女ひとり旅
「すみません、いきなり厚かましいことをお願いしちゃって」小走りで帰って来た為か些か息がはずんでいる。荷が無事であったこともそうだろうが俺という‘男’がまだいてくれたことへの安堵なのだろうか、さきほどのような凍りついた笑みではなく、俺からすればなんとも魅力的な笑みが、そのうりざね型の形のいい顔を飾っていた。こちらも呼応の笑みをうかべながら「いいえ、どういたしまして。あの、まさか、お一人旅…じゃないですよね?」などと内外を問わずに‘初デート’における初めのひとことを発する。それへ「うふ、どうしてです?一人じゃいけません?」などと思わせぶりに答えたので些かでも俺は身体を震わせた。寒いのではなくウブであったがゆえだがしかしそれを気取られてはなるまい。へーっとばかり無理にでも心中で感嘆して見せ、さらに異国を女一人で旅するとは日本女性も強くなったものだ、などとも思ってみる。そういったことに拘泥してないと、顔に浮かんだだらしのない笑みを消せそうになかったからだ。しかし『これだけいい女ならヨーロッパの男達がさぞや喧しかろうに』とも正直に思ってしまうと、もういけなかった。おさえきれない喜びをしかし照れ笑いで偽装しながら「い、いや、ははは、そんなことはない。しかし大したもんですね。なにか特別な目的でもあったのですか?留学とか…ですか?」と訊いてみる。すると彼女は頭と手をおおげさにふって「いいえ、とんでもない。わたしOLをしてたんですけど、どうしてもヨーロッパを見てみたくって、殆どなにも考えずに来てしまったんです。お城とか、エッフェル塔とか、例のヘプバーンの、カフェでティファニーとかを、うふふ、実地で見たり、してみたかったの…バカですよね?わたしって」とばかり、田吾作の俺であってはなんとも答えようのない話しぶりをしてみせる。ここで気の利いたセリフを云えるくらいなら24才のいまに至るまで無彼ということはなかっただろう。信じられないだろうが前述したように、この年で文字通り初デートとも云える今の状況なのである。それゆえ内心上気しきっているのだがその浮ついた熱を列車出入り口から吹きつける寒風が些かでも冷やしてくれた。映画「パリの休日」におけるグレゴリー・ペックの、男らしく且つ大人びた、ヘプバーンへの対応ぶりを思い浮かべながら何とか言葉を紡ぎ出す(足など組んだりして)。