100話 過ぎ去りし戦場
目の前は一面、積雪で真っ白であった。窓ガラスはなく、洞穴のように暗い闇を持つ窓が半ばからポッキリと折れた高層ビルにいくつも空いている。
家屋は雪で潰れ、朽ちた柱があちこちから突き出して寂しさを感じさせて、雪の中に沈んだコンビニの看板がちらりと覗く。
人気がない道路には風に煽られて粉雪が舞い散り、キイキイとどこからか金属が軋む音が聞こえるが、すぐに音は雪に吸収されて静寂が辺りを覆う。
美しい死の世界がそこには存在した。
生きる者は何もいないと思わせる雪の世界だが、ある一つの高層ビル。どのような攻撃を受けたのか、大きく斜めに切断されて辛うじて建っていると思われる高層ビルの最上階になにかが蠢いていた。
いや、なにかではない。何者か、だ。
真っ白なポンチョで身体を包み、ゴーグルをつけてフードを深く被りマスクもしているため顔はわからない。ポンチョはぶかぶかで体型すらも判断つきかねる。
3人が屋上にはいた。一人は長大なライフルを設置して、スコープを覗き、一人はあぐらをかいて、タブレットを手に持ち、最後の一人は、双眼鏡で周囲を確認していた。
チラチラと雪が降り始めて、3人の吐く息が白く辺りに漂い霧散していく。氷点下となるこの地域は極寒の地だ。北極だとも、南極だと言われても納得してしまう温度である。
「……2295」
双眼鏡を持つ人が、小鳥のような可愛らしい音色の声を出す。暗号のような数値を耳にして、寝そべりライフルを構えていた人が銃の横についているボタンを押すと、静かにライフルは振動を始める。
よくよく見ればおかしなライフルであった。黒色の四角い箱が銃身に取り付けられて、ケーブルがマガジンがあるだろう場所に繋がっている。さらにライフル自体に水晶ガラスのモニターが取り付けられており、そこには電子掲示板のように12と表記されていた。
「準備はオーケーです」
寝そべった人が冷たくはあるが愛らしさを感じさせる可愛らしい声を出すと、タブレットを持つ人が頷く。
「こちらもオーケーだね、あとは本作戦をなんと名付けるかだ。厳島作戦とかどうだろうか?」
タブレットを持つ人も鈴のなるような可愛らしい声音で口を開く。どうやら3人ともその声音から察するに少女のようだ。
「なにを言っているんですか、馬鹿馬鹿しい」
はぁ、とライフルを持つ少女はあからさまなため息を吐いて、言葉を紡ぐ。
「モ3号作戦に決まってます」
きりりとした声音で告げてきたセリフにタブレットを持った少女は地団駄を踏み抗議する。
「それは不吉だよ、僕は嫌だな。だって一人しか生き残れないネーミングに聞こえちゃうから」
あからさまにため息をついて、肩もすくめるタブレットの少女に、ライフルを持った少女は鼻で笑う。
「勉強不足ですね、2号作戦は圧勝だったんです。遊星爆弾の発射を防いだんですよ」
「こっちは本拠地までの貫通を防いだんだよ? 君こそ勉強不足だと思うんだけど」
二人が言い合いを始める中で、あからさまに双眼鏡を覗いていた少女はため息をつく。全員あからさまにため息を付くのが得意な模様。
「……バカばっか。ピクシー、そろそろふざけるのは止めて敵を照準に入れて。ナジャも茶化さないで、準備をする。2054」
「シルキーちゃん、電子の妖精キャラを狙うとはやりますね」
ピクシーと呼ばれた少女はすぐにスコープを覗き、引き金に指をかける。狙ってないですとシルキーと呼ばれた少女は抗議をしようとするが、なるほどねとナジャがポンと手を打つので諦めた。
「距離2000。参ります。私は引き金に指をつけなくても狙えるんです」
どこまでもふざけながら、ピクシーはライフルを構える。軽口を叩くが鋭い獣のような目つきで、薄く嗤っている。
