スマートフォンによって殺されたメディア
スマートフォンが普及する前、大勢に情報を発信できるものは限られていた。新聞やテレビなどのマスメディアや全国に出版される小説や雑誌などのみがそうだった。
しかしながら、スマートフォンの登場と共にマスメディアの権威は地に落ちた。
なぜなのだろうか。それは、受取手である我々の環境が大いに変わったのが原因だと考えられる。
我々はスマホの登場によりネットに簡単に繋がりやすくなった。スマホの登場前は、夜にPCの目の前でインターネットで入れるかソワソワするようなものであった(この当時はインターネットに入れる人数は限られていた)。今ではどこでもどんな時でも、水晶で覆われた機械の電源を入れて検索バーに調べたい言葉を入れれば、簡単に全世界に繋がり言葉の意味を知ることができる。
さらにスマートフォンの普及後、ツイッターやFacebookという大きなソーシャルネットワークサービスができた。ここでは誰もが情報を発信でき、広めることができるようになった。
テレビや新聞、ラジオといった旧メディアは、ネットワークによる素人の情報発信速度に完璧に敗北したのである。
テレビは現場に行く際、大きなカメラに大きなマイクなど大掛かりな準備が掛かる。
新聞は話を聞いた後、それを記事に書き起こすという手順を踏み、朝刊夕刊という決まった時間にしか発信できない。
しかし、ネットでの素人による情報発信はテレビの大掛かりな準備はいらないし、新聞のように長い文章を書かず決まった時間に発信する必要もない。
今では、マスメディアで「ネットで話題の○○○」という謳い文句で情報が発信される。さらにはネットでの素人の、裏が取れていないような不確定な情報と専門家の発言を比べるのは珍しい光景ではない。
マスメディアは様々な制約(機材や出資者の意向など)により、ネットとは速度が確実に劣る。そんな中で生き残っていくためには「情報の確実さ」が必要になる。いくら、ネットで発信したところで、それはどこの誰とも知らない責任も取れやしない一般人により発信された情報である。
マスメディアが「情報の確実さ」を語るために、「ネットの後追い」をやめなくてはならない。マスメディアがきちんと情報の正誤を確認し、自ら情報の信用性を担保できるようにならなくてはならない。そうしなければ、その情報はネットを後追いした本当かどうかもわからない無意味な情報である。
ネットが台頭している中、それに気を取られ本来の目的を忘れてしまったマスメディアが変わることにより、マスメディアはネットにも劣らないような情報発信サービスになるんじゃないだろうか。
また、変わることで、様々な人が正しい情報を求め旧メディアを再注目していくことだろう。変われば、見てもらうための卑怯な「切り抜き」(一部だけを切り抜き、さもそれが本質であるかのように発信すること)もなくなっていくだろう。
スマートフォンによって殺されたマスメディアが生き返ることを切に願う。
とある高校の新聞部の部員Aによる見解です。
私なりに感じたことをまとめました