第十一話 ツンデレ従者の真実
エミルは呆気にとられて固まってしまいました。
うぅ、やっぱり軽蔑されたようです。当然です。
だけど、いつもと少し様子が違います。
我に返ったエミルは呻き、壁に向かって盛大に頭をぶつけ始めました。断続的に鈍い音が響きます。
「俺のことも消してもらえば良かった……全部消えていれば、こんなことにはならなかったのに、俺は馬鹿だ……何もかもが裏目に出る……ダメ従者だ、くそ」
「え、エミル?」
エミルは一人壁ドンをやめ、何かを諦めたように笑いました。見たこともないくらい優しい顔です。 そして、息を飲む私を思い切り引き寄せました。
「本当は、ずっとこうしたかった」
信じられません。今、わたしはエミルに抱きしめられています。
「姫……晴れてダメ主従になってしまったことですし、白状します。俺は心からあなたをお慕いしています。一生言わないつもりでしたが、もう無理です」
「え!?」
爆発的に体温が上昇していきます。めまいがして頭もくらくらです。
どこから夢を見ていたのでしょう……。
いえいえ、夢オチなんて絶対嫌です。
わたしは瞳を潤ませてエミルを見上げました。
「エミル、本当? 本当にわたしのこと」
「はい。好きです。くそ、可愛いな……」
「っ! じゃあ、わたしと結婚――」
その言葉にエミルは困ったように眉根を寄せました。
「それは不可能です。でも、後悔はしていません」
よく分からないことを言って、エミルはゆっくりと体を離しました。
彼は笑っていましたが、苦痛を堪えているようでした。額に汗の玉が浮かんでいます。明らかに様子が変です。
「どうしたの……?」
「申し訳ありません。きっとまた、泣かせてしまいますね。不忠をお許しください……姫、俺がいなくても、立派な女王に、なって――」
ぐらりとエミルの体が傾き、床に倒れました。
そしてその肌にみるみるうちに小さな黒い花が咲いていきます。
間違いありません。黒手形病です。
「エミル!」
わたしは泣き叫びました。
どうして? どうしてエミルが妖精に呪われているの?
あまりにも尋常じゃない声に、今回は近衛が助けに来てくれました。
「プラムちゃん、そろそろ部屋に戻って休みなさい。体を壊してしまう」
お父様に肩を揺すられ、わたしは我に返ります。
いつの間にか、窓の外は夜になっていました。
部屋を見渡すと、杖をつくお父様と宰相、そしてエミルの父親の姿もありました。全然気が付きませんでした。
わたしは倒れたエミルに付き添っていました
あれからエミルは眠り続けています。顔に血の気はなく、身じろぎ一つしません。まるで死んでしまったようで恐ろしく、わたしはわずかな体温を求めて彼の痣だらけの手を握りしめていました。
「プラム姫様、どうかお休みになってください。ひどい顔色です」
「ええ、あなたまで倒れてしまう。息子のことは私が看ますから」
彼らの言葉はもっともです。
わたしは二週間後には女王になる身。やることは山のようにあります。ずっとここでこうしているわけにはいきません。
ですが、わたしは頷くことができませんでした。頭では分かっていても体が言うことを聞きません。
「お父様、どうしてエミルが急に……妖精は何か言っていませんか?」
「う、それが、妖精たちは『知らない』と言って逃げてしまうんだ。私にもさっぱり分からない……」
わたしはついカッとなってしまいました。天井の隅、妖精がいそうなところを睨んで怒鳴りつけます。
「出てきなさい! どうしてエミルにひどいことするの!」
お父様は驚いて尻餅をつきましたが、ごめんなさい、構っていられません。
「教えて! エミルがあなたたちに何かしたって言うの? そんなはずないけど、でも、話してくれなきゃ分かんない! もしもエミルが悪いって言うなら、わたしが責任を取るわ! だってわたしはエミルの主だもん! 当然でしょう!」
一気に息を吐き出し、わたしはぜぇぜぇと呼吸を荒げます。
わたしの声に応えるかのように、室内の照明がしゅんと消えました。お父様がひぃと怯えてエミル父の足にすがりついています。
確かにホラーな雰囲気……。
部屋の真ん中にぼんやりと光の球が浮かび、やがて人の形に変化していったんです。
膝に届くほど長い銀髪を持つ男性が現れました。背に虹色の羽根が生えているので妖精でしょう。しかしサイズは手乗りではなく等身大で、神秘的な空気を纏っています。
わたしは直感しました。
「妖精王様、ですか……?」
「いかにも。我が血を引く娘よ」
妖精王様はわたしを見て金色の目を細めました。エキゾチックです。ただ者ではない感じがひしひしと伝わってきます。
「約束が破られた今、真実を告げに参った。そなたは知るべきだ。そなたの過ちと、従者の献身を」
