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マネキン

作者: 雉白書屋

「おはよう」


 挨拶。毎朝のことながら、彼のそれは形式的なものではなく

気持ちを込めたものであった。

 ただ、その相手は人ではなかったのだが。


 デパートの一階にある洋服売り場。それが彼の持ち場。

多少、上品な雰囲気ではあるが家族向けの何の変哲もない服屋。

 でも他とは違う点が一つ。それはある一体のマネキンだ。


 ある日、店の入り口に置かれたそのマネキン。初めは何とも思わなかった。

ごく普通。女性の。その季節の装いをし店頭に立ち、客を迎えるのが彼女のお役目。

 目に入りはするだろうが別に誰もそこまで気にしない。それもまた普通のこと。

 初日、彼は「よろしくな」と何の気なしに彼女に言い、そしてそれからも何となく

「おはよう」「今日も可愛いね」仕事終わりは「お疲れ様」など、声をかけた。

 ただの習慣であった。一人の時にも言う

「いただきます」「ごちそうさまでした」のような。

別にしなくてもよかったが続いてたから続いた。その程度の認識。

だから同僚にからかわれた時、彼はもうやめようと思った。

 が、ふと変化に気づいた。


 ……少し、綺麗になった?

 

 と、いうのは誰かが磨いたとかそういう意味ではない。

洗練。そう、指がほっそりと、それに加え長くもなったような。

 だが気のせいに決まっている。あれはマネキンだ。あり得ない。

彼はそう思ったが結局その後も彼女への声かけは続けた。


 やがて、彼を馬鹿にしていた同僚たちも真似をし始めた。

上司の意外な一声があったからだ。

「おはようやありがとうなど良い言葉というのは職場の雰囲気が明るくなるし

彼女も売り上げに貢献してくれる仲間、そう、まさに看板娘だ。

褒めて伸ばしてやろうじゃないか」と。

 デパートに務める女性陣は「男って馬鹿ね」と呆れ笑いをしたが

他の売り場担当者も通るたびにシンディちゃんに声をかけた。そう、シンディちゃん。


 ある時、どうせなら名前をつけようという話になったのだ。

 彼は密かにシンシアがいいと思っていたが残念。それもまた上司の鶴の一声。

シンディちゃんに決まった。フィリピンパブにハマっていると噂の上司だ。

そこのお気に入りの子の名前かもしれない。しかしどうでもいい。

彼女には関係のないことだ。名前がどうでも彼女が可愛いことには変わりなかった。

 そう、可愛くなっていた。彼女の唇部分は明らかに艶があり、そして手足はほっそりと

しかし、ふともも、それに尻と胸は大きくなっていたのだ。

 まさか誰かがヤスリでせっせと削り、また付け足してもいたなんてことはないだろう。

この現象は錯覚。幻。彼はそう考えたが同僚たちのシンディちゃんを見る目。

気のせいじゃない。皆、彼女をものにしたいと暗に言っていたのだ。

 男たちが抱いたその想いは日が経つにつれ、大きくなるばかり。

それに加え、他の売り場担当者にも噂が流れたのか

そもそもデパートの入り口付近の店だから自然と目に入ったのか

彼女のファンは増えていった。

 そして、その影響か彼女は増々美しくなった。

まるで生きて、微笑みかけてくれるようなそんな表情に。

香りもした。フェロモンのような。惹かれるのも無理はない。

 

 ある時、ウィッグをつけてやろうという話になり

茶髪か黒か、それとも金か他の色かと揉めに揉めた。

 彼の同僚である三谷という男が「絶対黒!」と小学生のように絶叫するものだから

周囲はほとほとに困り果てた。

もしかしたら好きな子と彼女を重ねていたのかもしれない。

男たちにはそれぞれ理想像があったようだ。

 結局、ローテーションにしようということで話は落ち着いたが

まだ憤っていた者たちがいた。男たち以外の。そう、女性陣である。

彼女たちはシンディちゃんを、彼らを罵った。


『マネキンにマジになってホント馬鹿みたい』

  

 いやいや、マジになっているのはおまえらじゃないか。

嫉妬に燃え、醜悪な顔をして……と、男たちは口にはしなかったものの

露骨に態度に表れ、それがまた火に油を注いだ。

 彼女も自分たちも仕事はキッチリやっている。

実際、シンディちゃんはいい客引きになっている。

と、いった具合に男たちは一丸となってシンディちゃんを擁護したのもマズかった。

 女性陣のボス。言わばお局さんが大変、憤慨なされたのだ。

 台座に飛び乗り、シンディちゃんを持ち上げると地面に叩きつけた。

まるで独裁者の銅像を引き倒した瞬間の観衆のように女たちは沸いた。

 踏みつけ、蹴り、引っ張り、なおも執拗な追撃で

バラバラになった哀れなマネキン、シンディちゃん。

そう、彼女はマネキン。欠けて床を滑ったのはプラスチック。

血なんて通っていなかった。

わかっていたことなのに彼はひどく悲しく、また虚しくも感じた。

 

 彼女は廃棄されることになった。

 彼女を助けられなかった。男たちは自分の無力さにただただ俯いた。

三谷は叱られた子供のように泣いていた。

きゃー! さすがー! と取り巻きに拍手を送られ

「私がゴミ捨て場に運んでやるわよ!」と

鼻息荒く、ノシノシと歩くお局さんの背を睨むのが精一杯であった。

どうかしている。あんたたちのためよと、自己を正当化する狂った猪。

 心の中でそう悪態つくも、振り返りギロッとお局さんのその一睨みに

男たちは目を逸らしまた床を見つめた。

 まるでみつけたエロ本を誰が拾い持ち帰るか、腹の内を探り合っているところ

知らないおばさんに不潔ね! と乱入され、純情を踏みにじられた思いであった。



 その数日後、お局さんは死んだ。デパートの屋上から落ちたのだ。

 デパートの前には大きな血だまりができ、警察の実況見分が終わると

客足が遠のくからとホースの水で洗い流された。

 しかし、今もうっすらとその痕は残っている。

 そして、毎朝その近くを通るときに彼はピタッと足を止める。

 

「おはよう」

 

 彼は毎朝、呟くように言う。

 そして、ふと横を見ると同僚も同じように立ち止まっていた。

 目を合わせ、彼らはニヤッと笑う。

近くにいた警備員も清掃員も同じように笑みを浮かべる。

 何も言葉を交わさず、道に落ちているエロ本を見つけたときのように

然程、気にしてないふりして。

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