3.奇跡の聖女
風は運んでくる。
いい物も悪い物も。そして今夜は最悪な物を運んできた。
魔人。かつてこの世界を支配していた存在。
紛れもなく人間の敵。
我々の……敵。
※
カリス様へと布団を被せ、私達は宿舎の一番奥の物置へと隠れる。アルタは大分落ち着いたが、子供の頃の恐怖が蘇ったんだろう。もうまともに会話が出来ないくらい怯えている。でも無理はない。当然だ。家族を魔人に殺されているんだから。
「リューネ様は……無事なのか?」
サリナの言葉に私はゾっとする。最初の叫び声以降、リューネ様の声が聞こえない。もしかしてもう既に……。
「騎士はいつ来るんだ……もういい、私が……」
「サ、サリナ! 何考えてるの! 駄目!」
物置にあった棒きれを持って立ち上がるサリナの手を、私は行かせまいと引っ張る。でも力が強い。このままでは振りほどかれてしまう。
「どうせ……ここに隠れてても見つかるんだ。魔人は鼻が利くって兄貴が言ってた」
「だからって、その棒切れで戦う気?! そんなの絶対駄目!」
しかしサリナは私の腕を振りほどき、物置から出て行ってしまう。
私はアルタと少女達に、何があってもここを動くなと言いつつサリナを追う。
宿舎の中は完全な闇に包まれていた。魔人に悟られてはいけないと、廊下の蝋燭を全て消したためだ。こんな時に月明かりは雲に隠れてしまっている。
「サリナ……? サリナ、何処?」
私は壁を伝いながら宿舎の中を歩く。時々強い風で窓が揺れ、その度に体が反応してしまう。
窓の外に異形の魔人が待ち構えているかもしれない、そんな風に想像しながら。
サリナを追いかけながら宿舎の中を彷徨っていると、正面扉まで来てしまった。もう既にサリナは聖堂に向かってしまったんだろうか。駄目だ、それは駄目だ。私達では魔人に敵う筈がない。しかもあんな棒切れで何が出来るのだ。
「サリナ……サリナぁ……」
思わず泣きそうになってしまうが、普段涙もろい私は恐怖でそれどころでは無かった。極限まで怖いと涙は出ないのか、とか考えながら自分を落ち着かせようとする。でも落ち着いて何になる。どう足掻こうが……
その時、聖堂から大きな音がした。何かが倒れ、転がるような音。まさか、まさか……
震える足を抑えながら、聖堂の扉へ。扉は開け放たれており、そこから中をそっと覗き込むと……ちょうど月明かりが雲から零れてきた。そして聖堂の中の凄惨な現場に……私は思わず腰を抜かして叫んでしまう。
「逃げろ……」
その時、サリナの声が聞こえた。サリナは床で転がりながら、まだ棒切れを握っていた。教会内の長椅子は破壊され、サリナはその残骸の中で倒れている。
「サリナ……!」
震えながら立ち上がり、サリナへと駆け寄る。途中、血溜まりを踏みつけながら。恐らくカリス様の物であろう左腕が目に入る。
「サリナ、サリナ! 大丈夫? 立てる?」
「馬鹿……! 後ろ……!」
途端、サリナは私を引きこみ、そのまま覆いかぶさってきた。そして同時に暖かい物が私の体に広がっていく。なんとなく、それは血だと思った。頭が驚く程冷静だ。だからなのか、やっと涙が出てきた。
「サリ……ナ?」
「逃げろ……」
「やだ……ヤダ……サリナ……サリナぁ……」
思わずサリナを抱きしめながら泣き喚く。暖かい感触が体中に広がっていく。そしてサリナの背中に何かが突き刺さっているのにも気が付いた。その何かは、ゆっくりと引き抜かれる。
「サリナ……ねえ、サリナってば……ねえ、ねえ……」
私がいくら呼びかけても、サリナの返事はない。いつのまにか……サリナの体からも力が抜けていた。カリス様のように。
「嘘だよ……嘘……嘘……サリナぁ……やだよ……嫌だよ……」
そしていつの間にか、自分が宙を舞っている事に気がついた。遅れてお腹から強烈な痛み。お腹を蹴られた……?
