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もしなろう系主人公が近代ナーロッパに転生したら

作者: 家具屋
掲載日:2026/06/14

 目の前の老人は、どう見ても神だった。


 白い空間だった。床も天井も壁もない。ただ輪郭の曖昧な光だけが果てなく広がっていて、その中心に、長い白髭を撫でる老人が一人だけ立っている。


「さて」


 老人は、まるで天気の話でもするような口調で言った。


「お主は死んだ」


 俺は驚かなかった。

 驚かなかったというより、妙に納得してしまった。直前まで何をしていたのか、細部は曖昧だ。

 だが、死んだと告げられてなお、目の前の状況に既視感がある。

 白い空間。神っぽい老人。死亡確認。

 次に来る言葉まで何となく分かる。


「それで……」


 俺は慎重に口を開いた。


「異世界転生、ですよね?」


 老人は少し目を細め、満足そうに頷いた。


「話が早くて助かる。そうじゃ。お主にはこれから、別の世界で新しい生を送ってもらう」


 来た。

 胸の奥で何かが弾ける。だがここで露骨に喜ぶのは浅い。こういう場面では、まず条件確認だ。異世界転生はスタートダッシュが九割である。


「ちなみに、何か力はもらえますか」


「もちろんじゃ」


 神はあっさり言った。


「お主にはその世界で最強クラスの魔力、高位魔法適性、自動防御、自動回復、そして身体能力の補正を与える」


 完璧だった。


 高すぎるくらいに完璧だった。魔力が高い。防御も回復も自動。身体能力も高い。

 序盤の雑魚も盗賊も全部薙ぎ払えそうだし、そのまま貴族だの騎士団だの魔王軍だのまで無双できる可能性が高い。


 神、気前が良すぎるだろ!


「ありがとうございます」


「うむ」


 神は杖を軽く振った。


「では行け。近代ナーロッパへ」


 ん?


