第十二話 人と妖精の国の女王
翌日、わたしは他の婚約者候補のみなさんを集め、深く頭を下げました。
「わたしはエミルが目覚めるまで、誰とも結婚いたしません。ううん、目覚めてからもエミル以外とは……申し訳ありません。婚約のお話、なかったことにして下さい!」
エミルのことを包み隠さず全て話すと、みなさんは「仕方ない」と引き下がってくれました。大人の対応です。
ミカルドさんだけは「なんだよ、あいつ……ズルい奴だな。結局ずっと姫様を独り占めじゃん」と膨れていましたが、とても心配していらっしゃるようでもありました。
「シュナグ様も……お役に立てず申し訳ありません」
「いいえ、いいのです。私の完敗です。おかげで目が覚めました」
「え?」
「戴冠式、楽しみにしています。お体に気をつけて頑張ってくださいね」
シュナグ様の吹っ切れたような微笑みに、わたしはとても勇気づけられました。
迎えた戴冠式当日。
わたしは水色のブレスレットに触れ、自分を奮い立たせました。
これはエミルの部屋の机から発見されました。あの日わたしが誕生日プレゼントとして贈ったこの世のものとは思えない切り絵のカードと一緒に。
捨てないでいてくれてありがとう。
式が始まり、左右から臣下に腰を支えられたお父様から、頭にグリトンの王冠を載せていただきました。
拍手はまばらでした。「あんなに若い女王で大丈夫なのか」「ていうか前国王は大丈夫か」と危ぶむ声が聞こえてくるようです。
わたしは各国からの来賓と臣下たち、城前広場に集まった国民の前に立ちます。
たくさんの目。みんながわたしの女王としての第一声を待っています。
身が竦むような思いがしましたが、大丈夫。
このままエミルを失うことに比べれば、こんな恐怖、あってないようなものです。
「わたしは自他ともに認めるダメ姫でした。そしてこれからしばらくは、ダメ女王と呼ばれるのかもしれません。今日この日から、脈々と受け継がれてきた妖精の加護が薄れる日々が始まります。妖精とともに歩むグリトン王家の血を引きながら、わたしは幼い頃、妖精を怒らせて呪われてしまいました。今もまだ、わたしは妖精に嫌われています」
どよめきが起こります。
正直に話そうと決めていました。それが今のわたしにできる唯一のことです。
わたしがここに立っていられるのは、一人の従者が呪いを肩代わりしてくれたから。
その人の信頼に応えたくて、その人を助けたくて、立派な女王になることを決意した。
国ではなく、個人的感情のため。
そんな意識低い系の女王なのです。
「だけどそれだけじゃありません。たとえわたしは妖精の加護がなくたって、グリトンを守って見せます。決して不可能ではありません。だって他の国には妖精なんていない。グリトンだってやってやれないことはないはずです」
心臓が痛い。ドキドキを通り越して、バクバクいってます。
「だけど、わたし一人が頑張っても、きっと国は良くなりません。どうかわたしにみなさんの力を貸してください。ここは人間の国です。女王として困ったとき、わたしは妖精ではなくまずあなたたちを頼りたい。
わたしが間違えそうになったとき、大切なことを見落としそうになったとき、教えてほしい。わたしは必ずその言葉を受け止めて応えます。わたしはここにいる国民のみなさんとその愛する人、全てを守る女王になります」
王冠を外し、わたしは深々と頭を下げました。
「どうか、わたしを支えて下さい。お願いします!」
国民たちの戸惑いは大きくなるばかり。
いつ不満や怒りの声が上がるのか、ひやひやです。
不意に声が止みました。わたしは顔を上げ、目を見開きました。
国民たちを背に、ルイス先生、ダグさん、ミカルドさんが立っていました。三人ともわたしに真剣な眼差しを向けています。
怒っているのかもしれない、と思いました。婚約の件や今のスピーチが許せなくて、苦言を呈するつもりかも。
相変わらずネガティブな予想に反し、彼らはその場に跪きました。
「テーナー一族を代表し、私、ルイス・テーナーはプラム女王に忠誠を誓います」
「ダグ・アチェル及びグリトン王国兵団一同、同じく新女王のため忠義を尽くすことをお約束します」
「アレイドラサ商会からミカルド・アレイドラサも、同じくプラム様にお仕えします!」
今日一番のどよめきが起きます。
き、聞いていませんよ、こんな展開! サプライズです!
