光の王子と闇の魔物
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「お嫁さんを探して旅をしてるんだよね」
能天気な発言をかます少年から、闇の塊が呆れたように距離を取る。むやみやたらと振り撒かれる綺羅々々しい笑顔に、ついうっかり触れてしまったら危険だと判断したのだろう。
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ここは闇が集まり、闇が支配し、闇の魔物が住まうという闇の森である……そのはずである。
山々に囲まれた深く暗い鬱蒼としたこの地を訪れる人間は滅多にいない。暗黒の獣が地上のあらゆる穢れを吸い込み、森全体を毒素で汚染しているため、普通の人間は近寄るだけで体調を崩し精神を病み、死に至る場合さえあると言われる。
だのに何故この少年は平然と森に侵入してきたのか。人々から邪悪の化身のごとく忌避されている闇の魔物と呼ばれる存在は、森の中を楽し気に闊歩する人の姿を見つけたとき、さすがに驚愕を隠せなかった。
アールレイン、と少年は名乗った。
「アルでいいよ。ええっと、闇の魔物さん?」
さらさらと揺れる金髪に琥珀色の瞳という組み合わせが、湿気った重い森の雰囲気にそぐわない。あどけない満面の笑みは、人間であれば誰もが魅了されるほどの輝きを纏っていた。
黒い靄に覆われた闇の塊に警戒心もなく近寄ってくる。むしろ魔物の方がたじろんで後ずさってしまい、両者の距離はなかなか埋まらなかった。
『……何故、人間がこんなところに?』
低く地を這うような声で闇の魔物が訊いた。
『穢れに触れればただでは済まないはず』
「そういう噂は確かに聞いたけど」
爽やかな笑顔のまま少年……アルはついと小首を傾げる。
「僕の一族は得意なんだよね。特殊体質というか」
『そういえば、最近できたどこかの国の王族は、闇に耐性がある光の種族だとか聞いたような……』
「うちの建国って三百年は前だけど?」
『最後に人間と話したのはその頃かもしれない』
「……長生きなんだね」
人間とは異なる時間間隔で生きる異形の言葉を受けて、アルは意外そうに琥珀の瞳を瞬かせた。
闇の魔物は気にも留めず再び尋ねた。
『その光の国の王族が闇の森まで何の用が? 魔物退治に来たとでも?』
「まさか」
アルは誤魔化しもせず即座に否定した。
すがすがしいほどあっさりと、こんな森に用はなかったと続ける。
「僕はこの森を抜けて、もう一つ山を越えた向こうの国に行く予定だったんだ。道に迷っただけでね」
白く長い指の先から不可視の光が零れるような仕草で、アルは北側の険しい山間を指し示す。黒い靄の奥にある魔物の視線がつられて動いた。
『北には古い小さな国があった。……今も?』
「あるよ。聖なる国と称えられている。聖女がいるって噂の」
聖女の二文字を口にした瞬間、琥珀の瞳が憧れの色を含んだ。
なるほど、と魔物は呆れ返って茶化す。
『女か』
「聖女だよ。世界で最も清らかで美しい女性らしい。だから僕は彼女に会って確かめたい」
次期王妃に相応しい花嫁を探す旅をしている。
光の王子はそう、熱っぽく語った。
『女目当てにこんなところまで迷い込むなど、迂闊にも程がある』
闇の魔物は親切心よりは殆ど厄介払いの体で忠告する。
『悪いことは言わないからさっさと森を抜けた方がいい。いくら耐性に優れていても、長くいたら保証はできない』
「……なんだか驚いたな」
アルは面白い生き物を発見した際の子どもの表情で暗黒の主を見つめた。
「怖くないし、親切だし、わりと気さくだ」
『別に』
悪名轟く不吉の象徴らしくないと評され、魔物は僅かに戸惑う。