妖精王様が差し出した手の平から淡く輝く光が放たれ、わたしを包み込みました。頭に電流がびりびり走ります。なんの罰ゲームですか。
「そなたに返そう。十一年前の記憶を」
わたしはその瞬間、劇的に全てを思い出しました。
あれはわたしの六歳の誕生日のことです。
パーティーで知らない人に囲まれて疲れたわたしは、こっそりと中庭に出ていました。そこでエミルに会ったのです。生まれたときから一緒に過ごしてきたので、わたしにとって家族も同然。エミルの顔を見るととてもホッとします。
「エミル!」
「わっ、姫様……」
エミルは驚き、さっと何かを後ろに隠しました。
「どうしたの?」
「い、いえ、あの……」
もじもじと躊躇った後、エミルは勢い任せに隠したものを差し出しました。それは可愛らしい水色のビーズのブレスレットでした。しかも手作りっぽい。
「こんなものしか用意できなくて、あの、イラナイと思うんですけど……プレゼントです」
恥ずかしそうに俯くエミル。
今日はたくさんのプレゼントをもらいました。可愛らしいもの、高価なもの、珍しいもの、いろいろです。だけどエミルのプレゼントが一番嬉しかった。
わたしの瞳の色と同じビーズが使ってあります。わたしのことを考えて心を込めて作ってくれたのが分かります。これは、お金でも権力でも買えません。
「ありがとう、エミル! とっても嬉しい!」
わたしが腕を差し出すと、エミルは顔を赤くしながらブレスレットをつけてくれました。
「エミルの誕生日にお返しするから、楽しみにしていてね。今年も一緒にケーキを食べたいな」
彼の誕生日はわたしの六日後なのです。
毎年エミルの誕生日の晩はウィンフリーの屋敷にお呼ばれします。わたしの誕生日はほとんど一緒にいられないからと、もう一度一緒にお祝いし合うんです。
「え、でも、今年は舞夜の宴が……」
「あ、そうだったっけ。……うーん、でも、エミルの誕生日は一年に一回しかないもん。宴はお休みさせてもらえないかお父様にお願いしてみる」
舞夜の宴は年に四回あるし、わたしは見学しているだけです。ピルートの腕もまだまだですしね。
それに宴の日は、お父様の側近をしているエミルのお父さんも準備で大忙しなのです。せっかくの誕生日を一緒に祝えないでしょう。そんなの寂しすぎる。せめてわたしだけでも昨年と同じようにエミルをお祝いしたかったのです。
エミルは恐縮しつつも嬉しさを隠しきれない様子でした。くすぐったい気分になって、心がポカポカしました。
毎日肩叩きをしてお願いしたら、お父様は宴の欠席を許してくれました。子ども心にもチョロイなと思いました。
しかし事件が起こります。
当日の夜、ウィンフリーのお屋敷でささやかな誕生日会を楽しむわたしとエミルの前に、彼が現れたのです。
それは妖精王様のご子息で伝承の姫君の弟、ユピラン王子でした。ちなみに小さな手乗りサイズです。
「どうして? どうして宴に来てくれないの? また次も来るって約束してくれたのに! プラムは僕よりもこいつの方が大切なの?」
ユピラン王子は泣き出しそうな声でエミルを指差しました。
わたしは焦りました。ユピラン王子との約束のことなどすっかり忘れていました。そして、無邪気で残酷な言葉を返したのです。
「え、うんと、どっちが大切かは決められないけど、今日はどうしてもエミルと一緒にいたいの。約束を破ってごめんなさい……あ、そうだ。ユピラン様も一緒にエミルのお誕生日お祝いして! 三人で過ごしたら楽しいと思う!」
ユピラン王子は震え出しました。
「そう、分かった。姉上もきみも、やっぱり人間の男が良いんだね……もう知らない!」
王子はぽろぽろと涙を流し、弾けるように姿を消しました。
次の日の朝、わたしは黒手形病で倒れたのでした。
失われていた記憶を受け取り、わたしは顔を歪めました。
どうして今までユピラン王子のことを忘れていたのでしょう。
彼は、わたしが宴に出るようになってからずっとそばにいたのに。
『プラムは本当に姉上によく似てる。そっくりだよ。嬉しいなぁ』
今なら分かります。
伝承通り、ユピラン王子は本当にシスコンでした。姫君に瓜二つだというわたしをたいそう可愛がってくれたのです。
だけどわたしは宴よりもエミルの誕生日を優先した。妖精よりも人間を選んだ。約束を破った。
それが姉姫様のことと重なって許せなくなったんでしょう。
「ユピラン王子がわたしを呪ったんですね……」
自分でも驚くくらい暗い声でした。
もやっとした罪悪感、病んだシスコンの恐怖、その他もろもろの感情が胸を圧迫しています。
「いや、違う。呪ったのはユピランを慕う妖精たちだ。そなたにフラれてユピランは一晩中泣いていたからな。面白くなかったのだろう」
妖精王様は我が子の不徳を嘆くように続きを語りました。
