私の婚約者と駆け落ちした妹が、赤ちゃんのお世話を押しつけにやって来た
アベル視点の短編を投稿しました↓
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『おねえさまへ☆
おねえさまにも、育児のすばらしさを味わわせてあげようと思うの。
3日後に迎えに行くから、それまでよろしくね~☆
追伸 お父さまがお金をくれないので、育児用品が買えません。
おねえさまが、可愛い可愛い♡姫ちゃんのために、お金を出してくれてもいいのよ?
ほら、姫ちゃんのお顔を見て。
アベルの面影を感じて、とっても可愛いでしょう♪
あ、アベルがおねえさまの元婚約者だからって、嫉妬して、姫ちゃんに意地悪するのはやめてね? あのことはもう終わったことだし、子供に罪はないのよ?
それじゃあ、おねえさまは【破壊公爵】様とお幸せにね☆』
「………………何コレ???」
私は唖然として、手紙を見返した。
見返したら、内容が変わってくれないかな~と一縷の望みを託してみたけど、悲しいことに3巡しても、頭の痛くなる内容だった。
この筆跡はどう見ても、私の妹――あ、今は勘当されているから、元・妹だっけ?――のきゃぴきゃぴとした字体だ。
「カトリーヌ、どうした?」
低いけれど、優しさを内包した声がかかる。
私を心配そうに見つめているのは、旦那様だった。
黒髪黒目。いかにも屈強そうで大柄な体躯。隣に並ぶと、私の頭が旦那様の胸の辺りにくる。しかし、逞しい体付きに反して、顔立ちはすっきりとしていて、私を見つめる眼差しは優しい。
私の旦那様。
手紙に【破壊公爵様】と書かれていた人だ。でも、その別名はもう過去のものだけどね。
公爵家の当主、ファビアン・シャレット様。
私は咄嗟に手紙を隠そうとしたけれど、ファビアン様は素早く私の手からそれをとりあげた。
文面に視線を落とすと、どんどんと額のしわが深くなる。
ファビアン様は昔は悪い噂まで流れていたせいもあって、皆から恐れられていた。そんな彼が険しい表情をしてみせると、更に威圧感がある。
「何だこの文面は……。腐っているな」
吐き捨てるように言ってから、ハッとして、私を見る。
途端に怖い顔は氷解した。眼差しを細めて、彼は優しい声音で続ける。
「あ……いや、すまない。君の身内に対して、失礼なことを言った」
「いいんです、ファビアン様。それにローラは、実家からはもう勘当されていますし……。それにしても困ったわね」
私はため息をついて、侍女を顧みた。
彼女の腕の中には、おくるみに包まれた赤ちゃんがいる。妹の手紙と共に、この公爵家に届けられたのだ。今朝、屋敷の前にカゴが置かれていた。使用人が開けてみると、中にこの子が入っていたらしい。
妹の姿はすでにそこになかった。赤ちゃんを置いて、すぐに逃げたみたいだ。
今の季節は春とはいえ、朝方はまだ冷える。そんなところに赤ちゃんを置き去りにするなんて……我が妹のやったことながら、本当に頭が痛い。
幸いにも赤ちゃんは無事で、今は侍女の腕の中でおとなしく抱っこされている。
ファビアン様は赤ちゃんを見ると、また険しい顔に戻る。
「赤子の面倒は、侍女に任せよう。両親の居場所を特定次第、その子はすぐに送り返す」
「待ってください、ファビアン様。私、この子の面倒を見ます」
私がそう言うと、ファビアン様も、侍女たちも唖然とした。
「何を言っているんだ。カトリーヌ。君の妹は、赤子の世話を都合よくこちらに押しつけようとしているのだぞ。君が手を煩わせる必要なんてないじゃないか。それとも、妹に同情でもしたか?」
「いいえ。そんなんじゃないですけど。私がこの子のお世話をしたいんです。……ねえ、私にも、抱っこさせてくれる?」
私がそう言うと、侍女は恐る恐る赤ちゃんを差し出してきた。
彼女に抱っこの仕方を教わる。首は据わっているから、縦に抱いてもいいとのこと。赤ちゃんの頬を私の肩に寄せるような形で、抱っこしてみた。
わ、赤ちゃんって、なんだかいい匂いがするのね……!
