おやすみ、また明日
――寂しい。
一年に一度しか会えない。それはとても寂しい。
次に会うときには、一年がたっている。
次には、ふたつ。
さらにその次では、もうひとつ。
会うたびに年をとっていく。
そうして、どんどん離れていく。
そして、そのうちに……。
それはとても寂しいこと。
***
七夕だった。
僕の家が軒を連ねる商店街では、七夕まつりが行われている。
近所の神社と一緒になって、わりと大規模なお祭りになる。
商店街には屋台が並び、浴衣姿の人たちで賑わっていた。
僕も、せっかくだからと屋台を見て回っている。
そんな中、ふと騒めきが起きた。
「――」
声の上がるほうに視線を向ける。
すると、古風な格好で着飾った一団がいた。
中心には、白塗りのお面をつけた女の子がいる。
赤い鮮やかな着物を身にまとった、小さな女の子が。
商店街を埋めていた人たちが、いっせいに道を開けた。誰もが、嬉しそうに彼女を見つめ、歓迎の声を投げる。
それもそのはずだ。
あれがこのお祭りの主役の一人、織姫なのだから。
彼女が出てきたということは……。
「……」
商店街の反対側へ目を向ける。
そちら側でも、人々が道を開けようとしていた。
人ごみが割れて、同じく古風に着飾った一団が現れる。
そちらの中心にいるのは、青い着物の男の子だった。こちらも白塗りのお面をつけている。
もう一人の主役、彦星である。
二人が商店街の中央で出会うところは、このお祭りの一番の見どころと言える。
時間は決まっておらず、目撃できるかは運しだい。
それだけに注目度も高いらしい。
織姫、彦星の登場を聞きつけて、どんどん人が集まってくる。
それでも、二人の歩みを邪魔しないように、道の中央だけは開けておくのだから日本人の気遣いは素晴らしい。
「――――」
僕はというと、元々いた位置から、二人を眺める。
祭囃子に合わせて、ゆっくりと歩みを進めていく、織姫と彦星。
まだまだ距離があった。
この恋人たちが出会うまで、まだしばらく時間がかかるだろう。
最後まで見ていくかどうか、少し迷ってしまう。
わずかに悩んでいると、
「ねぇねぇ、知ってる?」
近くで上がった声に、ふと意識を持っていかれた。
小学生くらいの女の子が、友だちに得意げに話しかけている。
「あの織姫と彦星って、近所の子から選ばれるんだよ」
この言葉に、彼女の友人たちは冷ややかな反応を返す。
そんなのみんな知ってるよ、と。
けれども、女の子はめげない。
さらに得意げに胸を張る。
「でもね、どの子が選ばれたのか誰も知らないんだよ? おかしいと思わない?」
これには、話を聞いていた子どもたちも興味を引かれているようだった。
そういえば誰からも選ばれたって話は聞いたことがない、と。
ここで、女の子は焦らすように間を置き、声を潜めて続けた。
「じつはね、織姫と彦星は毎年、同じ人がやってるんだって」
このお祭りが始まった時から、と付け足す。
戦前から続く、由緒あるお祭りだ。普通に考えればありえない。
仮にその話が本当だったなら、あの子どものような背丈の二人は、いったいいくつになるのか。
女の子の友人たちは、様々な反応を返していた。
ありえないと笑い飛ばしたり、怖いと恐れたり、気になると興味を抱いたり。
そして、同じく話を聞いてしまった僕は――
「――」
苦笑を浮かべて、肩をすくめる。
やれやれ、とつぶやきを漏らして。
それからすぐに、その場を後にした。
もうすぐ織姫と彦星が出会うが、残念ながらメインイベントは諦めるしかない。僕にも用事がある。
いったん家に帰り、身を清めた。
それから、再び出かける。
商店街の近くにある神社を目指して歩いていく。
「――――」
祭事には二種類ある。
一般の人にも参加してもらい、広く派手に執り行う、表の祭り。
屋台を出し、夜店を開いて、たくさんの人が遊ぶ。
今まさに、商店街がそうなっているように。
そして、関係者のみで行う厳格な、裏の祭り。
一般には見せてはいけない、秘匿されるべき神事。
僕はこれから、その裏の祭りに参加する。
厳密に言えば、僕は神社の関係者ではない。
けれど、僕にしかできないことがある。
元々は祖父が引き受けていた役目なのだが、その祖父が亡くなってからは僕が引き継いでいた。
大事な儀式だ、遅れるわけにはいかない。
だから商店街での見どころを諦めて、約束の五分前には神社に到着した。
「…………ん?」
ふと、神社の雰囲気がおかしいことに気づく。
やけに、ざわついている。
これから神事があるとは思えないほど、慌ただしい。
何かあったのだろうか?
