃないかな? 設備投資って、大金がかかるんだなぁ。
「まぁ、どのような形態で建てられるかはわからんが、小僧が幹部入りするのは確実だぞ。社長は信用ある人間を役職につけておきたいはずだからな」
「俺、そんなに信用あると思います?」
たしかに防人さんの初期社員だ。でも、それは子供だからで防人さんが優しいからだった。信用されていると思って良いのかな? ご飯を食べさせてもらい、住む場所を用意してもらい、仕事を紹介してもらった。貰ってばかりなのに。
「信用されていると思うぞ。そうじゃなかったら幹部にはしていないだろ?」
「う〜ん……信用されていると思うと嬉しいです」
俺がそう答えると、南部さんは優しげな笑みで、ガシガシと俺の頭を撫でてくる。
「ちょっと南部さん。油まみれの手で撫でないでくださいよ」
「ぶははは。良いじゃねぇか。素直な方が子供らしいぞ、嬉しそうにしろ」
ワハハと快活そうに笑う南部のお爺さんとのやり取りがなんとなく嬉しくてにやけてしまう。頭を撫でてくれる人なんて防人さん以外は南部さんぐらいだ。孤児である俺には無縁だったやり取りは胸をぽかぽかさせる。
「鉄工所をやるように言われたら、やりますよ、もちろん。俺も頑張ります」
「そうだな。さて、仕事の続きをやるか」
「はい。それじゃ、このジープの整備を終えちゃいますね」
一休みを終えて、俺たちは仕事に戻る。たくさん整備を待っている車があって大変だ。
夕方まで頑張って、整備を終える。金属加工スキルは、劣化しているところもわかるから、他の人よりも何倍も早く仕事ができるのだ。
お疲れ様ですと、挨拶を終えて外に出る。空はオレンジ色で、帰途につく人たちが歩いている。
「今日はどうする?」
「一杯やってくかぁ」
「また新しい屋台ができたらしいぞ」
「そこに行ってみるか?」
大人たちはお酒を飲みに行く人が多いらしい。俺はまだお酒を飲む歳じゃない。ずっと先の話だ。
家に帰って、ご飯を食べようと考えながら歩く。
「純くん。今日は私の家で食べませんか? 一度お母さんがお友だちの純くんと会いたいって言うんです」
と、少し年上の女の子がニコニコと笑顔で話しかけてきた。最近、この整備所で働き始めた人の子供だ。たしか外街から来た子で、俺と同じようにここで働いている。事務所仕事のお手伝いをしている子だ。
さすがは外街の子供だ、頭いいなぁと感心する。なぜか最近ちょくちょく話しかけてくる。懐かれるようなことはしていないと思うんだけど。大鼠が現れたときに助けたぐらいだけど、そんなことは廃墟街では日常茶飯事だし。
「ごめん、俺、家でご飯が用意されていると思うんだ。今日は宗の食事当番だから、きっと豪快なご飯だと思うけど」
手を振って、食事の誘いを断る。
皆で働いているので、食事当番は輪番制だ。宗は服は綺麗な美しい物を作るけど、食事は雑だ。きっとチャーハンやカレーやピラフだと思う。カレーだと良いなぁ。……俺も作るご飯は変わらないけど。
洋もいまいちだし、一番美味しいのは華だ。次点で雛。華は夕方前に仕事が終わるので、時間もあって料理を作る時間があるので、何品も作ってくれるのだ。華の食事当番はいつだったっけ。
「そうだよね。いきなり誘っても困るよね。それじゃ今度どうかな? お母さんに頼んでご馳走を作ってもらうよ! お肉たくさん!」
パンと手を打ち、コテリと首を傾げて良い考えだよねと言う女の子。肉! 肉がたくさんなんて凄い!