ほんのり甘いような……この匂い、癒される。
その子の顔を見てみる。
あら、父親のアベルには全然似ていないのね。髪も目の色も亜麻色。これは妹のローラの特徴だ。そんでもって、私とも同じ色。
だから、この子は本当に私の姪っ子なんだなあと実感が湧いて、可愛く思えてきた。あんな馬鹿な妹が産んだ子とはいえ、この子に罪はないものね。
背中をとんとんと叩きながら、あやしてみる。「あー、う」あ、笑った! 可愛い。
「そうだ。この子の名前は何て言うんだろう?」
「奥様。おくるみにお名前が書かれていましたよ」
「よし、どれどれ……」
ちょっと失礼して……。
赤ちゃんのおくるみをめくってみれば。
『姫の名前:ヘーゼルナッツちゃん☆』
いや、ナッツじゃん……!?
ちゃんと人名をつけてあげてよ!
◇
さて、私の馬鹿な妹について、紹介しておこうと思う。
1年前まで、私には婚約者がいた。
それが伯爵家のアベルだ。
もうすぐ結婚式……というところで、アベルがこんなことを言い出した。
『すまない、カトリーヌ。君との婚約を破棄したい』
本当にいきなりのことだった。
私はびっくりして、アベルに理由を問いただした。
しかし、アベルは難しい顔で黙りこくるばかりで、何も答えてくれない。重苦しい沈黙が流れ、無言の圧力で「察しろ」ってな感じだった。
理由も教えてくれずに、婚約を破棄しようなんて……そんなの納得できるわけないじゃない。
『そうですか。わかりました。それでは、このことは両家に報告させていただきます』
私が呆れ切ってそう言うと、アベルは途端に焦り出した。
『これは君と僕の問題だ! 家は関係ないだろう』
何言ってるんだろう、この人。
私は冷静にそう考えていた。
貴族同士の婚約だ。それも政略結婚だ。
家は関係ない? そんなわけないじゃない。
私が淡々とその旨を指摘すると、アベルは今度はふてくされたような表情になった。
すると、
『やめてよ、おねえさま! アベルをいじめないで!』
話に割りこんできたのは、妹のローラだった。
『ローラ。あなたには関係のないことよ』
『あるもん! だって、私のお腹には……!』
『ろ、ローラ、やめろ!』
アベルは焦って、彼女の言葉を遮ろうとしたけれど、時はすでに遅かった。
『私のお腹には、赤ちゃんがいるのよ! アベルの子よ!』
――その発言は、両家に投下されたとんでもない爆弾だった。
アベルの有責により、私たちの婚約は解消された。
両親は怒り狂って、妹のローラを勘当した。また、伯爵家の方でもひと悶着あったらしく……しばらくすると、ローラとアベルは書置きを残して、いなくなっていた。
駆け落ちしたのだ。
噂によれば、アベルは生まれてくる子のために、真面目に働き始めたとのことだった。実家の後ろ盾はなく、学校も途中退学した彼に選べる仕事はない。昼間は食堂で雑用をこなし、夜になれば売れそうな薬草を探すために外を駆け回っていると聞いた。
ずっと温室育ちだったお坊ちゃんが、よく頑張っているなとは思う。
私はもう二度と顔を見たくないけど、こちらの目の届かないところで、頑張ってほしいとは思っていた。
さて……問題は私の方だ。
両親は今回の婚約破棄に激怒して、妹を勘当した。
だから、私の味方をしてくれたのだと思うでしょう? でも、それはちがうのだ。
だって、両親は妹と同じくらい、私にも腹を立てていたから。