嫌な予感しかしない。
「かといって、逃げるわけにもいかないか」
おそらくは僕が解決するべき問題が起きている。そのために僕が呼ばれているのだから。
覚悟を決めて、神社の敷地へ踏み入る。
奥へ進んでいくと、関係者のみなさんが困った様子で話し込んでいた。
「あの、何かあったんですか?」
手前にいた老齢の男性に声をかける。
すると、相手は安心したように息をついた。
「おぉ、ちょうどいいところに。今年も二人がごねているようでね」
「……やっぱり、そうでしたか」
そんな気はしていた。
「今、宮司が説得しているようだが……あの方だけでは、なかなか」
たしかに、彼ひとりでは難しいだろう。
「では、僕が行って、話してきますよ」
「ぜひ頼むよ。まったく、あの二人には困ったものだ……」
神職のみなさんは、呆れた様子だ。
まぁ、毎年のこととなると、仕方ないのかもしれない。
彼らに見送られて、さらに奥へと進んでいく。
敷地の隅。
小さなお社の前に、三人の人物がいた。
一人は袴姿の神職の男性。僕よりも二回りほど年上で、この神社の宮司。つまりは一番偉い人だ。
困ったように頭をかく宮司の前には、二人の子どもがいた。
赤い着物と、青い着物。そして、白塗りのお面を斜めがけした、二人の幼い子どもたち。
二人は必死な様子で、宮司になにかを言いつのっているようだった。
だが、宮司の反応は芳しくない。
なんと応えたらいいか、わからないかのように。
「――」
僕は三人に近づいていく。
すると、まずは赤い着物の女の子が、僕に気づいた。
「おぉ、来たか! 久しいな!」
それに続いて、青い着物の男の子が頭を下げる。
「ご無沙汰です。元気そうで、よかった」
快活に笑う女の子と、優しく微笑む男の子。
つい、性別が逆なのではないかと疑ってしまいたくなる。
けれど、そんな気持ちは表に出さず、僕は姿勢を正して恭しく一礼した。
「お久りぶりです。今年も見事な歩き姿でしたよ。お疲れさまでした」
「よいよい、そう畏まるな」
「ボクたちは歩くだけだから、それほど疲れてもいませんよ」
笑顔で答える二人に、けれど僕は再び一礼した。
「それでも、このお役目はあなたち二人にしかできませんから」
七夕まつりの主役である織姫と彦星。それを毎年担当しているのが、この二人だった。
さきほど話していた女の子の噂話は、間違ってはいないということだ。
「……」
いや、担当とは違うか。この二人そのものが織姫と彦星のようなものなのだから。
「さて、そろそろお社に戻っていただく時間ですが……」
僕のこの言葉に、
「嫌だ!」
「まだ眠りたくないです」
二人して、首を横に振った。
頭に斜めがけにしていたお面を取り、奪われないように抱え込む。
木製の、織姫を模したお面と、彦星を模したお面。
このお面こそ、二人の正体だった。
「ワタシたちには今日しかないからな!」
「社に入ってしまったら、また一年眠ることになっちゃいます」
「一年で今日一日しか自由に動けないのだから!」
「今日のうちに、めいっぱい遊ばないともったいないじゃないですか」
「そういうわけだから!」
「一緒に遊んでください」
息ぴったりに、主張してきた。
「さて……困りましたね」
ため息をつく僕に、宮司が歩み寄る。
「お二人はなんて? すまないが、私には声がはっきり聞こえなくてね……」
「これまでと同じですよ。遊んでからでないと眠りたくない、と」
「やっぱりそうか……」
宮司は他の人に比べれば、付喪神を見る力が強い。
けれど、はっきりと会話することはできないらしい。
だからこそ、僕が毎年呼ばれているわけだ。
けれども、
「あなた方なら、誰とでも話せるようにできるでしょう?」
そう、この二人は神として祀られるほどの付喪神だ。
並の付喪神と一緒にしてはいけない。
本気を出せば、誰の目にも映るし、誰にでも声を届けられるだろう。しかし、
「めんどい!」
「疲れますから……」
とのことだった。
とても神様の言い分とは思えない。
「それは困りますね。遊びに行きたいのであれば、誰の目にも見えるようにしてもらわないと。どこにも連れていけませんよ」
「……なら、仕方ない」
「そうしたら、遊んでくれます?」
同時に首を傾げた二人に、僕はゆっくりとうなずいた。
「いいですよ。せっかくなので、屋台を見て回りましょう」
この言葉に、二人の子どもが声を上げて飛び跳ねる。
対照的に、宮司は焦った様子で詰め寄ってきた。
「そ、それは困る。もう社にお戻りいただかないと……」
「彼女たちには今日しか自由がないんです。すこしくらい羽を伸ばしてもいいでしょう?」
「だが、大事な面だ。何かあっては取り返しがつかない」
「僕がしっかり監督しますから」
「しかし……」
迷う宮司に、期待の視線を向ける二人の子どもたち。
彼女が一歩詰め寄ると、彼も続く。
すでに二人の姿がはっきりと見えているのか、宮司もたじろいでいた。
そして、諦めるように肩を落とす。
「わかった……なるべく早く帰ってきてくれ」
宮司からの許可に、喜ぶ子どもの声が、ふたつ上がった。
とはいえ、祭りの格好のままでは目立つ。祭りの目玉である織姫と彦星の着物は、みんなが知っているのだから。
そう相談すると、二人は瞬時に服装を変えてしまった。赤い浴衣と、青い甚平に。
服が自由自在とは、付喪神は便利なものだ。
「……」
ともかく、どこからどう見ても近所の小学生になった。これでなにも問題はない。
二人を連れて、屋台が並ぶ商店街を練り歩いていった。
わたあめを食べて、金魚すくいをし、焼きそばを食べて、くじ引きをする。
リンゴ飴を食べて、射的をし、チョコバナナを食べて、たこ焼きを食べて、じゃがバタを食べて、串焼きを食べて……。
「…………」
この神様たち、食い意地が張りすぎてはいないか?
