196話 陽子
狐娘こと、織田陽子は窮地に陥っていた。秘密研究所に潜入したまでは良かった。新田が死んだので、すぐさま鞍替えして、結城聖へと情報を伝えつつ、夜中になにやら怪しい行動をとっていたので、尾行したのだ。幸い、結城聖は尾行に気づかなかったので、研究所まで潜入できた。
正直言って不気味な研究所であった。金属製の壁や床に、木の根がびっしりと張り付いており、マッドサイエンティストが研究しているとひと目でわかる場所であった。
だが、このような場所こそ重要度が高いとほくそ笑み侵入して……あっさりと捕まった。結城聖は私が剣聖スキル持ちであり、話に来たという言葉を信じた。誠実な武士だと勘違いしていたので、油断していた。が、私も油断していた。結城聖は治癒魔法使いであり、戦闘は苦手だと思っていたのだ。
だが、私を遥かに上回る力を持っており、妖術は通じず、妖術以下の剣技スキルも効かなかった。そして捕まり気絶し………目覚めた時にはもっと酷いことになっていた。
「剣聖の陽子さん、身体の調子はどうだ? 怪我をして剣を振るうことができないなんてことはないか? 痛いところはないか、剣聖の陽子さん」
剣聖剣聖とニヤニヤ笑いながら聞いてくるのは、ナイフのように鋭い目つきをして、ナイフよりも危険そうな空気を漂わせる中年の男だ。中肉中背で鍛えられている体躯、冷酷さと冷徹さをもつ恐ろしい男、天野防人だ。
写真でその姿格好は確認していたが、目の当たりにすると身体に自然に震えがくる。
嫌味的に剣聖剣聖と言ってくるので、私が剣聖だと嘘をついているのを見抜いているのは間違いない。色々と都合が良かったので、剣聖の看板は便利だったのだが。
「剣聖の織田陽子だ。助けていただきありがとうございます」
顔を真面目な表情へと変えて、お礼を言う。目覚めた場所は捕まった部屋であるが、木の根は燃えており煙がもうもうと吹き出している。春の花も、春の花が結晶化していたものも炎に包まれ始めており、何かしらの機材が見るも無残な状態で壊されている。
天野防人の後ろには、結城聖と仮面をかぶった少女が立って、こちらを見てきていた。
「危ないところだったな、悪のマッドサイエンティストに捕まっていたところを、俺たちが助けたんだぜ」
「そこの女に負けて捕まったんだが?」
「どこかの狐娘のように化けていたんだ。聖は俺たちと一緒に助けにきた正義の味方だ」
私の肩をポンポンと気軽に叩く天野防人。辺りを私はもう一度ゆっくりと見渡す。暗闇に炎がパチパチと音をたてて、辺りを照らすが、その様子は酷いものだった。クレーターはできているわ、機材は壊されているわ、酷い惨状だ。死体は蔦の化け物がわんさかと積み重なっている上に床は凍りついている。
たしかに正義の味方が戦った後なのだろう。が、主犯がいなさそうだ。
「正義の味方が来たんだ。で、剣聖の陽子さんはここで何をしていたんだ?」
にこやかに笑って、肩を軽く叩き続ける天野防人に、私はなにが言いたいのか理解した。
「聖さんを訪問したのだが、その後の記憶がないな」
「そうだと思ったんだ。安心した、では脱出しようぜ」
なぜか、天野防人ではなく、道化の騎士団の副団長レイが前に出てきて、私を俵担ぎして運び出す。ここは天野防人にお姫様だっこで運ばれるところだと思うのだが。
「自爆装置が作動しました。あと10分でこの研究所は爆発します」
機嫌良さそうに不穏なセリフを吐きながら、地上へと脱出をするレイに不安も覚えるのだが。
結城聖がこの研究にかかわってはいないということにするらしい。どうやら面倒くさい展開になりそうなので逃げたいところだが………。
「もうぬいぐるみはいらないからな。次は狐の剥製が欲しくなる、といった気持ちに俺がならないようにしてくれよ? もうお前の素性はわかっているんだし」
「………わかった。気をつけよう」
