騎士養成校
大陸の中で三番目に大きな帝国≪エーデルシュタイン≫。別名≪鉱石の国≫。
その名の通り、大規模な鉱山を支配し、その資源を帝国の財政や権力基盤として利用してきたエーデルシュタインにとって、長い歴史上他国からの侵略は決して珍しいものではなかった。
故に帝国の防衛の要となる帝国騎士団は永久不変でなければならず、騎士養成校とは、いわば国家の命運を左右する施設と言っても過言ではなかった。
帝都の駅前から専用の馬車に乗り込み、ゴトゴトと揺られること一時間。
さわさわと風に揺れる大草原を超え、うっそうと生い茂る森林地帯を抜け、やがて辿り着いた先に待っていたのは、広大な敷地の周囲を白い塀壁に囲まれた、まるで城のような騎士養成校。
さすがは守護の要となる騎士を育てる施設というべきか、正面には帝国の紋章が刻まれた正門が悠然と構え、警備兵らしき男達が次々と訪れる馬車を停車させては一台一台検めている。
おかげでエミール達を乗せた馬車の前には長い列ができ、正門をくぐるにはしばらく時間がかかりそうだ。
とは言え、多くの機密事項を管理し、漏洩させない為には至極当然の検問なのだろうけど。
「緊張する?」
期待に胸を膨らませ、そわそわと落ち着きなく外の様子を窺うエミールの右隣で、騎士の制服を着用し、深紅色の長い髪を一つに束ね、優雅に足を組む三兄ウィリアムが気遣わし気に声を掛ける。
普段見慣れている姿とは異なり、高貴な色とされる藍色の制服をぱりっと着こなし、胸元には帝国騎士団小隊長の証である徽章をつけ、片手にロングソードを持つ姿はまるで別人。
そしてその姿は、これから騎士を目指すエミールにとって憧れそのものであり、緊張をするどころか却って心を躍らせた。
「逆、逆。兄貴達のかっこいい姿を見て俄然やる気になった」
誇らし気に「へへ」とはにかむと、ウィリアムは翡翠色の瞳を細め、柔和な面持ちでエミールの頭にそっと手を添えた。
すると間を置かず、今度は真正面に座る次兄イザークが腕を組み「ははは」と豪快な笑い声を上げる。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか!お前のその楽天的な性格は俺似だな」
容姿こそウィリアムと瓜二つだけれど、髪を短く刈り上げ、制服の胸元には大隊長の徽章、傍らにはロングソードよりも少し剣身が太いブロードソードが置かれ、その姿は凛々しく勇壮だ。
「しかし大したもんだな、エミィは。どこぞの三兄と大違いだ」
「ちょっと、イザーク!」
続けざまに発せられた言葉に、ウィリアムは珍しく声を荒げると、鋭い眼差しでイザークを睨みつける。
「あ?別にいいじゃねぇか、減るもんじゃねぇし。なぁ、エミィも知りたいよな?こいつの入団初日の様子」
「あーっと……」
「エミィは知らなくていい話!……ね、イザーク。いい加減にしてくれないかな」
「いやいや、あの時のお前の姿をぜひエミィにも知ってもらわねぇと……って、おい!」
イザークが悪戯めいた表情を浮かべ、懲りずに言葉を続けるも、いつの間にか自身の柄へと手を伸ばすウィリアムを見た途端、表情を一変。
「おま、それ、規律違反だからな!」
「だったら……」
「わーったよ!悪かったって!」
普段温厚な人間が怒った時の豹変ぶりは時として恐ろしい迫力がある。
イザークはそこでやっと諦めたのか、顔を引きつらせると、エミールに向かいバツが悪そうに苦笑した。
歳が一つしか変わらず、同じ深紅の髪と翡翠色の瞳、双子のような容姿の二人だけれど、性格はまるで正反対。
そのため幼い頃から何かと小競り合いが絶えず、その度に母親か長兄アルベルトに窘められていたのだけど、その賑やかな日常はエミールにとって今では良い思い出だ。
(なんか良いよな……こういうの)
兄達が自立し、母と二人きりで過ごす穏やかな日々はもちろん幸せだ。
けれど、そんな毎日にどこか物足りなさを感じ、虚無感を抱かないと言えば嘘になる。
だから昨夜はアルベルトの部屋で久方ぶりに四人で和気あいあいと語り合い、そのまま朝まで仲良く身を寄せ就寝したことは、兄達には内緒だけれど涙が溢れるくらい嬉しかった。
