噴水<完>
歳月は流れ、私は大学四年生になった。
結局、シラトリくんからメールが来ることは一度もなく、 私からも謝罪がしたくてメールを送ってはみたが、 既に彼のアドレスは変更されていた。
電話番号は知らないため、 遂には連絡手段が絶たれてしまったのだ。
どうにか彼に会おうと、 私は何度か催された高校の同窓会には全て顔を出したが、 彼が来ることは一度も無かった。
そんな中、私もアルくんも就職先が決まり、 残りの大学生活を楽しんでいると、 12月の頭にアルくんから突然プロポーズを受けた。
とりあえず、そのことを親に相談するため、 返事をイブまで待って貰ったが、その親は案外あっさりと快諾。
私自身、結婚するには少し時期尚早かと思いつつも、 イブの返事は固まっている……と思う。
欲をかくなら、結婚云々の前に、シラトリくんの件について、 彼にどうしても謝っておきたいのだ。
今さら釈明できないのは分かっているし、 彼が私と会いたくないことも重々承知しているが、 どうしても謝らなければいけない気がする。
色々な思いが交錯する中、 私は卒業式の日にシラトリくんと写った写真を削除できずにいた。
消してしまうと、 いよいよ罪悪感に押しつぶされてしまうのではないかと戦き、 堪らない気持ちに陥るのだ。
無論、このことをアルくんは知る由もない。
しかし、私に為すすべはなく。この問題を抱えたまま、来たるイブを迎えてしまうのだった。
例年通り、街はそれなりにカップルや家族で賑わっていた。
私は夕方の5時にアルくんと街で会う約束をしており、 例に倣って、アルくんは待ち合わせに遅刻していた。
「うー、寒い。アルくんめ、今日も遅れやがったな」
私は噴水の近くのベンチで座って、 まるで忠犬ハチ公のように彼のことを待ち続けた。
でも、あの時のシラトリくんは一向に来ない私を、 こんな風に待ち続けたんだよね。
「私が言えた義理ではないか……」
どうしても、一言謝りたかった。彼の気が晴れるのであれば、 殴られることさえも厭わない。だから、もう一度だけ……。
「…………。ん?」
ふと前を見ると、大勢の人で群衆を成していた。その中に、 懐かしい顔が一瞬見えた気がした。
「シラトリくん?」
私は目を疑った。両目1.0の目を必死に細めた。 しかし何も変わらなかった。やはり人混みの中には彼がいた。 髪の色が変わっていた。他は何も変わっていなかった。
「シラトリくん!」
私はすかさず立ち上がった。 止めどなく流れる人混みに向かって走った。寒さなど忘れていた。 相変わらず胸は揺れなかった。バッグをベンチに置き忘れていた。
「あっ……」
私の目に映ったのは、彼が誰かと話していて、 ポケットに突っ込んだ彼の腕の間に、 他の人の腕が刺しこまれている光景だった。
彼は絵に描いたような幸せそうな顔で、 もう一つの腕の持ち主である、 私とは真逆の小柄な女性に喋りかけていた。彼は一人っ子のはず… …。
私は走っていた足を止め、特にたじろぐこともなく、 その様子をただただ静観していた。
同時に、私の心の中でつっかえていた沈殿物は、 まるで雪解けのようにスーッと解けていった。
いつしか彼の姿が見えなくなると、 私は豁然として悟ったようにベンチへと戻る。
しばらくボーッとしては、白い息を少し吐く。それは、 ため息とは少し違う、安堵に似たものだ。
「……固陋の思いにとらわれていたのは、私だけだったのか」
置いていたバッグからおもむろにスマートフォンを取り出すと、 まなじりを決した私は、卒業式に彼と撮った写真を遂に消した。
「……ありがとう」
そんな出来事から数分後、彼は私の目の前に現れた。
「アルくん」
「ごめん!コトちゃん」
「いいもん、高ーいコーヒーでも……」
「ちょっとプレゼントを選んでて」
「……あっ」
やば。結婚だとかシラトリくんだとかで、 プレゼントのことを完全に忘れていた。 今日は恋人にプレゼントをあげる日でもあるのか!
「買ってない……」
「あはは、忘れたの?」
「ごめん、私から高いコーヒーをば」
「別にいいよ。代わりに、 俺からのプレゼントを受け取ってほしい」
「…………えっと、これって」
「指輪。……今ならあの時の言葉、言ってもいいかな」
「え、あ」
「俺を、コトちゃんの夫役に迎え入れてくれないか?」
あの時は気味悪がった表現。前々からプロポーズはされていたが、 この言葉をいざ四年越しに聞いてみると、 あまりの嬉しさに心中舞い上がってしまい、 足が地に着かなくなってしまった。
しかし私は狼狽えそうになるのを必死に堪え、きちんと襟を正し、 毅然とした態度で彼の気持ちと向き合った。
「…………。そう、あの時の文言は今日への布石だったんだ」
「偶々だけど、そうしておくよ」
「……うん、いいよ。夫役、お願いできるかな?」
凡そ数え切れない八百万の白色光に景色を溶かされたこの日。 私にとっては『彼』もまた、その一つだったのかもしれない。
朧に飾る噴水のもとで、 いま私は真っ直ぐと貴方だけを見つめている。