シーフの俺が待ち人にしてあげられること
鳥のさえずりが聞こえる。
明るい眩しい朝日とは相対的にジークの気持ちは重く暗然としていた。
もうすぐ例の屋敷に行き着くのだ。そうなればまた見たくもない奴らの顔を見ることになるだろう。
しかし今回はその事以上に記章の件が引っ掛かっていた。
妹の体調は日に日に悪化している、それは間違いない。しかし記章以外に助ける術がないとも限らない。
正直今のジークに記章をおいそれと渡す気はなかった。それは淡い期待なのかもしれない。
考えが纏まらないうちに屋敷が見えてくる。
「よぉ、入れてくれ」
ジークは昨日の門番とは別の、眠そうな顔をした長身の門番に告げる。
~~
「よく来たなぁ、ジーク。お前も食っていくか?」
レイグリッチは朝から豪勢な朝食を取りながら応対していた。
「そりゃあ、呼び出されれば来るさ、こんな朝早くでもな」
「くく、庶民はもう労働に勤しむ時間だぞ?」
男は片方の眉だけをひそめながら不愉快な見下すような笑いかたをした。
「悪いが俺は庶民にも成れてないものでね」
負けじとジークも両の手のひらを見せながら冗談っぽく笑ってみせる。
「それはそうと、ジーク……例の件はどうなっている?」
「あぁ、記章の件だが……」
「お前、あいつらの宿に潜入したらしいな、もう記章は手に入ったのか?」
レイグリッチは瞬き一つせずにジークの目を食い入るように見つめる。
「……いや、まだだ。肌身離さず身に付けてるんだ。そう簡単に手に入れられるはず無いだろう」
どこで嗅ぎ付けたのか大まかな情報は入っているらしい。下手に答えることは出来ない。
「だが、この街を案内する名目で接近はできる。酒場で恩を売ることにも成功してな」
彼は嘘と本当を混ぜながら巧みに本質をかわした。
「くく、それはまた悠長なことだな……いつまでかける気だ?一月か二月か?」
「いや、そんなには」
レイグリッチが苛立っているのを肌で感じる。こうなったら言葉を選ぶ必要がある。
「いいか、三日だ。それ以上かかれば薬の件はなしだ。お前の妹はヘドロと一緒に地下水道に浮かぶことになるぜ」
「な、そんな短すぎるだろ!!」
「あ?なら殺っちまえばいいじゃねぇか?」
あまりの条件にジークが目を見開くとレイグリッチはいかれたように笑った。
「相手は勇者だぞ!このスラムのゴロツキを何人集めたところで勝てねぇ!!ましてや俺一人なんて無理に決まっているだろうが!!」
「はっはっはっ!!やっぱそういうところはあめぇんだよなぁ……ジークちゃんは!」
イカれてる……そんな表情で見るジークにゆっくりと口を開く。
「懐に入ったんだろ?ならやれるじゃねえか。信頼をさせて、闇討ち不意打ちに毒殺なんでも出来るじゃねぇか?」
「そん……な……」
ジークは悪い冗談を聞いたように両手で顔を覆った。
「お前のその腰の物も飾りじゃあねぇよな? 果物ナイフにしちゃでかすぎるだろ?」
レイグリッチはフラフラとしながら出口へと向かうジークに強めに命令を出す。
「いいか、三日だ。それ以上はお前の妹を助ける術は無くなると思え」
重い音を立てて扉がしまる。
お付きの男がレイグリッチに耳打ちをする。
「よかったんですか?相手は勇者、三日はアイツでも短すぎるんじゃないですか?」
「なんだ?いつもケンカしてると思えば今度は情が移ったか?」
男はすぐに否定した。
「い、いえ、そんなんじゃないんです。ただあいつが壊れるといい盗み屋が減るんで」
「ふん、わかってないな。アイツの本領はケツに火がついてからだ。思いもよらぬことをしてくれるんだよ……俺はそこを買ってるんだ……」
レイグリッチは心底楽しそうな声でそう語った。
「は、はぁ……」
男は生返事を返すとレイグリッチは何もなかったかのように食事を続けた。
~~
ジークはスラムと勇者の宿の間に位置する大通りの大噴水の前にいた。
