145話 ティルナノーグ
受付フロアの受付カウンターには、可愛らしい小さな地球儀が置いてあり、カウンターにはモニターが埋め込んである。暗く消灯しているので使えないが。
いくつか通路が分かれており、案内板が突き当りに掲げてある。天井にはプラカードっぽいのが掲げられている。
『ティルナノーグにようこそ!』
と、可愛らしい丸文字で書いてあり、壊れたタレット群と、ガランとした人気のないフロアに寂寥感を感じてしまう。
雫たちが住んでいた、か。宇宙にまで進出していたということは、やはり俺のいる世界ではないか。未来でもない。いや、もしもダンジョンが現れなかったら、未来は変わっていたのだろうか。
闇猫と闇蛇がてしてしと歩いて、先の様子を確認している中でつらつらと考えてしまう。ここはBランク、もしかしたらそれ以上のダンジョンだとしたら、かなり危険だ。罠感知も使用しつつ先に進まないといけない。
考えながらも、クリアされた道を先に進もうとした時だった。
『この看板を書いたの結局ナジャじゃなかったのか?』
渋い男の老人の声が聞こえてきて、即座に身構える。雪花もミケも戦闘態勢となる中で、天井に掲げられたプラカードの真下に一人の老人と大勢の少女たちが半透明の姿となって現れた。
『そうなんだ。僕の文字だと角張って愛らしさがないと言われてね。シルキーが書いたんだよ』
どこかで見たようなアルビノの少女が不機嫌そうに言うと、小さな背丈の見たことのない少女が口元の片端を釣り上げて胸を張る。
『……ん。私は愛らしさの塊だから』
『私だって、愛らしい文字を書けましたよ!』
やはり見たことのある黒髪美少女が口を尖らせて意見を言う。
『……ピクシーが書く内容は、この地に入らんとする者、すべての希望を捨てよ、だった』
『そりゃ駄目だな』
『厨二病もいい加減にするのじゃな』
『しょうがねぇ奴らだな』
『ふふっ』
ワイワイと半透明の老人と少女たちは笑い合って、そしてスッと消えていった。
『今のは……ティルナノーグの看板を書いた時です……これは記憶でしょうか? 書けなかったんですけど』
「うむぅ……。楽しかった頃の思い出かのぅ?」
今の光景を見て驚くふたり。たしかにそれっぽかったな、うん。そして、雫の名前はピクシー? まぁ、良いや。
「どうでも良い情報だったな。先に進むぞ」
ドッキリイベントだったのかよ、まったくいらないイベントだ。
「少し冷たいのではないか、主様?」
剣呑な空気を纏わせて、非難の視線を向けてくる雪花だが、俺はそうは思わない。
「過去の楽しかった記憶とかは本人に聞けばいい。これは覗き見だし、今の俺は今のセリカにしか興味がないんでね、時間の無駄だ」
廃墟街に住む者は過去ではなくて、現在と未来にしか興味を持たないのさ。今の俺にはセリカと雫なんだよ。昔の名前に興味はない。
「むぅ……そうか。それもそうかの」
『ハードボイルドですね、防人さん。惚れ直しちゃいました。私の旦那様はかっこいいです』
空気を緩和させて苦笑する雪花と、頬に手を添えてキャァと黄色い声をあげて嬉しそうな雫。
「それじゃ行くぞ」
『影法師』
身体に影法師を纏わせて、マスクをしてフードをかぶった黒ずくめの男となる。
「教えてくれ。セリカがいると思われる場所はどこだ?」
『ステーションの下層、研究区画かと思います。恐らくはホニャララな機械があった所……。あれ?』
「ホニャララと言えんのか? ふむ………が禁則事項なのじゃな」
首を傾げて戸惑う雫に雪花がフォローしてくれる。禁則事項かぁ……。
「案内してくれ」
真剣な目で問うと、雫はコクリと頷く。
『ここは私の庭のようなものです。最短で2時間でしょうか。セリカちゃんの部屋や製作フロアに入れば、また先程の回想シーンが始まると思うんですが』
「いらないね」
『了解です。スキップスキップランランランと行きましょう』
クスリと楽しそうに微笑む雫は一つの通路を指差すので、その案内に従い先に進むのであった。
通路はタレットとタレットとタレットによる防御しかなかった。そりゃそうか、居住区に強力な防備はしていないよな。防備を固めるのは普通は居住区に入る前だ。
俺のサーカス団はボーナスステージの如くタレットを破壊していく。これ、ポップするなら狩場にしたいよな……たぶん駄目なんだろうけど。
『セリカちゃんが何を考えてダンジョンを作ったのかはわかりません』
「いや、どう考えても副産物なのじゃ。なにかに失敗したんじゃろ」
通路に散らばるタレットのスクラップからコアを回収しながら雪花が雫の言葉に半眼になる。
『そうですね。作る物もだいたいすぐに壊れちゃいますし。たしかに失敗も多かったです』
ウンウンと頷いて、すぐに壊れると雫さんは言うが、君の発言は極めて怪しいと思うのは俺だけかな?
