181話 世界樹
地下から防人は外に逃げだして顔をしかめる。
『到着して数時間しか経っていないんだけど』
物凄い理不尽だ。なぜ、罠に引っ掛かった敵を倒す最中に厄介事がさらに起こるのか訳がわからない。ハメた敵の秘密を手に入れられるところだったのに。
『たしかにおかしいですね。私たちの行動を予測していたような……』
雫も難しい表情になって、言葉を濁す。まさかあのタイミングで魔物が現れるとは予想していなかったからだ。
『あの原始的な精霊機。まずいものだとはひと目でわかりましたが、それでもあそこまで急激にダンジョンが発生するほどのエネルギーだとは思えなかったのですが』
首を傾げて不思議そうにする雫に、裏道を走り抜けて大通りへと向かいながら尋ねる。
『あれって、そんなにまずいものだったのか?』
『普通なら問題はありません。エネルギーを吸収する世界樹がいたのが問題だったんです。たぶん世界樹はこの街全体に根を張っていたので、まずかったんです。例えていえば、今まで防人さんが手に入れたモンスターコアが、完全に加工された外に力を漏らさないエネルギー結晶だとすると、さっきのは剥き出しの原子炉の燃料棒ですね』
『辺りに放射線ならぬマナを撒き散らす?』
『もっと悪いんです。汚染されたエレメントを撒き散らすので、急速にダンジョン発生率が上がります。そのレベルも留まることを知らずに上がるので、私の知っている限りすぐに廃棄されたプロトエレメントタイプですよ。そして、世界樹はそのエネルギーをダイレクトに吸収して強化します』
ふんすふんすと鼻息が荒い雫。珍しく言葉にかなりの熱量を感じさせる。
『ですが、結晶化した春の花を吸収しても汚染されていないので、マナが吸収されるだけのダンジョンが発生するレベルだと思いました。だが、春精霊のコアは黒かった。汚染されていたんです。どこかで雑なエレメントへの加工をしたに違いありません』
なんつー怖い物だと、さすがの俺も額に冷や汗をかく。習志野シティは燃料棒を振り回して、力を手に入れたとはしゃいでいたわけか。その足元は汚染されて危険だとわからずに。
しかし加工する機械なんか習志野シティは作ったのか。汚染という言葉が物凄い気になります。
そんな俺の疑問を無視して、雫は考え込む。
『………もしかして……』
俺が震え上がるのを見ながら、雫はハッとした表情になる。雫さんのそういった表情は常に予想以上のことが発生する前触れだと、俺が嫌な予感をする中で、やはり最悪なことを口にした。
『たぶん、この習志野シティはとっくにダンジョンとなっていたんです! 更地タイプで街などを建設しても、わからないタイプ! 魔物をポップする権限や地形変更権限を持つ、極々稀なダンジョンマスターと言われるボスがいるダンジョンです! 街に擬態して力を溜めながら隠れている珍しいタイプですね』
『え? 自由にダンジョンを変更できる魔物がいるのか?』
そんなダンジョンがあったら、人類は簡単に負けちゃわないかな? 少なくとも、俺がそのダンジョンマスターとやらになれば、人類はあっさりと駆逐できるぜ?
