第九話 ダメ姫、泥沼にハマる
「私はこの国がとても気に入りました。自然が豊かで、人々は穏やかで、妖精たちも愛らしい。心身ともに癒されます。何よりもプラム殿下……あなたの過去のことを聞きました。お辛かったでしょう」
シュナグ様は神妙な面持ちで告げました。その瞳には熱っぽい光が宿っています。
「私は周囲の期待を裏切り、帝位争いから逃げ出した身です。逃げ出せないあなたとは違う。今にも潰れてしまわれないかと心配でならない。見ていられない。いつの間にかあなたのことばかり考えている。きっとこれは恋です。願わくは、あなたの細い肩にのしかかる重荷を分かち合うことを許していただけないでしょうか」
差し出された手をわたしは凝視します。
これは侵略ではないか、とわたしは思いました。
武力で落とせないグリトンを、内側から乗っ取るためのハニートラップでは……。
いえ、冗談です。妖精に聞かなくたって分かります。シュナグ様は悪い人ではありません。
こんな情熱的な愛の告白は初めてなので、少々動揺しています。
……正直ピンときません。
メーテルシアとグリトンでは規模が違いすぎますし、命を狙われるような展開になればわたしだって逃げますもの。それに、憐れんで同情して下さるのはありがたいですけど、まだ会って数日です。わたしのどこに惚れられる要素があるのでしょう。謎です。
お兄様とリィン皇女との婚約解消の件で、グリトンとメーテルシアの間に禍根を残さないため、と言われた方がまだ納得できます。
とはいえ、シュナグ様はどこからどう見ても素敵な皇子様です。誰もが喜んで彼の手を取るでしょう。
多分、わたしはおかしいんです。その手に何の魅力も感じない。むしろ汚してしまいそうで恐ろしい。
悩んだ末、わたしは逃げることにしました。
「あ、ありがとうございます。でも、えっと、考えさせてください。わたしには他にも結婚を考えている方々がいますので……すみません」
シュナグ様は手を引っ込めて、とんでもないと恐縮されました。
「いえ、こちらこそ突然失礼いたしました。大切なことです。よく考えてから決めた方がよろしいでしょう。他の婚約者候補の方にも悪いことをしてしまいました。……恋をすると、冷静ではいられませんね」
恥じ入るような表情を見ると憎めません。
こうしてシュナグ様も婚約者候補の一人になってしまわれました。
全ての事情を知っている宰相たちは慌てました。一度は諦めた大帝国との縁故は喜ばしいことですけど、平和でのほほんとしたこの王国にシュナグ様はもったいないです。オーバーキルって感じでしょうか。いや、ちょっと違う?
とにかくそのことが今まで起きなかったトラブルに繋がるのでは、と懸念したのです。
「あー、もう、姫様がお決めください。全てお任せします」
最終的にはわたしに責任を丸投げしてきました。う、胃が痛い……。
ついに婚約者候補が出そろいました。
知能が優れ、教育に熱意を傾けるルイス先生。
武勇に秀で、純粋な心をお持ちのダグさん。
莫大な財力を持ち、コミュニケーション力の高いミカルドさん。
全てにおいてパーフェクトなシュナグ様。
そして、大好きなエミル。
個人的な感情を優先していいのなら、もちろんエミルがいいんですけど……。
そんな理由で選んだら軽蔑されてしまいます。それでは本末転倒です。わたしはエミルと恋愛結婚したいんです。それに他の候補者の方にも失礼になりますよね……。
じゃあエミルを諦めて一国の女王として相手を選ぶなら、と考えていつも思考が停止します。
分からん……分かるか!
