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この命に代えても


 大事なものがある。

 それを守るためならば、なんだってしよう。


 しかしわたしに何ができるというのか。

 さほど力もない。

 できることなど限られている。


 それでも、大事なものを守りたい。

 この命に代えてでも――


***


 高校の二学期初日は、手短な始業式と防災訓練だけだった。


 だから昼には家に帰宅できたわけだけれど、


「ただいま」


 自宅である骨董店に帰った僕は、誰からの返事も期待せずにつぶやく。


「……」


 案の定、返事はない。


 期待していなかったとはいえ、誰か一人くらい応えてくれてもよさそうなものだけれど。


 とはいえ、ここにいるモノたちはあまり饒舌な方ではない。言葉を安売りしていないと言うべくかもしれない。


 一番饒舌な白猫は、いまは散歩に出ているようだった。


 なんとも物寂しい気分になっていると、ふと足音が聞こえてきた。


 続けて、骨董店の戸が勢いよく開けられる。


 そうして入ってきたのは、顔なじみの女性だった。


「助けて!」


 開口一番の救助要請である。


 彼女は近所に住む大学生だ。


 家でくつろいでいたのか、ティシャツにジャージのズボンというラフな格好で、化粧っ気はなく、セミロングの髪はシュシュで適当にまとめられている。


 とはいえ彼女は、普段からあまりオシャレをするタイプでもないので、それほど印象は変わらない。


「あんた、こういうの得意でしょ! 助けてよ!」


 しかし、こうして取り乱していることは珍しい。


 いつもならば、商店会の青年部も顔負けの、豪快さと男らしさを発揮する快活な人なのに。


「助けるのはかまいませんけど、珍しいですね。あなたが、うちの店に入ってくるなんて」


 僕の指摘に、彼女は一瞬だけ固まってから、はっと正気を取り戻し、


「ぎゃああああ!」


 と絶叫した。


「そうだった! あんたの店も充分、魑魅魍魎の塊だった!」


 そうして彼女は店から飛び出した。


 けれど相談もしたいようで、遠くに逃げていく様子はない。


 震えながらも、店先で待っている。


 いつもは快活な彼女だけれど、幽霊や怪奇現象といった精神的に怖いものだけは苦手らしい。


 だからこの店に寄り着くこともなかったのだけれど。


 それでも飛び込んできたということは、余程の事情があったのだろう。


 僕は、彼女に続いて店を出た。


「ずいぶん取り乱してますけど、どうかしましたか?」


「どうかしたから来たんだよ! 変なことがあったら、とりあえずあんたに頼ればいいんでしょ?」


 まぁ、その理解は間違っていない。


 なんでもかんでも相談されても困るけれど。


「僕の専門は付喪神ですよ。それ以外の問題は、手に余りますね」


「知らないよ。全部おんなじオカルトだろ?」


 この理解については、大いにずれていた。


 すこしの違いで、まったく専門外になってしまうのだから。


 それでも、知識のない人に言わせれば、すべて同じに見えているのだろう。


 とはいえ、いちいち説明しても仕方ない部分でもある。


「わかりました。とりあえず話は聞きますよ」


「うん、あんたならそう言ってくれると思ったよ」


 ひとり納得するように、元気な笑顔でうんうんうなずいている。


 やっといつもの快活な彼女に戻ってきたらしい。


 もう問題が解決した気でいるのかもしれない。


 気が早すぎると呆れていると、彼女の手が肩に置かれた。


「じゃあ、うちに来て」


「あなたの家に?」


 お呼ばれするのは初めてだけれど、あまりいい予感がしない。


 立ち話では済まないほどの相談ならば、手間がかかりそうだ。


 かといって、付喪神が関わっているかもしれないなら、断るわけにもいかない。


 あれらを理解できる人は少ないから。


 僕は仕方なく、徒歩数分ほどにある彼女の家へついていった。




 木造二階建ての一軒家。それが彼女の自宅だった。


 家に着いたのはいいが、彼女は入る気配がない。


 玄関を目前にして、警戒するように足を止めていた。


「最初は地震だと思ったんだよ」


 彼女は思い出すのも嫌そうに、顔をしかめて語り出す。


 ついさっきまで、彼女は家でひとりでいたそうだ。


 共働きの両親は日中、留守にしている。


 大学がまだ夏休みの彼女は、ひとりの時間を満喫していたらしい。


 だが、その素敵な時間が、唐突に崩された。


 どんっ、と大きな縦揺れを感じ、一拍おいて横揺れに変わった。


 数年前の震災を思い出すほどの、激しい揺れだったらしい。


「家具の下敷きになるのも嫌だったから、慌てて家を飛び出したんだよ」


