156話 呼出
空は曇天であり、昼であるのに薄暗い。雨が直に降ってくるだろうと、内街にありながら広大な敷地に建てられた西洋の屋敷の一室で、平コノハは上品な佇まいでゆっくりとコーヒーを飲む。
「少しぬるいわね」
カチャリとコーヒーカップをテーブルにおいて呟くように言うと、壁際に立っているメイドがコクリと頷く。
「………」
「………」
「………」
「ねぇ、ここは熱いコーヒーに替えるところではなくって?」
沈黙に耐えきれずにジト目でメイドへと言うと、意外そうな表情となって冷静に返答してくる。
「石田三成はぬるいお茶、熱いお茶、甘いお茶で秀吉を持て成したといいます。それを気に入った秀吉は三成を召抱えたらしいですよ」
「それでいうと、熱いコーヒーを持ってくるのではなくて?」
「お嬢様、最初はそれは熱いコーヒーでした。お嬢様がソワソワしてコーヒーを放置していたので、温くなったんですよ、あと、砂糖はそこにあります」
「面倒くさいということね、まったく」
熱いコーヒーを飲みたいかと言われたら、本当はたいして飲みたくない。言ってみただけだということを、このメイドはお見通しらしい。長い付き合いも考えものだわと苦笑しつつ、コーヒーを飲み干す。砂糖を入れすぎたのか、ぬるいこともあって甘すぎる。
ソワソワと壁に立てかけられている柱時計を見て、そろそろ時間だわと目を輝かす。待っていたのだ。久しぶりに会う娘に。
カチカチと音をたてて、柱時計の針が待ち望んでいた時間を示し……なにも起こらない。それだけでひと財産となるアンティークの姿見を見つめ直す。磨かれた鏡面には真っ赤なルージュで書かれた日時がそのままにしてある。
この方法で会えるはずなのにと、焦って柱時計を見つめ直す。たしかに13時だ。指定の時間となっているのは間違いない。
嫌な予感がよぎる。もしかして、鞍替えをしたのかと思い、椅子を立ったり座ったりと落ち着きなく動く。
「なんであんなに焦っているんですか?」
「たぶんトイレに行きたいのかと。お嬢様は人と会う約束の時間などにトイレに行きたくなる性癖なのです」
「そうなんですか。それは困った性癖ですね」
困ったことになったと、深刻そうな表情になり顔を顰めるが……。
なぜか隅っこでメイドといないはずのもう一人がクッキーを食べながら話していた。
「………なんでいつの間にかいますの?」
気づいたコノハはピタリと動きを止めて、二人を睨む。
「罠がないか確認しないといけませんからね」
もぐもぐとメイドが渡しただろうクッキーを頬張って食べている、待ち望んでいた仮面の少女へと責めるように言うが、相手はクッキーを頬張って頬をリスのようにしながら答えてきた。
いつの間にか少女がそこには立っていた。
疲れを感じて、ため息を吐きつつ額に手を当てる。が、言いたいことはわかった。椅子に深く座り直して足を組むとコノハは辺りを手を振って示す。
「罠もないですし、護衛もメイド一人。信用してくれたかしら?」
「そうですね、私は甘いカフェオレでお願いします」
対面のソファに座り、仮面の少女は肘をつく。その余裕そうな表情にコノハは僅かに気圧されてしまう。顔は半分隠れており、その素顔はわからないが、美しいだろうと想像する。そして、息詰まるような威圧感も覚えてしまう。
これはきっと目の前の少女が強者だからだと、薄っすらとコノハは心の奥底で理解している。自分よりも年下に見えるし、信じられないことだが、以前会った時よりも強くなっている感じがするのは気のせいだろうか。
知らずにゴクリとつばを飲み込む。
「お久しぶりね、レイ。元気だったかしら?」
声が震えないように気をつけながらレイを見る。道化の騎士団の副団長を名乗る少女。強大な力を持つ謎の少女だ。彼女のバックボーンは未だにわからない。源家と思われていたが、それも今では不可解だ。廃墟街に作った天津ヶ原コーポレーションを隠れ蓑に、戦力を増やしていると言われているが、それにしては源家との関係がよくわからない。