にこやかな笑顔なのだろうが、まったく笑みに見えない凄みを見せる天野防人に諦めて嘆息して了承する陽子であった。
防人は息を吸ってマナを手のひらに集めて魔法を発動させる。
『炎帝爆発』
真夜中の火事。地下施設は炎に巻かれて、地上まで大火事になるパターンなので、部屋の中は爆風で吹き飛ばしておく。炎はかき消えて、チラチラと残り火が残るのみとなったので、残りは『水霧』にて完全に消しておけば完璧だ。
夜中の出来事は意外と外には響いておらず、精神支配されていた兵士が倒れるだけであった。
聖の自宅に案内されて、応接間にて休憩となる。相変わらずの殺風景な内装の部屋にて、影糸で縛ってミノムシ状態に陽子をしておき床に放り出す。
「あだっ。痛いではないか!」
「お前、死にかけていたからな? ヤバい痙攣をしていたんだからな?」
床に放り出されて文句を言う狐娘に半眼で告げておく。あのままだったら、脳死とかになっていてもおかしくなかったのだ。
「防人社長の慈悲により、貴女の身体を治癒したのです。平身低頭し感謝の心を持ち、これからは防人社長を崇めたてまつると良いと思います」
目を瞑って慈愛の笑みで陽子へと話しかける聖だが……あれれ? 少し聖の様子がおかしいぞ? 管理者権限を変えて創っただけなのにおかしいぞ?
聖から盲目的な狂信者の匂いがするんだけど?
ちらりと仮面をいつの間にかかぶっていた雫へと視線を向ける。ちなみに既に擬態で髪の色を黒髪に聖は変えている。
『……人間の体は死にましたしね。身体を創造されて、かつ人格が人間に尽くすように設定されていましたからね。気にしなくても良いのでは?』
雫さんと思念のやり取りをするが、雫は別に気にしていない模様。人間としては死亡し、残機スキルの力が働き、妖精機として復活したので、より機体としての設定が表に出たのかな。
『忠誠心がデフォルトで高いのか……。諦めておくか。というか、妖精機の初期型って人格設定が雑だろ』
忠誠心の高さは俺が設定したことではない。なので思い悩むことはないので、放置しておくことにする。絶対に人格設定が単純だと思うし。
「結城聖殿、そなた性格が変わっていないか?」
「元からの性格です」
ジト目になって尋ねる陽子に、間髪容れずに答える聖。怪しさしか残らないんだけど。陽子は俺を疑いの目で見てくる。どうやら、洗脳でもしたのではないかと疑っているようだ。まさか新しく創った機体とも答えることはできないので、肩をすくめるだけに留めておく。ここで洗脳とかをしていないと言っても信頼性ゼロなわけなのだからして。
「まぁ、気にしなくても良いだろ。人の関係性はコロコロと変わるもんだ。俺たちのように」
これからは仲良くなれるはずだ。利害関係的に。
「む……何が目的だ?」
「話が早いな。これからは織田家が足を引っ張るのを止めてほしい。お前、そこらじゅうで暗躍していないか?」
織田家の暗躍。正直面倒くさい。習志野シティは聖に指示を与えて、有り様を変えることにする。そうなれば、後は織田家の暗躍が困るのだ。
「織田家のメリットはなんだ?」
「御三家のみで争えば良いんだよ。三国志みたいにな。それだけでやりやすくなる。織田家の暗躍があると、計算が狂って困るんだ」
御三家は手を取り合って内街を経営するつもりなどまったくない。お互いに足を引っ張り合い、利益を少しでも確保しようとする。だがトップの三家のみならば、少しはやりやすい。
問題は織田家だ。巽に変装してこちらを誘導するやり方に、ヘリでの襲撃のやり方。こいつのやり方は表面上気づかない上に、スケープゴートを常に用意して暗躍しているみたいなのだ。もう少しおとなしくしてほしい。
「平和を求めてではないのが、噂の天野防人らしいな。しかし、私は清廉潔白にして武人、あだっ」
「剣聖スキルの闘技を使えないと噂しても良いんだぜ。俺の仲間は剣聖スキルの闘技を知っている奴らもいるんだ」