 地震のときには、なるべくじっとしておいたほうがいいのだが、危険な場所に留まるのもそれはそれでよくないだろう。


 彼女の判断が正しいかどうかはさておき、家から出た彼女は驚愕したらしい。


「地震が一瞬で止まったんだ」


 敷居をまたいだ瞬間、揺れを感じなくなったのだという。


 あれだけ激しい地震が、急に収まるはずもないのに。


 加えて、奇妙なことが起こった。


 道行く人たちが、平然と歩いている。


 中には、彼女のことを不思議そうに眺めている者も。



 あれだけの地震があったというのに、誰ひとり気に留めていなかった。


 取り乱しているのは自分だけ。



「夢でも見ていたのかと思ったね」


 うたた寝をして、寝ぼけて地震と勘違いしたのかもしれない。


 そう判断して、家に戻ったらしい。


 中は、いつも通り変わらない。やはり地震などなかったのだろう。


 そう確信して、居間でくつろいでいると、


「すぐにまた地震があったんだ」


 今度こそ、夢ではないと確信できた。


 けれど、ただの地震でないこともわかる。


 立て続けに起きたり、ぱたりと止まったり。


 それだけで充分に普通ではないが、それ以上にあり得ないことが起こっていた。


「家具が揺れてなかったんだよ」


 家具だけではない。


 目につくすべての物、家にあるありとあらゆる物が微動だにしていなかった。


 これほど激しい地震が起きているというのに、わずかにも移動しない。接着剤でぴたりとくっついているかのように。


 明らかにおかしい。そう感じたらしい。


 同時に恐怖した。


「私はそういう不思議体験とか、超常現象とかが苦手なんだよ」


 気恥ずかしそうにカミングアウトされたが、そんなことは前々から知っている。


 だから僕の家に来ることも滅多になかったわけだし。


 けれど、だからこそ今日は僕の家に駆けこむことになった。


 普通ではない出来事に遭遇して困り果てた彼女が、最初に思い浮かんだのが僕だったらしい。


「だって、あんたこういうの得意でしょ?」


 そうして骨董店に駆け込んできて、現在に至る、と。


「で、どうなの?」


 問われて、僕は彼女の家を眺める。


「そうですね。付喪神の気配はしますけど……」


 正直な感想を述べると、彼女は「ひいぃ」と悲鳴をあげた。


「やっぱ、なんかいるんだ!?」


 と怯えている。


 付喪神がいるというだけで恐怖されるのも、なんだか悲しくなってくる。


 けれど、まぁ彼女のことだから、仕方ないと諦めよう。


「その付喪神が原因とは限りませんけど。とりあえず中を見せてもらっていいですか?」


 外からでは、わかることも少ない。


 中にいる付喪神と直接話してみないと判断に困る。


 しかし、彼女はその場から動こうとしない。


「い、行くなら、あんた一人で行ってきてよ。私はここで待ってるから」


「…………」


 本当に、超常現象が怖いらしい。


 こんなに怯えている彼女の姿は珍しくて、いっそ微笑ましくなってくる。


 とはいえ、ここで笑顔を浮かべたら、彼女に締め上げられることになるだろうけど。物理的に。


 なので、真剣な表情でひとつうなずく。


「では、すこし様子を見てきます。勝手に歩き回ることになりますけど」


「かまないよ。あんたに見られて困るようなもんもないし」


 信頼されているのか、気を使う必要がないと侮られているのか……。


 どちらにしろ、僕のやることは変わらない。


 彼女を残して、ひとり家に上がることにした。


 敷居をまたぎ、玄関を通り過ぎて、彼女がくつろいでいたという居間に着いた。


「――」


 特に異変はない。


 地震が起きることもない。


 しかし彼女が嘘をついているとも思えない。


 住人しか感じられない揺れなのか、あるいは今は揺れていないのか。


「ともかく付喪神に会うのが先決かな」


 けれども、どこに付喪神がいるのかわからない。


 気配が判然としない。


 家中から付喪神の気配がして、場所を特定できない。


 こういうことは珍しい。


 これでは、なにが正体で、どこにいるのかもわからない。


「……手詰まり、かな?」


 困ってつぶやいた直後だった。


 ゆらり、と空気がざわめく。


 どこからともかく白い煙が湧き立ち、ゆらめく。


 それらが、やがてひとつに集まり、人の形になっていった。


「――」


 そうして現れたのは、妙齢の女性だ。相談者である彼女に近い年齢に見える。


 色の薄い地味な着物姿。どこか元気のない、疲れ切った表情で、こちらを見つめている。


 幸せのほうから積極的に逃げていきそうな、そんな目だった。


「あなたは――」


 声をかけようとした瞬間、



 ――出ていけ!