「伯爵家との縁を結べる、絶好の機会だったというのに! それを台無しにするとは! カトリーヌ、お前が婚約者の心を、きちんとつなぎとめておかないからだぞ! お前に魅力がないから、こんなことになったのだ!!」
両親はいかにも貴族らしい貴族だった。
何よりも体面と世間体を重んじる。
そんな彼らからすれば、家の名前に泥を塗った妹も、私も同罪みたいだ。
元々、両親は私のことを持て余していた。部屋にこもりきりで、妙なことばかりやっている娘だと……貴族の娘として恥ずかしいと、私のことを疎んじていた。
「お前のせいで良縁を棒に振った。この償いはしてもらうからな。お前は『破壊公爵』と噂の……シャレット家に嫁いでもらう!」
『破壊公爵』――それはファビアン様の別名だった。
彼はそう呼ばれて、人々から恐れられていた。
彼が体に宿す魔力量は、常人のそれよりも突き抜けている。それ故に彼は、魔力を制御しきれていなかった。
ファビアン様は感情が昂ると、無意識で魔法を発動させてしまうのだ。そして、周囲にいた人も、物も、吹き飛ばしてしまう。
だから、ファビアン様はできるだけ感情を抑制するように努めていた。いっさい笑わず、話し方は冷静に。
言葉もあまり発さないようにしていたらしい。
常に厳めしい顔で黙りこむ男……それも『彼に近付くと、魔法で攻撃される』という噂まで広まっていた。
だから、どんな令嬢も彼との縁談は避けたがる。
私が公爵家に嫁いだ後も、ファビアン様は私のことを徹底的に遠ざけようとした。初めの挨拶の時も私とは距離をとって、怖い顔で一言だけ告げたのだ。
「…………私には近付くな」
そして、彼はすぐに自室へと引っこんでしまった。
侍女伝いに、ファビアン様からの伝言を受けとった。
『これは契約結婚だと思ってくれて構わない。ここでの暮らしが嫌になったら、すぐに言いなさい。いつでも離縁に応じる』
私とファビアン様はしばらくの間、屋敷の中で顔を合わせることもなかった。
当然、寝室も別々だ。
夫婦になったはずなのに、私とファビアン様は他人よりも遠い存在だった。
それなら仕方ない……むしろ好都合とばかりに、私は自室に引きこもった。そして、思う存分、自分の趣味に没頭することにした。
◇
ヘーゼルナッツちゃんのお世話は、本当に大変だった。
「うえええええええ! びえええええ!」
彼女が大人しかったのは、初めのうちだけ。
そのうち何をしても泣き止まないようになったのだ。
両親がこの場にいないことに気付いたのかしら?
私はずっとヘーゼルナッツちゃんを抱っこしていた。
「おー、よしよしよし」
しばらく抱っこしていると、泣き止んで、すやすやと眠り始める。
ふふ、寝顔は可愛い。
私はヘーゼルナッツちゃんをベッドに寝かせようとした。
だけど、彼女の背中が布団に触れた途端――。
「びええええええええん!」
彼女は火が付いたように泣き出すのだ!
どうして!? どうしてお布団で寝てくれないの……?
だから、私はまたヘーゼルナッツちゃんを抱っこする。ただ抱っこしているだけじゃ、彼女は泣き止まない。
一定のリズムで揺れてあげないといけないのだ。
ゆーらゆーら……。
しばらく揺れていると、彼女は眠り始める。
よし、今度こそ!
私は今度は細心の注意をもって、彼女をベッドに横たえようとした。
そーっと、そーっと……。
しかし、どんなにそっと体を置いても、布団に寝かせた途端……。
「びえええええええええ!」
はい、初めからやり直し!