周りには多くの馬車や牛車、竜車が行き交っている。商人や観光客たちも多く連日賑わっていた。
「あ、ジーク! おはようございます!」
すぐにアレクシスも来た。時間にはシビアなのだろう。手を軽く挙げながら近付いてくる。
「あ、あぁ……」
ジークも手をぎこちなく挙げ返す。あいさつはあまり慣れていない。
「それにしても人が多いですねー、この街は!こんな中、果たして記章なんか見つかるんですかね?」
アレクシスは能天気に笑っている。
『見つけるんです!!』
(この女の子らしい透き通った声の持ち主は…。)ジークはアレクシスの影に隠れた少女を見つける。
「昨日はお世話になりました、ジークさんでしたよね」
プリーストのリル・カーティスだった。日の光が水色の髪を艶だたせている。
「あぁ、じゃあ昨日のねーちゃんもいるのか?えーと」
ジークが聞くとアレクシスが困ったように答えた。
「彼女は二日酔いでまだ寝ています……」
するとリルも
「こんなときに困ったものですよ……グレースは…」
二人ともすこし呆れているようで、額に手を当ててやれやれと首を振った。
「まぁ、ぞろぞろいてもしかたねぇしな。まずは表の質屋から調べたいし情報屋を回ろうか」
ジークが少し困ったように伝えると二人は二つ返事で了承した。
~~
表の質屋といってもその数は多い。これだけデカイ街だと世界各国から珍しいものが出入りするのだ。必然的に市場規模の絶対数も増える。
一件一件回っていたら数日じゃ足りないほど時間がかかってしまう。そこで情報屋だ。情報屋の中でも質屋への掘り出し物の出入りをリークして儲けている奴らがいる。もちろん記章級なら一刻の間にはたちまち噂は広がるだろう。
ジークはそんな有り体の説明をしながら有りもしない記章探しを手伝っていた。
「情報屋といっても全知全能ではないですからねぇ」
アレクシスが肩を落とす。
リルも歩き疲れたのかベンチに座った。ジークは隣に座る間柄でもないと隣の壁に腕を組んで寄りかかる。
「私ちょっとつかれました…」
リルが弱音を吐くとすぐにアレクシスがフォローを入れる。
「頑張ってください!私三人分の飲み物でも買ってきます!」
そういうとアレクシスは小走りで人混みに紛れた。
リルとジークは二人きりになるも話すこともなくお互いに沈黙を極めていた。
ジークは正直記章の件で頭がいっぱいいっぱいだった。アレクシスにわざと親切に説明する度に心底吐き気がした。
なぜなら今日一日の行為は全て良心ではなく取り入るための欺瞞で、最後は裏切る事になるからだ。
それなら初めから名前も知らない奴を騙したかったとさえ思う。
もちろん記章は手にしているから勇者に危害を加えなくとも済む道もあるかもしれないが、表向き計画通りに動かないと、レイグリッチの手下がジークを監視しているのは火を見るより明らかである。
この件についてどのように折り合いをつけるか三日以内に決断しなければならない。
何度考えても記章をレイグリッチに渡すという答えしか出て来なかった。
「あの……」
ふと声をかけられて不意に我に帰る。
「え?あ?どうかしたか?」
有り得ないがリルに心を読まれたような気がして心持ちが悪い。
「いえ、お互いに沈黙しているのも雰囲気が悪いかと思って……」
リルは多少困ったような顔をして少し笑った
「あぁ、別に俺は構わないよ。元から大して喋る方じゃないしな。減らず口だけは多いって言われるけど」
「ふふ、そうなんですか?減らず口ってどんな事を言うんです?」
彼女は優しい声で笑いこちらを見つめる。
「っえ……?」
まさかこの会話が続くとは思わず返事に困る。
「減らず口を叩けって言われて叩けるもんじゃねぇよバカ……あ、バカってのは、その…間違えたすまん……!」
いつもの口の悪さがつい出てしまい直ぐに慌てて訂正するジークをみてリルはコロコロと笑っている。
