表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/30

親愛なる君へ


 ――お盆に、海や川に近づいてはいけないよ。


 人の言葉には、耳を傾けるべきだ。

 古くから伝えられている忠言には、特に。


 そこには先人たちの知恵がつまっている。

 予期せぬ危機を回避するための手段を教え伝えるために。


 長くヒトの営みを見てきたから、わかる。

 それを無視してはいけないのだと。


 親愛なるヒトの子たちよ、これはぼくからの忠告だ。


***


 それは小学生の時の、夏休み初日だった。


 ふと、唐突に川が見たくなった。


 僕の家は、上野にほど近い商店街の中にある。


 ここからなら、近くに隅田川がある。おそらく東京でもっとも有名な川が。


 自転車なら五分ほどだろうか。


 歩いても二十分はかからない。


 せっかくの夏休み。時間は持て余している。


 どうせヒマなのだからと、歩いて行くことにした。


「――」


 そして、すぐに後悔することになる。


 あまりの暑さに、とけてしまいそうだった。


 しかし一度出てしまったのだから、仕方ない。とりあえず目的は果たそう。


 隅田川へ向けて、歩を進める。


 すこし歩くと、不思議なものを見つけた。


 郵便ポストの上に、女性が座っている。この暑い日に真っ赤なコートを着た、髪の長い女性が。


 僕の視線に気づくと、女性が手を振ってきた。


「こんにちは」


 あいさつされたので、僕も頭を下げる。


「こんにちは」


「ふふ、やっぱりキミには私が見えてるんだね」


 笑って、女性の姿は消えてしまった。まるで煙のように。


「あぁ、なるほど」


 どうやら付喪神だったらしい。


 見た目は人と変わらないから、なかなか判別がつかない。


「――」


 なぜだか、気が落ち込んでしまった。


 僕には人に見えないモノが見える。その現実を突きつけられたようで。


 付喪神が見えることは嫌ではない。むしろ嬉しい。


 モノと会話できるなんて、素晴らしいことだと思う。


 けれど、自分が他の人と違うという事実が、時に不安にさせる。


 僕が見ているモノを共有してくれる人がいないのは、なんとなく寂しかったりする。


「……行こう」


 すこしだけ沈んだ気持ちで、延々と足を進める。


 黙々と歩いていくと、ほどなくして厩橋に到着した。


 隅田川にかかる無数の橋の一本。


 橋のたもとにある階段を下って、川沿いの道に出る。


 あっさりと目標を達成してしまった。


「――」


 ひとつ、深く呼吸をする。


 隅田川は決して、きれいな川ではない。


 もちろん空気だって、途端に良くなることはない。


 けれど、なんとなく川沿いの空気というものは気分がいい。


 落ち込んでいた気持ちが、持ち上がった気がする。


「帰ろうかな」


 川に来ることだけを目的に、ここまで来た。


 もうやることはない。


 引き返そう。


 そう思った時だった。


 ぞくり、と奇妙な感覚に襲われる。


 その感覚に導かれるように視線を移し、厩橋を見上げた。


「…………」


 特に変化はない。おかしなところなど、どこにもない。けれど、不思議な感覚だった。


 これはいったい?


