105話 全滅
スノースライムダンジョン第5層にて、雫は防人さんからの思念を受けて、フフッと微笑み、跨っているスノーバイクのアクセルをフルスロットルにした。今までのんびりと魔樹氷やスノーウィスプを倒していたのだが、もう遠慮をすることはない。
辺りは魔樹氷の混ざる氷の回廊だ。木々に遮られて氷の通路も作られており、先の様子はよく見えないが、既にこのダンジョンのマップは記憶から喚びだした。もはや迷うことはない。
エンジン音をけたたましく響かせて、積雪を跳ね飛ばして加速する。
「ヒェェ〜、ど、どうしましたの?」
後ろに座っているコノハが悲鳴をあげて強くしがみついてくるので、クスッと小悪魔のように笑う。
「もう魔樹氷やスノーウィスプとの戦闘も飽きたので、下層に向かうことにしました。ボスを一目見てみたいと思いませんか、コノハさん」
道すがらに生えている樹氷がガラスのような切れ味を持つ枝をしならせて、ピシッと風切り音をたてて攻撃してくるが、身体の比重をバイクの片側に偏らせると浮き上がらせ、横倒しにするほどに車体を傾けて、肉薄する枝を回避する。動けない魔樹氷はそれだけで無視することができてしまう。
「ヒョエェ! 掠りましたわ! ピッて髪を掠りましたわ!」
「しっかりとしがみついていてください。落ちても拾いには戻りませんので」
「け、契約は?」
「雪花を手に入れるようにとの仕事でしたよ?」
「次は団長の身を守ることも追加しておきますわぁぁ!」
しっかりと腰にしがみつくコノハ。どうやら契約に不満があったらしい。団長の身を守ることも追加すると、契約金は10倍になると伝えよう。
そう思い、クスクスと笑って雫は迷いもせずに下層への最短ルートへと突き進む。
丸くて白いバレーボール大の大きさのスノーウィスプが数体現れて道を塞ぐが、無視して突撃する。スノーウィスプは敵に取り付き零下50度の寒さに陥らせる。が、スノーバイクの速さなら取りつかれても一瞬。防寒着を着込んでいるために寒さもほとんどないために、実際は無視して良い。
このスノースライムのダンジョンは見た目は本当にダンジョンコアを稼ぎ放題のボーナスダンジョンなのだ。1年に1度のボーナスタイム。
「成功報酬は3億。失敗しても1億でしたよね?」
「そうですわ! 貴女はまともに攻略をしないと思いましたのに!」
雫はコノハに今回のイベントで呼び出されていた。参加をしてほしいとお願いをしてきたので、了承したのだ。そのために『全機召喚』にて防人とは別行動をとっている。
「雪花は最初から狙うつもりでした。もうボス部屋への道にいた魔物もほとんど残っていないでしょうし」
途中で転がっている氷の欠片を見やりながら、コノハへと答える。アイスゴーレムの破片だ。硬く攻撃力も高いが、炎に脆弱。炎の一撃であっさりと溶けてしまうので、きちんと装備を整えた兵士には敵わない。
敵わないが、ただスノーバイクで通り過ぎることはできない。その図体は大きすぎて、掠るだけでもダメージはでかいので、そこらにスノーバイクが放置されていた。ここからは徒歩で、他のチームは移動しているのだ。
「は、ハイエナをするつもりでしたの?」
「合理的、かつ効率的です。まさに百獣の王ライオンの戦法ですよね。知ってます? ライオンがハイエナの獲物を盗ることのほうが多いらしいですよ。やはり王とはそういう存在。名前に偽りなしですね」
「嫌な百獣の王ですわね。言っていることは理解できますが、皮肉が利きすぎですわ」
加速するバイクの風圧に負けないために叫ぶコノハ。偶然にも二人のカメラの音声はオフになっている。そのために会話自体は他人に伝わらない。コノハが悲鳴をあげても恥ずかしがらない理由である。
雪を蹴散らし突き進むと、他のチームがえっちらおっちらと歩いていた。雪中行軍お疲れ様である。雫たちを驚きの表情で見てくるが、気にせずに無視をして最下層を目指す。
「お母様に怒られないかしら? こんな戦法で」
