ー暴乱ー
「南部地方で暴乱が起きた! 明朝直ちに援軍を率いて出発する!」
ハミルトン王、グラシスが言った。
「何ですって? カリフもやっと貴方に懐いたというのに、援軍だけでは事足りませんの?」
「今回に限り、援軍を率いて私自ら出陣する。」
グラシスは力強い声で言い切った。
「何故そこまで南部地方に拘るのです? 援軍に全て任せれば良いではありませんか! 何も貴方自ら指揮をとらなくても……」
エマは五歳の息子カリフを自分の胸に抱き抱え不満を漏らす。
そんなエマを見つめ、少し言いづらそうにグラシスは鼻を鳴らした。
「南部地方は、そなたも知っている通り先王妃ソフィアの……デュオの母親の国、ディノア王国がある。何としても私自ら出陣し、この暴動を治めたいと考えている。」
「な……! そしたら、カリフはどうなるのです?
遠征に出たらまた暫くは戻って来られないのでしょう? それに……カリフには今、父親という存在がとても必要な時期なのですよ。どうにかなりませんか? あなた」
グラシスは首を横に振り、決意を露にする。
「ディノア王国は大切な同盟国。何としても私自らが出陣し、暴動を治める」
そんなにその国が大切ですか!!
本心はこうあり叫びたい衝動に駆られながらも、エマは冷静に息を呑み込んだ。
言い換えれば、そんなに死んだ先王妃が大切なの?!
、と突っぱねてでも言い返してやりたかったが、それをしてしまったら最後、わたくし達の関係はガラガラと崩れる岩山の如く簡単に壊れしまうことをエマはわかっていた。
六年前、グラシスの沢山の婚約者候補の中からわたくしが選ばれたのは、本当にたまたま運が良かったのだ。
結婚願望をもつ姫達がグラシスの見た目の良さや体の逞しさに夢中の中、わたくしだけがたまたま見つけてしまった。
グラシスと先王妃の子を抱く乳母の姿を。
わたくしはグラシスにはあまり気のないふりをしながらも、その乳母の抱く小さな子どもに近寄った。
「とても……かわいらしいです……わね。少し抱いてもよろしいですか?」
わたくしは乳母に話しかけ、グラシス王と先王妃の宝子であるデュオを愛おしそうに抱いた。
「まぁ、かわいらしいわ。顔も手もとても小さいのですね。よしよ〜し、いい子ね」
子を抱く、そんなわたくしに沢山の姫達を掻き分けてグラシスは話しかけてきた。
「子どもはお好きですか? 姫君」
「え!? ええ、子どもはすき……です……」
真面なひとであれば、ここで我が子を気にしないわけがない。グラシスが、単なる遊び人で自分の宝子をほっぽり出し自分の事に夢中な人であれば、迷わずあの人集りの中に身を置く事を予想したが、そこは違ったようだ……。
エマの中で男とは、自国の父のような何人もの女を娶り、直ぐに子を宿す存在としか言えない者のことだ。それが少し予想外であったため、エマにはとても珍しかった。
父は、その女好きゆえ何人もの女を娶り、エマと母親はどれだけ彼に泣かされたかわからない。
エマの母親は初代王妃にも関わらず、王の不貞の始末に翻弄され、城でとても惨めな生活を送っていた。
父親の不条理によりエマの母親のプライドはずたずたに引き裂かれ、遂に精神を病んだ母親からエマ自身が八つ当たりを受けることも珍しいことではなかった。
エマは幼少期に泣いたり、怒り狂ったりしている母親しか見たことがない。
だからなのか、女に興味を示さず真っ直ぐな眼差しで子の元へやって来る彼がとても不思議で、奇妙で、現実味がなくて仕方ない。
「わたくしは……子どもがおりませんので、可愛いな……と思いま……す」
何と言葉を繋いだら良いのか分からずにエマは辿々しく言った。
幼いデュオを抱きながら、エマは自分とかつての母親を重ね合わせる。父に拒絶されて、ずっと情緒不安定でヒステリックだった母親。わたくしに八つ当たりしていた母親……。でも……、わたくしを初めて抱いた時は、こんな気持ちだったのだろうか?