『私がどういう態度でも、人間にとって忌むべきものには違いない』
「そもそも害意はないんだね? 僕が光の種族であるように、あなたは闇の眷属だっただけと、そういうわけ?」
『だから?』
歩み寄ろうとするアルは、容赦なく冷たく拒否された。
『私が人間に有害であることは変わらない。間違っても直接この穢れには触れないように。そして早く森から去ってほしい』
「そうだね」
同意しつつも、アルは悩ましく空を見上げる。
魔物は訝しく思ったが、すぐその逡巡の理由に思い至った。
『ああ……雨か』
呟きと同時に水滴が森の木々を滑った。
徐々に雨足が強まってきたのを見て取り、魔物は仕方がないといった風情でアルを促した。
『こちらに。……近づき過ぎてはいけない。距離を置いてついて来なさい』
「わかった」
アルは素直に魔物の後を追いかける。
雨が勢いを増すにつれ、姿が見通せないほど濃く深く魔物を覆う黒い靄が、だんだん薄く小さくなっているように思えた。
怪訝そうな眼差しに気づいて、魔物が端的に説明する。
『水は穢れを流す』
「へえ」
『それでも一晩程度の雨では完全に消えたりはしない。まあ多少なり軽減するから、そういう日は人間が足を踏み入れることもある、が』
その多くは生きて戻れはしない。
水が滴る音のせいだろうか。魔物の低い声は微かに哀しく響いた。
魔物はこじんまりとした小屋にアルを導いた。
人間の家と同じ造りの扉を開けると、寝台やテーブル、椅子などの家財道具の揃った部屋があった。埃も被っておらず、つい先刻まで誰かが住んでいたかのようだ。
「ここは……誰の?」
『さあ? 昔はこの闇の森にも人間が棲息していたのかもしれない』
雨宿りにでも使うがいいと言い残して、魔物は踵を返す。
想定を遥かに超える善意を施され、アルは面喰いながらも慌てて礼を言った。
「ありがとう! あの、訊きたいんだけど!」
速やかにと立ち去ろうとするも呼び止められ、魔物は少しだけ歩を緩めた。
『食糧はないから自分の手持ちで賄うしかない。水は……雨でも貯めて』
「じゃなくて」
『他に何か?』
「訊きたいんだけど。あなたの名前」
『え』
輝くばかりの微笑みで尋ねられれば、無下にするのは難しかった。
アルは期待を込めて無邪気に要求を投げ掛ける。
「教えてください」
『な、……ま、え』
久しく失われたそれを、魔物はすぐに口にすることができなかった。記憶の奥底を延々と辿ってようやく思い出す。
自分はいつ、どこで、どのように、何と呼ばれていただろう。
『私は』
「うん」
『……ウェル』
『メイラウェル。ウェルと呼ばれていた』
◆ ◆ ◆
光の王子を小屋に置いて離れた闇の魔物ウェルは、森の片隅にある小さな洞窟に姿を隠す。
雨は夜半には上がるだろうから、一夜だけ防げればいい。そう判断して自らの住まいをアルに譲ったのだ。
「うぁぁぁぁ……」
ひとりになり、ウェルは遅れてきた動揺に身を悶えさせる。
「吃驚した。まさか人間とまともに話せるなんて」
信じ難いが、未だ治まらぬ鼓動が夢も幻も否定する。早鐘を打つ胸に手を当て深く呼吸すると、ウェルは多少冷静を取り戻した。
情けないことに、闇の魔物などと恐れられても正体を見ればこんなものだ。瘴気の集合である黒い靄に包まれたウェルの本体は、人間と差異はない。
アルの言っていた通り、光の一族に対して闇に属する存在ではあるのだろう。
大気に漂う負の力や穢れと呼ばれる淀みを集め吸収する体質、とでも言うのか。遠い昔、既に潰えたウェルの血脈は皆「そう」だった。
喰らった汚泥をゆっくりと体内で浄化する。もっと一族が多かった時代は、ここまで滞留することもなく、人間とも共存できていた。
ただし数代前の話だ。