「な、なにを笑ってんだよ!」
何がなんだかわからずに少し怒鳴ってしまう。
「い、いえ…ジークさんって怖そうな雰囲気ですけど優しい方なんですね?」
純粋な眼差しで見つめられるとジークは弱い。
どうも調子が狂う、と頭をポリポリかきながら目をそらした。
「べつに優しくなんかねーよ…俺なんか…」
ジークが低い声で呟く
「そうですかねー?でもこうして一緒に情報屋を訪ねて歩き回ってくれてるじゃありませんか」
ジークは胸の奥がチクリと痛んだ。
「だからそれも……」
「それも?」
ジークは出かかった言葉をそのまま飲み込んだ。ソレは言えない。言ってはいけない。
「優しいってのは勇者……アレクシスみたいな奴の事を言うんだろ……あんなお人好しはいねぇよ…この街のどこを探してもな…」
彼女はソレを聞いて少し沈黙したあとに笑顔になり続けた。
「これは、私の独自の見解なんですが、人の優しさを本当の意味で理解できるのは優しさを持ち合わせた人だけなんですよ」
ジークは言葉が出なかった。
「だからジークさんがそうやって自分を卑下するのも自分の優しさと葛藤しているからなんだと思います。
もちろん何も知らない見ず知らずの私なんかにジークさんの抱える物を理解できるなんて事、私は口が裂けても言えませんが」
リルは少し俯いた。
「それでも全部背負ってあげるから話して下さいって手を伸ばせるのはやっぱりアレクシスだけかも知れませんね」
「あんたらは…育った環境がよかったんだよ…この世には普通の優しさすら持たせてもらえなかった奴なんざ腐るほどいるんだ。まぁ、俺は妹がいただけマシだがな」
ジークは己の掌を見つめながら答えた。
「そうですね。でも優しさを知った人が優しさを捨てるのは大変ですし、優しさを持つのは誰にだって出来ることなんです。要は一歩踏み出すかその場を去るか。勇気次第ですよ!変わるチャンスは自分のなかにしかないのです!」
「はは、さすが神官。次は懺悔の言葉も聞いてくれるのかい」
「したいことがあるのならいつでもどうぞ、まぁ神が許しても私は許しませんけどね!」
「おい!なんでだよ!神への信仰はどうした!!」
リルはくすくすと笑うとジークは呆れたように頬を掻いた。
「それにしても遅すぎねーかアレクシス……」
「そうですねぇ……」
そこで二人は目を見合せ同時に叫んだ。
「「あっっ!!」」
~~
「これは私の失態です……アレクシスを一人にしたので…」
隣を歩くリルが項垂れる。
「何言ってんだ、あいつが方向音痴っつうか人混みに流されやすいのは俺も知ってたんだ…止めるべきだったぜ…」
空が赤く染まる頃、人波も徐々に減り始めていた。辺りの街灯がポツポツと灯火されていくと急に活気が無くなり、リルは寂しさを覚える。
「アレクシスー!!!どこですかー!!!」
リルの言葉に返事はない。
「聞こえてるなら返事をしろー!!」
ジークがたまらず叫ぶ。なんだか永遠にアレクシスが見つからない気がした。きっとどこかにいるはずだと少し駆け足になる。
「アレクシスー!」
ジークは柄にもなく叫ぶ。
『はーい……』
「アレクシス!?」
微かにだが、確かに聞こえた。アレクシスの声だ。
ジークは大きな河を跨ぐ橋に差し掛かっていた。
リルも駆け足で近付いてくる。
「いましたか?」
「あぁ、確かに聞こえた気がする」
二人は橋の上から河を見下ろしていた。
「も、もしかして……」
ジークが呟く。
「えぇ、ジークさん!?さすがにそれはないと思いますよ?」
『下ですよー……』
「アレクシス!!」
その声に頭より先に体が動いた。ジークは橋の上から身を投げ出し河に飛び込んだのだ。
「えぇ!?ジークさん!?」
リルの驚嘆した悲鳴とも取れる声が聞こえた直後水面を割り、沈み込んだ。
「ゴポポゴボ!!」
(あいつがいないとダメなんだ、人間にはやっぱり光が必要なんだよ!!認めたくねーけどよ!!)
