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緑色の空 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
瀬原集落
9/49

独り相撲

 佐織は、何と無く心細い気持ちで、自分の部屋に戻った。


 庭は、竹林の影は有っても、春の日差しで、少し暑いくらいで、充分良い天気だったというのに、佐織は、惑う(よう)な、寒々しい(よう)な、落ち着かない気分で散策を終えてしまった。




「あの、紀和さん」


(ない)ありま(あいも)したか」


 佐織の問い掛けに答える言葉の、独特なアクセントにも慣れてきた。

 最初よりも大分聞き取れる。


「およしさん、って、誰ですか?…何か、前にも他の場所で聞いた(よう)な…」


―そうだ、最後の巫女が如何(どう)とか言って、…うーん?あの時の記憶が曖昧ね…。


 紀和は佐織の問い掛けに対し、サッと顔色を変えた。周囲も、急に静まり返ってしまった。


「な、(だい)から、そ()な」

那花(なのか)様、です」


 紀和は、真っ赤になって怒った。

「清水の!まぁ、駄目です。二度と其()方と御話しにならない()でください」


「え?何故ですか?」


「口に出せない()程、御無礼様(ゴブレサァ)です」

「紀和さん」


 佐織は少し分かってきた。

 紀和が、こういうキッパリした言い方をする時は、もう此れ以上何か言っても無駄な時なのだ。


 佐織が困惑していると、龍顕(りゅうけん)が部屋に入ってきた。


―まただわ、此の人。音も無く。


如何(どう)したの?」

 龍顕の言葉に、佐織は何も言えず、思わず真っ赤になって、俯いてしまった。


 紀和は、其れ以上話したくなかったと見えて、サッサと退散してしまった。




 此の、昨日、佐織の『夫』となったらしい人は、神出鬼没なのである。




 昨夜は、床が二つ並べられた。

 佐織は、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキして、恥ずかしくて、()ぐに布団を頭から被ってしまった。


―何故、知らない、今日会ったばかりの人と夫婦になるの?そんなの、聞いてない。


 気を失ってしまったから、悩む時間も、拒否する準備も無かったのである。

 別に、其れだけのせいでは無いが、佐織は何も心構えが出来ていない。


―酷い。連れて来られて、服を剥ぎ取られて。こんなの…。


 住む場所を与えてもらえると聞いたし、父の御骨も納骨してくれるとは聞いていたが、骨壺は取り上げられてしまったし、約束が守られたのかを確認する(すべ)を佐織は持たなかった。

 此れでは騙されたのと変わらない。


―何も聞いてない。御骨は何処?パパ、助けて。如何(どう)して私なの。こんな目に遭うのが、如何(どう)して私なの?


 子を成すまでは、屋敷を出てはいけないとは、(ほとん)ど軟禁だ。


―騙して連れて来られた上に軟禁。そうよね、何の負担も無く、衣食住が与えられる(よう)な、自分に都合の好い話なんて無いのよ。何の条件も無しに、会った事も無い伯父とかいう人が、私に、住む場所や食べ物を与えてくれるわけが無かった。そうだ、自分で、引き取ってもらえる条件を聞いたわけじゃなかった。宇子さんの言う事を聞けば良かった。でも、あの(まま)だったら、宇子さんが…。…妙ね、本当に、あの時何故、此処に来る事を決めてしまったのかしら…。でも、宇子さんだって、あれから如何(どう)なったか。馬鹿だ、私。肝心の、宇子さんの無事も確かめられないのに、何の条件も自分から尋ねないで、ノコノコこんな所に来て…。


 佐織は惨めで、悲しくて、恥ずかしくて、泣いてしまいそうだった。


 しかし再び、何故か急に、佐織は『逃げ出せない』と、強く思った。


―でも逃げられない。東京で住んでたアパートも黒服の人達が引き払ってしまった。第一、社宅だったから、パパが死んじゃったなら、何時(いつ)かは出ないといけなかったし。…私の荷物も、如何(どう)なってしまったか分からない。


 そう、宇子に迷惑を掛けたくないのなら、もう何処にも、佐織の帰る場所は無いのだ。


 大好きな、しかし其の身の安否さえ不確かな、遠縁の親戚を思い出し、佐織の目には涙が滲んだ。


―こうしていたって、帰る場所は無い…其れに、気になる事も沢山有る。知りたい事も。此の、夫になるという人とも、少し話をしてみよう。怖い人には思えなかったし、何か教えてくれるかもしれない。


 佐織は、意を決し、布団から這い出た。


 しかし、顔を上げて見ると、隣に居る(はず)の人物は、忽然(こつぜん)と姿を消していた。


 佐織は暫く呆然としてしまった。


 そして其の後に、何だか腹が立ってきた。


―居ない、って、如何(どう)いう事?こんなに緊張したのって、私一人?


 そして佐織は、全身の緊張が解けるのが分かった。


―意識しちゃって馬鹿みたい。こういうの、独り相撲って言うのよね。相手も、別に、私と夫婦になりたくないのかも。相手も、こうなるとは知らずに来たのかもしれないし。…そうだ、そう言えば、あの場に居た人達、皆驚いてた気がする。もしかして…皆にも想定外の事だった…?


