Ⅰ大人になる(36)
梓は可哀そうなことに、持病の発作で突然亡くなった。
そういう事実を梓を知っている人たちが共有した。確かに、それは間違いのない事実だった。けれども、そこには生存の可能性がわずかにあった。三屋が救急車を呼んでいたら、もしかしたら助かったかもしれない……。
三屋の中はその可能性を知らないことにした。梓が、貴と椿の作品を見るために観光案内所に向かっていたということは、誰にも分からないかもしれないけれども、恐らくそうだ。でもその可能性は、自分の中に収めておくことにした。
この過去の光景を、映画のように見ていた。
もしもこの世界に存在していたら、身体のある者だったのなら、こんな光景を見ることはなかった。
三屋の隠していた物語を、見なくてもいい物語を知ってしまった。
三屋は梓が生きていたかもしれないという可能性を隠していたこと、このことに罪悪感を覚えていなかったかというと、それは嘘になる。だが、それ以上に、「梓が死んでよかった」という思いが三屋の中にはあった。彼女は、不憫な障害者だ。不幸な境遇で生き続けるよりも、若くて可愛い、喜んで世話をしてくれる人がいるうちに死んだ方が幸せだ。そういう思いもあった。
「俺は、悪いことなど何もしていない。むしろ、これは良いことだったのだ」
三屋が歩けなくなるという境遇に立たされたなら、自分が自分で居られるうちに死にたいと思う。無様な姿をさらして迄、生きるというのは耐えられない。しばらく前にスイスで安楽死をしたという日本人のドキュメンタリーを見たが、その安楽死をしたいという人間に対して、同情的だった三屋がいた。安楽死は、自ら死を選択できるということは、人間の尊厳を守るために必要なことだと三屋は思う。
それに、梓が死んで居なくなったからこそ、椿と貴のビジュアルパフォーマンスはうまくいった。追悼の意味を込めた音響と映像の舞台は、追悼の意味が込められたから、賞賛を得ることができたのだ。死は心を震わせるための最高のスパイスだ。
椿は、三屋の心の内を知った上で三屋の目の前にいた。
「ねぇ、椿。君ならどう思う?」
三屋は見ている椿に向かって、そう投げかけた。
「何が?」
「僕は、とても優しい。そう思わないか?」
「それはどういう意味?」
「僕は、梓を助けられたかもしれない可能性について黙っていた。だから、君たちのビジュアルパフォーマンスは、みんなに賞賛された。君たちに映像や音響ソフトを教えたこともさながら、梓の追悼というシチュエーションをもたらしたことが素晴らしいと思わないか?」
「アンタが、梓を見捨てたってこと、そんなの許されるはずないでしょ」
「でも、お前たちだって見捨てるだろ。優秀な高校に行くっていうことは、この町を出ていくってことなんだから」
三屋は話の流れにない高校入試や遠方の高校に行くことを引き合いに出した。




