パスカル
「あら、いらっしゃいアルくん」
くだんの用件でデート先が私の家になってしまったわけだが、 母親は帰ってきた私に対し、 えらく不気味な笑みを浮かべて迎えてくれた。
「お母さん、今日も……」
「常套句はいいから、私の部屋に行くよ」
一刻も早く裏をとりたかった私は、手洗いもせずに、 脱兎の如く階段を登って自分の部屋へと向かった。
「手紙は……あった」
机の少し奥の方に眠っていた手紙を取り出し、 それを机の上に置いた。
「コトちゃん、これが手紙?」
「うん。一応、自分の字じゃないか確認してみて」
静かな部屋に、くしゅくしゅと紙の声がこだまする。同時に、 私は本棚から卒業文集を粛々と探す。
「……うん、俺の字じゃない。俺の字はもっと小さいもん」
「字は身長に比例すんのかね」
「そこ、うるさいぞ」
「あ、文集あった」
私は文集を取り出して、シラトリくんのページを開き、 それを机の上に広げて置いた。
二人で手紙の字と見比べる。しばらくして、 お互いに目を合わせると、恐らくは同じであろう結論を、 私から口にする。
「……そうだよね?」
「だろうね」
「これ、同じ筆跡だよね?」
「うん。これは似てないとは言わないかな」
「……そう、だったんだ。シラトリくんの手紙だったんだ……」
半年越しの勘違いはあっさりと解決したが、 代償として鬱々とした『罪悪感』が、 私の心に沈殿物として残ってしまった。
やり場のない気持ちに侵された私は急に全身の力が抜け、 ベッドに思いっきり体をばたんと預けることしかできなかった。
「でも、本当に相手がシラトリだったら、 中庭でコトちゃんと会ったときに告白してたんじゃない?」
「あの時は周りに人がいたし、私と会ったのも急だったし、 告白するには最悪のコンディションだったと思うけど」
「まぁ、そうか……」
恐らく、 シラトリくんは大学に入ってからも私との関係を続けていけば、 いつかは告白に漕ぎ着けられるだろうと考えていたのかもしれない 。
中庭での『メールしてきてね』 という発言がそれを暗に意味していた気がする。
しかしあの日以降、彼からメールがきたこともなければ、 私から一度だけ送った時も『ごめん、忙しい』と、 はねのけられたのだ。
もしかしたら、私とアルくんの関係を、 誰かから仄聞していたのかもしれない。
「コトちゃんはどうするの?」
「……どうするって?」
「俺と別れて、シラトリと付き合うの?」
「そんなこと、できるわけ無いじゃん」
現に私は、アルくんのことが好きだ。自分の気持ちを偽ってまで、 今さらシラトリくんと付き合うことはできない。
でも、もしあの時、私が遅れることなく屋上に行っていたならば… …。
「コトちゃん。さっきから気になってたんだけど、 この手紙に書いてあるように12時に待ち合わせってことは、 コトちゃん遅刻してない?」
「……言ってなかったっけ?」
「まあ、会話の流れから何となく察してはいたけど」
「……。はい、仰るとおりで、それこそが諸悪の根源です」
「じゃあ……コトちゃんが時間通りに行ってたら、どうしてたの? 」
告白されることに尻込みせず、勇気を出して行っていたならば…… 。
「……たらればなんて野暮ったいよ。そんなの、 そうなってみないと分かるわけ無いじゃん」
クレオパトラの鼻が高かったから、 アントニウスは彼女に翻弄されたのだ。
私が時間を守らなかったから、私は今、 貴方とこうやって一緒にいるのだ。
仮定の話なんて烏滸の沙汰だと、 私は心の中で必死にせせら笑ってやった。