 疑問に首をかしげていると、



「付喪神になろうとしているね」


 不意に、後ろから声をかけられた。



「え?」


 声のしたほうへ振り返る。


 そこに男の子がいた。


 僕と同い年くらいの。深緑の着物を着流した古風な少年が。


「あの橋が、付喪神に?」


 にわかには信じられずに聞き返すと、男の子は当然と言わんばかりにうなずいた。


「あと数年か、数日か……期間はわからないけど、付喪神になる前兆だね」


 説明しながら、男の子が右手をあげた。ある一点を指さす。


「ほら、見てごらん」


 促されるまま、視線を向ける。


 厩橋に三つあるアーチのうちの中央、その上にありえないモノを見る。



 馬がいた。


 全身が緑色の、金属のような光沢を放つ、この世のものとは思えない馬が。



 緑の馬は辺りを一瞥し、空を見上げると、煙のように消えていった。


「あれは……?」


「まだ人の姿になれないんだよ。あの時期は不安定だから、色々な姿をとることがある」


 付喪神というものには、段階があるらしい。


 知らなかった。


 てっきり、ある日突然、人の姿になると思っていたから。


「厩橋だから、馬の姿をしていたのかな?」


 そんな疑問をもらすと、男の子はおそらくと同意した。


「付喪神になりかけているときの姿は、自分の名前やあり方に影響を受けるからね」


「詳しいんだね、付喪神のこと」


「まぁな。それなりに語れるよ」


 誇るわけでもなく、当然の事実を語るように淡々と言ってのける。


 それから男の子は、僕の目を見つめてきた。


「君は見える人なんだね。珍しいな」


 それは僕のセリフだ。


 同年代で、付喪神が見える人は本当に珍しい。


 加えて、彼は付喪神に関する知識も多いようだった。


 僕よりも多くのことを知っている。



 共通の話題がある。


 それはとても大きな影響がある。


 特に、これまで同じ視点で語れる相手がいなかった、僕のような人間にとっては。



 彼と親しくなるのに、時間はかからなかった。


「また会えるかな?」


 自然と問いかけていた。


「あぁ、ここに来てくれれば、大抵はいるよ」


 彼の返事を聞いて、とても安心したのを覚えている。


 その年の夏、僕は何度も隅田川へ行った。


 川沿いの道に出れば、いつも彼に会えたから。


 付喪神について、多くのことを語り合った。


 僕の知らないことを、たくさん教えてもらった。


 あの夏を経験していなければ、今の僕はなかったかもしれない。


 それくらい多くのことを学んだ。




 そうして彼と話す日々を送っていたのだが、ある日、


「明日から数日、ここには来ないほうがいいよ」


 ゆっくりと告げられた。


「どうして?」


「お盆だからね」


「……あぁ」


 そういえば、祖父に注意されたことがある。



 お盆に海や川に近づいてはいけないよ、と。


 どうしてなのは知らないけれど。



「じゃあ、お盆が明けたら、また来るよ」


「そうだね。その時に、また話そう」


 その受け答えを最後に、僕は隅田川を後にした。




 そして、翌日の僕はヒマを持て余していた。


 彼に会えないとなると、途端にやることがなくなってしまう。


 かといって、川に行くわけにはいかない。


 理由はわからずとも、あの祖父の忠告は守っておいたほうがいい。


 けれど、


「――」


 ふと、川沿いに立つ彼の姿がちらついた。


 彼はいま、どこにいるのだろう?


 常に川のそばにいる印象がある。


 僕には来るなと言ったが、彼は今日もあの場所にいるかもしれない。


「大丈夫だと思うけど……」


 不安が胸を満たす。


 もし彼が川にいて、それが祖父の忠告通りに危ないことだったなら。


 じっとしてはいられなかった。


「……様子を見るだけなら」


 そう、彼がいるかどうかだけ確認しよう。


 もしいたら、すぐに川から遠ざける。


 それだけなら、問題ないはずだ。


 決意したら、行動は早かった。隅田川に向かって駆け出す。全速力で。


 いま思い返すと、驚かされる。


 家から目的地まで、止まることなく全力疾走していたのだから。



 僕が足を止めたのは、厩橋のたもとだった。


 荒くなった息を整えながら、階段を下っていく。


 川沿いの道に出て、辺りを見回す。


 そこに、彼はいなかった。


「よかった……」


 ほっと息をつき、引き返そうとした時だ。


 異様なモノを目にした。


 隅田川から、黒い腕が生えていた。


 一本や二本ではない。


 数えきれないほどの腕が、ゆらめている。


 まるで影を固めて作ったような黒い腕が。



「――――」


 あれは危険だ。逃げなくてはいけない。



 恐怖を抱いたときには、もう黒い腕が眼前に迫っていた。



 四肢をつかまれ、口を封じられる。


 無数の腕が僕の体をつかんで、川に引きずり込もうとする。


「――っ!」


 すごい力だった。


 声を上げることもできず、必死に抗っても、じりじりと川面が近づいてくる。


 そして、一瞬の浮遊感に襲われる。


 ばしゃん、と水の中に飛びこむ音が聞こえた。




 苦しい。息ができない。


 苦しい、苦しい、苦しい苦しい苦しい――


 他になにも考えられなくなる。


 全身を黒い腕につかまれているから、もがくこともできない。


「……あぁ」


 このまま死んでしまうのか。


 僕が諦めそうになっていると、覚えのある声が聞こえた。


 ――彼から離れるんだ。


 いや、聞こえたというのとは少し違う。全身を振るわせるように、響いてくる。


 まるで川の水全体が、そう主張するように。


 その直後、黒い腕がいっせいに僕のもとを離れた。


 やっと解放されたが、もう浮かび上がる力もない。このまま沈んでいくしかない。


「――」


 だが、そうはならなかった。


 疲れ果てた僕を支えてくれる人がいたから。


 温かい手が、背中を押してくれる。


 残された力で視線を向けると、いつも川沿いにいた彼が、僕を支えて泳いでいた。



 川岸に引き上げられて、意識がはっきりするまでに、それなりに時間がかかった。


 せき込みながら起き上がると、深緑色の着物を着流した男の子が、呆れたような顔をしていた。


「来てはいけないと言っただろう?」


 さっきまで川に入っていたはずなのに、その体はまったく濡れていない。


「言い付けは、ちゃんと守らないとだめだよ」


 それもそのはずだ。


「親愛なる君への忠告だ」


 彼は、この川そのものだったのだから。




「…………」


 かつてのことを思い出しながら、今の僕は厩橋のたもとで隅田川を眺める。


 隣には、深緑の着物を着た同年代の男子がいる。


「またぼくの中に落ちてこないよう、気をつけてくれよ」


「大丈夫だよ。もうあんな失敗はしないから」


 あれ以来、お盆にここに来ることはなくなった。


 けれど、それ以外の日は、たまにこうして足を運ぶようにしている。


 近くのコーヒー屋で買ってきたカフェラテを飲みながら、二人で語らう。


「結局、あの黒い腕はなんだったんだろうね?」


「お盆の期間は、水辺が此岸と彼岸の出入り口になるんだよ」


 此岸はこの世で、彼岸はあの世。


 つまり死後の世界ということだ。


 お盆は、この世とあの世がつながりやすくなってしまう。


 だから、お盆に海や川に近づいてはいけない。


「僕は、霊感はさほど強くないはずだけど?」


「それでも、ぼくたち付喪神が見えるからね。付喪神だって、神霊のようなものだよ。彼らに目をつけられる条件としては、充分だね」


 あの腕らは、僕を道づれにしたかったのか、あるいはワラにすがるような思いで助けを求めていたのか……。


 真相はわからないけれど、彼の助けがもう少し遅ければ、どうなっていたかわからない。


「気をつけてくれよ。ぼくも話し相手が減るのは嫌なんだ」


 同年代にしか見えない彼は、我が子に言い付けるように続ける。


「君はこちら側に関わる分、危険も多いからね。なるべく注意してくれよ」


 最後に、心底心配するように付け加える。


「親愛なる友人からのお願いだ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