第一話 うるわしの祖国グリトンとわたし
グリトン王国についてお話しさせて下さい。
人口は五千人足らず。城下町といくつかの農村を抱えるだけで精いっぱい。王国と名乗るのが少し恥ずかしい小さな国です。
国土のほとんどが森と広大な田畑で占められていて、農業が盛ん。穀物の輸出で国の財政はなんとかなっています。
ああ、観光事業もなかなか好調です。
「まさに時代に取り残された楽園……」
「隠居にぴったりの土地ですな」
「頭をからっぽにしたいときに来たくなるわ」
「なんと言えばいいのか、その、素朴な国だ!」
……と、大人気です。馬鹿にされている気がしますが、大金を落としてくれるなら文句はありません。
グリトンはとても安全な国なんです。他国の王侯貴族の方々がお忍びでやってくるほどなんですよ。
建国から三百年経ち、大陸でも古株の部類に入るのに、有史以来領土が拡大も縮小もしておらず、不変の王国と揶揄されています。戦争の経験はほぼありません。
兵は弱小。
外交はへりくだり。
取るに足らない田舎の小国。
にもかかわらず他国に侵略されることも、民衆に玉座を簒奪されることもなく、グリトン王家は三百年の平和を築いてきました。
それはなぜか。
王家の血筋が先祖代々妖精たちに溺愛され、えこひいきされているからです。
今の時代、妖精を見たことない人もたくさんいるでしょう。
大陸の常識では一生に一度見るかどうかですが、グリトンで普通に生活していれば一週間に一度くらいは遭遇します。妖精目撃ツアーなんて観光企画が成り立つわけですね。
妖精は手乗りサイズの小さな生物で、形は人間だったり動物だったりします。虹色の羽根で飛び、姿を消したり現したり自由自在。人間にはない不思議な力を持っています。
性格は気まぐれで悪戯好き、そして少々高慢です。基本的に「人間風情が」と見下しているのです。
「あ! クッキーがない! ステラ叔母さんのクッキー! また妖精に盗られたんだ!」
……なんてことがよくあります。何度被害に遭っても口惜しいです。
実はグリトンは妖精の力によって興ったという、大陸でも稀有な王国です。
三百年前、人間の男が妖精の姫君と出会って恋に落ちました。やがて姫君が羽根を捨てて人間になり、男と結婚して子どもを産みました。
その子のあまりの可愛さに妖精たちはメロメロになり、以来、彼らの子孫を守り慈しむことを決めます。
姫君の子どもが妖精の力で故郷を発展させていき、やがて王となってグリトン王国を造ったのです。
妖精の加護の力は絶大です。
グリトンは他国と比べて災害が極端に少ないし、重い伝染病も流行しません。
何か悪いことが起こるときは事前に教えてもらえます。お告げです。
妖精にベタ惚れされた王の時代は、農作物が毎年豊作になり、飢饉に喘ぐ国々に輸出してウハウハになったとか。羨ましいです。
また、他国から侵略の危機がもたらされたこともありますが、敵将軍が国境の森に入った瞬間に怪死したらしく、以来手を出されなくなりました。恐ろしく過保護です、妖精。
もちろん、何でもかんでも叶えてくれるわけではないです。
お父様の腰は治してもらえませんし、お兄様の行方も教えてくれません。
その辺りのさじ加減は謎です。一度起こった物事をなかったことにはできないという説が有力です。
とにかく今も昔もグリトン王国は妖精の加護ありきの国。
妖精に愛され、妖精の姫君の血を引く王家を、国民の皆様は心から敬愛してくれています。
しかし、今の王家には一人だけ妖精に愛されず、国民にも疎まれている者がいるんです。
隠しても無駄ですね。それがわたし、プラム・レンレ・グリトンです。
王家の人間は基本的に病気にかかりません。妖精に守られていますから、馬鹿じゃなくても風邪一つ引かないのです。
ところが、です。
わたしは六歳のとき、妖精の怒りを買った者がかかるという奇病“黒手形病”を患い、人前に出られなくなりました。
全身に小さな花のような黒い痣がぽつぽつ浮かぶ、とっても忌々しい病気なのです。呪いと言ってもいいですね。
正直に申し上げまして、わたしには妖精を怒らせた覚えがありません。お父様やお兄様に幾度となく原因を尋ねてみても口を濁すばかり。
なんだか理不尽です。
悪いことをしたと糾弾されているのに理由を教えてもらえないなんて、反省の仕様もないですし、どうやって弁明すればいいのか分かりません。
当時六歳ですから、無邪気にとんでもないことをやっていてもおかしくありませんけど……。
我ながら恐ろしい子。
理由が分からないまま、「ごめんなさい。すみませんでした」と毎日枕元で謝っていたら、十歳の誕生日にようやく痣が消えました。許されたようです。
それは嬉しいんですけど、結局妖精の加護は戻らず、わたしは病弱な体になっていました。ちょっと外に出ると風邪をもらって帰ってくるので、やはり部屋で療養する日々が続きます。
十二歳頃、免疫やら抗体やらができたらしく、健康になってきました。
が、時すでに遅し。
妖精を怒らせ、寝てばかりの姫なんて、国民にとってはいい迷惑でした。またいつ妖精の不興を買い、今度は国レベルで呪われないかとハラハラしているわけです。
「さっさと他国へ嫁いでくれないかな……」
「病弱のお姫様なんて貰い手がないんじゃないか」
「ひどい不美人なんだろうさ。なにせ妖精様に嫌われるくらいだし。ハハっ」
……みたいな感じです。お忍びで城下町に出かけたときに偶然聞いた言葉です。わたしはまた寝込んでしまいました。病に倒れる前ちやほやされていた記憶がある分、そのショックは途方もないものでした。フィジカルだけでなく、メンタルも弱くなっていたのです。
以来、わたしは引きこもりです。
嫁ぐといえば、実は一度だけ他国から縁談が来たこともありました。
お相手は医療が発達した国の第三王子様。子どもが産めなくてもいいという破格の条件でしたが、
「プラムちゃんの体を切り刻んで、ウチらに愛される血の謎を解明するつもりだよー。あんまり愛されてないけどねークスクス」
……というお告げで取りやめになりました。危なかった。このときばかりは妖精に感謝しました。
ちなみにグリトン王家の血は、他国には歓迎されるか気味悪がられるか微妙な位置づけです。あ、グリトン姓を捨てた時点で加護はなくなるので、嫁いだ国に妖精の力を奪われる心配はないです。
とにかくこの歳まで話がないとなると、もう他国との縁談はないでしょう。
その点は幸運でした。
だって、わたしには好きな人がいるんです。
できるだけ望まぬ結婚は避けたいじゃないですか。
その点だけは馬鹿……お兄様にも共感します。王族だって恋愛結婚したいです。
まぁ、わたしには王位を妹に押し付けて出ていくなんて無責任でアクティブなことはできませんけどね! いろんな意味で!
……はぁ、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
このままグリトンで肩身の狭い思いをしながら慎ましく暮らし、好きな人にじわじわアピールして結婚に漕ぎつける。
そんな受け身で非生産的な情けない人生設計をしていたところ、今回の女王即位の話が降ってきたわけです。
妖精の加護はない、国民の支持率も低い、自他ともに認める引きこもりダメ姫のわたしが女王……?
絶対無理! 断固拒否!