更に入校式である今日、本来であれば一人で養成校まで赴くところを、急遽イザークとウィリアムが半休を取り同行をすると知った時は、嬉しさの余りつい小躍りをしてしまったほどだ。
ちなみにアルベルトはというと、連隊長ゆえにどうしても外せない任務へ向かわなければならず、早朝まだベッドで眠りこけるエミールに思い切り頬ずりをし、泣く泣く部屋を後にしたのは後から聞かされた話。
「ところでエミィ。首飾り、ちゃんと身に着けているよな」
ふと、イザークが首元を覗き込むように視線を落とし、尋ねる。
「え?……あぁ、これ?」
エミールはおもむろに首元から細い銀の鎖を持ち上げると、その先端で光る小さな黒い石を手の上にころんとに乗せた。
それは最強の魔除けと云われる宝石『黒水晶』。
物心つく前、今は亡き父から贈られ、それ以来アミュレットとして肌身離さず持ち続けているものだ。
「もちろん忘れないよ。父さんから貰った大事な物だし。それにさ、これ持ってるとなんだか落ち着くんだよな」
特殊な技術により加工された黒水晶は純粋なものほど光を通さず、エミールは手の中でころころと転がる漆黒の石を見つめつつ、目元を緩めた。
「それ、絶対に外すんじゃねぇぞ。風呂も寝るときも、訓練中もだ」
「え?訓練中も?俺、調子に乗ってるって怒られねぇ?」
ぱっと顔を上げ怪訝に眉を寄せると、イザークは穏やかに顔をほころばせつつ、かぶりを振った。
「心配ない。騎士の中にも≪まじない≫を込めたアミュレットを身に着けて出征する奴、大勢いるからな」
「そうそう。装飾品は華美でなければある程度は許されるんだよ」
「ふぅん……」
続けざまに語るウィリアムを一瞥し、そういうものなのかと再びネックレスに目を落とす。
すると突然ガタンと振動が響き、エミール達を乗せた馬車はようやく正門へ向かい進み始めた。
(ここが……養成校……)
兄達が同行してくれたお陰か、すんなりと検問を終えたエミール達。
やがて馬車はゆっくりと正門を通過し、瞬く間に視界一面に広がるのは、よく手入れの行き届いた青々とした芝生の広場。その周りには季節の花々が植えられた美しい花壇が並び、傍らにはベンチが備えられ、猛々しい養成校というよりはまるで貴族のマナーハウスのよう。
馬車はそのまま広場を通り過ぎると、やがて赤茶色のレンガと藍色の屋根が趣を感じさせる三階建ての壮麗な屋敷の前で停車をした。
エントランスには他にも大小様々な馬車が何台も停車しており、逞しい男達が次々と降りては、互いに声を掛け合い、比較的賑わいを見せている。
(さすがにここまで来ると緊張するな。でも俺には兄貴達が――)
「エミィ。残念だけど、僕達はここまでだよ」
「へ……」
ウィリアムの予想だにしない一言に、思わず間抜けな一言が漏れ出る。
「すまん。俺達正騎士も、これ以上は特別な許可が無きゃ入れねぇんだよ」
続けてイザークも声のトーンを落とすと、申し訳なさそうに表情を曇らせた。
「そ、そうなんだ……」
言葉を詰まらせた途端、エミールははっと気付かされる。
それは自分は思っていた以上に覚悟が足りていなかったということ。
故郷を離れる時、何度も何度も己を鼓舞し、心を固めてきたつもりでも、兄達の温かさに触れた途端、抑えていた弱さが一気に溢れ出し、心のどこかで『兄達に頼ればいい』という甘い考えを抱いてしまった。
けれどこの瞬間から、優しく力強くエミールを導いてくれた兄達に頼る事は一切許されない。
(だから――)
「ここまでありがとう、イザク兄、ウィル兄。俺、行ってくるよ!」
エミールはぐっと拳を握り締め、自分を奮い立たせると、別れの挨拶もそこそこに、足元に置かれたリュックを肩に掛け、勢いよく馬車の扉を開け放った。
背後で二人の慌てる声が聞こえる。
けれど決して振り向かない。
次に会えた時、大きくなったと認めてもらう為に。
「はぁ……行っちまったな。しばらく見ない間に随分と男らしくなりやがって」