息が続かなくなり水面へと浮上する。
「あ、アレクシスっ!」
やはりアレクシスの姿は見えない。
『おー、こっちですこっちです!それにしてもスゴいですね!』
「あ、あぁ!?」
アレクシスは自分達が覗きこんだ橋の縁の反対側の河川敷に座っていた。
『ジークさん!大丈夫ですかぁー?』
リルの声が上から響く、ジークは真っ赤な顔を隠すようによそよそしく陸に上がった。
「リルー!大丈夫みたいですよー!」
『私もすぐ降りまーす!!』
「お前、なんでこんな所にいるんだよ!」
「ジークこそなぜ河に飛び込まれたのですか?」
アレクシスは分かった上でクスリと笑った。
「お前なー!!」
ジークは少し声を荒げた。
「ジークさん!あ、アレクシスこんな所に!!」
リルが慌てたように階段を降りてくる。アレクシスは楽しそうに笑っている。
「見てくださいリル、恐らく私を助けるために河に飛び込んでくれました!」
「えぇ、えぇ、見ましたよ。まるで勇者のような飛び込み方でした!」
「て、てめぇらここに沈めてやろうか!?勇者なんか関係ねぇ!!」
ジークは手をワナワナしながら言う。するとアレクシスは
「ほーんとに優しいですねー、ジークは! 私は感激しちゃいましたよ!あの有無も言わせぬ飛び込みには!」
「ま、まだいうか、アレクシス!!だいたい、なんでこんな所にいるんだよ!!」
ジークがそういうとアレクシスは追って語りだした。
「まぁ、初めは例のごとく人に流されてたんてたんですがね」
「やっぱりですか」
リルは項垂れて頭を抱えた。
「橋が見えてこれ以上はさすがに離れられないと思いまして、なんとかここまで降りてきたんです」
「ほう、殊勝な心掛けだ」
ジークは睨みながら腕を組んでいる。
「それでこれを見つけたんですがね」 アレクシスの視線の先には丸い鉄格子がかかった排水溝があった。
「これがどうかしたのか?」
ジークが目を凝らす。
「よく見てください、このヘドロ……スライムが混ざっています」
ヘドロは所々グネグネと動いていた。
「う、きもちわるいです」
そういうとリルは背を向けた。
「まぁ、スライムは本来成長に長い年月が必要で、ましてこの大きさで人に害を加えることはありませんが、どうもこれ、病原菌を保有するタイプみたいなんですよ」
「病原……菌…」
ジークは眉をしかめた。
「えぇ、本体がどこにあるか分かりませんが。成長度合いによってはある程度の規模で病が広がってしまうかも知れませんね」
「こいつらを倒せば病は治せるのか?」
彼は真剣な面持ちで訊いた。
「……? いえ、一度発病してしまったのなら薬などを摂り療養するほかありませんね。」
アレクシスは不思議そうにジークを見つめる。
「あぁ、こいつらを駆除したいのですか?それならギルドに入るほかありませんね!」
「あ?いや、別にそういう訳じゃ」
ジークは首を横に振った。
「いいや、あなたにはギルドに所属する資質がちゃーんと備わっていると思いますよ?」
「そりゃあ、勇者に言われて悪い気はしねーが……」
「カネもツテもないですか?金はないですがツテならもうあるじゃないですか?」
「は?」
ジークが心底わからないという表情を見せると今度はアレクシスがやれやれと掌を見せる。
「書きますよ、紹介状。それも勇者のお墨付きです!」
アレクシスはニヤリと笑う。
「な、俺は金ねーぞ!!」
するとリルが
「もー、何を言っているんですか!!紹介状があればお金なんて要りませんよ!?」
「いや、あんたらに払う金だよ!」
アレクシスとリルは顔を見合せて笑いだした。
「別に要りませんよ金なんか!声が聞こえただけで心配で河に飛び込むような人から1カッパーだって取れるものですか!」
アレクシスは高らかに笑っている。
「でも勇者の記章は!?」
「私もギルドに所属してるので大丈夫ですよ。それともジークさんはまだ私達との間に金銭のやり取りが必要だと思っているんですか?だとしたら心外です!!」
リルが真っ直ぐジークの目を見る。何故か今度ばかりは目を背けたくなかった。真っ直ぐと見返す。
「審査は、書類を提出して三日後に確定されますから早めに出しに行きましょうね!出来れば明日にでも!」
その三日という言葉が一気にジークを現実に引き戻した。目の前にレイグリッチの幻影が見えた気がした。
三日後までに決断しなければ……ギルドに入った所で妹が助かるわけではないのだ。時間がもう残されていない。
「は、ははは……」
ジークは乾いた笑いをするしかなかった。
「ジーク…さん…?」
リルはその笑顔に不穏さを読み取ったようだった。
~~
その夜、ジークは当てもなく夜の街をさ迷った。それこそ本当に理由なんてなかった。ただ、足を止めてはいけない気がして。そして、足を止めれば全てが終わる気がした。
ジークの目に涙こそ無かったが引きつった笑顔が顔に張り付いていた。そして少しだけ温かくなった心の残り火を大事に抱えたままスラムの闇に消えていったのだった。