「この戦法のデメリットは、スタートが遅くなるということです。そのために最下層に到着する頃には、別のチームがクリアをしてしまう可能性が高い」
自分の立場を気にするコノハに肩をすくめて返す。たしかに卑怯ととられるかもしれないが、これも戦略だ。アニメの主人公とかにはなれないですねと、またおかしそうにクスクスと笑ってしまう。悪役の方が相応しいかもしれない。
「主人公的な存在が現れたら、この戦法は小賢しい奴と言われて敗れるんですが、そこは賭けとなります」
既にダンジョンコアは9個手に入れているし、防人さんがいないのでコアの吸収もできない。なので、団長に触れてもらうつもりなので、ギャンブル要素が高いのだ。
「そうですの? まぁ、そうでなくては誰も……?」
コノハが雫の告げるデメリットに納得をしようとする時であった。雫の運転するスノーバイクの前に他のチームの一人が手を振りながら止めてくる。
「おい! なにかあったらしいぞ! 止まれ〜!」
「なにかあったらしいですよ」
その男の横を蛇行して躱しつつ、後ろのコノハに声をかける。親切心もあるだろうが、メインはこちらの動きを阻むつもりなのだ。
「舌を噛むかと思いました。通信が入っていますわ。レイは通信機は?」
「コノハさんに通信はお任せです。部下は団長の指示に従うだけですので」
「都合の良い時だけ、団長扱いしてませんかしら? っと、それはおいておいて、イベントを中止するとの連絡が入っています」
予想外の言葉に雫は眉をひそめてしまう。なぜに、中止なのだろうか? 不正がバレたのか? 雪の中に黒い蛇が動き回っていることがバレたのかと思ったが、コノハはまったく違う内容を口にしてきた。
「どうもボス部屋の前で、見たこともない魔物が現れたらしいです。三好チームと源チーム、それに足利チームが全滅したらしいですわ。強力な魔物のために、イベントを中止するとのことです」
スノーバイクにブレーキをかけて停止する。ザザッと雪が飛び散る中で、コノハへと振り向き確認する。
「3チームが全滅したのですか? そこそこ優秀なチームだと思ったのですが」
ダンジョン入り口に割り当てられた時に、源家と一緒であった。彼らの内包するマナは高く、動きを見るに熟練した兵士だと思ったのだが、同じ水準であるならば、その兵士たちが3チームも全滅したということになる。
このスノースライムダンジョンではあり得ないことだ。
「逃げ切れなかったようですわ。人型でかなりの強い敵だとか」
「………それはまずいですね。ここの魔物はスタンピードをしないから弱いと思われていますが外に出られたら、一帯が極寒の地と化します。甚大な被害となるでしょう」
魔樹氷もスノーウィスプも環境変化型の魔物だ。内街は北極のような、いや、それ以上の極寒の地に変わってしまう。
初めてのパターンだ。防人さんが融合したすべてのダンジョンコアを破壊したせいかと考えるが、それはないだろう。過去にはそういったことを何度もしているし、このダンジョンに挑む前に調査したところ、このイベントをやる前は毎年融合したダンジョンを攻略したあとに、スノースライムを倒していた。過去には同じ実績が大量にあるのだ。
あまりのイージーさにイベントにしようと、馬鹿な人間が考えるほどに問題はなかったのであるからして。
ここのスペシャルは決まっているはずだが、まだ隠しボスがいたのだろうかと考え込む雫をコノハは心配げに見つめていたが、
「ど、どうかしら? レイなら倒せるんじゃない? 貴女は強いものね?」
名を売るチャンスと期待を持って、目をキラキラと輝かしてきた。雫の力を過大評価しているのは明らかだ。ドラグーンの戦いの印象が強かったらしい。
3チームが全滅した魔物でも雫なら倒せると信じているらしい。思わずその言葉に苦笑してしまう。
「他のチームは炎装備をしていたはずですが……報酬は?」