小さくて、柔らかくて、温かくて、愛おしい――
一時でもそう思ってくれたのだろうか……。
デュオを見つめ、生まれたばかりの自分を想像する。
「姫君? どうかされましたか?」
「あっ! ……いえ。」
エマはドキッとした。
「申し訳ありません。勝手に抱かせていただいて!」
エマがデュオをグラシスに移そうとすると、
「いいえ、貴女に懐いておられるようだから、もう少し抱いてあげてもらえませんか?」
、とグラシスは言った。
「は……ぁ。 何方に似ていらっしゃるのですか?」
エマは、失礼だと思いながらもグラシスに聞いた。
「死んだ妃によく似ていると言われますし、私もそう思います。」
「そうなのですね。先王妃様は、きっととてもお優しくお美しいお方だったのですね」
エマが優しく微笑むと、グラシスはエマの瞳を真っ直ぐと見つめ言った。
「ええ、妃はそれは優しくて美しい人でした。どうしてそう思われたのです?」
、とグラシスはエマに問う。
(余程王妃様の事を大切にされていたのだわ……。心なしか少し寂しそう……)
「赤ちゃんを見ればわかります。とても優しく綺麗な瞳をしています……可愛いですね。この子をどうか大切にしてあげてください」
かつての自分の母親に言い聞かせるように、エマは優しくグラシスの腕に赤子を移した。
(子どもに罪はないものね)
母親をあんな風にしたのは、どちらかというとだらし無い父親にある。エマは幼い頃からずっとそう思ってきた。
「わぁ可愛い〜。グラシス様の子ですかぁ?」
婚約者達が群がってきたので、エマはその場から去ろうとした。
その時――、
「あの! 姫君」
グラシスは片手でエマの腕を掴んだ。
「え?」
「わぁ」
「あ! 危ないですわ! 大切な赤ちゃんが落ちてしまうではありませんか!?」
「さぁ、しっかり抱いてくださいっ」
エマはデュオの乱れたお包みを丁寧に直した。
「あ、ああ。あの、姫君……そなたの、そなたの名前を教えてもらいたいのだが」
グラシスは焦っているように見えた。
「え?」
エマは少し考えた後に言った。
「イングラル王国第一王女、エマ・クリスティーナ・ミア・イングラル」
「クリスティーナ」
「エマとお呼びください……クリスティーナは先代のお祖母様のお名前ですわ。」
「イングラル王国のエマ王女、宜しければ後日そなたと話がしたい……」
「わたくしですか? ええ、勿論ですわ」
いきなりのお誘いで、他の姫達からの視線がとても痛かったが、エマは精一杯上品に振舞った。
城の片隅で育った私。身も心も病んで隔離された私……今回だって、此処へは期待して来たわけじゃない。ただ、どうしてもお父様が行けと言うから――
『お前は容姿だけはいいからな……ハルミトン王の後妻としてなら……もしやと言うこともあるかも知れんなぁ……がははは』
(傲慢な父親! だらしの無い父親! 大っ嫌いな父親! 母親を粗末にした父親!
でも、あなたの言うとおりになってしまうのかも知れない――)
後日わたくしは、ハミルトン城のデュオ王子の部屋へ通された。そして――
「この子の母親になってもらえないだろうか」
……とプロポーズを含めの告白を受けた。
「どうして……わたくしなのですか?」
「失礼かも知れないが、沢山の婚約者候補の中で、貴女だけが私に興味がなさそうだったからだ」
「はい?」
とんだ勘違い野郎だとエマは思ったが口には出さなかった。直ぐに此処へ足を運んだ事を後悔し、やっぱり男は最低な生き物だという固定概念が出来上がってしまいそうだった。
「それは……どういう意味ですか?」
隙を見て適当に理由をつけて帰ろう。エマの中でそう結論に達した時、グラシスは言った。
「気分を害されたなら申し訳ありません、姫君。ただ、私の身はもう独りのものではないのです。」
エマは、さっさとこんな無駄話終わらせましょうと内心思いつつも、適当に失礼のないよう相槌を打った。
「私には愛する子どももいるし、今でも死んだ妻ソフィアを愛しています。どんなに素敵な女性が現れようと、この気持ちはこれからもずっと変わる事はないでしょう。」
(え?)