「そなたが病で倒れたことを知り、ユピランは恐怖した。これでそなたに完璧に嫌われた、と。それでそなたの記憶を奪って証拠を隠滅した。グリトン王にもプラム姫が呪われた原因を秘密にしてほしいと頼み込んでな。……すまぬな、苦労をかけて」
話を振られ、お父様は悲しそうに首を横に振りました。
「いや、こちらこそ。ウチのプラムちゃんが可愛すぎるばかりに……私も忘れてしまったことを無理に思い出させることないと思って、今日まで口を閉ざしてきたが、娘が可愛すぎて辛かった……」
妖精王様は華麗にスルーして話を続けました。いよいよ核心です。
「この従者は、そなたが倒れ伏してから毎晩欠かさず泉の祠に祈りを捧げに来た。四年間、毎晩だ。姫を助けてほしい……それだけを一心に祈っていた」
「エミルが……?」
きっとエミルは自分を責めたのでしょう。
エミルの誕生日を優先したことが原因で、わたしが呪われたと知っていたから。
毎日お見舞いに来るだけでは飽き足らず、毎晩祈りに行っていたなんて……エミルはどれほど深い罪悪感に苛まれていたのか。
「四年の歳月は人の子にとっては大きなものだ。私とて、心を動かされた。本来、妖精王自らが人の願いを聞くことなどないが、私はそれを彼に許した。ただし、代償を科さねばならなかった」
ユピラン王子がエミルに嫉妬したことで、この呪いは始まりました。その感情がなくならない限り、妖精たちは納得せず、呪いは解けません。
エミルに科された代償は、「未来永劫、プラム姫と愛し合わない」と約束することです。
そうすればユピラン王子の嫉妬はなくなり、妖精たちの怒りも静まります。
もし約束を破れば、より強力な呪いがエミルに降り注ぎます。
愛する者を救うため、愛を諦められるか。命を賭けられるか。
当時十歳のエミルは、ほとんど迷うことなく受け入れました。
『約束します。俺は、俺一人に愛される姫よりも、みんなに愛されて笑う姫がいい。一生従者のままでいい。姫の呪いを解いて下さい。そうしたらきっと、もう一度幸せそうに笑ってくれる』
わたしは両手で顔を覆いました。
「私はそなたの呪いを解いた。しかし今日、約束は破られた。残念なことだ……この先彼が目を覚ますことはないだろう」
「そんな……っ」
病で臥せっている間も、病が完治した後も、エミルにはずっと辛い思いをさせてしまいました。
今なら分かります。
妖精王様と約束してから、エミルはわたしに嫌われようと冷たく接するようになったのです。だけど体が健康になっても外に出ないわたしが心配で、専属従者をやめられなかったのでしょう。一人での留学を受け入れたのだって、きっと離れてお互いの想いを断ち切るためで……。
愛してはいけない。でもそばにいたい。本当は愛されたい。
そんな苦しい矛盾を抱えていたのです。
わたしに他国からの縁談が舞い込んだとき、婚約者候補の方たちと会っているとき、エミルがどんな気持ちでいたのか、想像するだけで自分を殴りつけたくなります。
間違えた。たくさん間違えてしまいました。
謝りたいです。もう一度お話がしたい。
「ごめん、プラムちゃん。知らなかった……私、余計なことしちゃった。二人をくっつけようとして……」
お父様が青ざめました。
留学中のエミルを呼び戻し、婚約候補者に加えたのはお父様です。
お父様もわたしが引きこもり続けていること、エミルとの仲が思うように進展しないことに、多少の責任を感じていたようです。
お兄様の出奔を機にわたしに王位を譲って人前に出す。そして他の婚約者の存在を匂わせれば、さすがに焦れてエミルが手を出すと思ったと白状しました。
宰相とエミル父の殺気を帯びた視線がお父様を射抜きます。
一国の王としてそれはどうなのか、この親馬鹿のバカ親が、私の息子をなんだと思っている、とお説教が始まります。これはもういつものことなので放っておきます。
「エミルを助ける方法はないんですか? なんだって差し出します! お願いです!」
妖精王様は目を閉じ、静かに告げました。
「これは、約束を破ったことへの罰の呪い。ならばその呪いを解くために、今度こそ約束を守らせよ」
「約束……未来永劫、わたし達は愛し合うなってことですか?」
「いいや、違う。この者が心から誓った言葉を、そなたが叶えてみせよ」
「……あ」
わたしはエミルのある言葉を思い出しました。
『あなたの努力の結果次第では、最高の従者になって差し上げます。素晴らしい女王陛下の命令なら……心から従います。俺にできる事なら何だって叶えて見せましょう』
何だって叶えてくれる?
例えばそう、「目を覚ましなさい」という命令でも?
「……結局そこなんですね。分かりました」
「容易いことではないぞ」
「そうですね。でも、諦めるわけにはいきません」
わたしは目の端に滲んでいた涙を拭きさり、顔を上げました。
待っていて、エミル。
絶対にあなたを助けて見せます。