 今、何か一語ついていた気がしたが、その確認をする間もなく、白い光が視界を埋め尽くした。


◇ ◇ ◇


 次に目を開けた時、俺は森の中に立っていた。


 鬱蒼と木が生い茂り、空は葉に遮られてほとんど見えない。湿った土の匂いが鼻をつき、遠くで水音がする。

 舗装路も建物も人の気配もない。


 良い。

 実に良い。


 異世界の森として百点のロケーションだった。

 こういう場所なら、最初に雑魚魔物と遭遇し、自分の力を確認し、その後に困っている美少女か、警戒心の強い冒険者一行に出会う流れが自然だ。


 まずは確認である。


「ステータスオープン!!」


 空中に半透明の板が浮かび上がった。


 名前:田中一郎

 魔力:999

 MP:9999

 筋力:867

 耐久:952

 敏捷:884

 固有能力:自動防御、自動回復、高位魔法適性


「うわ……」


 思わず声が漏れた。


 想像以上だ。数値の相場は分からないが、少なくとも一目で異常だと分かる高さではある。

 こういう数値は、大体村人に見せた瞬間に「そんな馬鹿な!?」と言わせるためにある。


 俺はしばらくその光板を眺めた後、満足して閉じた。


「さて……」


 レベル上げ、食料確保、情報収集。序盤の行動方針を考えようとしたその時、前方の茂みが揺れた。

 反射的に身構える。

 葉を押し分けて現れたのは、三つの緑色の影だった。


 ゴブリン。


 背丈は俺の胸あたりまで。醜い顔。粗末な腰布。手には棍棒のようなもの。まさしくゴブリンだ。

 しかも三体。チュートリアルとしては満点に近い。


 俺は少し笑った。


「親切だな、異世界」


 ゴブリンたちはこちらを睨みながら、じりと間合いを取る。すぐに飛びかかってくる気配はないが、敵意はある。

 序盤の雑魚によくある、主人公に経験値を献上する前の威嚇だ。


 よし。

 初戦だ。派手にいこう。

 俺は右手を前へ出した。


「ファイア」


 掌から火球が飛ぶ。狙いは一番手前の一体。

 しかし、火球はゴブリンの鼻先でぱちんと弾け、霧散した。


「……ん?」


 見えない壁にぶつかったようだった。


 もう一度。


「ファイア」


 今度も同じだ。火球は届く前に消える。

 ゴブリン三体は身構えたまま、こちらを窺っている。


「へえ」


 俺はむしろ感心した。


「この世界のゴブリン、ちょっと硬いんだな」


 ならこちらも少しだけ本気を出すだけだ。


 俺は息を吸い、より多くの魔力を掌へ集めた。

 空気が熱を帯び、腕の内側が痺れるように震える。使い方を学んだ覚えはないのに、どうやればいいかだけは体が理解していた。


「じゃあ、少し強めで」


 ゴブリンたちが一斉に後退る。


「インフェルノ」


 轟音が森を裂いた。


 巨大な炎柱が前方一帯を呑み込む。木々がしなり、熱風が頬を打ち、土が捲れた。視界の前方が赤く染まり、少し遅れて衝撃が体を叩く。

 炎が収まった時、そこには焦土しか残っていなかった。

 ゴブリン三体は跡形もなく消えていた。


「強っ」


 思わず言ってしまった。


 そう思った矢先。

 森に、耳障りな電子音が鳴り響いた。びっ、びっ、びっ、と繰り返す警報音。

 あまりに異世界とはかけ離れた音だ。

 

 続いて、拡声器越しの声が飛ぶ。


『前方の魔法使用者へ警告する。その場から動くな。繰り返す。その場から動くな』


「……は?」


 森の奥から人影が走ってきた。

 四人。全員が同じ深緑色の制服を着ている。腰には剣ではなく、見たことのない大型拳銃のようなもの。

 胸元には金属の徽章。先頭の男が焦土を見て顔色を変えた。


「保護番号GB三一、三二、三三、反応ロスト!」


 隣の女が腕の端末を見て叫ぶ。


「監視装置も消失しています!」


 四人の視線が、一斉に俺へ向いた。


「お前!」


 先頭の男が低い声で言う。


「ここで……何をした」


 俺は素直に答えた。


「ゴブリンを倒しました」


 沈黙。

 四人の顔から感情が消えた。


「……何だと?」


「だから、ゴブリンを三体」


 少し迷ってから、肩をすくめる。


「僕、なにかやっちゃいました?」


 先頭の男は即座に無線へ手を伸ばした。


「本部、容疑者一名発見。未登録魔法使いの可能性が高い。第三保護区における保護個体三体の消失を確認。応援および監察官の立ち会いを要請する」


「ちょっと待ってください」


「黙れ。魔法使用登録番号を提示しろ」


「登録番号?」


「魔法免許だ」


「ないです」


 空気がさらに冷えた。


「無免許で保護区侵入、保護個体焼殺……?」


「保護個体?」


 聞き返すと、女が信じられないという顔をした。


「ここは国家指定魔物保護区だぞ」


「魔物保護区?」


「そうだ」


「いやいや、魔物って倒すものでしょう?」


 四人の顔がそろって険しくなる。


「……本気で言っているのか」


「本気ですけど」


「手を上げろ。抵抗すれば制圧する」


 男が銃を抜いた。


 俺は両手を見せて首を振る。


「いや、抵抗する気はないです。ただ話せば分かるというか、そもそもゴブリンって」


 発砲音。

 青白い光弾が胸へ飛ぶ。

 しかし光弾は、俺の体表で透明な膜に弾かれ、霧のように消えた。自動防御だ。


 男たちが一斉に顔をしかめる。


「自動防護持ちか!」


「やっぱり神授型かよ……!」


 先頭の男が腰の装置に触れた。円盤状の機械だった。スイッチが入ると、低い振動音が周囲に広がる。

 その瞬間、体の奥から魔力の感覚がすっと消えた。


「あれ?」


「魔法無効化フィールドだ」


 男が冷たく告げる。


「公的執行官には使用が許可されている。お前の魔法はもう使えない」


 再び銃口が向く。


「スタン」


 青い光が肩へ突き刺さる。

 全身が痺れ、膝が抜けた。倒れ込む寸前、俺の頭に浮かんだのは一つだけだった。




 ――この世界、思ってたのと違わないか?