「心中お察ししますわ。」
「では、どうしてわたくしを?」
「うむ! 貴女なら、デュオの母親に相応しいと思ったからです」
「つまり、わたくしに貴方の妃ではなく、母親になれということですか?」
「うむ! そうなります。」
(なんて勝手な! 自分は愛さずとも、子どもの母親は必要だなんて……やっぱり男は勝手ね)
「少し考えさせていただいても宜しいですか? わたくし、そもそも一度も婚約すらしたことがないんですの。わたくし、愛のない結婚はちょっと……」
エマのせめてものプライドだった。
(わたくしだって生涯に一度くらいは愛されてみたい……幸せになりたい。
いくら幼少期から惨めな生活をしてきたとはいえ、大人になってもこんな……これではあんまりではないですか。神様はどこまでわたくし達に意地悪をなさるの?)
「言い訳をするつもりはありません。しかし、誤解を与え、失礼なことを言った事は謝ります。ソフィアを愛する気持ちは変わりませんが、それでもこんな不甲斐ない私を受け入れてくれるというのであれば、貴女にお願いしたい……どうか姫君……」
「子ども以外の事は、仮面夫婦という事ですか?」
「それは違います。ソフィアを愛する気持ちを捨てる事は出来ませんが、そなたが私を受け入れてくれるというのであれば、私は貴女に愛を注ぎます」
(つまり――、死んだ人の次だけど愛してくれるということで良いのかしら?)
「お返事は後日でも宜しいでしょうか? 子どももおりますし、簡単に決められる事ではないので…………」
「もちろんです。ご足労おかけし申し訳ありませんでした。」
何だか負に落ちない変なお話だったけれど、こんなこともあるのね……と、エマは冷静に対処した。
(ハルミトン王グラシス……顔は悪くなかったわね。背もそこそこ高いし、漆黒の髪の毛はこの辺では珍しいけれど、勇ましく格好良かった。
結婚……わたくしが……?
こんなわたくしでも、幸せになれるかしら?
過去を捨てて、未来へ歩めるかしら?
お母様、貴女は喜んでくれるかしら?
わたくし――)
―――――――――――――――――――――――
「はぁなぁせええええぇぇぇ、血をよーこーせー
若いいいいぃぃぃーー」
ガシャン!
「オズヴェルどお?」
「どうもこうも……。はあぁ〜〜、これから犠牲者まだまだ出るぜ」
「とりあえずいきましょ、ここにいると鳥肌立つの。ハルウ!」
「ああ。」
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
「出せええぇぇぇええぇぇぇぇ!!」
「早くいきましょっ」
―――――――――――――――――――――――
数日後、ハミルトン城で舞踏会が開かれた。
若くして妃を亡くした王を心配する、城の者と国民の希望で開催された婚約者候補者達を集めたパーティーだ。
あれ以来、イングラルの姫君からは返事がない。(無理なプロポーズをしたから嫌われてしまっただろうか? 最低な人間だと愛想を尽かされてしまっただろうか……)
グラシスは、ここ何日か心配であまり眠れなかった。
本当は、少し大人げないなと思いながらも、デュオを盾にして駆け引きに出てしまったところがあった。気のない素振りを見せながらも、出会って直ぐだと軽い男だと思われてしまうと思い、
『そなたが私を受け入れてくれるというのであれば、私は貴女に愛を注ぎます』
……などと、都合のいい言葉で彼女の答えを待ってしまった。
しかし、それは真実ではない。彼女の子に向ける笑顔があまりにも可愛らしく、話しかけずにはいられなかった。気になって仕方がなかったのだ。
ピンク色のドレスを着た彼女は、今まで見たどの女性よりも美しく、婚約者候補者の中でも順を抜いて綺麗だった。
また、私には全く興味がないと言わんばかりに集団から離れ、何より息子のデュオを愛おしそうに抱いていた彼女に、亡きソフィアの面影を重ねてしまったのだ。
容姿は似ていないが、もしもソフィアが生きてデュオを抱いていたらこんな顔をしていたのかも知れないと、一瞬幻想に駆られてしまった。
彼女ならば……そう決めた。
しかし後日返事をと言った姫君からの連絡はなく、この舞踏会にも彼女は姿を見せていない。
「あんな事言っておいて当たり前か」
グラシスはため息を吐いた。
どんなにたくさんの姫君に声をかけられても、彼女ほど笑顔が可愛らしく美しい者はいない。既に心が決まっている自分には、心を動かされるものはない。
もう一度だけでいいから、彼女に会って確かめたい。
「陛下、一曲踊られてみてはいかがです?」
痺れを切らした臣下のひと言にも、
「う〜む、そんな気分にはなれないのだよ。何ならそなたが踊ってきたらどうだ?」
「ええ⁈ 私がですか⁈ 陛下が踊らねば今日の舞踏会の意味がありません。」
「ソフィア様がお亡くなりになってもう直ぐ半年、陛下とデュオ様には幸せになってもらいたいという皆の望みです。」
「そんな簡単に忘れられるものではない……。」
城の者と国民からの期待にもそろそろ応えないといけないというプレッシャー。この国は代々王と王妃ふたりが国を平和に導く習わしがある。
(ソフィア……デュオの命と引き換えにそなたが逝ってもう半年になる――
そなたに代わる妃など要らない…………
習わしがそうさせるなら、私は一体どうしたらいいのだ?
