冬の訪れを告げに
――冬の足音を届けよう。
冬を嫌うものがいる。
冬を歓迎するものもいる。
理由は様々。
それぞれの人間に都合がある。
冬が来なければいいと祈るものがいれば、早く冬が来てほしいと願うものもいる。
けれど、すべてはどうでもいいこと。
人間の都合など知ったことではない。
こちらにはこちらの都合がある。
望まれようと、拒まれようと関係ない。
ただ、思うままに冬を届けよう。
***
すこし肌寒くなってきた頃の、よく晴れた一日だった。
学校から帰ってきて、居間に上がった時。
びゅうと音が鳴り、がたがたと窓が揺れる。
道中も、ずいぶん強い風が吹いていた。
テレビをつけると、ちょうど天気予報が流れる。
――本日、気象庁は関東地方に木枯らし一号が吹いたことを発表しました。
「通りで風が強いわけだ」
さて、そうなると、やっておくことがある。
窓に近づいて、片側を大きく開いた。全開にはすこし足りない程度に。
「これくらい開けておけば、大丈夫かな?」
確認し、納得している時だ。
――おーい!
声が聞こえた。
そしてすぐに、声の主と思われる人物を見つける。
上空から、こちらに向かって飛来してくる人影があった。
「――っ!?」
避ける間もなかった。
その人物は、僕が開けたばかりの窓から飛び込んでくる。
必然的に、僕に体当たりを喰らわせることになるわけだ。
もちろん受け止めきれるはずもなく、勢いよく倒されてしまった。
二人して、もみくちゃになりながら、居間を何度か転がっていく。
やっと止まったときには、体のあちこちを痛めていた。
けれど、我慢できないほどの痛みではない。すぐに起き上がることができた。
見た目こそ派手だったが、さほどスピードは出ていなかったのかもしれない。
そうして起き上がった僕の正面では、
「いたたた……ごめんごめん、勢いをつけすぎちゃったね」
女の子が座り込んでいた。
窓から飛び込んできた張本人だ。
失敗を照れるように笑いながら、頭をかいている。
外見は、僕よりいくつか年下に見えるだろう。
紅葉色のぽんちょを着て、肩まである髪は手入れがされていないのか、ぼさぼさだった。
その女の子が、飛び跳ねるような勢いで立ち上がった。
僕に満面の笑みを向ける。
「やあ! 今年も、うちが会いに来てあげたよ!」
「せめて玄関から入ってください」
「そう言いつつ、毎年窓を開けておいてくれるキミのことが大好きだよ!」
「僕のことを好いているなら、僕の意見を尊重してください」
「嫌だよ! 人間の都合に合わせる気なんてないからね!」
「…………」
勝手なものだ。
まぁ仕方ないのかもしれない。彼女は人間ではないのだから。
常識というものは通用しない。
「だとしても、今年はいつにも増して元気そうですね?」
「まぁね。今年の木枯らしは、風速が強いみたいだよ。うちも、影響を受けてるのかもしれないね」
みたいとか、かもとか、まるで人ごとのように語る。
彼女自身が木枯らしだというのに。
木枯らしの付喪神。それが彼女の正体だ。
自然現象という、実体のないモノ。
けれど、ヒトはそれに名をつけた。名があるならば、それは一個のモノとして認識されているということ。
モノなら、どんなモノであれ意思を持ち、付喪神になる可能性がある。
彼女のように、実体がなく付喪神になったモノは、ウツロモノと呼ばれている。名称がつくくらいには、その存在がいくつか確認されている。
それでも、実体のないモノが付喪神になるのは珍しい。
そんな珍しい存在と、僕は毎年顔を合わせていた。
初めて会ったのは、偶然だった。
それからというもの、毎年木枯らしが吹く季節に訪ねてくるようになったわけだが。
一応はよき友人、といったところなのだろうか?
