忠義を胸に
ひとつの使命がある。
主人を守れ。
子を守れ。
害なすモノを退けよ。
たったひとつの使命を果たすために、生き続ける。
そのために儂は作られたのだから。
***
五月の三連休を、明日に控えていた。
とっくに日の沈んだ夜道を、僕は一人で歩いていく。
珍しく依頼を受けていた。
相談したいモノがある、と。詳しい内容は会ってから話すそうだ。
幸い、依頼主の家は近所だった。だから、徒歩で向かっている。
「…………」
ふと、違和感を抱いた。
ここは、どこだろう?
いや、知らない道に出たわけではない。たまに通る道だ。
しかし店から依頼主の家に行くだけなら、使うはずのない道でもあった。
寄り道はしていないはずなんだけど……。
「少しぼーっとしていたのかな?」
そう自分を納得させて、再び依頼者のところを目指して歩き出す。
「――」
しばらく歩いて、また違和感があった。
「まったく別の道に出ているね……」
ここもよく知った道ではある。迷子、というわけではない。
だからこそ、余計に困った。
迷ってもいないのに、意図しない方向に歩いている。
「この辺りの道は、しっかり把握しているはずだけど……」
不思議に思いつつも、歩みを再開させた。
前方に十字路がある。ここを右に曲がれば、依頼者の家がある方向だ。
ここはよく通る道だから、間違えるはずがない。
左に曲がると、小さな喫茶店がある場所だ。
馴染みの喫茶店で、よく通わせてもらっている。その分、この辺りの道には特に詳しい。
「――――」
試しに、十字路を左に行ってみる。
曲がってすぐのところに喫茶店があった。
「やっぱり間違えてはいないね」
僕の記憶違いではない。ちゃんと道は覚えている。
なのに、さっきから道を間違えて――
「……あれ?」
おかしい。
これまでとは比べ物にならない、強烈な違和感だった。
「なんで僕は、左に曲がったんだ?」
依頼者の家は右だというのに。
それをちゃんと認識していたはずなのに、なんでわざわざ左に行ってしまったのか?
何が起きているのか、理解が追いつかない。
「とにかく、急がないと……」
歩みを早める。
「――いや、待て」
とっさに立ち止まる。
僕は何を考えているんだ?
どういうわけか、まっすぐに進み続けていた。
依頼者の家は、後ろの方向なのに。
「急いで回り道をしないと……と思っていたけど」
振り返る、という発想が抜け落ちていた。
しかし、どうして?
「僕の意思に反して、歩いてしまっている?」
いや、違う。
これはどちらかというと、意思そのものを変えられている感覚だった。
「さて……困ったね」
迂闊に歩くこともできない。下手に歩を進めれば、どこに行ってしまうかわからない。
かといって、このまま立ち尽くすわけにも……。
「――あの」
不意に、背後から声がかけられた。
幼い声だ。
振り返ると、男の子がいた。小学校中学年くらいの。
「幽霊相談所の人ですか?」
「えぇ。……正確には、付喪神よろず相談所だけど」
僕のことを知っている。ということは、
「君がさっき電話をしてくれた依頼人かな?」
「うん」
少年がこくりとうなずき、言葉を続ける。
「うちにたどり着けないと思って、迎えに来たんです」
「この辺は、迷うほど入り組んだ道ではないけどね」
「でも、うちには誰も来れないから」
「…………」
どうやら訳ありらしい。僕が普通に歩けなくなったのも、あるいは……。
考え込んでいると、少年が背中を向けた。
「ぼくと一緒なら大丈夫です。ついてきてください」
見た目のわりに、落ち着いた子だ。
「では、案内をお願いします」
そこから数分。
すんなり少年の家に到着していた。
さきほどの迷いっぷりが嘘のようだ。
「――」
家の中には誰もいなかった。こんな時間だというのに。
まさか、この少年が一人で暮らしている?