私とそなたの宝は元気に育っているよ。
デュオを思えば、やはり妃を迎え入れるのが望ましいのか……ただ、例えそうなったとしても、私にはそなた以上に愛せる女性に巡り合う自信がない。
何より、デュオを一番に考え幸せにしてくれる妃となればもっと難しい……)
「少し夜風に当たってくる」
「陛下!!」
臣下の呼びかけにも応じず、グラシスは城のバルコニーへと向かった。
色とりどりの華やかなドレスを身につけた女性達がグラシスに振り返りひそひそと話をしている。グラシスは気にせず、バルコニーへ向かった。
美しい音楽の音が少し小さくなった所で、彼はゆっくりと星空を眺めた。
まだ、デュオが生まれる前ソフィアとよく星を見た。
『うわぁ〜きれい』
『ねぇグラシス様! あれは蠍座、グラシス様の星座ね』
『ねぇ、グラシス様……グラシス様はあたくしのどこを好きになってくれたのですか?』
『うふふ、たまに聞きたくなります。口で言ってくれないとわからない事もありますわ』
『ねぇ……グラシス様』
『ずっと、ふたりで……こうやって歳を重ねていけたらいいですね……あたくし、グラシス様を本当に心から愛しています』
『あっ……グラ……シ……ス……さ……ま…………すき……です……あ……い……して……います……あたくし……幸せです………………』
ずっとこうやって一緒にいられたら――――
(ソフィア……)
「星はお好きですか?」
(え――?
私、声に出ていただろうか? )
後方から声がして、グラシスはゆっくり振り返た。
「グラシス様――」
グラシスは自分の目を疑った。
瞬きを数回繰り返し、言葉を失うグラシスに声の主は言った。
「今宵は星がとても綺麗でございますね」
声の主は、ゆっくりと空を仰いだ。
白銀色に輝く白髪が風に靡いてふわりと舞うと、声の主は耳元に手を当て、ゆっくりと指を通した。
「エマ王女……」
「こんばんは。たった今到着致しました。お返事をしなければと、これでも急いで参りましたの」
「あれから色々考えて、わたくし決めましたの。
グラシス様のプロポーズ、お受けしようと思います。」
「え?」
「仮面夫婦は嫌ですが、わたくし、デュオ王子の母親になることに決めました。だって、子どもにはお母さんが必要でしょう⁉︎」
「でも、ひとつだけ約束してほしいんです。
ソフィア様とデュオ王子の次で良いので、わたくしのこともたまには愛してくださいね」
そう言ってエマ王女は優しく笑った。
気がつくとグラシスはエマを抱きしめていた。
「ええ! ええ! もちろんです。エマ王女、そなたを初めて見た日から、私はもうそなたが気になって仕方なかったのです」
グラシスはエマをきつく抱きしめ、何度も何度も優しくキスをした。
「一曲踊っていただけますか? 姫君」
「もちろんですわ」
私達が踊ると大広間で歓声が上がった。
婚約発表の場で、デュオ王子の母親として、また、この国の平和のためにハミルトンに嫁ぎたいと言ったエマ王女に国民の支持は集まった。