 激しい縦揺れに襲われた。



 すぐに横揺れに変わり、激しさを増していく。


 どこかに捕まっていないと、立っているのも危うい。


 だというのに、周囲の家具や置き物は、いっさい揺れていなかった。


「……なるほど」


 これが彼女が体験した出来事らしい。


 なんとも奇妙な光景だった。


 激しい地震のなか、自分以外のものは静止している。


 揺れるはずのものが揺れていない。


 強い違和感を覚える景色。


 ずっと見ていたら脳が酔ってしまいそうだ。


 この揺れは、あの付喪神の発言と同時に始まった。


 どう考えても、彼女が原因だろう。


「できれば、止めてくれませんか? すこし話をしましょう」


 呼びかける。けれど、


 ――出ていけ!


 それを繰り返すだけ。


 横揺れは、さらに激しくなっていく。


 けれど、ここで引くわけにはいかない。


 ヒトとモノが争うことになるのは、できれば避けたい。


 僕に解決できることなら、なるべく力になってあげたい。


 そのためには話を聞かなければ。


 粘る僕を、彼女は鋭くにらみつける。


 ――出ていけ!


 三度目の言葉。


 それを同時に、風が吹き荒れた。


 彼女から僕に向かって、突風が押し寄せる。


「……っ!」


 ただでさえ激しい揺れでバランスを崩している。そこに、この強風。


 さすがに耐えることができなかった。


 僕は風に運ばれるまま、後方へと連れていかれる。


 来た道を逆行し、玄関を抜けて敷居を越え、完全に家から追い出されてしまった。


 突風とともに飛び出してきた僕に、外で待っていた相談者は髪を押さえながら出迎えてくれた。


「ちょっと、大丈夫!? なに、この風?」


 不安そうな彼女を安心させたいけれど、僕もこの状況には苦笑するしかない。


「付喪神に会えました。でも、ほとんど話を聞いてもらえなくて……」


 唯一聞けた言葉は、


 ――出ていけ!


