176話 習志野
習志野シティは軍基地である。防人がそれを実感したのは、ヘリが到着してからだ。武骨なコンクリートの地面が広がる中で、戦車や戦闘機が駐機している敷地に降り立つとそれを嫌でも実感してしまう。
かまぼこ型のハンガーや、コンクリート製の兵舎や司令塔。多くの兵士が戦闘服を着込み、掛け声と共に列を作りマラソンをしているのだ。
「映画とかで、軍基地の映像とかあるけど、それにそっくりだな」
夏のギラつく陽射しを受けながら俺は目を細めて、花梨の後に続いてヘリから降り立つ。
外にはずらりと整列して30人程度の軍服を着込んだ軍人が立ち並んでいる。厳しい表情の奴らばかりだ。例外はその中心の人たち。穏やかそうな顔立ちの老人と年若い少女がにこやかな笑みを浮かべていた。
俺は花梨の真似をして横に立ち、内心で僅かに驚く。歓迎の意と、威圧を籠めてのお出迎えなのだが……。
『信じられないな。こいつら、全員レベル4程度の力を持っているぞ。中には5もいるか?』
マナをデフォルトで感知できる俺の目には兵士たちが全員かなりのマナを抱え込んでいると見えるので驚いてしまう。
『たしかに。この世界でスキル持ちを揃えたと言っても、内街と違い、基地程度の拠点ではレベル3が限界だと思ったのですが』
幽体の雫もふよふよ浮きながら真面目な表情で相手の力を見て驚いていた。
4となれば、Cランクのダンジョンをどれだけ攻略しなければならないか……。確率的に言ってもスキルレベルアップポーションはそこまでドロップしないのだ。
Cランクを生身で攻略するとなれば、天野家以外は犠牲を覚悟しないといけないレベルである。それが普通のはずであるのに、習志野は4持ちを揃えたらしい。
『セリカ、聞こえるか? スキルレベル4持ちは内街に今何人いる?』
『ん? 何かあったのかい? あぁ、習志野シティに到着したんだね。ちょっと待ってよ……12人だね。なぜか最近大勢死んじゃったから、かなり減少したんだ』
『体調管理は大事だよな、事故や病気には気をつけないといけないぜ。で、セリカ。俺の前に歓迎の人々がいるんだが。30人ぐらい』
『………そんなにレベル4がいるということか……習志野シティは最近急速にスキル持ちを増やしているという噂があるんだ。ダンジョン攻略に佐官はほとんど犠牲を出さないで攻略しているというね。俄には信じられなかったけど……真実だったんだ』
セリカが多少驚いた声音で返してくるので、ありがとうとお礼を言って念話を切る。おかしいな……と、するとレベル3も大勢いるはず。それなのに、ヘリでの襲撃はたいして強くないパイロットだった………。内街との戦争を望む奴らがいやがるな。あのヘリは倒されることが前提だったのか。
『たぶんトップの権力者ではないでしょう。大なり小なり戦争では被害が出ます。しかも内街は隠し持っている魔法具の存在も考慮に入れないといけません。下手に戦争をふっかけて、自分の支配地盤が崩れるようなことはしないと思います』
雫の言うことはもっともだ。こんな世界だ。自分がトップにいるなら、危険な橋は渡りたくないはず。それでも良いという危険人物なら話は別だけど。
風香たちが交渉役の相手と話し始めて、用意されていたリムジンに乗る。
それを追いかけるべく、俺たちも輸送用トラックに乗り込むのであった。
今回、習志野シティに行くのにどうしようかと、頭を悩ませていたら、セリカが習志野シティに向かう源家の話を持ってきたので、護衛役として花梨を混ぜて、新米佐官の丹羽長秀として潜り込んだのだ。
最近、佐官は入れ替わりが激しいからか、源家には密かに根回しをしてもらったからか、兵士たちの誰も疑問に思うことはなかった。