それからしばらくの間……私はヘーゼルナッツちゃんの寝かしつけに格闘した。
最終的にはヘーゼルナッツちゃんを布団に横たえて、離れると泣いちゃうので、私も覆いかぶさるという技まで生み出した。
その間、何度も、
「奥様……私たちがお世話を代わります」
と侍女たちには言われ、
ファビアン様にも何度も、
「少し休んだらどうだ、カトリーヌ」
と心配そうに言われた。
私はその度に答える。
「いいんです。私がこの子の面倒を見てあげたいので」
とはいえ、そろそろ限界かも。
赤ちゃんがいくら軽くても、ずっと抱っこしてると腕が痛い。
今はまた、無限ゆらゆらタイムに入っていた。立って揺れてないといけない。座ると泣き出してしまうから。
「まったく、君は……。ほら、その子をこちらに」
痺れを切らしたようにファビアン様が言う。そして、ヘーゼルナッツちゃんを私の腕の中から、優しく抱き上げた。
ファビアン様は体つきも逞しいし、無表情でいるといかめしい顔立ちをしている。
そんな彼が赤ちゃんを壊れ物でも扱うかのように、優しく抱いている。
「だーっ」
あ、ヘーゼルナッツちゃんが、ファビアン様のほっぺをぺちぺちしてる。そして、何が楽しいのか、けらけらと笑った。
その様子を眺めて……ファビアン様が、ふ、と小さく笑った!
無邪気な赤ちゃんと、無骨な旦那様……とっても貴重な光景ね。見てると癒される……!
私が笑っていると、ファビアン様はハッとして、とりつくろうように咳払いした。
「カトリーヌ! 見ていないで、君は休んできなさい。その間、この子の面倒は私が見よう」
はーい。
意外や意外。
ファビアン様って子供が好きなのかしら。それは嬉しい情報だと私は思った。
そんな感じで、慌ただしく3日間が過ぎていった。
その間、ファビアン様は赤ちゃんの両親の行方を探していたようだ。
そして、3日目の朝。
「ヘーゼル! うちのヘーゼルはどこにいるんだ!!」
屋敷にやって来た人は、半狂乱で叫んでいた。
ヘーゼルナッツちゃんの父親……私の元婚約者、アベルである。
彼は私がヘーゼルナッツちゃんを抱っこしていることに気付く。
すると、慌てて駆け寄ってきた。
もう二度と会いたくないと思ってきた人。それも鬼気迫る様子で寄って来たから、私はヘーゼルナッツちゃんを抱えこんで、半身をひねる。
ファビアン様が私を守るように、立ちはだかった。
「私の妻にそれ以上、近付くな」
ファビアン様が冷然とした声で言い放つと、アベルは怯えた様子で後ずさる。
私はアベルに婚約破棄を告げられた時のことを思い出していた。
この人は……妹との不貞のことを自分では口にできなかったくらい、臆病で、卑怯な人だった。今もファビアン様の迫力に気圧されたように、青い顔をしている。
きっとあの時のように、また黙りこんで、誰かがどうにかしてくれるのを待つつもりなのだろう。
――そう思った直後。
アベルがとった行動に、私は驚くことになる。
彼は勢いよく膝をついて、額を床に押し付けたのだ。
そして、沈痛そうな声で告げた。
「この度は……うちのローラが、大変なご迷惑をおかけしました……。公爵様に娘を保護していただいたこと……その寛大なお心に深く感謝いたします……」
うそ……?
あの卑怯で、臆病だったアベルが、こんなことを……?