◇ ◇ ◇


 目を覚ました時、俺は椅子に固定されていた。

 白い壁。金属の机。無機質な照明。

 

 どう見ても取調室だ。

 

 向かいにはスーツ姿の男が一人座っていた。四十代半ばくらい。

 痩せた顔に銀縁眼鏡。役人っぽい。


「起きたか」


 男は書類をめくりながら言った。


「では確認する。氏名」


「田中一郎です」


「国籍」


「日本」


 男の手が止まった。


「……日本?」


「はい」


「どこの自治領だ」


「いや、日本は日本です」


 男は隣の記録官らしい女性と目を合わせ、小さく言った。


「異界由来の可能性が高いな」


「照会に該当なしです」


「だろう」


 男は再び俺を見た。


「次。魔法免許番号」


「ありません」


「魔法学校の卒業歴」


「ありません」


「所属組織」


「ありません」


「保護区への入域許可」


「ありません」


 男はペンを置いた。


「つまり、完全無資格で第三保護区に侵入し、保護対象のゴブリン三体を焼殺した」


「いや、ちょっと待ってください」


「何だ」


「その“保護対象”っていうのがまずおかしいでしょう。ゴブリンですよ?」


 その時、部屋の扉が開いた。

 入ってきた男を見て、取調官も記録官もすぐに立ち上がる。


「ルシアン特別執行官!」


「ご苦労」


 男は短く答えた。

 歳は二十代後半から三十前半くらい。金髪を後ろへ撫でつけ、細身の仕立ての良い制服を着ている。

 胸元には深紅の飾緒と、いくつもの勲章。いかにもエリートだった。そして、いかにも嫌な目をしていた。


 ルシアン特別執行官は、椅子に縛られた俺を上から下まで眺め、薄く笑う。


「これが神授型の未登録個体か」


 個体。

 人間に対して使う言葉ではないでしょ。


「思ったより、みすぼらしいな」


 俺は眉をひそめた。


「人の顔見て第一声がそれですか」


「人?」


 ルシアンは鼻で笑った。


「資格も教養もないまま高出力魔法を振り回すものを、文明国家では“危険物”と呼ぶ」


 露骨に見下していた。

 

 ルシアンは机の上の写真を一枚手に取り、俺の前へ投げた。

 焦土の写真だった。


「お前がやったことはこれだ。第三保護区内、保護林区画Cの広域焼損」


 さらに別の写真を机に並べる。金属の輪、焼けた土、溶けた何かの破片。


「ゴブリン三体に装着されていた監視装置の残骸だ」


「監視装置?」


「GPS、生体センサー、簡易保護魔法、行動観測機能。保護個体には当然ついている」


 あのゴブリンにファイアが効かなかったのは簡易保護魔法ってやつのせいか。


 ……ってそんなことどうでもいい!

 俺は全く納得していなかった。


「そもそも、何でゴブリンを保護する必要があるんですか」


「個体数が減っているからに決まっているだろう」


 ルシアンが答えた。


「現在、魔物は国家管理の下で保護・調整されている」


「でも異世界に来たら最初にゴブリンを倒すのは割と定番でしょう」


 取調室が静まり返る。

 ルシアンがほんの少し首を傾げた。


「何の定番だ」


「いや、そういう異世界ものの」


「お前の頭の中の雑な物語の作法で、実在する文明を測るな」


 その言い方はひどく鼻についた。


 ルシアンは椅子にもたれながら続ける。


「ここは近代国家だ。魔法は危険技術として資格制で管理されている。魔物は保護法の下に置かれている。保護区は研究・繁殖・環境維持を担う公的施設だ。お前がしたのは、それら全てを無視した違法行為だ」


「でも、俺は知らなかった」


「知らなかったから許されるなら、文明は成立しない」


 ルシアンは最後に俺を見下ろして言った。


「力は国家に管理されて初めて価値を持つ。資格のない力は、ただの災害だ」


◇ ◇ ◇


 数日後、裁判が始まった。


 傍聴席は埋まり、記者席まで設けられている。

 俺の隣の国選弁護人はひどく顔色が悪い。

 

 検察官が起訴状を読み上げる。


「国家指定保護魔物殺害」

「保護区侵入」

「無免許魔法行使」

「執行官職務妨害」

「監視設備破壊」

「森林文化財損壊」

「国家転覆未遂」


「いや、盛りすぎだろ」


 思わず口を挟むと、裁判官がこちらを見た。


「被告、発言は許可を得てから」


 その後、検察と弁護人のやり取りが続き、空気は明らかに俺に不利だった。

 そしてルシアンが証言台に立つ。


「被告は、文明社会における管理の必要性を一顧だにしない危険個体です」


 気に食わない言い方だった。

 俺は立ち上がる。


「発言を求めます」


「許可する」


「俺……いや僕はこの世界をよく知りませんし、法律や常識を教えてくれれば、ちゃんと守りますよ」


 それに対してルシアンは薄く笑い、証言台に両手をついた。


「しかし彼が持つ魔法は世界を滅ぼしかねないものです! 神から授けられた力とはいえ、個人が持つにはあまりに危険です」


「呼んだかのう?」


 頭上から、場違いなほど気の抜けた声がした。

 天井が白く発光し、柔らかな光が降り注ぐ。法廷が騒然となった。

 光の中から、白髭の老人がふわりと降りてきた。


 神だった。

 

