第十話 決めてしまいました
お母様は弟のシトロンをお産みになって以来、彼と森の奥の別荘で暮らしています。シトロンがお兄様のようなはっちゃた王子にならないよう、わたしのようなダメ姫にならないよう、周囲から隔離して育てているのです。別居することになってお父様は泣きました。
最初に申し上げておきましょう。
わたしのお母様はきつめの美人です。性格もきっついです。
どれくらいかと言うと、「上二人の子育ては完璧に失敗したわ」と本人たちの前で躊躇いなく言い放つくらいです。
お母様はグリトンと同じ規模の隣国の王家から嫁いできました。家族への情は少々薄いと思うのですが、王妃としては立派な方です。国のことを第一に考え、合理的に行動します。
「女王に即位すると聞いてからずいぶん経ちましたが……なぜ私に挨拶に来ないのです? 相変わらず非常識な子ね」
数か月ぶりに顔を合わせた娘に対する第一声がこれです。
いえ、わたしが悪いんですけどー……だって、会いに行くの怖いんですもの。
それでもお母様から声をかけてきたというのは驚きです。何年ぶりでしょう。いつもはわたしが挨拶しても基本的に無視されます。
「まぁいいです。今日はお祝いに来たのですよ。女王即位とシュナグ殿下との婚約のことを」
「え?」
お母様はわたしの隣にいたシュナグ様に微笑まれました。ちなみにルイス先生たちは王妃の登場に跪いて頭を下げています。
「シュナグ殿下、ご挨拶に来るのが遅れて申し訳ありませんでした。我が国へようこそお越しくださいました。心より歓迎いたします。ふつつかな娘ではありますが、末永くよろしくお願いいたします」
「……お言葉、感謝いたします。ですが、少々行き違いがあるようです。私はまだプラム殿下と婚約したわけでは」
困ったように微笑むシュナグ様。
お母様は蔑むようにわたしを見ました。
「いいえ、もう決まったことです。私が決めました。それに、メーテルシアの皇帝陛下からも書簡をいただきましたわ。シュナグ殿下の身をたいそう案じていらっしゃるご様子。グリトンとの婚姻がなれば、親子の関係を捨てることなく祖国と繋がりを持つことができるでしょう。我が国としても、帝国とともに歩む繁栄の未来は喜ばしいことですわ」
「父上が……」
気が利かなくてごめんなさいね、とお母様は笑います。
「本来ならば、殿下から申し込みがあった時点で決めねばならないところを……お許しください。この子ったら、初めて殿方たちにちやほやされたものだから、浮かれてしまったのでしょう。お恥ずかしい限りです」
な、なんですかそれ。
わたしがみなさんを振り回して楽しんでたってことですか?
人の気も知らないで、むきーっ!
悔しくて、恥ずかしくて、わたしの顔は一気に熱を帯びます。
でも、言い返せない。傍からは「逆ハーを楽しむ姫の図」に見えても不思議ではありません。周りからどう思われるかを考えていなかったわたしに非があります。
お母様はわたしの肩に手を置き、誰の耳にも届かぬ小声で囁きました。
「私の言うことを聞いておきなさい。女の価値は生涯を寄り添う殿方で決まるのです。あなたの価値を見直す時がきたのですよ」
その言葉にわたしは愕然としました。
どうやらお母様はわたしがシュナグ様の心を惹きつけたことを、褒めて下さっているようですね。しかし、それ以前のわたしにはまるで価値がないと……?
そうかもしれません。きっとそうなのでしょう。
……でも、認めたくない。わたしにもプライドが芽生えています。
お母様の言動に傷ついて泣き出すはもう嫌です。
なんとか涙はこらえましたが、体は動きません。
お母様に逆らうのが怖い。幼い頃から刷り込まれてきた恐怖で、本能的に弱腰になってしまいます。
わたしとシュナグ様が口を閉ざす中、お母様はルイス先生たちに声をかけました
「あなたたちも……話は分かりましたね? 今日まで娘に付き合ってくれてありがとう。ご苦労様でした」
お母様は冷たい声で告げました。
望むならそれなりの地位に取り立ててあげます。これからは忠臣として国に仕えてくれることを期待します……ですって。
みなさんに動揺が広がったところで、ようやくわたしはなけなしの勇気を振り絞りました。
わたしはどれだけ侮辱されてもいい。もう慣れっこです。でもみなさんには失礼なことを言わないで。
「お、お母様……こんな一方的に、えっと、あまりにも――」
「何ですか。はっきり言いなさい」
冷たく鋭い瞳で睨み付けられ、心ごと氷づけにされてしまいました。
何か、何か言わなきゃ。みんなが見ています。
そりゃ近いうちに何人かに、婚約のお断りをしなければならないことは分かっていました。だけど、そのときは誠意を持ってしっかりと伝えようと決めていたんです。
こんな終わり方は嫌です。
このままでは失望されてしまう。やっぱりダメ姫だって思われてしまいます。せっかく少しずつ仲良くなれたのに……。
ああ、ダメです。涙をこらえるので精一杯で、何も言葉が出てきません。
「お話し中、失礼いたします。プラム姫様、国王陛下がお呼びです。至急の用件とのことです」
颯爽とエミルが現れました。
天の助けです!