そんなはずはないと思うが、踏み込みすぎるのもよくない。疑問は抑え込んで、黙って少年について行く。
すると、和室に案内された。
障子戸を開けながら、少年が口を開く。
「これ、なんですけど……」
和室の中には、立派な五月人形があった。
よく見る兜飾りではなく、全身の甲冑をそろえた鎧飾りが。
「これは……」
一目見ただけで、居ることがわかった。
けれども、居るというだけで問題視することはできない。
僕は無言で、依頼者に続きを促す。
「この鎧を飾ってから、うちに来ようとする人が道に迷うようになったんです」
なるほど、それで僕も普通に歩けなくなっていたのか。
「お母さんは気味悪がって捨てようとしたけど……」
少年の目が、部屋の奥にある仏壇に向けられた。
「お父さんが大事にしていたから。先祖代々、使ってきたものだから、大切にしないとダメだって言われてて」
それで、捨ててほしくなかった、と。
「でもお母さんは怖がって、おばあちゃんの家に行っちゃいました……」
「…………」
道に迷わせるだけなのに、家から出ていくなんて怖がりすぎとも思うが、非難するのもなかなか難しい。
異常事態にパニックを起こすのは、普通の反応だ。それを否定するほうがおかしい。
個人的なことには触れず、僕は僕のやれることをやろう。
「君は迷わないんだね?」
「うん、ぼくとお母さんは大丈夫」
つまり、家主以外を遠ざけている?
「家の前を、人が通ることは?」
「うん、毎日。普通に通り過ぎていきます」
近くを通るだけの人は問題がなく、この家に向かっている人だけを迷わせる。
「――」
軽く見たところ、この家には他のモノはいないことがわかる。
なら、やはり原因は、この鎧飾りか。
「これには付喪神がついているね」
僕の言葉に、少年は首を傾げる。
「つくもがみ……って?」
知らないのも無理はないか。馴染みのある言葉ではないから。
「人と同じように、モノにも意思があるんだよ。犬や猫といった動物はもちろん、植物にも、髪飾りやテーブルといった物質にも」
けれど、それは薄く弱いモノだ。人間の意思とは比べ物にならないほどに。
仮に強い意思を持っていても、あくまでもモノはモノ。人にかかわることも、もちろん話すこともできない。
けれど、
「百年使われたモノには、神が宿ると言われているんだよ」
「……百年も?」
「実際には、そんなに長くなくていいんだけどね」
長い年月、人に使われていたモノ、大事にされていたモノには不思議な力が宿る。
「そして、人に伝えたい想いや気持ちを強く持っていると、その意思が人の姿になることがあってね。それが付喪神だよ」
「その付喪神が、うちの五月人形にも?」
僕は静かにうなずきを返す。
「付喪神の中には、神通力を使うモノもいるから、それが原因だろうね」
「どうにかできるんですか?」
「処分する、というのが一番手っ取り早いけど……」
この言葉に、少年が不安そうな表情を浮かべる。だから僕は、心配させないように微笑みを向ける。
「でも、僕はそれをしたくない。付喪神もひとつの命だから」
自分の意思を持って、生きている。
人間となにも変わらない。
その命を奪うことなんて、僕にはできない。
「こういう時は、話し合いがいい」
人間同士だって同じだ。
問題が起きたのなら、まずは話し合うべきだ。
「ちょっと相談してみるよ」
「誰に、ですか?」
「もちろん、この五月人形に」
少年をその場に残して、前に進み出る。
五月人形の正面に立ち、ゆっくりと声をかける。
「あなたと話したいんですが……よろしいですか?」
数秒の静寂。
反応はなかった。
僕と会話をする気がないようだ。困った。
できれば実力行使には出たくない。
とはいえ、聞く気のない相手に声を届けるのは大変だ。
「まぁ、手がないわけではないけど」
僕は腕を伸ばして、両手を合わせる。
「――」
柏手を二度、打った。
それは神様を呼ぶ音。
「失礼」
一言断って、より近くから声を届けるために鎧飾りに直接触れる。
「――!?」
直後、視界が暗転した。
「これは……?」
何が起きているのか、わからない。
とにかく、暗闇の中にいた。周囲を見回しても、闇しか見えない。
光のない世界。
なのに、自分の姿ははっきりと見えている。本当に暗闇だったら、見えないはずなのに。
つまり、ここは普通の場所ではないということ。
混乱する頭で、状況を整理している時だった、
「儂に用か?」
ふと、声が響く。
その声に遅れて、ゆらゆらと煙が現れた。
煙が徐々に集まり、形を成していく。
そうして目の前に、鎧武者が姿を現した。あの五月人形と同じ甲冑の。
「呼ばれたが、出向くのも面倒でな。招かせてもらった」
やはり、ここは現実の側ではないらしい。
そんな気軽に招かれても困る。
「なんぞ用か?」