頭が真っ白になりました。
「恋愛ではエミルくんに完敗した我々ですが、臣下としては負けません」
「こんなときにそばにいない男に、一番の従者を名乗らせないっす」
「いやー、俺は恋愛でも延長戦希望だけど? 抜け駆けした卑怯者にばっかり良い格好させられないし。そういうことだからさ、女王様、これからよろしく!」
信じられない思いでわたしは問います。
「ど、どうして……?」
「強いて申し上げるなら……口先だけのダメ女王にならないよう、見張らせていただきたいからでしょうか。これからは甘やかしませんよ。女王陛下、晴れの日に泣いてはいけません。もっとふさわしい表情を我々に見せて下さい」
ルイス先生がさっそく間違いを教えてくれました。
そうですね。その通りだと思います。
「はい。よろしくお願いします!」
わたしは涙を拭って笑いました。
その瞬間、わぁっと大きな歓声と万雷の拍手が響きました。
全く、グリトンの国民は流されやすいですね。でも嬉しいです。わたしは必ずこの人たちに応えて見せます。
戴冠式の後、お母様は発狂しました。
本当ならこの場でシュナグ皇子との婚約を大々的に発表する予定だったのに、取りやめになったと気づいたからです。ええ、お母様の耳に入ると面倒なので黙っていました。
「どうしてなの? こんな良縁、百年先にもないのですよ。それをたかだか従者なんかのために――」
「いくらお母様でもエミルを侮辱したら許さない!」
言ってやった。言ってやりましたよ。
初めてお母様に真っ向から口答えしました。
お母様は怒りで顔を赤くし、わなわなと震え出します。
「こちらのセリフです! 許しません! どんな手を使ってでも、シュナグ皇子と――」
「申し訳ありません、王妃様。私はメーテルシアに帰ることにいたしました。なので、プラム殿下とは結婚できません」
礼服に身を包んだシュナグ様が現れ、頭を垂れました。
お母様はショックのあまり卒倒してお付の者に運ばれていきました。あれ、わたしのメンタルの弱さはもしかしてお母様譲り?
「……お国に帰られるって、まだ帝位継承権の放棄ができないはずでは?」
シュナグ様は遠い空を睨み付けながら言います。
「私は大切なことを見落としていました。自分の身の安全だけを考え、我が帝国の未来をまるで考えていなかった。逃げてはいけなかったのに」
三人の兄皇子の中にはとても次期皇帝にふさわしいとは言えない人物がいるそうです。それこそ私利私欲に走り、民のことなど全く顧みない者が。
「私は、戦おうと思います。彼を絶対に皇帝にはしない。他の兄のことも見極める。そのために継承権の放棄は見送ることにします」
必要とあらば私が。
シュナグ様の声にはそんな決意が滲んでいました。
「プラム陛下、いろいろとお世話になりました。このご恩はいずれ必ずお返しします。いつかメーテルシアにも遊びに来て下さい。心より歓迎いたします」
最後に友好の握手を交わし、シュナグ様をお見送りしました。
夜です。
戴冠式はみなさんのおかげで何とか終わりました。
しかし舞夜の宴は独力で頑張らねばなりません。人間側はわたしと弟のシトロンのみの参加なのです。
「母上様が寝込まれて、父上様が嬉しそうに看病をしています。僕は父上様に代わりに見届けるように頼まれました。頑張って下さい」
六歳のシトロンが淡々と言いました。実は離れて暮らしていたので、この弟とはほとんど話したことがありません。少し見ない間に、大人びた表情をするようになりましたね。すごくしっかりしている……お姉ちゃんのことも分かるようです。良かった。
森の儀式場にやってくると、すでに妖精たちが集まっていました。もしかしたらストライキ的なことをされるかと思いましたが、ちゃんといましたね。
どうやらわたしに物申したくて集まったようですけど。
「プラムちゃんったら、よくもぬけぬけと顔を出せたものね」
「ねぇ~。妖精には頼らないんじゃなかったのー?」
「ユピラン様もレザンくんもシュナグちゃんもいなくなっちゃってつまんなーい」
「プラムちゃんの周りからプリンスが次々といなくなるんですけど?」
確かに、プリンスの間で失踪するのが流行してるんでしょうか。
聞いたところ、ユピラン王子もわたしの呪いが解けた後、姿を消してしまったようです。妖精王様にも彼がどこにいるのか分からないとのこと。
ユピラン王子には言いたいことが山ほどあったのに残念です。
「ま、いないものは仕方ない……それよりもこれからのグリトンのことが大事!」
わたしは両膝で跪き、恭しく妖精たちに頭を下げました。本当は今までのことをめっちゃ恨んでいるので悔しいですが、わたしにも非はありますし、これも全てエミルと国民のため。
「あなた達の大切なプリンスを傷つけてしまってごめんなさい」
妖精たちに嘘は通じません。だからこれは紛れもない本心です。わたしが約束を破ったからこんなことになったのです。
「平和なグリトンを守っていくためには、あなた達の加護があるに越したことはない。少しでいいです。わたしのためではなく、歴代のグリトン王が愛したこの国を守るため、力を貸してください」
妖精たちの羽根がさざめきます。
どうするどうすると相談する声が聞こえました。
「そなたの心、あとは演奏で示すがよい。我が血を引く新たな王よ」
泉の上に妖精王様が姿を現しました。
わたしは頷き、舞台に上がります。
「では、人間と妖精の未来に光があらんことを」
わたしはピルートを構えます。吹き口に唇を当て、心を込めて旋律を奏で始めました。
夜の薄闇の中で、妖精たちが瞬きます。音に合わせて点滅し、見惚れるほどに幻想的でした。
こんな光景、大陸中のどこでも見られないでしょう。
三百年前、人間の男と妖精の姫君が結婚しました。ユピラン王子以外にも、反対する者がいたでしょう。
だけど、たくさんの妖精たちが二人の間に生まれた子どもを祝福してくれました。
愛で始まったグリトンは尊い国だと思います。
千年先まで受け継いでいけたらいいな。
そんな大それたことを考えながら、わたしは演奏を続けたのでした。