その視線は雪に埋もれる廃墟の街の彼方、雪山へと向いていた。ビルや家屋が雪で埋もれて、積雪は辺りをその自重で押し潰している。
大雪が降る地域だからだろうかと言われれば、否だ。どのような豪雪地帯でもビルを飲み干すほどの積雪にはならない。
ならばこの地域は、この積雪はなんなのかというと、雪山がその正体を示していた。うねうねと液体のように蠢いて、周りの積雪を吸収して大きくなっているのだ。
蠢く雪は視界いっぱいに広がっており、境界線でもあるかのように蠢く雪が通ったあとは何もなかったかのように、雪降り積もる平地となっており、過去に人がその地域で生活を営んでいた跡を消している。
「『マナ感知』。敵の核を確認。目標、『雪に蠢くモノ』」
「ハイパーブラスターエネルギー充填率95%。あと少しで100%だね」
ピクシーが目を光らせて蠢く雪山の中にある拳大の小さな小さな核を見抜き、ナジャがタブレット端末に映るライフルの状態を口にする。
「120%で撃ちます」
「それじゃ、壊れちゃうよ! それは万が一と言ったろう?」
「万が一、万が一、万が一」
ナジャの抗議をどこ吹く風と受け流し、ピクシーはライフルから漏れ出てくる高熱を感じながら、自らの闘技を使用する。
ピクシーの身体から爆発するように闘気が吹き出てきて、積雪を舞い散らし、ナジャたちのポンチョをバタバタと煽る。
『魔弾』
自らの持つ最高の闘技。莫大な闘気がライフルを覆い、引き金を引くと、超高熱の光線が闘気によりその威力を跳ね上げられて発射された。
一条の光線は通り過ぎる廃墟ビルを溶かし、空間を熱し、積もる雪を蒸発させて、跡に炎の道を残して、『雪に蠢くモノ』に命中した。
ズズンと大きな音をたてて雪山を貫くと、水蒸気爆発が起きて、大爆発が起き水蒸気の煙で辺りが覆い隠される。
その光景を見ながら、ピクシーはライフルを屋上から投げ捨てる。投げ落とされたライフルは地面に落ちる途中で爆発して金属片となっていった。
「壊れちゃいました。ナジャちゃんの作る武器は耐久性にいつも難がありますよね」
「古臭いネタを使ってくれて、嬉しいよ。次は東京特許許可局と言うときでないと使わないように言っておくよ」
二人が顔を見合わせて、ふふふと笑い合う中で、3人の少女が着けている通信機に通信が入る。
「こちら、指令室。妖精小隊へ。目標の撃破を確認した。敵の動きは止まり、『氷棺』が姿を見せている! よくやった、攻撃は成功だ!」
喜びの声を上げているオペレーターの報告に3人は肩をすくめてしまう。そこには喜びより戸惑いの空気が見れた。シルキーが双眼鏡で水蒸気の煙が収まり始めた雪山を確認する。
「……んん。たしかに『氷棺』が雪山の中から覗いている。『雪に蠢くモノ』は死んだ」
「大層な名前だけど、スライムだしねぇ。気づかれなければ、簡単に倒せるよね。なにせ核を潰せば良いんだからさ」
「気軽に言いますけど、気づかれたら核のダミーをたくさん作って、何重にも氷の障壁を張るから、普通に倒すのはかなり厳しいんですよ」
3人で話し合うが、『雪に蠢くモノ』は厄介なのだ。その正体は雪系統スライム。雪を呑み込み自分の体積を増やしていき、周囲の物体をその増えた体積で呑み込んでいく。
倒すにも、氷の魔法は強力で、ひとたび戦闘態勢をとられれば、何重にも物理、魔法に強力な耐性を持つ障壁を作り出し、スライムの弱点である核を攻撃されないように、ダミーの核を無数に作り出す。そうして、吸収した雪を利用した超広範囲魔法を使用してくるのだ。
不意打ち以外では甚大な被害を出す恐怖の魔物であった。
そして、この魔物の一番厄介なところとは……。
「全員、『氷棺』内の人々を助けるんだ!」
「時間が勝負だ!」
「ゴーゴー、ゴーゴー!」
