それでも私は踊り続ける
――あの言葉が忘れられない。
大勢のヒト、ヒト、ヒト。
カチコチと歯車が音を立てる。
二本の針がガチリと動いて、頂点を指し示す。
軽快な音楽が流れて、やっと私の出番。
くるくる、くるくる、優雅に回る。
ひらり、ふわり、と陽気に跳ねる。
たった三分間の夢舞台。
私の踊りにみんなが足を止める。
多くのヒトの中で、小さな女の子が目を輝かせる。
私の踊りを見て、声を漏らす。
その言葉が、どうしても忘れられない――
***
珍しい依頼が入った。
肌寒くなってきた風に吹かれながら、依頼者のところへ向かう。
僕の自宅である骨董店も軒を連ねる商店街。
その中心に、今回の依頼人がいる。
商店街のなかで最も大きな建物。
といっても、古い商店街だ。大きいといっても、たった六階しかない。
センタービルと呼ばれるその建物には、古い大きな時計がついていた。
もうすぐ正午になろうとしている。
「急いだ方がよさそうだね」
センタービルの正面入口を通り過ぎて、横手にある関係者入口から中へ入る。
薄暗い階段を上って、鉄製の小さな扉を潜り抜ける。
扉の先には、すこし狭い空間が広がっていた。
カチコチ、と音が鳴り響く。
巨大な歯車が壁面で回り続けている。
ここは、さきほど見た古い大きな時計の内部だ。
そこに一人の青年が。
「やあ、よく来てくれたね」
作業着の上から、黒い油で汚れたエプロンをかけた青年。
おそらく僕より五つほど年上だろう。
彼が今回の依頼人だった。
「彼女は?」
僕の問いかけに、彼はゆっくりと奥を指し示す。
回る歯車の中心に、彼女は立っていた。
青いドレスをふわりとなびかせて、こちらを振り返る。
銀色の美しい髪に、白磁のように透き通った肌。
ぱっちりした目とぷっくり膨れた唇、その顔立ちは西洋の美しさがあった。
すらっと伸びた手足には、何ヶ所か包帯が巻かれている。
彼女は、痛ましいその姿からは想像できないような優しい笑みを浮かべた。
「あら、お客さんとは珍しい」
「俺が呼んだんだ」
作業着の青年が答える。
それに青いドレスの女性は、諦めたような微笑みを返した。
「そんなことをしても無駄なのに。誰が来ても、私の気持ちは変わらないわ」
突き放されるような言葉に、作業着の青年は僕のほうへ向き直る。
「こんな調子でね」
彼からの依頼内容は、彼女の説得だった。
「わかりました。話してみます」
ひとつ頷いて、一歩進み出る。
正面に立った僕に、彼女が首を傾げる。
「あなたは?」
「付喪神の専門家……みたいなものです」
「あぁ、それであなたが呼ばれたのね」
そう、彼女を説得するのなら、僕の出番だろう。
だって彼女は人間ではないのだから。
――付喪神。
長い年月を経て、意思を宿した道具たち。
彼女もその一人だ。
「――」
そして、近づいて確信を得た。
一目見た時から、そうかもしれないと思っていたけれど……。
「ご自分の状態は、わかっていますよね?」
「……」
返事はない。
しかし、伏せた顔からは肯定の意思が読み解けた。
「そろそろ休んだほうがいいです。このままだと、あなたは壊れてしまう」
どんなものにも終わりがある。
いくら大事に扱っても、モノは最終的には壊れる。
壊れてしまえば、付喪神としての自我も消えてしまう。
つまり、彼女にとっての死が迫っている。
「ちゃんと保管すれば、まだなんとかなります」
「それでは意味がないの」
小さくつぶやいてから、青いドレスの女性は平気そうに微笑む。
「大丈夫よ、また修理すれば」
手足に巻かれた包帯を撫でる。
「これまでも、直し直しやってきたんだから」
この言葉に、作業着の青年が首を横に振った。
「いや、無理だ。次は取り返しがつかない」
技師である彼がそう言うのであれば、間違いはないだろう。
それでも彼女は頷かない。
「踊れなくなったら、それはもう私にとって死んだのと同じなの」
だから、どうなっても構わない――と彼女は付け加えた。
「でも――」
僕は説得を重ねようとしたけれど、彼女の言葉が遮る。
「お願い。私は最後まで踊っていたいの」
踊り続けること。
それが彼女にとって一番大事なことなのだろう。
「――」
できることなら、止めたい。
自ら壊れることが、正しいとは思えない。
けれども、彼女はとても切実な表情をしていて……。
消えてしまうことへの恐怖と、譲れないモノがあるという決意の表情。
そんな表情をされたら、
「……」
もう何も言えない。
さて、どうしたものかな?