ひんやりとした椅子に座り、ガタガタと揺られながら移動する。やがて車は壁と同じ程度の5メートル程度の高さの門前に停まる。軍基地から、街へと入る扉だ。ギギィと錆びた音がして扉が開き、トラックが再び発進し、街中へと入る。
空港を元に作られた街は管制塔らしき塔以外は高層ビルなどもなく、10年前に建てられたビルや家屋群が連なっており、内街より小さなイメージを与えてくる。
この街が違うのは廃墟がないというところだ。余すところなくこの街は土地を使い切っている。元から街がなかったのが功を奏したのだろう。
しかし、使い切ったということは、もはや人口増加に耐えられないということだ。そのために、壁を広げて領土を増やしている。ヘリから見た感じでは、内街と違ってしょぼい壁なので、魔物の本格的な侵略を防ぐことはできないだろうが。
「あまり裕福な暮らしをしているようには見えないな、花梨大佐」
「そうにゃんね。丹羽少佐。ここは軍備に予算を全振りしているからにゃあ。魔物を退治するのが目的だから禁欲的にゃん」
軍備に全振りとは、恐ろしい。禁欲的な生活、ねぇ。
トラックから見えるのは、中心地区でも軍服を着て歩く男性か、あまり目立たない服装の女性。華やかさがまったくない。まるで戦時中だ。
いや、ダンジョンとの戦争中か。ここが習志野シティ。
「なるほど、禁欲的な生活をして、領土を増やす……。人々が暮らせる未来を目指すやり方は好意を覚えて良いが」
「やり方が問題にゃね。きっと不満は溜まりまくりにゃ」
そのとおり、禁欲的な生活ってのは不満が溜まる。余裕がないときはそれでも我慢できるが、余裕ができた時は悪さを考える奴がきっといるもんだ。
「この名前を聞いて接触してくるやつを待つぞ」
「丹羽長秀。その名前に誘われる奴は本当にいるのかにゃあ」
「戦国時代の織田家の有名人だからなぁ。釣れてラッキーってところだろ」
織田家が密かに習志野シティの連中と組んでいるかもとの予想。駄目元だ。
無視されなければ良いのさ。敵のアクションを期待するぜ。
輸送用トラックが停車して、訪問客用だろうビルに到着した。内部はコンクリート打ちっぱなしのビルで無駄な内装というか、必要な内装も作られていない。ぶっちゃけると、まだまだ作りかけのビルといって良い。
ちょっと質実剛健すぎない? 受付カウンターもとりあえず作りましたという感じだ。
俺以外も初めて習志野シティに来た面々は珍しそうに周りを見ている。
「こちらが皆様方の部屋となります」
やはり軍服の女性が規律正しい姿でキビキビと案内をしてくれるが、なんだろうね。息が詰まる都市じゃんね。
ビジネスホテルのような、いやそれ以上に簡素な部屋にため息をついてしまう。
とりあえず荷物を置くと、周りを見る。
『罠感知』
マナを籠めて部屋を確認する。特に何もない。盗聴器以外は。
『泣けるぜ』
『監視社会。ここまで地域によって違うとは思いませんでした。これ他の地域もかなり違うのでは?』
『う〜ん……そんなふうには見えなかったがなぁ』
雫が予想する理由はわかるけど、そんなに変わるか? ここが軍基地だからだと思う。それにしても、ここは殺伐としすぎているけどな。
ひと休み後に命令が来たので、ロビーに集まると源風香が、こちらをちらりと見てくる。ちなみに風香には中身が天野防人だとは伝えていない。丹羽長秀は道化の騎士団の一員なのだとだけ伝えてある。
「皆さん、歓迎会があるそうです。制服組は出席をお願いします」
静かな口調で風香が伝えてくるので、皆は頷く。制服組は……?