そのまま床へと転がされ、再び扉の近くに。目の前にはカリス様の切断された左腕。
そういえばリューネ様は……どうしたんだろう。魔人は人間を食べる。もしかして……
月明かりに照らされる異形の姿が目に入ってきた。カマキリのような両腕に、蛇のような長い体を持った魔人だった。そのまま大きな口を開けて、私を食べようと迫ってくる。
食べられるのは……なんとなく嫌だな、と思った。
だから食べられる前に死のう、そう思った。
でもどうすれば死ねるのか分からない。
「……死にたくないよ……」
思っている事と正反対の言葉が口から出てくる。
口にした途端、本当に死にたくなくなった。
死んでたまるか、こんな意味の分からない誕生日があってたまるか。
私は絶対に認めない。こんな誕生日……絶対に……絶対に認めない……!
途端に左腕に痛みが走った。まるで腕の中を何かが這いずりまわっているかのような、今まで体験した事のない痛み。思わず左腕を見ると、見た事の無い文字が刻まれていく。私の知らない文字が、まるで刻印されるかのように。
「何……なにこれ……」
次の瞬間、自分の心臓が破裂したかのような感覚に襲われた。もっと言うと、自分の心臓の中から何かが出てきたかのような……。
そして目の前に、カツン、と静かに降り立つ何か。
白い靴……? 少しずつ目線を上げていく。するとそこには、白い、ひたすら白いドレスを着た“騎士”が立っていた。ドレスを着ているのに、その隙間から見えるのは肌では無く黒い甲冑。頭にもすっぽりと兜を被っていて、何処か不気味な雰囲気に背筋が凍る。そして何より……その騎士は鎖を引きずっていた。その鎖の先端には、真っ黒な……シャンデリア?
「……あの……どちら様ですか……?」
思わず間の抜けた質問をしてしまう私。当然のように返答は無い。
白いドレスを着た黒い騎士は睨み合っているのだろうか、魔人と。
魔人がたじろぐのが分かった。少しづつ後ろに引いている。
「んぅ……?」
その時、私以外の誰かの声が聞こえた。声がした方を見ると、そこには何事も無かったかのように、サリナが目を覚ましていた。
「サリナ……? サリナ!」
思わず手を伸ばして、サリナの顔を摩る。そして刺されたであろう背中も。でも傷口らしき物は見当たらない。サリナの血まみれになった服を剥がして見ても、そこにあるのは綺麗な背中。
「サリナ……よか、よかったよぉ……」
思わず抱き着きながら号泣する私。
続いて更に異変……というか奇跡に気が付いた。先程までそこには誰も居なかった筈なのに、聖堂の扉の前にリューネ様が裸で倒れていた。こちらも綺麗な体で、どこにも傷らしき物は見当たらない。
「リューネ様……リューネ様!」
「……ぁ? あれ、私……一体……」
目を覚ましたリューネ様は頭を抱えながら、状況を理解しようと辺りを見回す。
そしてどこからともなく現れた騎士が目に入ると、驚愕の眼差しを。
「よ、妖精術……? って、リュネリア! あんた、その刻印……」
「え? いや、あの……これさっき……」
その瞬間、突如として異形の叫び声をあげる魔人。そのまま口を全開にしながら騎士へと突進してきた。しかし騎士はゆっくりとした動きで鎖を引き、ピン、と張らせると勢いよく腕を振る。
そして轟音と共に黒いシャンデリアが魔人へと投擲された。そのまま壁まで叩きつけられ、鈍い音が耳に届いてくる。魔人がシャンデリアで潰されたのだ。
「な、なんだよ、なんなんだよ、あれ……」