構わず続けようとする鎧武者に頭を抱えたくなる。
しかし、聞く耳を持ってくれるのなら、そのうちに用件を済ませておいた方がいい。
「ひとつ、お願いがありまして。人を迷わすのを止めて頂きたい」
「ん? 何の話だ?」
「あなたの神通力のことですよ」
「神通力……そのような力は持っておらぬはずだが?」
「……」
話がかみ合わない。
鎧武者の口ぶりは、とぼけている感じではなかった。
けれど、そんなはずはない。確かに、この付喪神が原因のはずなのだが……。
「だが、そうだな。今年はやけに力がみなぎる。それが関係しておるのか?」
「あぁなるほど」
長く大事にされていたモノは付喪神になる。
そして長く大事にされていた付喪神は、神通力を得る。つまり、
「あなたは今年、神通力を得たんですね」
「そうか、合点が行った。それならば頷ける。儂は代々、この家に仕え続けていた。子どもを守るために。近づく害を遠ざけるために」
その結果、害にならない人たちまで遠ざけていたのなら、迷惑も甚だしいけれど。
「力の調整はできそうですか?」
それさえできればすべて解決なのだが、鎧武者の反応はよくない。
「無理だろうな。儂自身、この力に困惑しておる」
「……ですよね」
これまで持っていなかった力だ。いきなり上手く扱えるほうが、どうかしている。
しかし、まだ悲観するには早い。
「神通力を使える知り合いがいます。彼女も付喪神ですが……頼めば、力の扱い方を教えてくれるはずです」
使い方がわからないなら、学べばいい。
そう判断した僕に、けれども鎧武者は首を横に振った。
「それでは駄目だ。時間がかかるのだろう?」
「まぁ、そうですね」
一朝一夕とはいかない。
「事情はわからんが、儂の主人が困っておるようだ。ならば、すぐに解決するしかない」
「とはいっても、その方法がありませんよ」
「いや、ひとつある」
鎧武者が刀を抜いた。
「――なにを!?」
止める間もなかった。
鎧武者が、自らの腹に刀を突きたてる。刃はすぐに、その身を貫いた。
背中から、黒い影が飛び散る。まるで鮮血のように。
「なんで、こんなことを……」
理解に苦しむ。
どうして、こうなった?
「ふむ……そんな顔をされるとは、意外だった。儂とは初対面だというのに……甘い男だ」
なぜ、そんなに普通に話しているのか、わからない。
たった今、取り返しのつかないことをしでかしたというのに。
「これが一番早い解決の道だっただけのこと。主人のためであれば、自らの命をも切り捨てる。それが儂の忠義なればこそ」
「――」
そんな忠義は時代錯誤にもほどがある。とは、鎧武者相手に言うのはおかしいのかもしれない。
けれど、それでも僕は……。
「御前が気にすることではない。さぁ、もう戻れ」
その言葉を受けた瞬間、体がはじき出されたのがわかった。
「――っ!」
気づけば、元の場所に戻っていた。
背後で、誰かが息をのむのが伝わってきた。
「あ! よかった……どこに行ったのか、心配してたんです」
振り返ると、心底安堵した表情の少年が出迎えてくれた。
「少し、向こう側で話をしててね……」
「え? 少し?」
少年が怪訝そうな顔をしている。
どこか様子がおかしい。
彼の口ぶりからすると、僕の体は完全に消えていたようだ。それなら不安に思うのも当然だろう。
しかし、それだけとも思えない。
少年の反応が大げさすぎる。
「…………」
そこで、ふと気づいた。
少年の服装が変わっていることに。
まさか……?
「僕はどれくらい消えていたのかな?」
「……ちょうど三日です」
三日? そんなに?
ほんのわずかな時間だと思っていたのに。
「――――」
あれから三日ということは、連休の最終日か。
あの付喪神、なんて置き土産を……。
わざとではなかったのだろうけど、悲しい気持ちも覚めてしまう。
ため息をつく僕に、少年が一歩近づいてきた。
「あの、どうだったんですか?」
「解決したよ。これからは誰も迷うことはない。ただ――」
鎧飾りへ視線を向ける。
僕につられて、少年もそちらに目を向けていた。
「……あ、傷が」
胴の部分に穴が開いていた。まるで、刀で刺したような穴が。
「小さい傷だから、修復できるはずだよ」
「そうですか。よかった……」
安心したようにつぶやく。
父親が大事にしていたものだ。傷ができたくらいで、手放したくはないだろう。
「――」
そう、傷は修繕すれば問題ない。
けれども、付喪神としては……。
鎧飾りが治っても、彼が戻ってくることは二度とない。
再び意思が宿り、付喪神となっても、それはまったく別のモノだ。
「…………」
きっと、もっと上手くやれたはずだ。
こんな結末にならずに済む方法はあった、絶対に。
僕もまだまだ、ということか。
三連休を失ったのは、勉強代ということで納得することにしよう。