 それだけ。


 そのことを話すと、彼女は考え込むように唸った。


「人間嫌いで追い出したい、とか?」


「それはないと思いますよ」


 あの付喪神の名誉のために、すぐに否定しておく。


「付喪神というのは、基本的には人に危害を加えませんから」


「なんで?」


「そういうものなんですよ」


 そもそも、人間に悪意のあるモノが付喪神になることは、あまりない。


 けれど、それでは納得できないらしい。


「ちゃんと言ってくれなきゃ、わかんないって。なんでか教えなよ」


「……付喪神というのは、人間に伝えたい想いがあるから付喪神になるんです」


 感謝とか、助言とか、もっと使ってほしいという要求とか。


「害意だって、想いのひとつでしょ?」


 まったくもってその通りだ。でも、


「例えば……感謝を伝えたい相手はいますか? なるべく昔の知り合いで」


「ん? 感謝、か。それなら小学校の時の担任かな。あの人には、ちょっとした恩があってね」


「じゃあ、その頃にケンカした相手のことは覚えていますか? どんな理由でケンカをしたのかも」


「それは……私はケンカっ早いほうだったから、よく誰かと揉めてたけど……理由までとなると、覚えてないね」


「そういうことですよ。負の感情というのは、長続きしませんから」


 付喪神になるには、ひとつの想いを長く強く抱き続けないといけない。


「でも、何事にも例外はあるでしょ」


「そうですね、否定はしません」


 稀に、悪意から付喪神になるモノはいる。それでも、


「彼女はそういう感じではなかったんですよ」


 雰囲気が違った。


 人間に害をなそうという空気が、彼女からは感じられなかった。


「じゃあ、なんでこんなことしてるのさ?」


「それは……」


 僕にもわからない。


 改めて、ちゃんと話を聞いてみるしかない。


 また拒まれるかもしれないけれど、それは諦める理由には足りない。


 再び、家に踏み入ろうと一歩を踏み出す。そこで、



 ごごご、と地鳴りがした。


 まるで地震のように。



 けれど、違う。これは地震ではない。


 さきほどまでの付喪神が起こしていた揺れとも違う。


 この音は、相談者の家が軋む音だった。


 音は徐々に大きくなり、二階建ての木造建築が激しく振動する。


 そうして、崩壊が始まった。


 彼女の家は、ものの数秒で倒壊してしまった。本当にあっという間に。


「……」


 土煙が舞うなかで、彼女は呆然としている。


 長年住んでいた家が、いきなり崩れたのだ。理解が追いつかないのもうなずける。


 対して僕は、


「――」


 崩壊した瓦礫の上に、彼女を見つけた。


 さきほど出会った、付喪神を。



 ――よかった。


 彼女はそうつぶやいて、消えていった。



 同時に、家全体を覆っていた付喪神の気配が消えてしまう。


 本体が壊れてしまうと、付喪神は自身を維持できない。


 つまり、彼女の本体は――


「――――」


 やはり、人間への悪意はなかったのだろう。


 でなければ、あんな表情をするはずがない。


 最後の力を振り絞って、自分の中に住む人間を守ろうするはずもない。


 やはり、アレらは善良なモノたちだ。




 後日、彼女が店を訪ねてきた。


 もちろん店内には入ってこなかったので、僕が店先に出ることになったけれど。


「生活は落ち着きましたか?」


 訊ねると、彼女は疲れた様子でうなずいた。


「まぁね。保険に入ってたから、すぐに新しい家が建てられそうだし。その間の借家も見つかったしね」


 身辺が落ち着いてきて、やっとここに来たとのことだった。


「で、よくわからないんだけど、あれはなんだったの?」


「あれ、とは?」


「あの地震だよ! その付喪神ってのは、なんであんなこと……」


「……」


 どうやら気づいていなかったらしい。


 こういうことをあえて説明するのはあまり好きではないのだけれど……。


 しかし、彼女の意思が伝わらないというのも悲しい。


 ならば、僕が代弁者になるのが正解だろう。


「あなたは地震を感じて、外に飛び出したんですよね?」


「まぁね。家の中だと、家具とか倒れて危ないだろうし」


「つまりは、それが目的だったんですよ」


「……ん?」


 僕の言葉に、彼女は首をかしげる。まだ、よくわからないらしい。


「あの家は、崩れる寸前だったんです。中に住人がいたら、ただでは済まないでしょう。だから、あなたを家の外に追い出したかったんですよ」


「……私を避難させたかった、ってこと?」


 僕は無言でうなずく。


 それを受けて、彼女は自分の家があった方向に視線を投げた。


「そっか……私、助けてもらったんだね」


 申し訳ないことしちゃったかな、と彼女は顔をしかめる。


「助けようとしてたのに、一方的に怖がったり嫌ったり……悪いことしたね」


 ひとり言のように小さい声でつぶやく。心底、すまなそうに。


 けれど、


「そこまで気にしてないと思いますよ」


「え?」


 信じられないといった表情の彼女に、僕はあの時のことを思い出してほほ笑む。


「彼女は、あなたを助けたいと思うくらい好きだったわけですから。多少のすれ違いがあっても、彼女の気持ちは最後まで変わらなかったと思います」


 消える瞬間、彼女は笑顔だった。


 それが何よりの証拠だ。


 けれど目の前の女性は、それで納得はできないらしい。


「これは私の気持ちの問題だよ。恩を仇で返すようなことはしたくなかったって話」


 なるほど……。


「なら、その気持ちに折り合いをつけるためにも、付喪神に慣れるところから始めてみては?」


 僕はそっと、骨董店の入口を手で示す。入店を促すように。


「今回の件で、付喪神への恐怖心は薄まったのでは?」


「な……!」


 彼女は超常現象全般が苦手だ。


 だから僕の提案にも、すぐに顔色を悪くした。


「そ、それとこれとは話が別だよ! そんな魔窟に入るくらいなら、恩知らずで結構だ!」


 高らかと宣言し、逃げ去っていく。


 モノの気持ちが簡単に変わらないように、ヒトの気持ちもなかなか変わらないようだった。


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