頭を悩ませていると、作業着の青年が小さくため息をついた。
「彼女の好きにさせよう」
この言葉に、青いドレスの女性が驚いたように目を見開く。
「……本当に、いいの?」
「あぁ、うん。結局こうなる気はしていたんだ」
自分に言い聞かせるようにつぶやいて、彼女をまっすぐ見つめる。
「あなたはとても美しいから。見た目だけでなく、生き様が」
「ごめんなさいね、私のわがままに付き合わせてしまって」
しばし無言で見つめ合っていた二人は、同時に視線を外した。
青年は出口の扉へ。
女性は回る歯車へ。
「そろそろ時間ね。あなたたちも見ていってくれる?」
「もちろん」
青年は頷きを返して、僕に視線を投げる。
「すまなかったね。依頼はキャンセルということで」
そうして、再び扉へ目を向けた。
「もう出よう。彼女の晴れの舞台を邪魔したくない」
「……それでいいんですか?」
どちらへの問いかけだったのか、僕自身にもわからない。
これに二人ともが同時に答えた。
「大丈夫、ありがとう」
どこか満足したような様子で。
***
カチコチと歯車が音を立てる。
二本の針がガチリと動いて、頂点を指し示す。
時代遅れの音楽が流れて、やっと私の出番。
くるくる、くるくる、優雅に回る。
ひらり、ふわり、と陽気に跳ねる。
たった三分間の夢舞台。
私の踊りに足を止める人はいない。
こんな古ぼけたからくり時計では、もう誰も楽しんでくれない。
作られたばかりの頃は、たくさんのヒトが見に来てくれた。
それも、もう遠い昔。
でも、誰も見てくれなくても構わない。
瞼を閉じれば、昨日のことのように思い出せるから。
ほら、かつての光景が見える。
――わぁ、お人形さんが踊ってる
――すごーい
――もっと踊って
たくさんのヒトが私を見て、笑顔を浮かべてくれている。
それが私の仕事。
いまでは誰も見てくれないけれど、それでも――
「あのお人形さん、すっごくキレイ!」
ふと子どもの声が聞こえた。
幻聴ではない。
過去の思い出でもない。
声のしたほうに目を向ける。
そこには、確かに人がいた。
お母さんにつれられた女の子が、私を見て目を輝かせている。
――あぁ、なんて素敵な笑顔
まだ、私を見て笑ってくれる子がいる。
それだけで救われた気がする。
そう、私はこの言葉が忘れられなくて、踊り続けてきたのだから。
***
ぱきっという、嫌な音が小さく聞こえた気がする。
「――」
いや、気のせいだろう。
――リンゴーン、リンゴーン
正午を知らせる鐘がこんなにも大きく鳴っているのだから。
そんな小さな音が届くはずはない。
「あれ~、お母さんおかしいね?」
子どもの声。
お母さんにつれられた女の子が、古い大きな時計を見つめて可愛らしく小首を傾げていた。
「お人形さん、止まっちゃったよ?」
「――あぁ」
彼女はちゃんと満足できたのだろうか?
「……」
いや、答えなどわかりきっている。
彼女ならきっと――
けれど、僕は納得しきれない。
「勝手に満足して、勝手にいなくならないでくださいよ……」
不満を漏らす。
けれども、それを聞かせるべき相手はもうどこにもいない。