嫌そうな表情の俺に鼻がくっつくほどの近さまで雫は顔を近づけてきて、興奮気味に話を続ける。
『自在にダンジョンを作れるタイプは稀にいたんです。ただ魔物創造や地形変更には、変える際に全てをリセットする必要があるみたいで、改修の隙に倒せます。だいたいは簡単に倒せましたが、苦戦する敵もいました』
その表情を見ればかなり希少な敵なのだと理解できる。なにしろ雫さん、珍しくふんふんと鼻を鳴らして興奮気味だ。
『ズンドコパワーアップすれば、問題ないだろ? 改修の間も近寄れないようにしておけば良い』
なんで簡単に倒せるわけ? 普通はダンジョンマスターがいた方が強いと思うんだけど。
『それが……考えすぎるのか、ダンジョンマスターがいない方がダンジョンって強いんです。余計なエネルギーを使うからでしょう。無駄に凝っていたりして、すぐに倒せました。そもそも近寄れないようにすることも地形変更に入るので、意味がないんです』
………なるほどなぁ、地形変更が駄目な理由は理解した。だが、凝っていたとはいかに? 駄目なのか? 俺の疑問に気づいてか、雫は話を続ける。
『魔物とかも編成は凝っていて強力だったりするんですが、数が少なすぎたり、魔物全てに知性を持たせたりして、こちらの罠にかかって死にました。それと、強いダンジョンを作ろうとすればするほど、改修に時間がかかって、ボスだけがぽつんと空き地に残っているので、カメラを設置しておけば改修のタイミングがわかりますから、簡単に倒せたんです』
苦笑混じりに告げてくる雫に俺も苦笑で返す。かなりシュールな姿としか言いようがない。建て増しではなくて、全部1から建て直すなら、そりゃあっさりと負けるわな。
そうか、とすると更地はかなり有利だ。気づかれずに魔物だけは強くできるに違いないし、敷地を広げても世界樹のふりをしていれば、まさかボスだとは気づかれまい。
『あぁ……。それでも何も考えないコンピュータの方が遥かに戦略的には良いということか……たしかにそのとおりかもなぁ。現実は世知辛い』
そうか、そりゃそうだ。もしも俺がダンジョンマスターになったとしよう。気に入らないダンジョンを改修したり、新たな魔物を作ったり、挙げ句の果てには福利厚生なども始めるかもな。人間ってのは我慢ができない。きっと冷蔵庫がほしいと作って、建て直す間に俺はやられるかも。
ダンジョンマスターとやらは知性があるなら、欲を持つに決まっているし。世界樹のふりをした魔物もなぜか隠れるのをやめたし。
そんなん、淡々と機械のように設定されたとおりに動くダンジョンの方が不満も欲求もないから強いに決まっている。いや、低レベルだとダンジョンマスターがいた方が良いかもしれないが、高レベルだと機械的に動くダンジョンの方が強いに決まっている。ダンジョンは悪辣だ。雫さん曰く人類は敗北を決定づけられているらしいし。
機械的に指示を出して仕様を決めるゲームマスターの下で、これまた機械的に働くダンジョン。素早く以心伝心で動く上に 限界まで削ぎ落とされた効率的でコストパフォーマンスが良いプログラムを組んだ結果のダンジョンなのだ。ボス魔物は知性を持つし、全く無駄がない合理的で効率的な動きをする高レベルダンジョンの方が最終的には厄介だ。
………この話どこか変だ。かなりおかしい。納得しかけるが、この話、おかしくないか? なにか、どことなくちぐはぐな感じがする。真実なのか? 本当にダンジョンマスターなんかいたのか?
雫を走りながら観察するが、嘘を言っている様子はない。だが……雫が本当のことを言っていないかもしれない。嘘をついているわけではなく、そのような間違った知識を与えられているのかも。これは落ち着いたら、よく考える必要があるだろう。
疑問をとりあえずおいておいて、俺が大通りに出ると、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。不格好な木の人形に見えるトレントが暴れまわっており、トラックは木の根に絡みつかれて、押し潰されてスクラップにされて、店舗は草木に覆われて見る影もない。人々はトレントの放つ木の槍に次々と串刺しにされて殺されて、悲鳴をあげてそれを見た人々が逃げ惑う。
「助けてくれ〜」
「魔物よ!」
「ままー!」
悲鳴と怒号、泣き叫ぶ者たちの声が響く。
「どうするんだ、兄ちゃん? どこに逃げる?」