「本当に……。僕達の後ろを必死になって追いかけていたあの頃が懐かしいね」
帝都への帰路、ゴトゴトと馬車に揺られながら、イザークとウィリアムは互いに吐息を漏らした。
「しっかし、お前、相変わらずエミィの前だと猫かぶってんな。戦場での姿見せたらエミィの奴ちびっちまうんじゃねぇの?なんだっけ。確か≪無慈悲の≫――」
「その名前で呼ばないでくれる?他人が勝手に付けた二つ名なんて興味ないし、僕は任務を遂行しているだけなんだけど」
腕を組み、にやりと口の端を上げるイザークを、ウィリアムがじっとりと睨み付ける。
「あーそう。んで、その遂行のお陰で中隊長すっ飛ばして大隊長の任命来てんだろ。どうすんの?」
「もちろん断るよ。これ以上昇格すると、いざエミィが騎士団に入団した時、傍にいられなくなるからね」
帝国騎士団では指揮系統の乱れが起こらないよう、指揮命令が階層を追って一方的に流れる組織構造となっている。
つまり新人騎士の世話を担うのは、その一つ上の階級の騎士となる為、昇格すればするほどエミールと接触する機会は失われていくのだ。
「逆にアルベルトみたく昇格しまくって自分の隊に引き入れるって手もあるけどな。実際あいつさ、周りに根回しし始めたらしいぜ」
「アルベルトのエミィ贔屓も相当ひどいね」
「ははは!それを言うなら俺達だろ?」
「まぁね」
やれやれとウィリアムは苦笑をすると、イザークから視線を離し、流れゆく景色をぼんやりと眺め始めた。
先程まで大きく見えていた白い城壁はいつの間にか遠ざかり、次に会えるのは一体いつなのだろうと溜め息ばかりが漏れ出てしまう。
騎士養成校は全寮制である為、その一日の行動が厳しく管理されており、外出許可が下りるのは月に数回程度。それも与えられた課題、試験を突破した者だけだと聞く。
実際、騎士として出征へ向かえば長期間に渡り行動が制限され、自由な時間は皆無だ。
故に養成校のうちから疑似体験をさせ、順応させておく狙いがあるのだろう。
「なぁ、養成校の寮って個室?相部屋?」
先程まで威勢よく笑い声を上げていたイザークが、不意に声を落とし尋ねる。
その様子にウィリアムはすぐさま視線を戻すと、そこには前屈みになり、どこか焦りを滲ませる翡翠色の瞳がこちらを見つめていた。
「確か二人用の相部屋じゃなかった?」
「あー……そうか……」
返事を聞くや否や、「はぁ」と大きな溜め息を吐き、項垂れるイザーク。これにはさすがにウィリアムも妙な胸騒ぎを覚え、眉根を潜める。
「どうかした?」
「いや、あんま考えたくねぇんだけどさ……」
険しい表情でイザークは一呼吸置くと、前髪を掻き上げ、正面に座るウィリアムを見据えた。
「エミィの奴、変な男に狙われたりしねぇよな。……お前も以前、野営中に襲われかけただろ。未遂だったけどよ」
その言葉にウィリアムはぴくりと顔を強張らせる。
「それって……養成校の中でも同じことが起こるかもしれないってこと?」
「もしもの話だ。けどな、エミィの奴可愛いだろ?んで、実際初日から狙われた」
しんと静まり返る室内。道が悪いのか、車輪の音だけがやけに大きく響き渡る。
「もちろん恋愛感情ありきなら俺も文句言わねぇよ。心配してんのはお前の時みたいに無理やりってやつ。エミィさ、剣術は文句ねぇけど、寝込みを襲われでもしたら押し負けちまうだろ。かと言って、ありもしないことで教官に四六時中見守ってもらうわけにもいかねぇ」
イザークは体を起こし、背もたれに体重を預けると、苛立ちを含んだ吐息を漏らしつつ腕を組んだ。
ウィリアムもまた険しい表情で頷くと、窓の外を一瞥する。
「それに、自己防衛魔法も無理だよね、あそこ」
途端、正面から特大の舌打ちが響き渡る。
「あぁ、気付いたか。あの敷地の周り、すげぇ強力な結界を張ってやがる。自己防衛魔法のような微弱な魔法は簡単に弾かれちまうな」
「さすがは帝国の機関。小さな蟻一匹の侵入すら許さないって感じだね」
「はぁ……。誰か俺達の代わりにエミィを守ってくれる奴、いねぇかな……」
二人は互いに押し黙ると、再び大きな溜め息を吐いた。




