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【幕間】私の中にある言葉


 私の中に言葉がある。


 言いたいこと、伝えたいこと、伝えなきゃいけないこと。

 けれど――


 それがどんな言葉なのか、わからない。


 ただただ、口に出さなくてはいけないという焦りだけが、こみ上げてくる。

 この気持ちがなんなのか、どうすれば理解できるのか、誰に伝えたいのか……


 自分のことなのに、答えは見つからない。


***


「――痛っ」


 ペキッという軽い音のあと、指先に痛みが走った。


 まさか――という不安に襲われながら、右手に目を向ける。


 そこには、ひとつのまち針がある。おばあちゃんが大事にしていたまち針が。


 そして、私の不安は見事に的中していた。


 手の中のまち針は、真ん中のあたりでぱっくりと割れてしまっている。


「そんな……」


 あまりのショックに声が漏れる。


 けれど、続きの言葉は出てこない。


 この感情をどう表したらいいのか、わからない。


 だって、おばあちゃんがあんなに大事にしていたのに……。


「……」


 まち針は一目見ただけで古いとわかるもので、赤いバラから針が出ているような形で。


 おばあちゃんが若い時にアンティークショップで見かけて、気に入ったものらしい。


 とても大事にしていて……なのに、私の手の中にあるそれは修復不可能なくらいキレイに折れてしまっている。


「どうしよう? ……どうしようもない、よね」


 まち針はもう戻らない。


 その事実を冷静に理解すると、その後にがつーんと脳を揺さぶられた。


 なんとも言えない感情が、一気に押し寄せてくる。


 悲しいとか、辛いとか、申し訳ないとか、そういうことではなくて。


 正体のわからない、焦りのようなものが責めたててくる。



 ――おばあちゃんに言わなきゃ。


「でも……なんて?」



 謝らなきゃいけない?


 ううん、違う。


 そうではないことだけは、はっきりとわかる。


 でも、じゃあ何を言わなきゃいけないのだろう?


 伝えなきゃいけないことがあるはずなのに、その言葉がわからない。


 口に出したいのに、正しい言葉が見つからない。


 心臓がどきどきして、息がつまって、視界がぼんやりとにじんで――



 気づいたら、涙が流れていた。



 悲しかったわけではない。


 痛くて泣いているわけでもない。


 ――ただ、自分の気持ちを表現できないことが辛かった。



 涙はなかなか止まらなくて、声を押し殺して泣き続ける。


 そこで、不意に声をかけられた。


「お嬢ちゃん、どうかしたの?」


 顔を上げると、そこには優しそうな顔のおばあさんがいた。


「どうしてそんなに泣いているの?」


 心配そうに尋ねられる。


「私は、その……えっと……」


 返事をしようとしたけれど、頭の中がぐちゃぐちゃで言葉がまとまらない。


 何も言えないでいると、そのおばあさんは私の手にあるものに目を止めた。


 少し驚いたあとに、私を安心させるように笑顔を浮かべる。


「針が折れてしまったんだね。だったら、いい所があるよ」


「……いい所、ですか?」


「おいで」


 おばあさんは私の手を取って歩き出す。


 突然のことに驚いたけれど、そのおばあさんの手がとても暖かくて安心して……身を任せてもいいと思えた。


 だから、おばあさんに案内されるまま歩き続ける。




 そうして数分も歩くと、人通りの多い道に出た。


 カメラを構える人たちと、たくさんの外国人観光客に、人力車を引く男性。


 朱色の門に、「雷門」と書かれた大きな提灯。


 浅草寺の入口だった。


「さぁ、こっちだよ」


 おばあさんはさらに歩き続ける。


 雷門をくぐって、たくさんの観光客の中を縫うように進んでいく。


 しばらく進むとまた大きな門があって、その先には浅草寺が。


 多くの人が、参拝のためにそこへ向かっている。


 けれど、おばあさんは左へと曲がってしまった。


「あの……そっちに何かあるんですか?」


 私の質問に、おばあさんは優しい笑みを返す。


「えぇ、お嬢ちゃんが行くべきところが」


 私が行くべき?


 よくわからないけれど、このおばあさんのことは信用できた。


 まるでずっと前から知っているように。


 だから、手を引かれるまま歩いていく。


 そして到着したのは、浅草寺に比べれば小さなお社だった。


 入口には淡島堂と書かれている。


「ここは……?」


 どうしてこんなところに連れてこられたのか、まだわからない。


 けれどおばあさんはあたり前のように笑顔で。


「さぁ、いってらっしゃい」


 ここまで私を引いてきた手で、お社のほうを示される。


 促されるまま歩を進めると、お社に手書きの文字が掲げられているのに気づいた。


「針供養……針に感謝の日……?」


 そういえば、聞いたことがある。


 折れてしまった針や錆びた針を供養する行事がある、と。


 今日がちょうどその日なのかもしれない。


 だったら確かに、ここは私が来るべき場所だ。


「――」


 ひとつだけ大きく呼吸する。


 気持ちの整理はまだつかないけれど、だからこそ行かなければならない気がする。


 お社の中に入ると、そこに不思議なものがあった。


 四角くて平たいお皿に豆腐が入っている。とても大きな豆腐で、十人くらいの人がいないと食べきれないくらい。


 その豆腐には、たくさんの針が刺さっていた。


 ということは、


「ここに刺せばいいんだよね?」


 折れてしまったまち針を、空いているスペースに刺し込む。


「――っ」


 不思議な感覚に、息が止まる。


 なんだか、少しだけ気持ちが軽くなった気がして、そっとまち針から手を放す。


 その直後だった。


 私が刺したまち針が、煙のように消えてしまった。


「……え?」


 あまりのことに驚く。


 針が消えてしまったことではなく。


 私が針を刺した場所の隣に、まったく同じ針があったから。


 赤いバラのまち針。


 真ん中でぱっくりと折れてしまって、とても修復できそうにない。


 だから、供養のためにここに持ち込まれたのだろう。


「あぁ、そうか……」


 すっきりした気持ちで、振り返る。


 後ろには、ここまで私を連れてきてくれたおばあさんが、優しい笑顔で立っていた。


 だから、私もおんなじような笑みを浮かべる。


「おばあちゃん、いつも私を大事に使ってくれて――ありがとう」


 そう、この言葉を言うために、私は生まれたんだ。


 だから――


 徐々に体が薄れていく。


 でも怖くはない。


 だって、伝えたいことは言えたから。


 私の中にある言葉を、はっきり見つけることができたから。


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