お母様は汚物を見るような目でわたしの従者を一瞥しました。
「弁えなさい。今は大切な話をしています。それくらい分かるでしょう」
「申し訳ありません。……ですが、国王陛下直々の命令です」
文句なら旦那に言えやコラってことですね。お母様は面白くなさそうに顔をしかめました。
「王妃様、もしも私のことを気遣って下さっているのなら構いません。この話は別に今すぐでなくてもいいでしょう」
シュナグ様の援護もあり、わたしはなんとかその場から逃げ出すことができました。最後、みなさんに心を込めて礼をしてきましたが、結局言葉では何一つ伝えられませんでした。
エミルに付いて城の中を小走りで駆けます。
案の定というか、向かった先はお父様の部屋ではなく、わたしの部屋でした。
「さっきの、やっぱり嘘だったの?」
「ええ。何やら揉めていたようなので。後で陛下と口裏を合わせるの、協力してくださいよ」
「うん。さすがエミル。ありがとう」
誰もいない部屋に入り、深呼吸をしてようやく震えが止まりました。
ああ、怖かった。嫌だった。
壁際で向かい合い、わたしはエミルに問いかけます。
「どこから聞いてたの?」
「何が起こったのかは大体分かりましたよ。シュナグ様で決まりだそうですね」
「わたしは決めてない」
むっとして答えると、エミルは顔を背けました。
「王妃様に逆らえるんですか? それに、シュナグ様は素晴らしい方です。断る理由はないはずです」
「そ、それは……」
わたしの言葉が途絶えると、エミルとはふっと微笑みました。何かの感情が抜け落ちたような寂しい微笑みです。
「もしかして俺に悪いと思っているんですか? だからあの方を選べない? 最近暗い表情ばかりなのもそれですか? ……別に、いいんですよ。心変わりしたって何もおかしくない」
「ち、違う! そんなことない!」
「意地を張らないで下さい。俺よりもシュナグ様の方がずっと優秀です。それにあなたにも優しく……本当に愛していらっしゃる。あの方と結ばれれば、姫様は幸せになれますよ。俺も心から祝福します」
「エミル……」
悲しいです。
そんなこと、エミルにだけは言わないでほしい。
……限界でした。お母様の登場でずっと動揺していた心に立て続けにダメージをくらい、涙を堪えられない。
もう簡単に泣かないって、素晴らしい女王になるって決めたのにごめんなさい。
でも軽蔑されてもいい。
わたしは本当のことを言いたいです。エミルにだけは嘘を吐きたくない。
「わたしは……やっぱりエミルが好き。たとえ周りに何人素敵な男性がいても、エミルが一番だよ。それだけは信じて!」
わたしの動揺が感染したのか、エミルが息を飲んでたじろぎました。
あ、そう言えば、はっきり口に出して好きだと告白するのは初めてです。今まではそんな勇気はありませんでした。
「どうしてそこまで……俺のことなんか……ずっと冷たくしていたのに」
「そんなことない。エミルはずっとわたしに優しかったよ。だってあのとき、わたしが病気で寝込んでいて一番辛くて寂しいとき、先生もダグさんもミカルドさんもシュナグ様もいなかった。そばにいてくれたのはエミルだけ……あの時間がある限り、わたしの一番はずっとあなただけ」
多分、今を逃せばもう二度と言えない。最後のチャンスです。
わたしは十年にわたる思いの丈を全てぶつけることにしました。
「わたし、やっぱりエミルがいい! 他のことは全部我慢するし、何でも頑張るから! お母様にだって勝って見せる! 絶対にエミル好みの立派な女王様になる! だからわたしと結婚してください! 先払いでご褒美をください!」