食糧その他で大きな取引をしているのはわかっている。が、それらの取引以上のことをしている動きは見られないと、お母様が言っていた。
どうしてか、巷に広がる噂では平家が天津ヶ原コーポレーションのバックボーンと言われているからだ。不可解であり、お母様は難しい顔でこの状況を測りかねている。
平家と源家を天秤にかけて、どちらにつくかを考えているのだろうとは思うが……それにしては接触をしてこようとする素振りを見せない。
結果、よくわからない。
「元気でしたよ、この春は田畑を作るのに精を出していました。鍬を持ちすぎて、マメができるかと思ってしまいましたね」
「貴女の美しい手にマメができなくて良かったですわ」
傷一つシミ一つない白魚のように綺麗な肌の手をひらひらと揺らして、口元を笑みに変えるレイに、私も微笑み返す。
「肌のケアには気をつけているので良かったです」
「今度、わたくしの使っている美容液などを譲って差し上げますわ」
メイドがカフェオレとショートケーキをレイの前に置く。そのままお辞儀をして下がるが、あら、わたくしのはないのかしら。なぜかメイドの口周りについている生クリームが気になるわ。絶対にわざとよね。
わたくしとメイドの様子を見て、レイはおかしそうにクスリと笑った。
「楽しい関係のようですね、それで呼び出した理由を教えてほしいのですが」
強者としての雰囲気が緩み、仮面の奥の瞳が面白そうに見てくるので、気を取り直すと居住まいを正す。メイドが空気を緩めるために、わざとお茶目なことをしたのに気づいているのかもしれないが気にしないことにする。
「レイ。今回はポーションを譲ってほしいというわけではありませんの」
「へぇ〜、そうなんですか。今回もポーションを譲ってほしいとの話だと思っていたんですが」
ケーキにフォークを刺して切り分けてパクリと美味しそうに食べながらレイは見てくるので頷く。
「ポーションではないのです。今回はダンジョンの攻略をしてほしいの。私を護衛しながら」
わたくしの言葉に、ケーキを食べる手をピタリとレイは止める。
「ダンジョンの攻略ならば、私一人で充分です。なぜコノハさんを連れていかなければならないか理由をお聞きしても? カルガモの親のようにしか守ることはできないですよ?」
冷たい視線を見せてきて、コノハは背筋をゾクリと凍らせてしまう。が、表情に出さずににこやかに返す。
「カルガモの親はまったく守っていませんわよね? それは困りますが、レイ以外にも何人か連れていくつもりよ。そこまで護衛に力を入れなくても良いわ」
「ふむ………道化の騎士団の団長は貴女です。金額次第では別に構いませんが? どうしてコノハさんが一緒に行くかの説明がありませんね。箔をつけることにするんですか?」
レイの疑問はもっともだ。足手まといがいない方が攻略は簡単になるだろう。が、それでは困るのだ。外面的に。
「そのとおりですわ。箔をつけることが必要なのです。これ以上ない功績と今回のダンジョン攻略はなるでしょうから」
これはわたくしにとって、大事な任務だ。レイ一人には任せられない。
フォークを振って頬杖をついて、仮面の奥に見える目を細めるレイ。話の続きをするように促してくる。年下にも見えるのに、貫禄があり羨ましい。
「新潟県に行ってほしいのですわ。わたくしと一緒に」
「新潟県? 何をしに? あそこに面白いダンジョンがあるとでも?」
その問いかけに、微かに息を吸い込み間を取るとわたくしは口元を曲げて教える。とっておきの秘密の事柄だ。
「新潟県には無数のダンジョンがあるのですわ。そのダンジョンの環境は……油の沼なのです」
秘匿されている情報を伝える。油の沼。即ち油田である。問題は山積みであるのだが。