「黙っていろ。今考えている」
息を荒らげながら、ついてきた巽が周りを見て恐怖の面持ちで尋ねてくるのを、チラリと見て目を細める。
トレントの宿すマナを見る限りには、奴らはBランクに足をかけているレベルの強さだ。かなり強い。一般人では到底太刀打ちできないだろう。
どうするかと考える中で、トラックが走ってきて、兵士たちが飛び降りてくる。それが何を意味するか悟ってしまうが、制止するにはもう遅いし、この緊急事態で止めろと言っても止めないと理解できてしまう。
「全員、対魔物戦闘を開始せよ!」
「はっ。了解です!」
隊長らしき男の指示に従い、兵士たちが予想通りに水晶と巻物を取り出した。
『春精霊召喚』
兵士たちは絶対の自信を持っているのだろう。春精霊を召喚していく。だが……
アスファルト舗装が砕けて、木の槍が春精霊に襲いかかる。胴体を貫かれてあっさりと消えていく春精霊に兵士たちが動揺する。その隙を狙ってか、トレントたちが宙から生み出されて、兵士たちへと襲いかかり、次々と殺していく。
「そ、そんなバカな!」
「こいつら強い」
「た、隊長!」
1、2レベルのスキルは持っていたのだろう。魔法を唱えるやつもいれば、銃を撃つ者もナイフで戦おうとする者もいたが、魔法はトレントの表皮に弾かれて、銃弾はこの木の肌に僅かに突き刺さるだけで、ナイフを繰り出す者はトレントに浅い傷跡を残す程度だった。
地力が違いすぎて戦闘にすらなっていない。兵士たちは街の人を守るどころか、自分たちの身も守れていない。
鮮血が飛び散り、血溜まりがそこかしこに池のように作られて、物言わぬ肉塊が増えていく。
畜生め。既に春精霊の弱点はとっくに見抜かれていたんだな。構成が雑な春精霊はマナ感知を使えば、どこを攻撃すれば倒せるか簡単にわかったのだ。春精霊はコアと肉体との繋がりが綿のように脆かったので、コアを一突きすれば繋がりが切れてあっさりと倒せたのだ。魔物ではそんなに簡単にいかない。春精霊が出来損ないとわかるレベルだった。
『これは話に聞いただけのダンジョンを発生させる、さらに上の段階。ダンジョンマスター化を世界樹はしたんです! 私も知識でしか知りませんでしたけど、欲を持たない世界樹は、ダンジョンマスターの中でも厄介だったと知識にあります』
『水が勝手に浄化されると聞いた時点でおかしいと思うところだったのに気づかなかったな』
舌打ちをして、自分の迂闊さを呪う。雫の最初の説明でおかしいと思うべきだったのだ。
『見てください! エンシェントトレントですよ。その戦闘力はAランク。そしてダンジョンマスターたるボスを倒すと、希少な宝箱が出てくる可能性大です』
ピッと人差し指を雫は街の中心。世界樹へと向けて、目をキラキラと輝かせていた。
『人類に一見都合が良いように思えるボスだなぁ』
俺は以前の記憶を思い出しながら雫を見る。ダンジョンは自然の一部、か……。
「ウォぉぉぉぉぉぉぉ!」
空気が揺らめき、衝撃波のような咆哮が世界樹から聞こえてくる。その咆哮だけで身体に震えがきてしまう。
『Aランクのカンストステータスは1万です。エンシェントトレントのステータスはどれぐらいか不明。Aランクでは私たちでは残念ながら、戦わない方が良い相手ですね』
とうとうエンシェントトレントと化したのだろう、いや、雫曰く既にダンジョン化していたのだから、正体を現したボスに対して、残念そうに雫は肩を落とす。が、その目はギラリと猛獣が獲物を見つけた時のような光を宿しており、どうにか倒せないかと考えているようであった。
恐らくは俺が奴を倒しに行こうという言葉を期待しているのだろう。
雫は周りの人間が次々と死んでいっても、意にも介さずダンジョン攻略のみを検討している。その姿はまさしくダンジョン攻略を目的として作られたのだろう妖精機に相応しい態度だ。たぶん周りの悲鳴を騒音にしか思っていないに違いない。
仕方ない。ここで敵を倒さないと習志野シティは崩壊する。なんとか、雫のご期待に添えるように頑張りますか。
「巽、下がっていろ。団長から支援が来た」
「あぁ、うん?」
少しだけ俺から離れる巽を他所に、俺は手を翳す。
「きたれ、コウよ」
立体型魔法陣が俺のマナに応えて、描かれていき
「ちー」
可愛らしいハツカネズミのような鳴き声と共に透明の巨大な体を持つ蛟が召喚されるのであった。