ケモミミと魂の存在証明
『人間の魂は21gである』という説を聞いたことはあるだろうか?
20世紀初頭、マクドゥーガルが患者の体重の変化を死の前後で計測し発表したこの説は、生理的反応による体水分の蒸発によるものであるとして、すぐに否定されることになった。以来100年以上に渡り、この実験結果は一種のオカルト的な雑学でしかないと思われていた。
実際、解放系で実施されたこの実験における計測値自体は極めて不正確なものであった。しかし、この説はある日を境に魂の実在に迫った非常に先駆的なケースとして見直されることになる。
後に"SBLE (Spirit Burst of Life on Earth)"と命名されたその日。全世界で100万人もの人間が一夜にしてその身体を獣へと変貌させた。彼らの肉体はその激甚な変化によって著しく消耗し、運良く軽度な変化にとどまった者を除く90%以上が耐えきれずに死に至った。犠牲者は日を追うごとに増え続け、世界は恐慌に陥った。なんとしても早急に原因を特定せねばならないと、行政がプライバシーへの干渉をやむなしとするほどの措置をとり、研究者たちが血眼になって研究を積み重ね、大量の犠牲者のもとに人類は一つの結論にたどり着いた。
すなわち、『魂は 実在し、世界に干渉する』というものである。
肉体を喪ったケモノの魂とヒトの魂と強く共鳴することをきっかけに、二つは渾然一体となり、それに合わせるように肉体を改変する。それが犠牲者たちを襲った『変化』の正体だった。
最初の日から約1年を費やし、理論物理学者たちは最先端の観測技術を用いた実験に基づいて、魂が確かに質量やエネルギーといった形で物理法則に影響をもたらすと結論づけた。医療関係者たちは、発生条件と被害を最小限に抑える手段を見つけ出した。技術者たちはそれらを受け、この変化を早急に察知し抑えるための手段を迅速に用意した。
こうして、世界は表向き平穏な日常を取り戻し、人々は安堵とともにそれまでの日常に帰っていった。幸か不幸か、『変化』を経ても生き残ってしまった者たちを残して。
ここで少し、この『変化』の性質について触れておきたい。
その元凶が魂である以上、特徴として主観性が性質に大きく関わってくる。これは、『変化』を受けた者の容貌が、どのように変化するかを大きく左右するものである。
では、人間がケモノを認識する時、最も特徴的な要素として捉えているものはなんだろうか?
モフモフの毛皮? 否、それも確かに重要だが、細かすぎて簡略化されたシルエットからもそれを認識できるものではない。ならば二足歩行ではないこと?否、生物において重要な機能は頭部に集中しており、注目もやはりそちらに向く。とすると、頭部のシルエットにおける最も特徴的な要素とは───
それはすなわち『ケモミミ』である。
端的に言えば、生き残った者たちは、一部の例外を除いて皆ケモミミを持った状態になった。
ケモミミ。人類は太古の昔からそうした存在を想像し、いまや人口に膾炙した概念といっても過言ではない。
しかし、それが実在のものとなったときに、それを完全に平坦な感情で受け入れられたのは、生まれ落ちたばかりの赤子くらいのものだった。
通常の人間の個体という枠から外れてしまった彼らに待っていたのは、奇異の目線。
侮蔑、同情、嫌悪、憐憫、好奇心、トラウマ。過激なものでは性的嗜好の押し付け、神格化、逆に悪魔や天罰によるものとして。あるいはポリティカルにコレクトな姿勢をアピールするためのパフォーマンスであったり。
平穏に戻った世界にとって、彼らの存在は突如現れたゴシップの種でしかなかった。そうした状況を問題視し、彼らの権利を保護するための議論でさえ、彼らを衆目に晒し続ける。
善意、悪意、それらを全て巻き込んで、世界は消えぬ炎のように彼らを苛む。
───この世界には、神は理不尽を受け入れる装置としてしか存在しない。しかし、理不尽な神秘自体は存在する。
それでも私たちは生きていく。内に溶け込んだケモノを受け入れて───
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