彼女との関係をどう表したものか。そんなことを悩んでいると、話題の女の子は勧めてもいないのに座布団に腰かけた。
「腹が減った、飯にしろ! あと、今夜は泊まっていくから!」
「図々しいにもほどがありますね? 気軽に言われても困りますよ」
「とか言いつつ、泊めてくれるんだろう? キミのそういうところ、嫌いじゃないよ!」
「…………」
まったく勝手なことを言わないでほしい。
まぁ、確かに泊めるつもりだったけれど……。
「まだ買い物も済ましていないんです。ちょっと待っていてください」
食材がなければ、食事にすることもできない。
どうしようもないことだが、女の子は不満げだ。
「待てん! なにか食う物はないのか? お茶請け程度でもかまわんぞ」
「……棚にお菓子があるので、勝手に食べていてください」
「おぉ! うちが好きなせんべいがあるではないか!」
僕が言い終わる前から、すでに棚をあさっていた。
本当に身勝手だ。その上、食い意地が張っている。
家の食材を食べつくされても困る。
早く夕飯にしたほうがいいだろう。
急いで、買い物に走ることになった。
夕食は鍋にした。
寒くなってきた頃は、鍋がいい。
大根や白菜、長ネギなど、冬の野菜をたくさん入れて。
やはり冬には冬のものを食べるのがいい。それが冬を乗り越える活力になる。
「うん、美味い! やっぱりキミは料理が上手いね!」
木枯らしの舌にも合ったらしい。
風というものに、味の好みがあるのかはよくわからないけれど。
「今年の冬は、どんな感じですか?」
食べながら、さほど重要でもない雑談をしていく。
「いつもとそう変わらないんじゃないかな? 特別寒くもなく、特別暖かくもない、って感じだと思うよ」
「ずいぶんと、あいまいな返事ですね」
「仕方ないって。うちは冬そのものじゃないんだから」
呆れるように、ため息をつかれた。
「確かに、うちは冬の始まりの合図みたいな部分があるよ。でも、冬とは別のモノだからね。うちはただ、季節の変わり目に吹き抜けるだけだよ」
彼女の言い分は正しいだろう。
けれど、自然現象である彼女ならば、並の人間ではわからないような気候の変化にも気づけるはずだ。
それでもはっきり語らないというのなら、話す気がないということだろう。
気が乗らないのだ。
彼女の気を変えるのは難しい。というか、ほとんど不可能だ。
自然が、人間に合わせてくれることなど、ありえないのだから。
合わせるのは人間のほうだ。
気ままで、時として脅威となる自然とは、上手く折り合いをつけるしかない。
「……」
だから僕は口を閉ざした。
語る気のない彼女に、深く追求はしない。それでへそを曲げられても困る。
この対応がよかったのか、ただの気まぐれか。
彼女がぽん、と手を打った。
「だけど、そうだね。いくつか悪い風が吹いていた。今年は病が流行りそうだね」
「それは……困りましたね」
彼女が断言するのなら、そうなのだろう。なにせ、風そのものだ。
「悪い風、か……」
実際の風とは、別のモノだろう。
古くから、病気と風には密接なつながりがあると見られていた。
風邪、という言葉あるように。
あるいは、精霊風やムチ、ミサキ風といった、病気をもたらす妖怪が風に関係するものであったり。
いまは医療が発達しているから、ちょっとした流行り病なら問題はないだろう。
とはいえ、病めば苦しいことに変わりはない。
できれば避けたいし、見知った人が倒れるのも嬉しくはない。
知ってしまったからには、なにか対策をしておきたいところだけど……。
「――」
けれども、僕にできることなんて、ほとんどない。
さて、どうしたものか?
そうやって頭を悩ませていると、
「よし、先んじて一宿一飯の礼をしておくか」
木枯らしが立ち上がった。
「お礼、ですか?」
「あぁ! 見ていろ」
彼女は目を閉じ、わずかに集中する。
すると、その体がすこしだけ浮かび上がった。
そして彼女を中心にして、ひとつだけ強い風が吹いた。
びゅう、と僕の体を通り抜けていく。
風の音は、家の外まで飛び出して、遠く遠くへ響いていった。
しばし、その音に耳を澄ましていた彼女は、満足そうにうなずいてから座りなおす。
「うん、これでこの一帯は安全だろう。悪い風が近づかないようにしておいたから」
「……そんなことまで、できるんですか?」
「伊達に何十年も付喪神やってないよ! これくらい朝飯前だね」
「夕飯中ですけどね」
「そうそう、朝飯といえば!」
人の話を聞かずに、勝手に話を変えにきた。
「明日の早朝には出ていくよ」
「ずいぶん早いですね。もう少しゆっくりしていっても大丈夫ですよ」
「いや、まぁ、あんまり長居してもよくないしね」
淡々と言ってから、彼女はいたずらな笑みを浮かべる。
「なにかな? 最初は嫌がっていたくせに、うちがいなくなったら寂しいとか?」
「まぁ、そうですね。たまにしか会えない友人ですし」
「そうかい、そうかい! でも大丈夫だよ。また来年も会えるからね!」
「……たしかに。じゃあ、また来年ですね」
「うん、また来年!」
その後、鍋の残りを食べ終えてから眠りにつくまで、色々なことを話した。
この一年であった、様々なことを。
また一年会えなくなる。
だからこそ、お互いにその分を埋めるように語り合った。
そうして、翌日。
僕が起きだすと、彼女は居間でせんべいをかじっていた。
「おう、起きたか! 腹が減った! 朝食を作ってくれ」
「……なんで、まだいるんですか?」
早朝に出ていくと言っていたはずだ。
だというのに、彼女はあっけらかんと笑う。
「あぁ、うん! 今日は風の感じが悪いから、もう一日いることにしたよ!」
「…………」
まったく、勝手気ままなものだ。
しかし、仕方ないことだろう。
人間には、自然の意思を変えることなどできるはずもない。
流されるまま、受け入れるしかないのだから。