面の皮の厚すぎる返答を陽子がしてくるので、デコピンを入れておく。メリットが欲しいのはわかるけど、命を助けてもらって、なおこの返答とは強欲な狐娘だ。
「ふ。私の妖術ならば剣聖スキルなどチョチョイのチョイだ」
まったくめげずに詐欺を働くと堂々と宣言する陽子である。噂を流されても、誤魔化せる自信があるんだろう。これまでも剣聖スキルを持っていると思わせる程度の剣術スキルは持っているんだろうな。
どうするかと腕を組んでソファに凭れかかる。殺しちゃおうかな。死人に口なしの方が良いのかね。
「た、多少おとなしくしても良い。完全に活動を止めると内街ではあっという間に喰われるからな。どうだ、少し情報を渡すというのは? 対価は払うぞ?」
「………ないな。さようならだ、陽子さん」
殺しても仕方ないよな。あくまでも、利益を求める姿には感心するが、相手がその話に乗るとは限らないんだぜ。
手のひらを陽子に向けて口元を薄く笑みの形に変える。マナを集中させて魔法を発動させようとすると、俺の目を見て本気だと気づいたのだろう。
「わかった。話に乗ろう」
コクリと頷きながら、慌てて逃げようと、ゴロゴロと床を転がるミノムシ陽子。顔がひきつり、恐怖の表情となっている。多分口約束で終わらすつもりだろうし、信用ゼロです。
なのでこっそりと使い魔を忍ばせておくことにする。これで後はどうにでもなるだろう。
「まったく信用はできないが、取り引きに応じてくれてありがとうな。お前の親にも伝えておいてくれ」
「わかった……。で、習志野シティはどうするんだ? 結城聖を洗脳してどうするんだ?」
「嫌なことを堂々と聞くな。洗脳スキルがあるなら、お前を洗脳するし、こんなわかりやすい洗脳はしねーよ」
直球で聞いてくるので、仕方ないので反論する。
わかったと言いながら、少しでも情報を集めようと聞いてくる陽子である。
「むぅ……。たしかにな」
「地球連邦軍……てのが暗躍しているようだしな」
聖を見て思念を送る。
『地球連邦軍。聞き覚えがあるか?』
『もちろんです。私が元所属していたところですよ防人社長』
あっさりと答える聖に多少驚く。……まさか秘匿情報のレベルが雫と違うのか?
「榛名に書いてあった地球連邦軍……私もこの間、初めて見たが、やはりいるのか」
「だなぁ。俺たちの邪魔をするかもしれないから、それを手土産にしておけよ。内街で根回ししておいてくれ」
「使いようによるか……わかった」
地球連邦軍の情報をどう扱うか考え始める陽子。狐の尻尾をフリフリと振って余裕を見せ始めるが好きにやってくれ。
『聖は榛名を見ているんだよな? どうやって榛名を飛ばしたんだ? なにか命令を受けたか?』
『申し訳ありません。その時の記憶は消去されています』
すまなそうに答えてくる聖の言葉にため息をつく。やはり何かしらの操作を受けていたか……。なんで、聖を置いていったんだ? こいつ治癒魔法持ちなのに。もったいないじゃんね。俺なら絶対に連れていくけど。
『たしかにおかしいですね……。なにか連れていかない理由があったのでしょうか』
雫も会話に加わり、不思議そうにするが、なにかニンフを連れ帰るとまずいことでもあったのかね。
『推測致します。妖精機の中でも、旧型の私に警戒したのかと。雫たちの知識と比較すると私の命令内容はかなり古いと思われます。どんな命令が存在するかもわからない不安定な私を本拠地に連れ帰ることはしないと思います』
『あ〜……秘匿命令が仕込まれていたらやばいからな……なるほどねぇ』
雫さんたちも厄介な制限があるしな。古すぎてよくわからない野良妖精機は仲間に入れないと。
まぁ、正直、相手の考えはわからない。が、わかることはある。とりあえず、習志野シティはこれで片付いた。交渉は聖に任せよう。天津ヶ原コーポレーションは後で一枚噛ませてもらう予定とします。
帰宅して夏休暇を取るとしますか。