「クラフトってのは、そんなもんだろ。100%成功するやつは、きっとチャレンジ精神を持たないのさ」
俺もコアを集めながら、話に加わる。通路は鈍い銀色で、側面にある扉の横に消灯した真っ暗なパネルが備わっている。部屋に入ろうとしても、自動ドアらしきドアは反応しない。
1時間近く、タレット以外は罠などもなにもなく、散歩でもするように退屈な限りであった。
「タレットしかいないから楽だけど、楽すぎるな。ダンジョンではない、ダンジョンのシステムを流用した、単なる過去の模型といった感じだ。そう思わないか? 結局居住区ということなんだよ」
『たしかにダンジョンと考えたので身構えましたが、居住区と考えればここまでは問題はないですね』
「………ここまで?」
通路の途中途中のドアを開けようとして、開けられないので、セリカが部屋の中を知らないから入れないのだろうと見当をつけて、残念だと肩を落としていたら、雫さんが変なことを言った。
ここまでって、なにかな?
『この先は研究区画です。使い道のない試作型を無駄に配備していました』
ケロリとした表情で、遅すぎる情報を教えてくれる雫さん。サプライズが過ぎるぜ。勝てると想定しているからだろうけど。
「試作型って……あれか!」
長い通路に均等にある開かない扉を見ながら進むと、空港の検査場のようなフロアに辿り着く。
金属探知機が備わっているだろうアーチ型自動改札口。その横には荷物を置く検査用机もある。しかし、防人が空港などで過去に見たことがあるのはそこまでであった。
ゲートに二体の黒いスケルトンが立っているのだ。目の奥に不気味な燃えるような炎を宿らせて、ゆっくりと頭を動かしてこちらを見てくる。無機質なその炎の宿る眼窩が怖さをより強く伝えてきた。
『試作型のホニャララです。知性はなく単純な行動しかとれません。ですがパワーだけは本物で、その戦闘力はBランクに足をつっこんでいるかと思われます。』
「暴れる人間を押さえるだけの輩なのじゃ。頑丈さとパワーだけという奴らじゃよ。元々不審者を取り押さえるための者じゃからな」
感情を伴わせることなく、雫が淡々と説明をしてくれて、ムフンと雪花が豊かな胸を張る。
『名前はプロトエレルトン。そう名付けました。名前が言えないので』
「禁則事項に引っかかることをしない情報伝達ありがとうよ」
ただの名前付けだと、禁則事項とやらに引っかかることはないのだろう。ナイスだぜ雫。エレメントを使っているスケルトンというやつか?