驚くだろうとレイの様子を観察するが、特に表情は変えなかった。とても驚くと思っていたわたくしは肩透かしをして、がっかりしてしまう。
「………油の沼。ということは、アンデッドのダンジョンですね。正気ですか? 炎に弱く、それ以外は強力な再生能力で回復するアンデッドと油の沼のダンジョンで戦うのは命懸けです。しかも油の沼の魔物はマミー。その爪は麻痺毒を持っており、身体を覆う包帯は薄い布切れに見えて、鉄よりも硬く、柔軟性があるのです。力はDランクですが、ダンジョンに潜っての戦闘はおすすめしません。ランク以上の力を出しますからね」
「油の沼のダンジョンを知っていますの!」
詳細をつまらなそうにしながら述べるレイに、コノハは反対に驚いて立ち上がって叫ぶ。ガシャンとコーヒーカップが音をたててテーブルの上を跳ねる。
「昨今のガソリン不足をなんとかしたいと考えているならお勧めしません。なぜならば油の沼はたしかに沼の表面に油が浮いており、一見すると石油が採れると思われますが、使い物にならないレベルです。とても油田とはならないと思いますよ? せいぜい醤油に浮かんだラー油程度。隠し味にしか使えません」
「それはわかっておりますの。それ以外に理由があるのですわ」
油の沼のことを知っているのは驚きだが、これは知らないだろうし、教えられない……
「あぁ、無限なる油の壷を手に入れたいと。あれはミスリル箱ですよ? まず出現はしません。私もあまり見たことないですし」
「それも知ってますの! 名前は違いますが」
「もちろんです。無限と名付けた人のネーミングセンスを疑いたいところですが、その能力は一日に10リットルの油が湧き出します。ガソリンから軽油、灯油まで種類は思うがまま。少なすぎて使い物になりませんが………んん? それが目的ではない? 出現率は低く、湧き出す量も少なすぎますものね」
どこまでこの少女は深い叡智を持っているのだろうかと、驚愕しながらもポーカーフェイスを保とうと口元を引きつらせる。無限なる油の壷なるアイテム。たぶん湧き出す油壷のことだ。今回のダンジョン攻略に備えて情報を下調べしたら、出てくるアイテムの中にあった。すぐに燃えて壊れたらしいが。
が、それが目的ではない。そしてそこまですぐに思い至る頭の回転の速さに同じ歳なのかと改めて思う。
「目的がそれではないとすると、攻略する理由がわかりませんが……」
「新潟県には多くの油の沼のダンジョンがありますのよ。今回はわたくしたち以外にも他の家門も攻略に向かいます」
「そうなんですか………わかりました。で、契約金はいくらですか?」
考えるのをやめたのかレイがわたくしを見てくる。どれだけ考えてもわかるはずはない。知らないことがレイにもあることに安堵して手を翳す。
「1億でいかがかしら?」
「前金で1億とは太っ腹ですね。さすがは団長、部下にたいして金一封を出すこともできます」
あっさりと前金と言い切り、小首をコテンと傾げて可愛らしく微笑むレイ。その微笑みをわたくしは顔を引きつらせながら凝視するが、ニコリと微笑むその顔は変わることはない。
「そ、そうですわね……え〜と、後金で2億?」
ニコニコと微笑むレイの様子になぜか凄みを感じてしまう。
「合わせて5億でどうでしょうか?」
「わかりました。その金額で受けましょう。この奇跡を齎すレイに全て任せてください。マミー如き何体現れても、ハタキではたくように倒してみせますので」
フフンと胸を張るレイに、コノハは笑みと共に契約が結べたことに安堵する。
「それじゃお願いしますわね。出発は来週。よろしくお願いしますわね」
彼女がいれば安心だ。これでわたくしは頭角を現すことができるだろうと、笑みと共に強く思うのであった。
新潟県のダンジョン。危険はあるが、5億を支払っても攻略する価値があると思われるので。