「な、なんだこれは!?」


 ルシアンは呆然と口を開けていた。

 どうやら神はこの世界の常識ではないらしい。


「何じゃ、ずいぶん揉めておるのう」


 俺は叫んだ。


「神様! 聞いてないです!」


「何がじゃ」


「この世界の仕様です! こんなの俺の知っている異世界じゃない!」


 神は本気で不思議そうに首を傾げた。


「ナーロッパじゃが?」


「魔法に免許があって、ゴブリンが保護対象で、森が文化財で、無許可の高位魔法で裁判にかけられる世界がですか!?」


「そうじゃが」


「いや、俺が知ってるのはもっとこう、剣と魔法があって、ギルドに冒険者がいて、ゴブリン倒してレベル上げして――」


 神が静かに遮った。


「お主が知っているのは……都合よく整理されたナーロッパじゃ」


 法廷は俺たちの会話を傍聴していた。

 神は続ける。


「世界が現実に存在し、長く続けば、制度が生まれる。力が危険なら資格制になる。

魔物は資源として利用され、数が減れば保護される。森林が価値を持てば保存される。当然のことじゃ」


 その時だった。


 法廷の扉が勢いよく開かれ、一人の執行官が駆け込んできた。


「緊急報告! 保護区北棟第七飼育空域より保護対象ドラゴン一体が脱走! 市街地方向へ飛行中!」


 法廷が凍りついた。


「……ドラゴン?」


 思わず俺が呟くと、保護区職員が青ざめた顔で答えた。


「国家指定保護魔物、蒼鱗竜エルダリオン級です……!」


 ルシアンが勢いよく証言台を降りて、そのまま走り出す。


「封鎖班を出せ! 飛行制御網を展開しろ! 市街地へ入れるな!」


 さっきまで法廷で俺を断罪していた男が、今度は現場指揮官の顔をしている。

 指示をしながら法廷から出て行き、その声は遠ざかっていく。

 

 法廷全体が焦りと困惑と恐怖でぐちゃぐちゃになっている中、神が声をあげた。


「皆の者」


 全員が神の方を向いた。

 報告してきた執行官なんかは初めて神の存在に気づいたようで、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


