黄昏
教室側の窓から夕日が差す教室で二人の少女が向かい合って座っていた。
その二人の間に置かれている机の上には沢山のお菓子が並べられている。どうやら、お菓子を片手に談笑しているようだ。
時刻は夕方、黄昏時とも呼ばれる時間で、とっくに授業は終わっていて教室の中に他の生徒はいない。
外からは部活動に励む生徒たちの声が聞こえるが、校舎内はがらんとしていて人の気配はなかった。
「ねぇねぇカズちゃん」
「どうしたのチィ」
後ろ向きに座っているほうの少女がカズ、前を向いて座っている少女がチィと呼ばれているらしい。
「いやさ、今年ももうすぐ夏休みだなと思って」
「まぁ来週は終業式だしね」
「今年は何しようかなぁ」
「チィはどこ行きたいの、海とか山とか……」
「私は夏フェスにいきたいなぁと」
「夏フェスってチィそんなに音楽好きだった?」
「別に、そこまで好きじゃないけどさ。ただ、もう来年からは夏に遊ぶ機会、めっきりと減りそうだしねぇ」
「確かに来年は受験だし」
「だからさ、今年めいっぱい遊んどきたいじゃん」
「それは分かるけど、それと夏フェスって何か関係ある?」
「んー、特に関係なしってゆうか本音はただバンドが生で見たかっただけ」
「はぁ、もしかしてまた何かのマンガの影響?」
「えー、そこは別にいいじゃん、ねぇーねぇーカズちゃん」
「私は反対、というよりもチィとは二度と人ごみの激しいところには行かない」
「えー、なんでー」
「去年の花火大会以来そう決めた」
「あのはぐれちゃった事、まだ根に持ってるの。暗いー、カズちゃんのネクラー」
「チィがそんなこといえるのはあの苦労を知らないからよ。あの日私は会場をいったい何周した事か」
「いや、もう何回も謝ったじゃん」
「三時間さまよい続けた結果がそんなので許されるはず無いでしょ。町内の花火大会であれなのに、もしも夏フェスなんか行ったらチィと今生の別れになる」
「あーもういいや、カズちゃんが恨んでるっていうのは十分に分かったからさぁ――」
そこでいきなりチィと呼ばれた少女は言葉を区切った。
「どうしたのチィ?」
「いやさぁカズちゃん、私の勘違いかもしれないんだけどさ、それって去年じゃなくて一昨年の事じゃなかった?」
「えっ、そうだった? ゴメン、正直ちゃんと覚えてない」
「いや、そうだよ。私、次の日に『文学少女』の新刊が出るって喜んでたから」
「あ、そうだった去年はチィが流れるプールで溺れかけたんだった」
「それは三年前」
「いや、あっちだ。チィがケーキを作ろうとして卵の殻が入ったままでメレンゲ作った」
「もぅ、それは二年前のクリスマス。カズちゃん季節までごっちゃになってるよ。ねぇどうしたの、カズちゃんなんか変だよ」
「別に、変じゃないよ」
「絶対変だよ! ねぇカズちゃん私たちって去年の夏休みって一緒にいたよね?」
「決まってるでしょ。チィ、私たち毎年一緒にいるんだから」
「カズちゃん何か隠してるんじゃないの。カズちゃん、私たち今年は一緒にいれるんだよね、ねぇ――」
「いれるよ。もう、この話はおしまい」
「だめ! カズちゃん、まじめに答えて。私不安なんだよ。カズちゃんどこかに行っちゃうんじゃないかって!」
少女は叫んでいた。
カズと呼ばれた少女は、叫んでいる少女の手を取って優しくつぶやいた。
「大丈夫、私はどこにも行かない。不安になる事なんてないんだよ」
「私ね、夢に見たんだ。カズちゃんが車に引かれてもう二度と目を覚まさないの。私の前からいなくなっちゃうの。半身がね血で真っ赤に染まっててね――私夕焼けって嫌い、血の色なんだもん。カズちゃん夢のなかのカズちゃんみたいに見えるんだもん」
「大丈夫、私はどこにも行かないチィと一緒にいてあげる。ずっと手を繋いでいてあげる。だから大丈夫安心して」
「ほんとに、ほんとにカズちゃんは私と一緒にいてくれる?」
「うん、約束」
「ねぇカズちゃん。私がこの手を死ぬまで離さなかったら死ぬまで一緒にいてくれるの」
「うん、ずっと」
「離したらだめだよ」
少女は泣きながらもう一人の少女の手を掴んでいた、ずっとずっとずっと――
目を覚ますと、目の前には誰もいなかった。
思わず「嘘つき」と呟いてしまう。
しかし、本当は気づいていた。目を覚ましたところで彼女はいない。
彼女――奥村一穂は去年交通事故でなくなっている。
そして、その瞬間を私はこの目で見ている。
去年の夏休み、私たちはやはり遊びに行く計画を立てていた。その待ち合わせの時間に、私は遅刻した。
そして私が、待ち合わせしていた駅前の広場に付いた時。私のほうに向かって歩いてきていた彼女は車に撥ねられて死亡した。
即死だったらしい。らしいというのは、その時の私はパニックを起して気を失ってしまっていたからだ。
気が付いたときには、病院のベッドの中でしたという定番のオチ付き。
だから私には、正直その瞬間の記憶はほとんど残っていない。今までの情報も人づたいなどで集めたものを繋ぎ合わせただけだ。
私が覚えていたのは、本当に本当に一瞬の光景だけ。だけど、妙に生々しい最後の光景だけだった。
ドロリと流れ出した血の海の真ん中で少女が一人横たわっている。最後の最後にこちらを向いた少女の顔の半分がまるで夕焼け、いやそれよりも、もっともっともっと赤い血に染まっていた。
最後の彼女の顔が笑っていたのか泣いていたのか、それすら私には分からなかった。ただ少女の顔は半分が赤く染まっていた。
私は残された。
この世に置いていかれた、そんな気分だった。
「私たち一緒にいれるんだよね」
夢のなかでの声が響く。
いれるはずなんてなかった、だけど一緒にいたかった。
でも、私に残されたものは色あせていく思い出と最後の瞬間の光景だけ。
◆
最終下校時間を告げるトロイメライを聞きながら、私は黄昏の教室を後にした。
一瞬振り返って見た教室の中に、私がチィと呼んで慕っていた少女――奥村一穂があの夏のあの日のように、半身を真っ赤に染めて立っているような気がした。
彼女の顔が笑っているのか泣いているのか、やはり私には分からなかった。