「にゃんこ、俺って制服組?」
こそっと耳元に口を近づけて尋ねる。
「そのとおりにゃ。自由に行動できるように身分証明書は少佐にしたにゃんよ。佐官は制服組に入るにゃ、身分は一等級、最高にゃん」
「了解。それじゃ後はよろしく」
「よろしく?」
首を傾げて不思議そうに俺を見てくるにゃんこにニヤリと笑う。
「俺はわかりやすく、それでいて、さり気なく第2壁区域に潜入する」
「罠だとわかりにくくお願いしますにゃ」
スッと目を細めて、いつもとは違う真剣な表情で小さく花梨は頷く。こういう姿を見ると、諜報員っぽいよな猫娘も。
風香のことは任せた。花梨なら余裕で護衛できるだろう。丸目大佐とかいう奴も隙を見せずに周りを常に警戒しているようだし。
「風魔大佐。少し食べ物を買ってきます。よろしいでしょうか。歓迎会で食べられるとは限りませんし」
少し大きめな声で花梨へと尋ねると、うむとにゃんこは機嫌よく頷く。
「ここは初めての土地にゃん。迷子にならないように気をつけるんだにゃ」
「了解です。すぐに戻ってきますので」
わざとらしい会話をして、皆から離れて外に出るのであった。
花梨は防人がビルから出ていくのを見送って、嘆息した。大佐って、最初は昇進して嬉しかったが、実際は微妙だと。少佐ならば、防人と一緒に習志野シティ観光と行くのに、今回の交渉での護衛で階級が最上位なのは、大佐である丸目とあちしだけ。残らないとならないのだ。
「あの少佐さん、迷子にならないと良いですね」
源風香がこちらに近づいてきて、世間話をするように話しかけてきた。
「源様。少佐は方向音痴の可能性もありますので、すぐには戻ってこれないかと」
キリリと真面目な表情で、キャラは作らずに答える。大佐となり、雲上の人と付き合うようになったのだ。そろそろ自分も威厳を身につける時との考えからである。
たぶん好き放題やって帰ってくるはずだ。これまでの経験から、簡単に想像できる。その場合、花梨はなにかをやらないといけないのだろうか? 面倒くさいのは勘弁してほしいのだが。
「そうですか。では迷子になった間に起こったことは教えてくれるのでしょうか?」
ニッコリと微笑みながらの風香の問いに、花梨は圧を感じて決心した。
「あちし、下っ端だからにゃあ。あまり作戦内容とか聞かされていないにゃん」
花梨はにゃんこに戻って、ニャハハと誤魔化し笑いをした。威厳? もうとっくにセール品として売りました。大佐? 名ばかりの大佐だ。もはや、佐官は少なくなりすぎて、まともに稼働しているとは言い難い。家門の影響力を見せるだけの階級となっている。
できるだけか弱く、にゃんこは無害な子猫ですとのアピールだ。
「そんなに謙遜しないでください。天津ヶ原コーポレーションができる前から、廃墟街に出入りしていましたものね、風魔大佐は。あ、友だちになりたいので花梨さんとお呼びしても?」
「もちろんお友だち大歓迎ですにゃ、源様」
ギラリと光る瞳を向けてくる源風香、少し怖い。見習うべき威厳がある。
「私も風香で良いですよ、花梨。ふふ、良かったです、お友だちが増えて。迷子の方とも友だちになりたいので、紹介してください」
「了解しましたにゃ」
友だちと言いつつ、命令口調の風香に目が全然笑ってないにゃと身体を震わせてしまう。源家にとっては、花梨は塵芥のような存在だ。神代コーポレーションに誘うつもりだった丸目大佐もとられたし。まぁ、丸目大佐を引き込むのは目立ちすぎるとセリカが引き抜くことを止めたという経緯もあったが。
丹羽長秀……風香にはきっと年若い青年だと見えているはず。花梨でさえも中身が本当に防人なのか変装するところを見ていないのでわからない。話し方で防人だとは思うけど。演技次第でそんなものはいくらでも誤魔化せるし。
きっと同年代の道化の騎士団だと風香は思っているのだろう。中身はおっさんだから風香の趣味にはあわないと伝えてあげたいが、そんなことをすれば、防人から怒られるのは確実だ。きっと一つの事柄に何個もの策略を仕掛けているはずだから、邪魔はできない。
「早く戻ってきてにゃ……」
花梨としては、か弱い子猫として祈ることだけしかできないのであった。