「そこの田中一郎、なかなかの能力を授けておる。彼にやらせてみてはどうじゃ?」


◇ ◇ ◇


 裁判は一時停止となり、俺は監督官付きで現地対策本部へ移送された。


 同行したのは、取調べを担当していた男――マルセル監察官だった。

 対策本部は保護区入口に急ごしらえされた巨大天幕の中にあった。魔力通信塔、装甲車両、簡易結界支柱、飛行監視図。

 近代ナーロッパという言葉を、ここほど分かりやすく見せる光景もなかった。


 本部の中心には、灰色の制服に黒い肩章をつけた女が立っていた。


「災害対策局本部長、セレスティーヌです」


 鋭い目つきの女だった。場が締まるタイプだ。


「被告を連れてきたのね」


「裁判所命令……に基づく移送です」


 マルセルが答える。

 実際は神の提案だけど、そんなルールは多分存在しないのだろう。

 セレスティーヌ本部長はすぐに俺へ視線を移した。


「あなたが神授型異界人」


「はい」


「状況は理解してる?」


「保護対象のドラゴンが脱走して、街へ向かってる」


「そう。討伐ではなく制圧・再捕獲が前提よ」


 そこは大事だった。

 俺はすぐに聞いた。


「使用許可の範囲は?」


 本部内が一瞬静まる。

 セレスティーヌ本部長が少しだけ眉を上げた。


「……そこを先に聞くのね」


「前に聞かずに撃って失敗したので」


 マルセルが横で小さく咳払いをした。笑うのを我慢した音だ。

 光板へ状況図が映る。


 巨大な竜影が、市街地外縁の上空を旋回していた。


「対象は蒼鱗竜エルダリオン級。保護区内で飼育・観察されていた飛行種。高い知能と強靭な鱗、長距離飛行能力を持つ」


 別の職員が補足する。


「ルシアン隊は捕獲結界と標準拘束術式で対応中ですが、全部破られています」


「高火力で落とせば?」


 思わず聞くと、セレスティーヌ本部長は即答した。


「保護対象よ」


 だよな。


「翼膜と四肢の制圧、墜落地点の制御、捕獲班との連携が必要」


 俺は頷いた。


「避難は?」


「主要街区は進行中。まだ完了していない」


「じゃあ完了を待ってください」


「時間が惜しい」


「市街地に落としたら終わりです」


 セレスティーヌ本部長は数秒考え、すぐに命じた。


「第二街区、第三街区の避難を最優先。飛行経路先の屋上班を全撤収」


 それから俺を見た。


「臨時執行許可を出す。ただし条件がある。討伐は禁止。対象の生存確保を最優先。翼膜・四肢・行動阻害まで。頭部と心臓への致命打は禁止」


「分かりました」


「監督官はマルセル。現場最終承認は私が行う」


 短い署名と術式印。


「行ってきなさい」


◇ ◇ ◇


 街の上空には、青みがかった巨大な影があった。


 蒼鱗竜。なるほど、ドラゴンである。

 高層建築の屋根をかすめながら旋回し、時折喉の奥で低く唸る。その一声だけで窓ガラスが震えた。


 そして、その手前でルシアンが怒鳴っていた。


「捕獲結界を重ねろ! 進路を切れ! 何故閉じない!」


 だが現場は明らかに空回りしていた。

 恐らく標準拘束術式と思われるものは鱗に弾かれ、捕獲結界は飛行速度に追いつかない。

 部下たちはルシアンの命令に振り回されている。

 

 彼の指示は、たぶん間違っていない。

 封鎖、誘導、捕獲結界。どれもこの世界の正規手順なのだろう。

 ただ、その正規手順が目の前のドラゴンには通用していなかった。


「高火力で翼を狙いますか!?」


 部下の一人が叫ぶ。


「馬鹿か! もし致命傷になってしまったら、資格を剥奪されるぞ!」


 別の職員が怒鳴り返す。

 ルシアンが苛立った顔で歯噛みする。


 倒すことは簡単だ。

 でも倒せない。


 それが、この世界の難しさだった。

 ただの標準的な手順だけでは、この状況を突破できない。


 その時、ルシアンが俺に気づいた。


「何故こいつがここにいる!」


「裁判所命令と本部長承認……という建前で実際は神様の提案だ」


 マルセルの言葉に対して、ルシアンの顔が歪む。


「ふざけるな! 未登録個体を現場へ入れるだと!? こいつは犯罪者だぞ!」


「今は事故対応が先です。彼の実力は神様のお墨付きで、相当なもののようです」


 マルセルの声は淡々としていた。

 ルシアンは俺へ歩み寄り、耳元で吐き捨てた。


「貴様のような野蛮人に何ができる」


 俺はドラゴンから目を離さずに答えた。

 