 そう、どの大人も驚いていた。


 しかし、中学を卒業したばかりの娘二人が、出産まで軟禁される、という事を止めてくれる大人もまた、其の場には居てくれなかったのであるが。


 こういうの、虐待とか、何かの犯罪にならないのかしら、と思いつつ、佐織は、フーッと、長い溜息をついた。

 不安な事は多いが、少なくとも今夜は、貞操の心配などする必要は無かったらしい。


―一人で恥ずかしがって、一人で嫌がって、全部、空回り。…でも、ちょっと安心した。そりゃ、嫌よね、普通。今日会った人間と子供を作れ、だなんて。まともな人なら。良かった、あの人は、普通の人なのかも?ちょっと変わった感じはするけど。


 しかし佐織は急に何故か、泣きたくなった。

 (がく)の態度を思い出したのである。


―…私と夫婦になるのは、嫌よね。私は、背ばっかり伸びて、子供っぽくて。那花様みたいじゃなくて。誰だって、あんな綺麗な人と一緒になれるなら、嫌な(はず)無いよね。(がく)とかいう人は喜んでいた(よう)に見えたし。龍顕とかいう人にも…あっちが良かったって思われてたら?だって、組み合わせは勝手に決められただけだから。あっちが良かった、って、那花様の方が良かった、って思われていたら?そしたら、如何(どう)しよう…。


 考えれば考える程、拭っても、後から後から涙が出てきたので、佐織は堪らずに、横になった。


 涙で、頬に髪が貼りつく。

 首を振ると、耳の辺りにまで涙が伝って来た。


…ううん、馬鹿ね、私、張り合おうとして、あんな綺麗な人と。こんな事考えても、如何(どう)にもなるものでもないでしょう?もっと私が、大人っぽくて綺麗だったら。…いや、未成年じゃなくて。誰にも迷惑かけない年で。一人で暮らしていけるくらい御金を稼げて、騙されないくらい賢かったら。こんな所に来たり、あんな美人と自分を比べたりしなくても良かったのに。


 そうしているうちに、佐織は泣き疲れて眠ってしまったらしかった。




「おはよう」


 佐織が、穏やかな、男の人の声で目を覚ますと、隣には龍顕が居た。

 頭が覚醒したら、恥ずかしいやら、頭にきたやらで、佐織は顔が真っ赤になった。


「…おはようございます」


 成程、要は、龍顕は、何処に居たのやら、佐織が寝入ってから帰って来て、佐織が目覚める前に起きていたのだ。


 佐織は慌てて、浴衣の前を合わせたが、確認した結果、大して肌蹴(はだけ)てはいなかった。

 

 しっかり帯をしているし、痩せっぽちで、出ているところなど(ほとん)ど無い体だから、寝相での着崩れも(ほとん)ど無いのだろう。


―あ、そうだ、きっと、泣いたから、目が腫れてる(はず)だわ。


 佐織は、もっと恥ずかしくなって俯いてしまった。


 しかし、(やや)あって、ふと隣を見ると、何時(いつ)の間にか龍顕は居なくなっていた。


 其れが、今朝の事である。




 そして、朝の、あの時から、今の今まで、龍顕には会っていなかった。

 如何(どう)したのかと問われても、佐織は、咄嗟(とっさ)に、何も言葉が出なかった。


―…何を話せば良いの?如何(どう)して、昨日は居なくなったの?私の事、そんなに嫌?…なんて、聞けないし。…嫌だ、私。相手が私を如何(どう)思っているか気になるなんて…。


「あの…、那花様が、およしさんって、言っていて、其れで、紀和さんに意味を聞いたら、答えられないって」


「ああ!早速やられたね」

 あいつ、と言って、龍顕はケラケラ笑った。


 こうして聞くと、龍顕の言葉には、此の土地の人間特有のアクセントの強さが全く無い。

 昨日話してくれた時の那花と同じだ、と佐織は思った。


「あの、如何(どう)いう事ですか?」


 戸惑う佐織の問い掛けに、龍顕は、一瞬、真顔になって言った。


「知りたい?」


「知り…、たいです」


「紀和さんが、そう言うなら、良い話では無い事は、想像はつくよね。聞いたら傷付くかもしれないよ。態々(わざわざ)知る必要有る?こんな場所の事。見たところ、望んで来たわけじゃないだろ?」


「其れでも知りたいです。あの、私、知らない事だらけで。沢山、知りたい事が有るんです」


 紀和が気でも利かせたのか、周囲に人は居ない。

 佐織は、龍顕と二人の今がチャンス、と思い、色々と教えてもらう事にした。


 今日の龍顕は、藍色の着流しと、同じ生地の羽織を着ている。何時(いつ)何処で着替えているのか、佐織には見当もつかない。


―此の人は昨日から、よく姿を消すわよね。私と一緒に居るのが嫌、という程、嫌われている感じもしないけど…。


 そう、龍顕は、食事の膳が運ばれてくるタイミングで、一回は必ず居なくなる。


 だから佐織は()だ龍顕と一緒に食事を摂った事も無いし、普段何処に居るのかも全く分からない。


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