堂々巡りに陥っております。ええ、泥沼です。
そんなこんなで日々は駆け足で過ぎ、ついに戴冠式まで二週間を切りました。
わたしはスピーチの練習をしたり、グリトンの現状について学び直したり、たくさんの書類に目を通してサインをしたり、慌ただしく過ごしております。その合間に時間をつくり、婚約者候補の方たちと言葉を交わし、交友を深めています。
もう時間がありません。宰相からの「早く選んでーお願いー」というプレッシャーも半端ないです。
一方、候補者のみなさんはお優しいです。むしろ「ぎりぎりまでゆっくり考えてほしい」とおっしゃって下さいます。
“一人で抜け駆けして迫らず、誰を選んでも恨みはしない”。
わたしが誰の意見にも左右されず、熟考の末に出した決断ならば、甘んじて受け入れるとのこと。
いつ誰が言い出したのかは存じませんが、わたしが知らぬ間にそんな紳士協定が結ばれていたのです。
ますますプレッシャーが強くなっています。
ある日、王城の裏手にある森に婚約者候補たちを案内することにしました。
ルイス先生、ダグさん、ミカルドさん、シュナグ様、そしてエミル。全員集合です。
「ここが舞夜の宴を行う儀式場です。次の宴は戴冠式の夜に開く予定です」
静謐な空気が漂う泉と、出し物をするための舞台、そして妖精王様を祀る祭壇があります。
本来、グリトン王家の関係者以外は立ち入り禁止の場所なのですが、この方々には見ておいてもらいたかったのです。
エミル以外の四人もわたしのお仕事をいろいろと手伝ってくれています。相談にも乗ってくれます。わたしが失態を演じても、広い心で受け止めてくれるんです。
今日はその諸々のお礼というか、煮え切らないお詫びというか、信頼を表そうと思って王家の大切なものをお見せしちゃいます。
「妖精王様というのは……?」
グリトンの事情に明るくないシュナグ様に、わたしは代々伝え聞いていることを答えます。
「この泉の向こうには妖精の国があるそうです。グリトンの初代国王の父はこの泉に落ちて向こう側に迷い込み、妻となる姫君と出会いました。……妖精は羽根を失くさない限り不老不死なんですよ。妖精王様も代替わりしていなくて、今も伝説の姫君のお父上が在位しています。つまり、わたしのご先祖様ですね。まだご存命中なのに変な感じですけど」
妖精王様は基本的に舞夜の宴には顔を出しません。軽々しくこちらの世界に来られないのです。だから向こう側に宴の様子が伝わるように、妖精王様のための祠を建てました。
ああ、でもグリトンの王が代替わりした最初の宴には祝福に来てくれるんですって。わたしも今度初めてお会いすることになります。
とちって妖精王様まで鼻で笑われないようにしなければ……。
「へぇ、妖精の国……素敵ですね。妖精王様には他にお子はいらっしゃらないんですか?」
「伝承では姫君には弟君がいると言われていますけど……もう長らく姿を見せていないそうですね」
わたしの言葉にミカルドさんが笑います。
「弟王子はシスコンだって伝説があるよな? 姉姫様を人間の男に奪われて怒ってるから姿を現さないんだって」
「ミカルド。やめておけ。妖精に聞こえていたら呪われるぞ」
エミルの低い声にミカルドさんは青ざめて口を手で塞ぎました。そして泉と祠に向かって頭を下げます。
「すみませんでした! 呪わないでマジで!」
返事はありません。大丈夫そうですね。
城への帰り道、わたしと五人の婚約者候補たちは楽しくお喋りをしました。いいんでしょうか。すっかり仲良くなっています。わたしと彼らだけでなく、男性陣の間にも友情が芽生えているご様子。
この中から一人を選ばなきゃいけないんですよね。時が経つほど、選べそうになくなってきます。誰か一人を選ぶことで今の関係が壊れてしまうと思うと……。
はっ! こうして逆ハーレムなるものが出来上がっていくんじゃないですか?
わたしって男を弄ぶ悪女? ダークヒロイン? ずいぶん出世しましたね。
……なんてね。こんなのただの優柔不断のダメ姫です。すみませんでした。
「どうされました、姫。顔色が悪いですよ」
「ううん、なんでもない。ちょっと自分に悪酔いしてただけ」
「は? ……体調が優れないのでは? ここのところ、姫にしてはよく働いていますから」
エミルが珍しく心配そうにわたしの顔を覗き込みました。
「もう……確かに長年の怠慢で体が鈍ってるけど、大丈夫だよ。わたしよりもエミルの方が忙しそうにしているもの。なのに、今日もついてきてくれてありがとう」
エミルは儀式場にも行ったことがあるはずです。わざわざ時間を割いて来る必要はなかったのに、わたしが声をかけたらすんなりお伴をしてくれました。
「心配でしたから。もしかしたら姫がまた不興を買うのではと」
「えー、どういう意味?」
悩みを誤魔化すために軽い調子で聞いたのに、エミルは目を見開いて顔を背けました。明らかに失言したという態度です。
「どうしたの?」
「いえ……先に戻って次の予定の準備をしてきます。失礼します」
エミルは早足で去って行きました。
よくよく考えてみれば、おかしいですね。
また不興を買う、というのは妖精に呪われて病気になったことに違いありません。
儀式場に行ったくらいでどうしてご不興を買うのでしょう?
わたしは病が治ってから何度も舞夜の宴に参加し、儀式場に足を運んでいます。そのときは特に心配されませんでした。
今回は殿方を五人も連れて行きましたけど、それが何か関係あるのでしょうか。
うーん。エミル、わたしが呪われた理由を知っていますね?
そりゃ知っているとは思っていましたけど、今までは絶対に匂わせませんでした。
相当疲れているということでしょうか。それとも心のセキュリティが甘くなっている?
気になります。後で睡眠時間を聞いてみましょう。もしも寝ていないようなら強制的に家に帰します。
ブラック残業、ダメ、絶対!
「……プラム。久しぶりですね」
城の中庭で解散の旨を皆さんに伝えようとしたところ、声がかかりました。
「お、お母様……」
なんでこんなところにいるんですか。
実の母親の突然の来訪にわたしの全身から血の気が引きました。