「えっと……ありがとうな。それじゃ今度」
「おい、さっさと帰るんだな。もう子供は帰る時間だ」
南部さんが笑いながら声をかけてくるので、コクリと頷く。むぅ、となぜか女の子はふくれっ面になっていたけど。
「まぁ、子供だもんな、ブハハハ。気にすることもないとは思うが」
なにがおかしいのか、大笑いをする南部さん。
「そう思うなら、邪魔しないでください」
「まぁまぁ、女ってのは同じ歳でもませているもんだ。年上なら……ブハハハ。小僧、お前気をつけるんだな」
「笑わないでくださいよ、南部さん」
両手を振り上げて南部さんに怒る女の子に帰るねと伝えておく。なんだかなぁ。
てこてこと歩き、本社へと帰宅する。う〜ん、防人さんからは、お金持ちにお前はなっているから、気をつけろとは言われている。でもあの女の子に悪意はなさそうなんだ。だから特に警戒はしていない。
本社前までの道には屋台がずらりと並んでいる。本社周りには今や数多くの人間が働いているので、それ目的だ。
屋台のラーメン屋やおでん屋が並んでいる。焼き鳥屋とかもあって、お腹がグーグー鳴ってしまう。今度食事当番の時に、持ち帰りできる物を買って帰ろうかな。
多くの人々が屋台でご飯を食べている。去年まではガランとしていて、人気はなくゴブリンたちが徘徊していた廃墟街だとは思えない。
楽しげな喧騒が辺りに響き、なんとなく俺もその空気に当てられて嬉しくなってしまう。もう外街とたいして変わらない。いや、きっと今は廃墟街の方が景気が良い。
防人さんは凄いなぁと思いながら本社に到着して、家に帰り着く。
「ただいま〜」
「お帰り〜」
のんびりと答えると、既に華が帰ってきていた。雛や宗や洋は帰ってきていないようだ。幼女は神出鬼没だ。いつもいつの間にかいる。
リフォームしたオフィスはすっかり普通の家になっている。マンションとかいうやつらしい。
ソファとかテーブルとかも家具は揃っているし、キッチンとかもちゃんとある。大久保さんがリフォームしてくれたのだ。お風呂もトイレも作ってもらった。
手を洗ってうがいをしたあとに、ソファに座る。今日も疲れたけど、面白い話も聞いた。
華が冷たい水をコップに入れて持ってきてくれるので、ごくごく飲んで夏の火照った身体を冷やす。
「鉄工所を作るって話があったよ」
南部さんから聞いた話を伝えると、へえーと華は首を傾げる。
「鉄工所ってなに?」
「工場らしいよ。なんか色々作るんだって。もしかしたら、そこで働くことになるかも」
南部さんが伝えてくれたということは、決まりなんじゃないかなぁと思うんだ。最近、そういう機微がわかってきた。
「工場? どこに作るの?」
宗の食事当番のはずなのに、キッチンに戻り何かを作りながら華が尋ねてくる。
「それなんだよなぁ。本社から離れた場所に作るんじゃないかなぁ。工場っていうぐらいだし」
そうなるとどうやって通おうか……。もしも引っ越しとなったら、皆と別れ別れになってしまうかもしれない。それは嫌だ。これまで皆で力を合わせて生き抜いてきたのだから。
「でも、鉄工所ができたら勤めたいんでしょ?」
俺の心を見通すように華は言ってくる。そうなんだよなぁ、新しい機械とか作ってみたい。自分の手で車とか作れると思うとワクワクしてしまう。
「う〜ん、鉄工所? とかいうのがどこに建てられるかによるけど、もしも遠くに建てられたら、皆バラバラになっちゃうね。宗ちゃんたちはようやくお店を手に入れたところだし、私も畑があるからここは離れられないし。雛ちゃんも本社中心で駆け回っているし。幼女ちゃんは絶対に防人さんから離れないだろうし」
「そう聞くと俺だけ離れることになるじゃん」
酷い話だと頬を膨らませる。なんだか仲間外れにされる気分だ。
「この間見た青春映画だと、皆がそれぞれの道を歩むために、バラバラになったよね。でも、現実だと、皆がちょうどバラバラになるなんてないと思うよ」
俺を見て、華はくすくすとおかしそうに笑う。本気で考えているのに酷い。
「筑波線要塞ぐらいに離れていなければ、なんとかなるんじゃないのかな? 私も純ちゃんとまだまだ一緒にいたいし、寂しいよ」
寂しいと言って、ニコリと微笑んでくる華を見て、なんとなく頬が熱く感じてきた。なんか俺が子供のような感じだ。子供だけど。
「華はいつの間にかしっかりしてきたよな」
「う〜ん……私は農業で大人に指示を出したり、説明をしたりすることが多いからね〜。大人っぽくなるのですよ」
えっへんと得意げに胸を張る華を見て、子供っぽいと内心で少し安心して可笑しく思う。
「そうだよな、まだまだ皆一緒が良いよな! うん、今度防人さんに会ったら本社近くに建てましょうって言ってみる! 俺はこれでも幹部だし」
そうしようと決意すると心が軽くなったように感じた。俺は華たちとまだまだ一緒にいたいのだ。
玄関ドアが開き、ただいま〜という声が聞こえてくる。みんな大切な家族なのだと思いながら純はお帰りと答えるのであった。