このダンジョンはわかりやすすぎるぐらいに魔物の弱点がわかりやすい。炎の装備を持っていて、逃げることもできずに全滅するとは思わなかった。とすると、炎に対抗できるかなり危険な魔物のはずである。
「さ、さらに1億払いますわ!」
「3チームを倒した魔物にその報酬は安すぎますね。………ですが良いでしょう。面白そうですし」
スノーバイクを発進させて、再び最下層を目指す。なにが待っているのかと、少し楽しみに思いながら。
最下層に到着して、すぐに異常に気づく。牡丹雪がチラチラとダンジョン内に降っているのだ。その大粒の雪の結晶は、ここまでの階層とは比べるまでもなく、深い積雪に覆われていた。
もしかしたら腰まで沈み込むかもしれない。バイクから降りたら身体が潜ってしまう可能性がある。
魔樹氷が幹の半ばから折られており、破壊されて動くことはない。ゴーレムの姿は見えず大きな氷の欠片となってゴロゴロ転がっている。スノーウィスプの姿は見えない。積雪には真新しい足跡が無数に残っており、どうやら他のチームが到着して敵を駆逐したあとだとわかる。
だが、それにしては静寂が辺りを包み込み、他チームの姿が見えない。危機管理はできているようで、さっさと退避したらしい。
「まぁ、それもこの光景を見れば当たり前ですか」
トトトとアクセルを緩めて進むと、だんだん積雪が荒れ始めて、半透明の曇った氷の床が姿を現す。さらに進むと爆発でもしたのか、クレーターがいくつもできていて、激しい戦闘跡となっている。
「な、なんですの、これ?」
コノハが恐怖から、怯えて腰に強くしがみつく。声は震えて、眼前に広がる光景が信じられないと、周りを落ち着きなく見渡す。
「どうやら銃を使っても倒せなかったようですね。グレネードの跡らしきものもあります。危機を感じて失格を覚悟で戦ったのでしょうが、無駄に終わったらしいですよ」
自動小銃が凍りつき、圧し折れて転がっている。そして、なにより出来の悪い氷のオブジェが辺りには散らばっていた。
肉の断面を見せている氷のオブジェだ。首が砕けていたり、下半身が存在せず倒れているものから、バラバラになっているものもいた。
「強力でありますが、敵のレベルは低い」
「な、なんでわかりますの? 皆、殺されているじゃない」
雫が辺りの様子を見て推察すると、コノハは戸惑いがちに尋ねてくる。なので、指を砕けた元人間に指差して、むふんと胸をそらす。
「丁寧に殺されています。範囲攻撃はあったようですが、それぞれ激しく抵抗した跡が残っているんです。破壊された銃、逃げようとせずに立ち向かったことから背を向けて倒れている者は少なく、魔法武器も破壊されている」
炎の力を持っていたのだろうが、力を失っている剣や槍も転がっている。木に刺さり、地面に落ちている魔法武器は的確に脆い所を狙われて、丁寧に壊されているのだ。
「圧倒的な力の前に殺られたわけではない。多少は強いが倒せると死んだ人たちは考えていたんです。即ち、相手は良くてその力はCランクでしょう」
「たったこれだけでわかりますの? さすがはレイですわね」
褒め称えるコノハに、それほどでもと手をひらひらと振るが
「くそったれぇ〜!」
野太い声が森林の奥から聞こえてきて、首を傾げる。その後に激しい轟音が響いて地面が大きく揺れる。
「生き残りが戦闘をしているようです」
「助けに行きますわよ!」
正義感から、すぐに答えるコノハに微かにため息を吐き、スノーバイクを加速させる。ビィィとエンジン音を響かせて進み、眼前の光景に目を細める。
「見たことがないパターンだと思いましたが、そうでしたか」
魔法の装甲服を着込む大男が炎を纏わせた巨大な斧を振り下ろし、地面に大穴を空けていた。その横を触れるか触れないかのぎりぎりの見切りで躱す、青い肌を持つ人ならざる少女が立っている。
「あれが魔物ですの?」
「そうですね。あれは雪の妖精フローキスちゃん。どうやら強敵が現れたみたいです」
静かに淡々と説明しながら雫は青い魔物を見つめて、口元を引き締めるのであった。