今は唯一残ったウェルのみでは不浄を始末し切れない。闇の森とまで呼ばれ、人間を避け続けて尚、不幸の灯火に吸い寄せられる者は限りなかった。
森に立ち入った者はかつて幾人もいた。陥れられ、或いは罰を与えられ、捨て置かれる者も少なくなかったからだ。身体を害しても無事抜けられればまだましな方で、殆どが息を引き取り樹々の養分となった。探してみればそこかしこで白骨を見つけられるだろう。
そんな不吉の場所に、まさか対極とも言えるお客人が現れるなど、気の遠くなるほど長く生きてきたウェルにとっても初めての経験だった。
「光の王子様、なんて」
ウェルは忘れ得ない煌めく笑顔を思い浮かべる。
陽を透かした粒子に包まれ、この昏い森に在ってさえ輝きを失わない。まだ多少の幼さが残る顔立ちは10代半ば、高く見積もっても後半といったところか。王族だけあって佇まいには清廉さと気品を感じさせる。
男女の機微の一つも知らぬウェルでも、彼が女性に人気があるだろうことはわかる。探さずともいくらでも美しい姫君や可憐な令嬢が花嫁候補の列をなしそうだ。
「世界で最も美しく、清らかな……花嫁か」
聖なる国の聖女を語る憧憬に満ちた眼差しを思い出し、ウェルは無自覚に気を落とした。
あの古い小国の成り立ちは知っている。
定期的にどこからか力ある無垢な少女を召喚し、聖女として据える。聖女は生まれ持った清めの力で国を守護し、時には闇の森まで遠征して来ることもあった。世を覆う災いの根源として、闇の魔物を討伐するために。
ウェルの血族が屠られ数を減らした結果、森の闇は更に色濃く深くなり、今は聖女であっても軽挙には近寄れないほど瘴気に包まれている。
もし、光の王子が聖女と結ばれ小国が力を増し、不可侵の森に挑めば自分はどうなるだろう。
孤独に生きるのも飽いたので我が身の行く末は特に興味も執着もないが……闇の魔物が穢れを集めなくなった時に世界の営みに影響はないのか。
杞憂に過ぎずとも、ウェルは気にかけずにはいられなかった。
◆ ◆ ◆
数日経ったが、麗しの光の王子は未だ立ち去ろうとしない。
天候が安定しておらず、森を抜け山を越えるには危ういというのが理由だ。確かに雨は降ったり止んだりを繰り返し、地はぐずぐずとぬかるんでいる。
今日こそは旅立ったかとこっそり小屋に様子を見に行くと、待っていたと言わんばかりにアルがウェルを見つけ、これまでの無聊を慰めるかのように矢継ぎ早に言葉をかける。
毎日……慣れてしまいそうになるほど毎日の出来事だ。
「やあ、ウェル。今日も空の様子は芳しくないね。またぞろ降り出しそうだ」
『……いい加減にしてほしい。一体いつまで居座り続ける?』
本心では安堵しながら、ウェルはうんざりとした演技をする。
人間と話すのは嬉しい。魅力的な相手であれば尚更だ。だが、反面懸念もある。闇の森に、闇の魔物の近くに長く居続けることは、おそらくアルの心身に悪い影響を及ぼす可能性が高い。
「晴れたらね」
ひとの心配も知らず、アルは呑気に言う。
『聖女はどうする?』
「もちろん、そのうち会いに行くよ。でも今日はウェルと話をしたい。……昨日の続きだ。ウェルと最後まで共にいた闇の一族は、その後どうなった?」
『……その代の聖女に殺された。いいから早く消えて、聖女の元に行くといい。そして、できれば彼女を説得して、私を放置するよう諭してほしい。未来永劫こちらから手を出すことはないから、森の安寧を破るな、と』
「なるほどね」
素っ気なく言い放つウェルに向けられた視線は、冷静ではなく、やや怒気を孕んでいた。
苛立ち交じりの声音に、何が気に障ったのかとウェルは戸惑う。
『アル?』
「いいよ、望み通り聖なる国に行く」
