夢見る夜の来訪者
不思議な夢を見た。
大きな大きな螺旋階段。
その階段をゆっくりと、そして延々と上り続ける夢。
上っても上っても終わりはなく。
どうして上っているのかもわからない。
頭上を見上げてみると、螺旋はどこまでも続いている。
そして、ふと下を覗いてみると……
――これまで上ってきた階段が消えていた。
跡形もなく。
上りのみが用意された螺旋階段。
それはまるで、
――もう後戻りはできない
そう言われているようだった。
***
「……っ」
はっとして、目を覚ます。
不思議な夢だった。
呼吸が荒い。
嫌な汗をかいている。
もしかしたら、うなされていたのかもしれない。
「……」
息を落ち着けて、やっと周囲に目がいった。
やけに暗い。
時計を確認すると4時過ぎ。まだ起きるような時間ではない。
「……寝直そう」
そうして布団をかぶったときだった。
――こんこん
静かなノックの音が届く。
部屋のドアにしては遠い。おそらく玄関からだろう。
気のせいか、とも思ったけれど、
――こんこん
再びのノック音。
「こんな時間に誰だろう?」
無視するのも申し訳ない。
起き出して、階段を下りていく。
その間もノック音は止まない。
玄関に着いて、戸に手をかける。
「――」
そこで、ノックが止んだ。
こちらの存在に気づいている?
嫌な予感がしたものの、ゆっくりと戸を開けてみる。
外には男が立っていた。
長身で黒い法衣をまとっていて、左手に薄く汚れた壺を持っている。
もう片方の手は、さきほどまでノックをしていたとわかる高さで固まっていた。
「……」
服装だけを見れば、神職のヒトだろう。
けれど、ヒトの形をしているだけで、ヒトではない。
それには頭がなかった。
首から上が、すっぽりと欠落している。
「……付喪神」
長らく大事にされたモノに意思が宿り、ヒトの姿を取ることがある。
彼がその付喪神であることは、すぐにわかった。
けれど、目的がわからない。
困惑している僕を見て、法衣の男が肩を揺らした。
「やぁ、はじめまして」
「……あなたは?」
「いやいや、ボクが何者かなんてどうでもいいじゃないか。こうして出会えた奇跡に感謝しよう」
大きな身振り手振りを加えながら話す様子は、まるで舞台役者のようだ。
男は一瞬だけ動きを止めて、それから両手を大きく開いた。
――その夢、売ってくれないか?
特別な響きの声だった。
付喪神はヒトに伝えたいことがあるから、ヒトの形を取る。
彼らには、それぞれ大事な想いがあって。
それを言葉で伝えるために、付喪神になる。
彼にとっては、今の言葉が『それ』なのだろう。
「――」
だからこそ、返事に困る。
下手なことを言えば、命に関わる。
しかし、思案する僕に、彼はおどけたような動きを見せた。
「あぁ、そんなに警戒しないでおくれ。ボクの言葉は、文字通りの意味しかないからね」
「夢を売ってほしい、と?」
「そう。君の見た夢が、とても面白そうだったのでね」
さっき見た夢のことだろうか。
延々と螺旋階段を上る夢。
振り返ると、これまで上った階段がなくなっている。
「……面白い夢ではないです」
「それは買って、見て、ボクが判断するよ」
少なくとも、と彼は続けた。
「とても良い夢の匂いがしたから、わざわざ出向いたんだ。手ぶらでは帰れない」
なるほど、僕が見た夢の内容を知っているわけではないのか。
夢の匂い――
付喪神ならではの独特な嗅覚を持っているのかもしれない。
――その夢、売ってくれないか?
この言葉から他意は感じられない。
「……いいですよ。こんな夢でよければ」
「おぉ、ありがたい! では、さっそく――」
男が右手を翻す。
手のひらを上にして、僕のほうに向ける。
指を一本ずつ閉じて、最後にぐっと握り込む。
それからパッと手が開かれた。
「――」
何もなかったはずの手に、小さなモノが乗っていた。
一粒の金平糖のように見える。
ほのかに光を放つ、深い青色の金平糖。
「これは良い色だ。味わうのが楽しみだね」
男は満足そうに頷くと、左手に持っていた壺に金平糖を落とし入れた。
「…………」
不思議な感覚だった。
ついさっきまで覚えていたはずの夢の内容が、思い出せない。
頭からすっかり消えてしまっている。
うなされていたという感覚と、理由のわからない不安だけが取り残されていた。
「……もう後戻りはできない」
そう思わされる夢だったことだけは覚えている。
僕の小さなつぶやきに興味を持ったのか、男がないはずの顔でこちらをのぞき込んできた。
「後戻り、か。んー、今の夢に関する言葉のようだね」
「あぁ、いや……」
気にしないでください、と続けようとしたのだが、男のほうが早かった。
「大丈夫、その道は正解だ」
役者のような大仰な動きで断言する。
かなりの自信と確信が垣間見えた。けれど――
「……どうして言い切れるんですか?」
この付喪神とは初対面だ。
僕の事情なんて知っているはずもない。
だというのに、どうして断言できるのか?
僕の疑問に、男は大きく手を広げた。
「信じて進んだ道が間違いだったなんてこと、あっていいはずがないじゃないか」
「……強引な考えですね」
「そのくらいのほうがいい」
男の身振りがいっそう大きくなる。まるで熱が入るように。
「他の道もあったかもしれない。でも、もう進んでしまったんだ。進むしかないなら、この道が正解だったと思うべきだよ」
「――――」
なるほど、そういう考え方もできるのか。
確かにそうだ。
どうせ後戻りはできないのだから。
間違いかもしれないと思うより、この道でよかったのだと信じたほうがいい。
すぐに実践できる気はしないけれど……。
内心でため息をついていると、法衣の男が思い出したように肩を跳ねらせた。
「おっと、忘れるところだった。夢のお代を払わないとね」
彼は右手を壺に入れて、じゃらじゃらと中を探る。
「君に良いを夢を贈ろう」
そこに、たくさんの夢が詰まっているのだろう。
彼がこれまでに買った夢を交換でもらえる、ということか。
けれど――
「お代は結構ですよ。もう充分にもらいましたから」
「ん?」
男がビタリと動きを止めて、じっと僕を見つめる。
「んー……なるほど、確かに払い終えている感覚だ」
「えぇ、あなたに会えてよかった」
「そう言ってもらえると嬉しいね。機会があれば、また買わせてもらうよ」
言い終えるなり、男の姿は消えてしまった。
「あんな付喪神もいるんだね……」
まだまだ知らないことばかりだ。
祖父に比べて、僕はまだ未熟者だから。
骨董店も十全に回せているとは言い難い。
とはいえ、もうこの道と決めて進んでしまったのだ。
なら、信じて進み続けるしかない。
もし迷ったら、彼の言葉を思い出せばいい。
――大丈夫。その道は正解だ。