サリナは怯えつつ、お尻を引きずりながら後退する。私も実際今にも逃げ出したくなっている。でも体が言う事を聞いてくれない。決して怖いからじゃない。確かにさっきまでは恐怖に体が支配されていた。でも今は……胸が熱い。私の心は、躍動感に似た何かに支配されている。あの騎士は私だ。なんとなく……そう思ってしまう。
魔人はまだ生きていた。全身をシャンデリアで潰されながらも、まだ呻き声を上げながら私達へと異形の視線を送ってくる。
「……して……殺して!」
私が叫んだ瞬間、黒い騎士はシャンデリアを一瞬で引き戻し、大きく飛び上がった。白いドレスがまるで翼か何かのように舞い、同時に歪な甲冑が鋭い剣のように魔人へ切っ先を向ける。そして今度は上からシャンデリアを勢いよく落とし、再び魔人を潰した。騎士は止めをさすようにシャンデリアの上に乗り、魔人の頭部を足で踏みつぶす。
「……リュネリア……あんた……完全に妖精を支配して……」
「……え? いや、あの……」
思わず叫んでしまっただけだと言おうとしたが、再びあの感覚に襲われた。心臓が破裂するかのような感覚。でも今度は出ていくのではなく、何か巨大な物が入ってくる感覚。そして気が付いた時には騎士は居なくなっていた。先程まで騎士が居た場所には、原型を留めていない魔人の死体のみ。
「……終わった……?」
サリナはそう呟きながら気絶してしまう。そして私も強烈な眩暈に襲われた。そしてそのまま……私の意識は遠い彼方へと……旅立っていった。
※
目を覚ました時、私は宿舎のベッドで寝かされていた。外は既に明るい。そして騒がしい。
ベッドから降り、宿舎の窓から聖堂の方を見ると……何名か騎士が居る事に気が付いた。そしてその騎士に怒鳴り散らしている誰か。あれは……カリス様だ。
あぁ、カリス様ったら……貴方は普段からキリっとしていて雰囲気が怖いんだから……そんなに怒鳴り散らすと余計に……
「って、カリス様?!」
思わず宿舎の中を走り抜け、正面口からカリス様の居る聖堂前へと。
そのままカリス様が元気に騎士へと怒鳴り散らしているのを確認すると、背中へと思い切り抱き着いた。こんな事、普段中々に……いや、絶対に出来ない事だ。
「……! リュネリア! 目が覚めたんですね……体の方は……」
「カリス様……カリス様カリス様カリス様カリス様! 腕は?! 大丈夫なんですか?!」
カリス様の左腕を確認する。でもそこには何も無い。サリナやリューネ様が何事もなく無傷だったから、てっきりカリス様の腕も……と思ったけど……。
「リュネリア……貴方には申し訳ない事を……行き場を失った妖精が、まさか貴方に行ってしまうなんて……」
「カリス様……?」
カリス様は私とオデコを当てながら、嘆くように言い放つ。
そういえばリューネ様も言っていた。妖精術がなんたらかんたら……。もしかして、あの騎士が……妖精だったのだろうか。
「……リュネリア、突然ですが……話があります。貴方は……本日をもってこの教会を卒業です」
「……え?」
今なんて……卒業? いや、まだ私は何も知らない。聖女について私は何も……。
「貴方の力は王都で……王族を守るのに必要なのです。そして貴方も……聖女達の加護が必要です。今は何も分からないかもしれませんが、貴方を守る為に……必要な処置なのです」
「…………」
正直頭が追い付かない。そんな事急に言われても……。
「とはいえ……無能な騎士に言って聞かせました。貴方の誕生日パーティーをやり直すくらいの猶予は……与えてくれるとの事です」
なんか騎士の方々が凄い不満そうな顔してるんですが……本当に大丈夫なんでしょうか……。
