プロローグ
「お兄ちゃん、地球外生命体が攻めてきたよ」
きらりと光るサングラスを指先で下へとずらし、ちらりと薄氷色の瞳をのぞかせたクーナは唐突にそんなことを言ってきた。
膝を曲げ、ベッドに寝転んでいる俺と視線の高さを合わせ――真剣味をつけるためだろうか端整な顔がグッと近づいてきた。
普段のゆったりとした部屋着から男性物のスーツに着替えているが、まっさらなワイシャツを盛り上げる巨乳が眼前に運ばれる。その豊かさにはつい、意識しなくても目を向けてしまう。
高校一年生にしてはち切れんばかりに胸部は成熟している。
サイズが合っていないのか第二ボタンがぎちぎちと小刻みに震えているのは気のせいではない。
色気にやられて目玉を下に向けてしまったが、さすがによくわからない冗談に返事をする気力はなかった。
俺が無反応を保っていると、時間の経過と共にしびれを切らしたのかクーナは見つめるのをやめて背筋を伸ばした。
腰に片手をあてて「もうっ」とつぶやきながら思案顔に変化。
やがて、何かを思いついたのかポンッと握り拳を開いた手の平に落とした。両腕を組んでぐいっとバストをすくいあげて強調する。
上目遣いで瞳をうるうるさせ、こちらを誘うような煽情的な眼差しを向けてくる。
なんか――疲れてきた。
「妹よ。兄は悲しみで忙しい。ほっといてくれ」
ベッドに寝転がっていた俺は寝返りを打って背を向けた。
ともかく俺は――自室のベッドで大の字になって心を閉ざしていたかった。
なぜなら昨日、俺は学校で好きだった先輩に振られてしまったのだ。
だから……ふて寝することで傷心を癒している。
ああ、これが青春の痛みというものか――胸がどんよりとして重苦しい。
それにしても俺の何がいけなかったのだろうか?
俺は控えめにいっても外見は細マッチョなハンサムガイだ。性格だって最高にハイってやつだし、恋愛というライヤーゲームに負ける要素なんかないはずだ。
紳士的にふるまえるように告白の言葉だって入念に吟味した。
半年近く悩みに悩み、勇気をふり絞ったのだ。
『将来、俺は先輩のために素敵なお墓を用意しますっ! きっとご満足頂ける納骨になると思いますっ!』
綺麗な夕焼けをバックにして。
シンプルかつストレートで真摯な想いを告げた。
いずれ獲得するだろう経済力をうっすらと匂わせ、遠い未来の約束をすることで誠実さもアピールできたのだ。
そんな努力も虚しく、先輩は凄く嫌そうな顔つきになり、眼前で腕をクロスさせて×マークを作った。
女心は秋の空と表現するが、俺には何がいけなかったのか理解できない。悲しみだけがこみ上げて来る。人生の最終局面まで計算して緻密に演出したというのに。
――いや、ちょっと待てよ。
冷静に考えると……葬儀屋のセールストークみたいではないか?
墓に一緒に入ろうイコール夫婦、という構図を示すためだったのになぜこんなことになったのだ?