感動し涙する者、妃の誕生に安堵する者もいた。
そして、結婚から一年後――グラシスとエマ王妃の間に男の子が誕生した。
「よしよ〜し、カリフ」
エマは第二王子カリフをとても可愛がっていた。
夜の営みは一度きり。デュオがひとりっ子では可哀想だろうというわたくしの応じかけに、グラシスが仕方なく応じたものだ。彼の本音はわからないが、カリフを授かってからは、先王妃に悪いと思ったのか、一度もしていない。
(それか、わたくしに女としての魅力がなかったのか……)
ただ、グラシスはわたくしにも、カリフにもそれ以外なら沢山愛情を注いでくれた。わたくしが意を決して誘ってもグラシスはそれ以降、わたくしの誘いに応じる事はなかった。
それに、わたくしにはひとつ悩みがあった。
「おかあしゃま〜! ぼくも〜ぼくも抱っこ〜!」
てくてくと世話しなく歩き回るデュオ《このこ》。
二歳になるデュオは正面からわたくしのスカートの裾を引っ張り抱っこをせがむ。
「ああん、デュオ少しお待ちなさいな。カリフが落ちてしまうじゃないの……」
「やだーやだーぼくもぼくもーだっこぉ〜」
(ああ! 本当に鬱陶しいわ。せっかくカリフと幸せな時間を満喫しているというのに!)
「お母様は体がひとつしかないのよ〜デュオのことも抱いてあげたいけど難しいのよ」
「いやぁーだっこだっこぉ〜」
(ああ! もうほんと、いい加減にして! グラシスがいなかったらあの部屋が使えるのに……)
「カタリナ! カタリナ! ちょっと来てちょうだい! 少し手伝ってもらえないかしら……」
「はい、お呼びでしょうか?」
「デュオを何とかしてちょうだい。カリフが落ちてしまうわ」
「かしこまりました。」
カタリナは慣れた手つきでデュオを抱き上げ話しかける。
「さぁデュオ様、カタリナとお散歩に行きましょうか。今日は庭園のお花がとても綺麗に咲いていらっしゃいますよ」
「お外〜? 行くー!」
部屋から出て行く二人に安堵し、溜息が漏れる。
「よしよ〜しカリフ〜お母様ですよ〜」
(やっと行ったわ。)
最近やたらと鬱陶しいデュオにわたくしはとてもうんざりしていた。やはり、血の繋がりには勝てぬもの。カリフが生まれて再確認したけれど、デュオにはちっとも愛情が湧かない。ましてや、先王妃の事をいつまでも引きずるグラシスにも、その子であるデュオにも嫌悪感しかない。
けれど、
(わたくしはこのハミルトン《くに》に嫁いだ身、この気持ちだけは何とか隠し通さなくては! やっぱり、わたくしはあの父親と母親の血を引いているのだわ)
子どもなんて本当はそんなに好きではないし、愛情を与えるつもりもさらさらない。
でも、わたくしはわたくしの母親と違う所がひとつだけある。
(わたくしはカリフを愛している……。この子だけは……この子だけは、絶対に誰よりも幸せにしてみせるわ。うふふふ。あはははは。
お母様、わたくしは貴女のようにはならない――、絶対に!)