「貴方のおかげで皆が救われました。死者を蘇らせる程の妖精術……貴方のその力は希望であると同時に、脅威でもあるのです。詳しい話はおいおい……さあ、宿舎へと戻ってパーティーの続きをしましょう」
※
誕生日パーティーの続きはサリナの作ってくれたプディングを。
相も変わらず私は泣きながら食べていた。サリナの手作りというのもあるが、私はもうここを卒業だと思うと今までの思い出が頭をよぎる。
もうずっとここに居たかった。ここで、可愛い妹達と頼もしい姉達に囲まれて暮らしたかった。少しホームシックになって泣いてしまう事もあったけど、今度はここに帰りたくて私は泣いてしまうかもしれない。
甘いプディングを泣きながら頬張り、ここでの思い出が走馬燈のように駆け巡る。
全て大切な思い出だ。私はここで暮らした数年間を絶対に忘れない。
「泣きながら食べるなよ……」
サリナが私の涙を拭ってくれる。そのまま、おでこを私のおでこにくっつけてくる。
「……サリナ?」
「……助けてくれて……ありがとう、リュネリア……姉様」
姉様とか初めて言われた。そのまま余計に泣いてしまう私。
そしてサリナは自分の意志を口にする。
「私、やっぱり騎士になりたい。だから……近い内に王都に行きます」
私へと宣言しながら、サリナはカリス様とリューネ様の顔を見つめる。二人の教官はお互い顔を見合わせつつ、優しい笑顔で頷いてくれた。
「サリナ、騎士は辛いよ。いろんな意味で。騎士の宿舎とか基本汗臭いし……」
「自分の信じる道を行きなさい。例えここで私達が無理やり聖女にしたとしても……きっとサリナは剣を持って戦おうとするでしょうから」
二人の聖女の言葉に、サリナは深々と頭を下げた。そして再び私へと向かい合い、優しく私の手を握ってくれる。
「今度は……私が守るから。リュネリア姉様を守れるくらい……優秀な騎士になって、会いに行くから」
何を言っているんだ。サリナは私を守ってくれたじゃないか。あの時サリナが私を庇ってくれたから、皆無事だったんだ。私の中でサリナはもう十分過ぎる程に……騎士だ。
サリナはまるで恋する乙女のように……あの夜のように私に抱き着いてくる。こんなの反則だ。最後の最後で……サリナがこんなに可愛い妹として接してくれるなんて。
「ありがとう、サリナ……プディング、とても美味しかったよ。また……食べさせてね」
その後、私は王都へと向かうべく騎士に連れられ教会を後にする。
私を見送ろうと姉と妹達が大きく手を振ってくれた。私は馬車に乗り込み、中から愛しい姉妹達が見えなくなるまで手を振り続けた。
「皆……ありがとう。私、絶対立派な聖女になるからね……」
こうして、私は第二の家を出た。
みんな……大好きだよ。また、会おうね。
《数年後》
あの誕生日から数日後、私は王都の王宮へと迎えられ、聖女としと認められた。
あれからもう何年が経っただろうか。私は王族の末っ子である、ルインティア様専属の聖女となり王宮で過ごしている。私が少女時代に過ごした教会からは、時々アルタからの手紙が届いていた。アルタは相変わらず姉御風を吹かせ、サリナはあの後、本格的に騎士の道を歩み始めた。今では王都直属という凄まじい出世を果たしているらしい。
リューネ様とカリス様は引き続き聖女の育成に奮闘しており、優秀な人材を王宮に送り続けている。でもアルタは、次々と少女達が卒業していって嬉しいやら寂しいやらで微妙だそうだ。今度、顔を出してみよう。
『追伸 聖女になろうが何しようが、リュネリアは私の妹だからね!』
風が吹いている。
頬を撫でる優しい風が。
時折吹く強い風が、私の心を不安にさせる。
どうか……この風が運んできた物が、悪い物ではありませんように……