神様なのに……いや、神様だからこそ、なのかもしれない。
散々食べ続けた二人は満足げだ。
「食べた食べた!」
「一年分は食べました」
別に食いだめをする必要もないはずだけれど。
まぁ楽しそうだから、なにより。
「――」
けれども、しかし、楽しい時間はいつまでもは続かない。
屋台が着々と店じまいを始めている。
祭りの終わりだ。
「みんな帰り始めましたね。僕たちも、そろそろ帰りましょうか?」
提案しておいてなんだけれど、ごねられると思っていた。
さっきまで眠ることを嫌がっていた二人だから。
けれど、そうはならなかった。
「うむ、満足したから帰るとしよう!」
「遊んでくれて、ありがとうございました」
すんなり受け入れてくれた。
そのことが意外で、すこし面食らってしまう。
「どうした? ほら、帰るぞ!」
「神社まで、手をつなぎましょう」
右手を織姫のお面に、左手を彦星のお面に握られて、引っ張られる。
僕らは三人横並びで、歩みを進める。
商店街から神社は、そう遠くない。すぐに到着するだろう。
すこし歩いただけで、鳥居が見えてきた。
「――?」
途端に、二人が足を止めた。
「どうかしましたか?」
問いに、赤い浴衣の女の子がうつむく。
「社に入ったら、また一年眠るのか……」
「そうなりますね」
二人はこの祭りのためだけに作られたモノだ。だからなのか、七夕まつりの日にしか姿を現すことができない。
「でも、大丈夫ですよ。ずっと眠っているんですから一年後といっても、お二人にとっては明日のようなものでしょう」
僕の言葉に、二人は声をそろえて言った。
「だから怖いんだよ」
震える声で、続ける。
「ねぇ、来年も会える?」
「……はい、もちろん」
「再来年は? その次は? そのまた次は?」
「え……?」
立て続けの問いかけに、答えあぐねる。
彼らはなにを求めているのか?
どうしてそんな質問をするのか、真意がわからない。
けれど、すぐに理解した。
「次、目がさめたときには、あなたはひとつ年を取っている」
哀しそうに告げる。
「その次は、ふたつ。そうして、みっつよっつと老いていく……」
ふと、二人が僕の目をまっすぐに見つめてきた。
「そのうちに会えなくなる」
「――――」
「前の人には、会えなくなっちゃった」
「それは……」
僕の祖父だ。
人間である以上、年を重ねることは避けられない。
けれど、モノである二人が老いることはない。
神社に祀られている二人は、これから先も長く存在し続けるだろう。
いつまでも大事に扱われる二人を残して、知っている人は次々といなくなってしまう。
「それは、なんだかとても寂しい……」
二人はうつむいてしまう。
考えてみれば、あたり前だ。
一年に一日しか目覚めない。
ならば、彼女たちにとっての数か月が、人間にとっては途方もない年月になっている。
彼女たちが二カ月を体感すれば、僕はもう老人になっているだろう。
同じ時間を生きることすらもできない。
想像してみると、たしかにそれは……。
でも、僕は二人に微笑みかける。
「大丈夫ですよ。少なくとも、来年は会えます」
子どもたちが顔を上げる。
「本当に?」
「えぇ。それに、あと数十年は保証しますよ。できるだけ長生きするつもりですから」
「また遊べる?」
「もちろん。また屋台を見て回りましょう」
二人が一緒に微笑む。
双子のように似た笑顔で。
とても晴れやかに。
「それを聞けて良かった。安心して眠れる」
織姫と彦星を模したお面は、僕とつないだ手を同時に強く握った。
また会えることを願うように。
そうして、しばしの別れを惜しむように、告げた。
「おやすみ、また明日」