つまらなそうに呟くと、アルは曇天を見遣った。
その動きに合わせて、雲の切れ間からから一筋、もう一筋と光が木漏れ指す。ようやく崩れた天候が戻り、重い空が晴れていくのが見て取れた。
『さようなら』
振り返らない後ろ姿に、ウェルは小さく別れの言葉をかける。
胸の片隅がちくりと傷んだ。
アルが去った後の小屋に戻り、ウェルは久方ぶりの寝台に突っ伏す。取り替えていないシーツには自分のものではない残り香があった。
「やっとゆっくり眠れる……さすがに洞窟でずっと寝泊りは、身体に堪える。本当に迷惑極まりない」
苛々と悪態を吐くと、ごろりと身体を捻って仰向けになる。
小さな空間に狭い天井、殺風景な室内……食事を摂ったり娯楽に興じたりする必要のないウェルにとっては、ただ休むだけの、しかし人間のように生活していた時代の唯一の名残であり、身を護る砦であり、安らぎの場所だ。
なぜ異物の侵入を許してしまったのだろう。
相反する光の存在に気後れでもしたのか。
何百年ぶりかの会話の相手に浮かれていたのか。
「名前なんて訊かれたから」
情が移ってしまったのかもしれない。
怯えもせず、まるで人間に対するように、魔物であることを忘れているかのように、アルは優しく柔らかくウェルに接してくれた。
間違えてしまった。
温もりに似た何かを知った後、どうして変わらず平然と孤独を喰むことができるだろう。
名を訊かれた。生活を訊かれた。身内について訊かれた。いつから生き、いつまで生きるのか訊かれた。寂しくはないかと……そう、訊かれた。
どれも答えたくない問いばかりだ。
「決まっている」
つ、と眦から雨ではない水滴が流れる。
ウェルの視界はぼんやりと歪んだ。
「さみしいよ」
◆ ◆ ◆
もう二度と会うことはないと思い出に押しやった人物と再会したのは、別れてからたったの一月後だった。
森にやってきたのは、今度は彼だけではない。
小さな少女が数名の騎士を従えている。闇の森に蔓延る穢れは少女の張った結界に阻まれている。
ふんわりとした焦げ茶の巻き髪が歩く度にゆらゆらと震える。清楚を称えた瞳がウェルの纏う深い闇を捉えた。
「あなたが、闇の魔物?」
鈴を転がす高い声が誰何する。
アルの隣で当然に佇む姿を見て、ウェルは彼が花嫁を見出した事実を知った。
美しい光の王子には、美しい聖なる乙女が相応しい。そんなのは当たり前だ。
彼岸の彼方にある手の届かぬ情景は、眩しすぎてウェルに痛みすら齎す。
なぜ、アルは戻って来たのだろう。
やはりウェルを殺すためだけに、再び戻って来たのだろうか。
害意はないのに、人間を脅かす意思は欠片もないのに、ただ独り生きているだけなのに。
孤独に溺れることすら罪なのか。
ウェルは絶望に耐えられない。
『……如何にも、私が闇の魔物』
打ちのめされ、投げ遣りにウェルは答える。
『何故、人間がこんなところに?』
「あなたを清めるためよ。闇の魔物さん」
アルと出会った日と同じ疑問を投げれば、聖女はまっすぐにウェルを見つめながら宣った。
淀みも歪みもない、自信に満ち慈愛に満ちた白い光が聖女を包む。同じ輝きを放つアルが華奢な肩にそっと手を置き身を支える。
「サナ」
「わかっているわ。これが……闇の魔物。あなたの言った通りね」
仲睦まじく身を寄せ合う二人から、ウェルは目を逸らす。
見たくはなかった。
片や独りで在ることも赦されぬ悪しき魔物、片や世界の祝福を受け結ばれる王子と聖女……。
何という不条理、何という不運か。
何と救いがなく、何と呪わしい我が身か。
それでも……闇と恐れられ石以てぶつけられても、この世の均衡のためにウェルは滅びに抗う必要がある。
聖女から浄化の矢を受けながらも、ウェルは森の最奥へと駆け、逃げ出した。