――「今日からデュオに英才教育をお願いしたいと思いますの。行儀や礼儀、勉強、この三つよ」
「お言葉ですが王妃様……、デュオ様はまだ三歳になられたばかりです。王家の人間が礼儀作法について学ぶのは、五歳の誕生月からにございます。さすがに早いのではないかと……」
「そんなことはありませんわ。イングラルでは二歳になると教育を受けるのは当たり前。五歳では遅すぎますわ。」
「しかし……」
「デュオの教育は全てわたくしに任されております。デュオの将来の為にも、厳しく教えていただいて結構よ。陛下も承知の上です」
「わかりました。」
「では、早速今日からお願いしますね。」
「承知しました」
「えい……さいきょいく〜?」
デュオが素っ頓狂な顔で聞いてくる。
「そうよ、デュオ。貴女は今日から、ジェーンに礼儀作法やお勉強を教えてもらうのよ。だから、暫くはお母様と会えないの。」
「あえない? どうして?」
「しばらくは、ジェーンとお勉強するの。でも大丈夫! カタリナが夜は側に居てくれますからね。頑張ってお勉強したら、お母様が街へ連れて行ってあげますからね」
「街へ? わぁい!! うん!ぼく頑張って《《おべんきょ》》する!」
「お利口さんね。さぁ、カタリナ、デュオを別室へ」
「承知しました」
(イングラルの教育はとても厳しいの。朝から、夕方まで、三歳のデュオには少し辛いかも知れないわね。でも、今朝からグラシスは遠征でいないし、実行するなら今しかないわね)
「ジェーン、頼んだわよ。何のために貴方をイングラルから呼んだかわかっているわね。」
「はい。エマ様。」
パシーン
「痛いー」
「デュオ様何度言ったらわかるのですか? ナイフを持つ手は右手です」
パシーンパシーン
「フォークはこうです。やり直し!」
「ううう……お母様〜〜」
「泣いても無駄です。出来るまで食事は召し上がれませんよ!」
ジェーンは木の棒でデュオの手の甲を叩くと、厳しく礼儀を教えていった。
(小さいうちはいくらでもごまかせるもの。)
エマは、イングラルの教育を受けたこと自体を自分が忘れていたように、デュオもとそうだと考えた。何より、教育を受けている期間の数カ月は、両親とは離されるためカリフだけに向き合える。
デュオの成長に度々遠征から帰ってくるグラシスは喜び、彼は教育の面ではエマに頭が上がらなくなっていた。
言葉がたどたどしいデュオは、グラシスにその仕打ちをうまく伝えることが出来ず、教育の厳しさは更に増し、それはいつしか当たり前になっていった。
デュオが七歳、カリフが五歳になる頃には、反対にグラシスの方がデュオの教育に厳しく言うようになっていた。
次期国王、そのプレッシャーはデュオに重くのしかかり、両親の期待に応えようとデュオは更に自分を追い立てていった。
「ディノア王国……、そんな国、滅びてしまえばいいのに……」
エマは、朝早くに援軍を引き連れて出発したグラシスの背中を冷たい眼差しで見送った。
(デュオもそろそろ誤魔化しが利かなくなってきたわ。以前、先王妃の肖像画を見たけれどあの子にそっくり。本当憎らしい子)
「おやおや、ハミルトンの王妃様がそのような事を口にしてよろしいのですか?」
「うふふ、いいのよ。それよりノア、わたくし身体がとても疼くの。お願い……早く寝室へ……」
「こんなところ、誰かに見られたらどうするおつもりですか、エマ様?」
「誰も見てやしないわ。」
エマはそう言うと、黒いローブの男を部屋へと招き入れた。異国の地に嫁いだエマにとって、ノアは唯一秘密を共有出来る相手――そして、
「あっ……あっ…………ん」
豪華な装飾を施された木製ベッドが揺れ、部屋にエマの甘い声が響き渡る。
「相変わらずお美しい、エマ様。こんな美しい躰を抱かないなんて、グラシス王は本当に罪なお方ですね」
「んぅ…………」
「可愛いですよ。エマ王女…………」
「もう……王女じゃなっ……!!」
「私の中ではずっと王女様のままですよ――」
そして、ノアは特別な存在……小さなころからずっと――――――――――……
「カタリナはどう? 上手くやってる?」
「そうですね、頭のキレる女ですので、まだまだ使い道はあるかと…………」
「そう……それはよかったわ」
「ノア、お母様の様子はどうかしら?」
「カタリナが殆どの処理を行っております。」
「そう…………」
「例の件はどお?」
「ハルウ達が調査に当たっております」
「そうですか…………ハルウ達に伝えてちょうだい。孤児院を焼かれたくなければ、うまくやりなさいとね」
「かしこまりました」
「自由になんてしてやるもんですか。母親を壊し、傷つけた罪、思い知らせてあげるわ」
「いけない女性ですね」
「何とでも。わたくしは執念深いの」
「ノア……また、昔みたいに……」
「エマ王女、愛しています――」