「ちょっと、お兄ちゃん。いつまで砕け散った恋心を引きずってるの」
「黙れ。俺は傷ついた心を癒してるんだ。翼を失った悲しきエンジェルだからな」
「社会から堕天しちゃうからそういう気取ったセリフは止めた方がいいよ」
「お前に俺の心のラビリンスは解けないよ」
「お兄ちゃん……そりゃあ、失恋して辛いのはわかるよ。私だって、お兄ちゃんみたいに女の子一人つかまえられないような惨めで冴えない凡庸な男に生まれたらとっくに絶望してたと思うよ。でも、いい加減に生ゴミみたいに腐ってないで立ち直らなきゃ!」
ねっ、と両手拳を胸元に持ってきて可愛らしく微笑むクーナ。
俺はこいつの顔面に問答無用で鉄拳をめり込ませ、愛の教育的指導をしようか悩んだ。
だがしかし、性格が尖りまくっていても妹のクーナは自慢するだけのことはあり、憎たらしいくらい顔立ちは整っている。
くっきりした猫目には細長く跳ねたまつ毛、唇は濡れたように色艶があり、小鼻と頬骨の曲線もほどよい位置に収まっている。
すらっとした手足ときゅっと引き締まったくびれ、きめ細かい白肌はみずみずしく魅力的な健康美。
さらさらの絹糸のような質感を持つ蜂蜜色の金髪は輝きを放ち、女子が羨ましがるほどキューティクルだ。
何よりも特徴的なのは――はち切れんばかりの乳房だ。
驚嘆に値する実り具合。ワイシャツのふくらみは否が応でも目につく。
なまじスタイルがいいのでそのアンバランスな大きさにはごくりと生唾を飲んでしまう。
目線で気付いたのかクーナは「くふっ」といやらしい笑みが張りついた。
これ見よがしに胸元を両手の平でぐいぐいっと寄せる。
「んん、おっぱいが気になっちゃうのかな? Fカップだよぉー……ねぇ触りたい? どうしようかなぁ~、お小遣いくれたら考えちゃうかもぉ」
「教育的指導」
露骨な色仕掛けと家庭内援助交際は許されない。
俺は素早くベッドから滑り降りてクーナの後ろに回りこみ、チョークスリーパーを極めた。
「うげげげげげっ! ちょぉおおお、首が絞まってる、絞まってるって!」
「俺が本気出したら漁獲用の網で女子の一人や二人くらいは簡単につかまえられるんだからな。この緋村鉄次、失恋したとて妹の色仕掛けなどに惑わんっ!」
「それは単なる誘拐っ! 犯罪だからねっ! ちょ、マジきついって! ごめんっ! 自分、調子乗りましたっ! 勘弁してくださいっ!」
気道を絞めたり、緩めたりしてもてあそんだが、腕を二回叩いて降参したので放してやった。
ぜえぜえと呼吸を荒げ、クーナは両手と両膝をカーペットにつき、恨みがましい視線をぶつけてくる。
再び俺はベッドに腰かけて素知らぬ顔で流した。
クーナの悪ふざけへの制裁は昨日今日に始まったことじゃない。スルーするに限る。
――ゴトン
と、一階から妙な物音がした。
何かが床に倒れたかのような衝突音だ。
「クーナ?」
「だからー……地球外生命体だって。私たちの愛と肉欲の巣を攻めてきてるの」
「まだそんな誇大妄想に囚われてんのか……宇宙人がなんで俺の家を攻めにくるんだよ。ペンタゴンとかホワイトハウスとかもっと行くべきところがあるだろ」
「宇宙人じゃなくて地球外生命体。人間の形してるのは少ないよ」
「どっちだっていいよ。そいつが美女の形をしてないなら、俺にとって無価値だよ」
「お兄ちゃん。地球人にも美女がいるのにどうして宇宙人に美女を求めるの? 何? 宇宙人なら冴えない俺にもワンチャンあるとか考えちゃうタイプ?」
「おい、クーナ。俺の忍耐の限界に挑戦するな。俺の精神はいつだって危険なTo LOVEるを抱えているんだからな。お前の発言は限りなく俺をダークネスにしちまうことを覚えとけよ……いいか、地球外生命体なんて俺の家には来ない。来る理由がないからな」
とはいえ、忍び込んだ野生動物とかならいるかもしれない。
我が家の愛猫の一郎丸が一番有力候補でもあるが、あいつは普段はおとなしい。考えたくもないが、泥棒である可能性もある。
俺は部屋の隅に壁掛けてある掃除機のホース部分を引き抜き、手に持って肩に抱える。
この家で唯一の男である俺が外敵を排除しなければいけない。
それが緋村家長兄としての責務だ。
なぜだか、女の子座りをしているクーナは正解を告げるように人差し指を立てた。
「私がエージェントだから来るって」