私が唖然としていると、甲高い声が響いた。
妹のローラだ。
「ちょっと、アベルったら! どうしてあなたが頭を下げてるの!? 私はおねえさまにも、育児のすばらしさを味わわせてあげようと思っただけで……」
「黙れ!」
アベルはローラの体を押さえつけ、彼女も床に這いつくばるようにした。ローラの頭を床に押し付けている。
「僕が仕事で家を空けている間に……どうしてこんなことになっているんだ。君は言っていたじゃないか! 1人でもちゃんとヘーゼルの面倒を見ると! それなのに、まさか大事な子供を、シャレット様の屋敷に置き去りにするなんて……!」
ローラは彼の手を振り払って、喚いた。
「だって、不公平よ! 何で私ばっかり、赤ちゃんのお世話をしなきゃいけないの!? 夜泣きだってひどくて、私、全然眠れてないのよ!? こんな結婚なんてしなきゃよかった! あーあ、とんだ見込みちがいだわ! おねえさまから婚約者を奪うには、妊娠しちゃうのが一番だと思ったのに……そもそも、それが大きな間違い……」
「この……! お前、今、何と言おうとした!?」
アベルは血走った眼で、ローラの胸ぐらをつかむ。手を振りかぶろうとしたところで、
「やめてください」
私は冷静な声で割って入った。
「夫婦喧嘩ならよそでやってくださる? この子だって見ているのよ」
アベルはハッとして、ヘーゼルナッツちゃんの顔を見る。それから深々と項垂れた。
一方、ローラは子供の顔なんてまったく見ていなかった。ここに来てからというもの、ヘーゼルナッツちゃんのことを心配するそぶりをいっさい見せない。
それどころか、彼女は顔を上げて、ファビアン様を見ていた。頬を紅潮させると、
「どういうこと……? あなたがあの【破壊公爵】なの……?」
ファビアン様は私を気遣うように、腰を抱いている。
その立ち姿を一心に見つめてから、ローラは、ほう、と息を吐いた。
ふらふらと立ち上がり、ファビアン様に手を伸ばす。
「ねえ……公爵様。実はあなたにご相談したいことがあるんです。よければ今度……」
「寄るんじゃない」
ファビアン様は、ぞっとするほど冷たい声で言い放った。
「大切な妻の身内だからと、今回の件は大目に見てやっているんだ。自分が何を仕出かしたのか、まだわかっていないのか? それ以上、私とカトリーヌに近付けば、この場で処罰することも辞さない」
「なっ……!?」
ローラは屈辱で顔を赤くする。
「ど……どうしてよ! おねえさまばっかり、こんな大きな屋敷に住んで、そんなに素敵な人と結婚するなんて……! ずるいわ!」
「お前は、黙れと言っているんだ!」
アベルが怒鳴りつけて、もう一度、ローラの頭を掴んで床へと引き倒した。自分も深々と頭を下げながら、
「この度は大変なご迷惑をおかけしました……。今回の件について、償いは必ずいたします……。ですからどうか……どうか、娘を返してはいただけないでしょうか…………」
手が震えている……。
アベルがここまで大人びた対応をとれるなんて……。本当に予想外だ。
今回はそれに免じて、許してあげることにした。
私は彼にヘーゼルナッツちゃんを引き渡す。
「この子……ずっと親を探して、泣いていたのよ」
私がそう言うと、アベルは顔をくしゃりと歪めた。
「ヘーゼル……! すまない……すまない……っ」
赤ちゃんを抱きしめると、半泣きでその場に崩れ落ちる。
一方、ローラはふてくされた顔でそっぽを向いている。やっぱりヘーゼルナッツちゃんにはまったく興味がないみたいだ。
私はアベルに向かって言った。
「あなた……変わったのね」
アベルはハッと目を見張ってから、おずおずと告げる。
「……父親になりましたから」
「その子はとっても可愛い子ね。大事にしてあげて」
「はい……必ず……」
彼は私とファビアン様に向かって、もう一度、大きく頭を下げた。
そして、険しい表情でローラの腕をつかむ。
「ローラ。帰るぞ」
「いやよ、いや! あんな粗末な家なんかに帰りたくない! もう赤ちゃんのお世話なんてしたくない! 私も公爵家に住むの! こういう大きなお屋敷に住んで、楽をして暮らしたいの!」
最後まで母親の自覚を得ることができなかったのは、ローラだけだったみたいだ。
――のちに、風の噂で聞いた。