「少なくとも、今の状況よりマシになるはずですよ」


 ルシアンの顔が真っ赤になる。


「貴様――」


「現場指揮を分離する」


 セレスティーヌ本部長の通信が飛んだ。


「ルシアン特別執行官は外周封鎖へ下がれ。田中一郎、対象制圧に専念しろ」


 周囲の執行官たちが、目に見えてほっとした顔をした。


◇ ◇ ◇


 俺は高層建築の屋上に立ち、ドラゴンを見上げた。


 大きい。速い。そして鱗は硬い。

 殺すのは簡単でも、生かしたまま止めるのは難しい。


 だからこそ、ここで違いが出る。


「やることを再確認したいです」


 俺は背後のマルセルへ言った。


「討伐は禁止。制圧・捕獲のみ。もし致命傷を与えてしまえば……さらに罪を重ねることになる」


「確認しました。避難はどうなっていますか」


「完了している」


「捕獲班の配置はどうですか?」


「予定地点に展開済みだ」


 よし。

 今度は最初から全部確認した。


 前の俺なら、ここでドラゴンごと街を焼いていただろう。

 でも今は違う。


 俺は空を飛ぶ蒼鱗竜の軌道を見る。翼膜が大きい。飛行能力を奪えれば落とせる。

 だが落下地点の制御が必要だ。脚も止めたい。捕獲班が到達するまで動きを封じる必要がある。


「本部、聞こえますか」


『聞こえている』


 セレスティーヌ本部長の声。


「対象の右翼膜、次に左前脚を狙います。墜落地点は……だ、第二封鎖街区?となる予定です」


『許可する。捕獲班を進路先へ集める』


 許可が出た。

 やれやれ、なんで地名一つにこんなたいそうな名前をつけているんだ。


 俺は右手を上げる。


 掌に魔力が集まる。ゴブリン戦の時より、ずっと慎重に。

 高火力だが広げない。必要な部位だけを焼くための一点収束。


「フレアニードル」


 放たれた赤い光が、空を裂いた。


 蒼鱗竜の右翼膜を正確に貫く。

 咆哮。巨体が大きく傾いた。


 すぐに二射目。


「フレアニードル」


 今度は左前脚の関節部。

 鱗の隙間を縫うように熱線が刺さり、ドラゴンの体勢が完全に崩れる。


「落ちるぞ!」


 誰かが叫ぶ。


「ウィンドスルー」


 今度は風による落下進路の微調整。

 建物群を避けるように、巨大な空気の塊をドラゴンへとぶつけて位置をずらした。


 蒼鱗竜は咆哮を上げながら、封鎖済みの街区へと叩きつけられる。


 轟音。

 だが、被害は限定的だ。


「捕獲班、今!」


 マルセルの怒声。


 待機していた執行官たちが一斉に走る。拘束杭、封印鎖、捕獲結界。

 蒼鱗竜は暴れるが、右翼膜と前脚を潰されている以上、飛び上がれない。


 ルシアンが呆然と見ていた。


「あんな奴が……あり得ない……」


 遠くのごく小さな呟きだったが、俺の耳に届いていた。

 聴力強化もあったことに今まで気づかなかった。

 

 蒼鱗竜の咆哮が次第に弱まり、ついに捕獲結界が閉じた。


 静寂。

 現場にいた全員が動きを止めた。


「……捕まえた」


「生きたまま……?」


「市街地被害、最小限……」


 俺はゆっくり息を吐いた。

 額には汗が滲んでいたが、まだ立てる。


 その時、セレスティーヌ本部長の通信が入る。


『対象、再捕獲確認。よくやったわ』


 マルセルがこちらを見る。最初に会った時の目とは、もう違っていた。

 そしてルシアンだけが、理解できないものを見る顔で立ち尽くしていた。


◇ ◇ ◇


 裁判は数日後に再開された。


 空気は、最初とはまるで違っていた。

 もちろん俺が完全に白になったわけではない。保護区で無免許魔法を使い、ゴブリン三体を焼いた事実は消えない。


 それでも、異界由来で制度認識がなかったこと、神格証言がその経緯を裏づけたこと、そして保護対象ドラゴンの市街地襲来に対し、臨時執行許可の下で制圧・再捕獲を成功させたことは、誰にも否定できなかった。

 裁判官は静かに判決を読み上げた。


「被告田中一郎を、国家指定保護魔物殺害、保護区侵入、無免許魔法行使について有罪とする」


 そこまでは当然だ。


「ただし、被告は異界由来であり、本件当時、この国の法制度と管理体制を認識していなかったと認められる。また、神格証言により転移経緯と能力付与の事情が立証されている。さらに、保護対象ドラゴン脱走事案において、被告は臨時執行許可の下で制圧・再捕獲に成功し、多数の市民被害発生を未然に防いだ」


 少し間を置く。


「以上を総合し、刑を大幅に減軽する。よって、被告を禁錮三年、執行猶予五年とする」


 法廷がざわめく。

 かなり軽くなったな、と俺は素直に思った。

 裁判官はさらに続けた。


「なお、被告の魔法適性および当該事案における実績に鑑み、保護観察下での特例教育課程編入を認める。資格取得を前提とした国家監督下の訓練対象者として扱う」


 要するに、正式なルートで魔法使いになれるということだとすぐに理解できた。


 そして同時に、再び神が降臨した。

 タイミングがばっちりすぎるし、随分フットワークが軽い神だと思った。


 神は法廷を見回し、最後に俺を見る。


「田中一郎」


「はい」


 神は少し笑った。


「ようやく"都合のいい物語の主人公"ではなく、"この文明の住人"になったのう」


 その言葉は、今度はすんなり胸へ落ちた。

 俺はしばらく黙っていたが、やがて答える。


「……そうですね」


 そして少しだけ肩をすくめた。


「もしまた転生する機会があったら、世界の常識もインプットしてください」


 法廷のあちこちで笑いが起きた。

 裁判官が苦い顔をし、マルセルが小さく息を吐き、セレスティーヌ本部長は腕を組んだまま呆れたようにこちらを見る。


 神だけが満足そうに頷いて、法廷から消えて行った。

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