大勢の兵士が湧き出るように辺りの廃墟ビルから出てくる。装甲車や戦車が先導して、歩兵がアサルトライフルを手に持ち追随する。空をヘリが飛んでいき、空挺部隊が飛び降りていった。
目指す先は『氷棺』。その中に封印されている人間たちの救助だ。『雪に蠢くモノ』は呑み込んだ生命体を『氷棺』で封印する。コレクションにしているとも、人質のためとも言われているが『氷棺』に囚われた人間は生きているのだ。
水晶鉱山のように、『雪に蠢くモノ』の死体から無数の『氷棺』が文字通り墓場のように墓標のように現れている。
『雪に蠢くモノ』が倒れたことにより、すぐにでも『氷棺』は解除されて、人々は息を吹き返すだろう。
倒すまでに街が1つ呑み込まれたために、その数は20万人をくだらない。兵士たちが助けようと懸命になるのは当たり前なのかもしれないが……。
呑み込まれたのは人々だけではない。数万の魔物も封印されていたのだ。
氷の棺が溶けてなくなると、人々が姿を現し呼吸をしようと激しく咳き込む。その隣にある氷の棺も溶けてなくなり、角を生やした5メートルはある体格の大蜘蛛も息を吹き返した。すぐにそばにいる人間を複数の複眼が見つめて、毒々しい液体を口内から垂らしながら牙を突き立てる。
「キャーッ!」
「なんだここは?」
「助けて〜!」
助けられたのも束の間に、人々は次々に解放された魔物たちに殺されていき、一帯は阿鼻叫喚の地獄絵図へと代わり、雪原は鮮血に彩られていく。
「うぉぉー!」
「守れ、守るんだ!」
「こちらへ!」
兵士たちが自身を顧みることなく、突撃していき魔物を打ち倒す。装甲車や戦車が人々の盾にならんとして、ヘリは機銃を掃射して、空挺部隊は無理にでも魔物の集団に入り込み、人々を襲う魔物を蹴散らす。
甚大なる被害を生み出しながら。
銃が撃たれて、闘技が使われ、魔法が飛び交い、魔物も兵士も次々と死んでいく。何しろ、兵士たちは人々のために自身の命を顧みない。歴戦の兵士たちは命を捨てるように、防御を考えずに魔物と戦って散っていくのだ。
「死んでいく兵士は数万にも及ぶだろうね。車両だって何台破壊されることやら。死んでいく兵士たちは、今助けられる人々の数以上を、今後助けられると思うんだけど、どう思う?」
その光景をナジャが見ながら、肩をすくめて冷え冷えとした声音で言う。そこには一般人を助けようとする熱意など欠片も見られない。
「たしかにそのとおりです。たぶん助けられる人々は数万人。そして無策に飛び込む兵士の死者も数万人に及ぶかもしれませんね。合理的ではないです」
「むぅ、人間は感情的に動く。それが生存能力を上げることもあれば、今回のように馬鹿な行動もとってしまう」
理解できないですねと、呆れるピクシーの言葉にシルキーは顎に手をあてて唸るように呟き返す。
人々を助けるために出した甚大なる被害により、今後の軍は大幅な作戦スケジュールの変更が必要だろう。
「考えられた戦略です。これ勝てるんですかね?」
「う〜ん……どうだろう。新しいタイプが作られれば、戦況も変わるんじゃないかな?」
特に不安も感じさせずに、淡々と言うピクシーに、首をひねって考え込むナジャ。
「………とりあえずは、私たちの任務は終わり。今日も幸運にも生き残れた。帰還を要請する」
「そうですね。馬鹿騒ぎには加わりたくありませんし。あんなところに行ったら、流れ弾で死んじゃいますよ」
「了解。指令室、こちらは妖精小隊。マナは枯渇し武器は破損した。帰還の艇を用意してほしい」
3人の少女は人々を助けようとする混乱の戦場を背に帰還の準備を始めることにした。罪悪感もなく、ただ無感情に、兵士たちが死んでいくのを見ながら。
雪舞う冬の一幕であった。