光の矢が背中から次々と襲い掛かる。
ウェルを取り巻く黒い靄が削られていく。
矢が当たっても傷を負うわけではない。浄化の力で穢れや瘴気が払われていく。
走り続けるウェルを、一直線に追って来る気配があった。
身体的にも体力的にも人間と大差ないウェルは、肩で息をしながら振り返る。聖女の騎士が魔物を屠るべく迫って来ているのだろうか。
『……え』
気がつくと、ごく間近に琥珀の双眸があった。
アルは真剣な面持ちでウェルを見据えながら、その腕を掴む。
「逃げないで」
『え……あ、触ってはいけない。アル、アルが穢れに侵されてしまう。だから』
「大丈夫」
放して、と抵抗するウェルを、闇の魔物の本体であるか細い身体を、アルは抱きしめるように引き寄せた。
そのまま、
信じ難いことにそのまま、
アルの手はウェルの顔をぐっと上向かせ、
衝動のまま唇が奪われた。
森は光に満ち溢れ、既に闇のという形容詞はそぐわない。
アルがウェルに口づけた瞬間、凄まじい浄化の力がその身から溢れ、自身どころか森全体に広がる負の因子をすべて清め払ったのだ。
「……何が」
へたり込むウェルを、見かけより逞しいアルの腕が抱き止める。青みがかった長い銀の髪を、愛おしそうに撫でた。
「やっぱり」
「アル?」
濃い蒼玉の瞳が怪訝そうにアルを映す。
アルは腕の中に納まった美しい女をぎゅっと抱き締めた。
「僕にはずっと……君が魔物ではなく綺麗な女のひとの姿に見えていた」
「ええ?」
「最初に気づいたのは、雨が降ってきた時だよ」
甘い声が耳元で囁かれる。白い頬をさっと赤らめ、ウェルは恥ずかしそうに身を捩った。
「一目惚れだった」
「まさか」
突然の告白にウェルは目を瞠く。
くすりと微笑んで、アルは再び唇を啄んだ。
「ふ、あ」
「なんで疑うの」
「だって、そんな……私は、人間じゃない。魔物。アルは、せかいいち清らかな、花嫁を」
「君は確かに闇を従える種族だけど、穢れを集めるのは浄化するためだ。本当に、僕が気づかないとでも思った?」
これでも光の種族の世継ぎなんだけど、とぼやき、アルは咎めるように、或いはウェルの言葉を塞ぐように、またしても口づけを繰り返した。
深く執拗に口腔を弄られ、ウェルは息も絶え絶えになる。
「……やっ」
「君は世界一清らかで、綺麗なひとだよ」
「でも……あのひとが、あなたには、聖女が」
「ああ、彼女には力を借りただけ」
ウェルの嫉妬すら嬉しそうに、アルは腕の力を強めた。
「血族がいなくなって、君だけでは浄化の力が足りないのがわかった。原因はかつての聖国なのだから、当代の聖女が協力するのが筋だろう? そう説得して同行してもらった。幸い、彼女……サナは君に同情的だったよ」
「じゃあ……」
すべてウェルの勘違いだったと言うのか。
アルを信じてもいいのだろうか。
人肌の温かさに包まれ、ウェルは徐々に言い訳も抵抗もなくしていく。
「メイラウェル」
どこまでも優しい瞳がウェルの迷いを掬った。
もはや彼しか知らない彼女の本名を呼ばれ、尊い宝のように大事に腕に包まれては、否定も拒絶も困難だった。
「メイラウェル……ウェル、お願いだ。僕のものになって」
「アールレイン」
ウェルも彼の本名を呼び、少し背の高いアルの顔を見上げ、そっと見つめ返す。
「アル」
「アルが好き。お願い、私の傍にいて」
求愛に囚われ、ウェルは望んで虜囚となった。
大きな背中を抱きしめ返すと、アルは堪え切れず唇に、額に、頬に、首筋に唇を這わす。
気恥ずかしく、いくらか心地よく、ウェルは降り注ぐ恋情に応えた。
光の王子は花嫁を得た。
そして不幸な闇の魔物は永遠に、この世から消えたのだ。
<完>
ありがとうございました