「しかし、あんな不気味なもんを居住区によく置いておいたな」
『博士は外見を気にしなかったので、仲間はキグルミを着せたりしていたんです。狐とか猫とか豆腐とか。残念ながらキグルミまでは表現されていないようですね』
「豆腐ってなに?」
キグルミを着せる気持ちはわかるぜ。あんな不気味なもんを見たら、夜中に悪夢でも見そうだ。
「来るのじゃ!」
『加速脚』
プロトエレルトンは身体にマナを行き渡せると、床を蹴り残像を残し加速して接近してくる。
「ミケ!」
「みゃーん」
ニャンニャン隊が群れとなり、プロトエレルトンに接近していく。群れをなして攻めるニャンニャン隊に対して、プロトエレルトンは左手にマナを集中させていく。
「みゃ?!」
ミケはその様子を見て、危険を感じたのか影に潜り込み姿を隠す。他のニャンニャン隊は気にせずに襲いかかろうとするが、それに対してプロトエレルトンは左手をツイッと横薙ぎに振った。
『一閃』
ピシ、と空気が割れた音がして、手刀が振られた跡に一筋の黒い軌道が奔る。
その軌道にいた闇猫たちは寸断されて、溶けるように消えていってしまう。武装影虎よりも闇虎は防御が硬いはずなのに、ただの影であったかのようにあっさりと。
『闘技! 私の知るプロトエレルトンは闘技も魔法も使えなかったんですが!』
「いや、きっと仕様にはあったのじゃろう。雪花ちゃんたちは戦っている姿を見たことがない。セリカはきっとこの仕様を知っていたのじゃ」
驚きで目を見張る雫に、苦々しい表情で雪花が言う。
ズカンズカンと金属の床にへこみを作りながら接近してくるプロトエレルトン。まだまだニャンニャン隊は残っており、闇蛇が絡めとろうとして、闇烏が頭をつつこうとして、闇虎や闇猫が噛みつきで噛み砕こうとする。
『円陣拳』
そこにもう一体のプロトエレルトンが突っ込むと、拳を揺らがせて身体を回転させて、ニャンニャン隊を叩き潰していく。
『加速脚』
『剛破集中』
だがそれは隙であった。獣のように雪花は加速して、頭蓋骨に拳を突き入れる。ピシリとプロトエレルトンの頭蓋骨にヒビが入り
『暗黒牙』
影から飛び出てきたミケがそのヒビに細く鋭い闇の牙を伸ばして噛みつき牙を差し込む。そのままミケは体を逆立ちにしてくるりと横回転をして、プロトエレルトンの頭蓋骨のヒビを広げて砕く。
バラバラと砕けた黒い骨が落ちていく中で、もう一匹がダンと音をたてて飛翔するとミケを殴る。
「うみゃん!」
胴体がへこむほどの攻撃を食らい、ミケは床に叩きつけられる。
「戻れ、ミケ!」
俺が指示を出すと影にミケは潜って退避する。ミケを倒したプロトエレルトンは残ったニャンニャン隊の攻撃を気にせずに、雪花へと蹴りを繰り出す。
「チッ!」
腕をクロスさせて、その攻撃を受ける雪花だが、その威力に身体が押されて後退る。プロトエレルトンは攻撃を続けて、足を引き戻すと、拳を右左と繰り出し、蹴りも混ぜて連撃をしてきた。
「雪花ちゃんが負けるか!」
対して雪花も繰り出される連撃に対抗して、敵の拳撃に自分の拳撃を合わせて、蹴りに対して蹴りで返す。
その攻撃にプロトエレルトンは僅かに押し負けて、体勢が崩れる。それを見た雪花はキラリと目を剣呑に光らせて笑う。
『乱撃』
『乱撃』
雪花が闘技を使い、突風を巻き起こして高速の拳を繰り出すと体勢を崩したままプロトエレルトンも同じ技を使う。
ドドドと肉を棒で激しく叩くような音がして、ふたりは打ち合う。お互いにダメージが入り
『凝集暗黒槍』
その横から水晶のような作りの漆黒の槍が飛んできて、プロトエレルトンの胴体に突き刺さると粉々にして、肉体を分断させるのであった。
ガシャンガシャンと音をたてて、肉体を2つに分断されたプロトエレルトンが地に落ちて、その眼底にある炎を消して動きを止める。
「天才たる雪花ちゃんの攻撃に耐えるとはの」
口から僅かに血を流し、袖で荒々しく拭う雪花が楽しそうに笑う。
「下級ポーションを飲んでおけよな」
そこまでのダメージではなさそうだと、等価交換ストアから下級ポーションを取り出して投げ渡す。雪花は素直にゴクゴクとポーションを飲み干す。
「おっそろしく強い奴だな……。ん? どうした雫?」
倒した2体を見ながら、俺はその強さに目を険しくさせるが、雫が難しそうな表情となっていることに気づいた。なにか変なことがあったのか?
『プロトエレルトンは闘技も、魔法も使えません。私はあらゆる戦闘知識をインストールされています。プロトエレルトンの性能ももちろん把握済みなんです。脳みそスカスカで胸にエネルギーを溜めている人とは違うんですよ』
「胸が洗濯板の負け犬の遠吠えは聞き慣れておるのじゃ」
さり気なく雪花をディスる雫さんに、わざと胸をポヨポヨと揺らして不敵に笑う雪花。この点については、ふたりがわかり合えることはないに違いない。
「しかし、そうするとまずい状況じゃないか?」
『セリカちゃんの知識が干渉している……もしかしなくても、新しくエレルトンを開発していたのかも』
「それは……ありそうだな」
あいつなら開発していそうだ。どうやら危険度が跳ね上がったようだと俺は嘆息してしまう。どこかにイージーモードにする設定画面はないのかね?