Ⅲ変わりやしない日常(13)
生まれた時に持っている性質のことを、〇〇ガチャと揶揄することがある。
EX-Shoppingビルから転落した2人は、親ガチャに失敗していて、飛び降りたのはリセットボタンを押したに過ぎない。そんな風にも思えるのだ。
世界はゲームのようになっている。ゲームというアート、その存在の拡大がゲームの視点から、世界を認識するようになったというべきか。生まれたことをガチャに例えるなんて、ゲーム世界が基準となっていて、そのあり方というのは、ただちょっとした言葉のお遊戯ではなくて、その言葉通りの世界になっていく。ガチャなんて言ってしまったがゆえに、その言霊が現実を変えていくのだ。
親がどんな人間であろうと、自分を助けてくれるような大人との出会いがあれば、2人は自殺せずに済んだかもしれない。麻薬を吸うこともなかったかもしれない。麻薬を拒否できたかもしれない。麻薬を2人に渡した人間に出会わなかったかもしれない。一つ一つの些細な出来事が、この悲劇を導いたのに、ただ親という基点だけを見て、不幸が起こったなんて思うのは、現実ではなくて概念しか見ていないという証拠だ。
作者も、今目の前にある現実があまり好きではない。だから、梓と椿と貴を物語の中で異世界に飛ばした。どうあったらいいと思っていた?どうやったら、高校生を助けられた???