アベルとローラは離縁することになって、ヘーゼルナッツちゃんは父親に引き取られた。
その話を聞いて、私はホッとしていた。
アベル……1年前まではどうしようもない人だったけど、あの様子なら安心できる。
ヘーゼルナッツちゃんが幸せになれたらいいと思う。
ローラの方は養ってくれる人がいなくなって、困窮しているようだ。彼女が育児放棄していたという噂は、街中に広まっているらしい。特に年配の女性から、ローラはひどく嫌われていると聞いた。
今は誰もやりたがらないような仕事を、這いつくばって頼みこんで、どうにかもらって、それで食いつないでいるのだという。
……あの子には、いい薬になるでしょう。
ヘーゼルナッツちゃんがいなくなると、急に家の中は静かになった。
「少し寂しいですね」
私がそう言うと、ファビアン様が寄り添うように私の背中に手を置く。
そして、私の耳元でこんなことを囁いた。
「――それで? そろそろ何をたくらんでいたのか、教えてくれないか」
「あら……ファビアン様。いったい何のことです?」
「君が赤子の世話をすると言い出した時には驚いた。そして、君は本当に熱心だった。赤子の世話はとても大変だったのにも関わらず、君の顔は活き活きとしていた。……まるで新しいアイディアが閃いた時のように」
「ふふ……。それはもう」
どうやら旦那様にはすべてお見通しみたいね。
私はほほ笑んで、ファビアン様の腕に触れる。彼がつけているリングをそっと揺らした。
――ファビアン様は魔力が多すぎて、長年、制御できていなかった。無意識に魔力が暴走し、周りを吹き飛ばしてしまう。だから、彼は【破壊公爵】と呼ばれて、世間から怖がられていたのだ。
でもその話はもう、過去のこと。
今のファビアン様はちがう。こんな風に私と触れ合うこともできるし、優しく笑いかけてくれるようにもなっていた。
それは彼がつけているリングに、秘密がある。
このリングを開発したのは私。
それは魔力の暴走を抑制するための、魔導具なのだ。
私の趣味は、魔導具製作である。
この家に嫁いだ時、旦那様の様子を見て、アイディアを閃いた。それからの数日間はずっと部屋にこもって、魔導具の製作に没頭したのだ。
そして、このリングを完成させた。そのおかげでファビアン様は普通の日常を過ごせるようになり、私ともこうして関わることができるようになった。
さて、今回得た経験もとてもためになるものだった。
これを活かすために私はまた、自室にこもりきりとなるのだった。
◇
――1カ月後。
「カトリーヌ! 君が作った魔導具の売り上げがとても好調のようだ」
「ふふ……それは何よりです」
私はファビアン様と庭園でお茶を飲んでいた。
私が最近売り出した魔導具……それは育児製品だった。
形はベッドメリーだ。
その魔導具は赤ちゃんの眠気を測定する。そして、眠気が規定値を超えた際に、眠りの魔法を使い、赤ちゃんを眠らせるのだ。
もちろん、赤ちゃんが眠くないのにその装置を使って、無理やり眠らせようとする人がいたら困る。だから、赤ちゃんの眠気が規定値以下の場合は、絶対に作動しないようになっている。
スイッチでオンオフできるので、魔法を使いたくない時には切っておくこともできる。
価格は平民でも手にとりやすいように、なるべく抑えた。
この魔道具は、子を持つ親の間で大好評となっている。
ファビアン様が私の手をそっと握る。
「私の長年の悩みを解決してくれたのも、君だった。君は本当に素晴らしい女性だ」
「ありがとうございます。ところで、ファビアン様。私が妹の赤ちゃんのお世話をしようと思ったのは……商売のためだけじゃないですよ」
私はほほ笑んで、自分のお腹をさすった。
「――少し、予行練習がしたかったんですの」
ファビアン様はハッと息を呑む。
次の瞬間、私は椅子から抱き上げられていた。横抱きにされて、ぎゅっと抱きしめられる。
「ありがとう! カトリーヌ!」
こうして触れ合うことができる喜び。
愛されているという幸福感。
旦那様の腕の中で……私は存分に浸っていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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