瀬原集落
其の後も、佐織が紀和を質問攻めにしていたら昼になってしまった。
また貧血で倒れたりしたら恥ずかしいので、佐織は、出された食事を全部食べる事にした。
紀和から、食後の気晴らしに、庭を散策する許可を貰った。
午後も質問攻めにされては堪らない、という事だったのかもしれない。
しかし、衣装を簡略化してもらい、裾を多少絡げてもらったからといって、抑、こんな衣装では、そう遠くまで行けはしない。
佐織は、竹林の前を少し歩き回ってから、近くの岩に腰掛けた。
庭石の様な形で、高さは、座るのに丁度良い高さだった。
「御無礼様ですわね」
優しい声が、特殊なアクセントで響いた。
振り返ると、白っぽい、綺麗な生地の振袖を着た、那花が立っていた。
「あ、那花…様?」
佐織は、那花が話すのを聴いたのは初めてだったが、此の土地の人であるらしいアクセントは直ぐに分かった。
佐織ばかりが、異国に迷い込んだ様な気持ちになった。
「幾ら何でも、苗の神様に腰掛けたら良くないです」
「え?」
佐織は、腰掛けている岩を見た。よく見ると、何か、丸の様な形が刻まれている。
「此れも、苗の神様?」
「ええ」
那花はキョトンとした顔をした。
佐織は更に聞いた。
「彼方此方に在る石像と、此れが同じ物?」
佐織が見る限り、一つ一つ、殆ど同じ形をしていない。
俄かには信じがたい話である。
「ええ」
那花は、質問の意図が分からない、という顔をして、言った。
「佐織様、もしかして、ソトからいらしたのですか?」
「ええ…」
何と説明したものだろう、と佐織は思った。
しかし折角同い年くらいの話し相手が見付かったのだ。
佐織は、此処の事を教えてほしい、と那花に頼んだ。
那花は、成程、と言って、急に言葉のアクセントを標準語にして説明してくれたので、佐織は聞き易くて大変助かった。
那花の話を要約すると、こうである。
瀬原には、名字が五つしかない。
基本的には、本家の血筋の人は、瀬原集落を出る事は殆ど無い。
本家筋に近い程ステータスは高い。
しかし、集落の外の人々と婚姻する事が稀になってしまう為、集落の中で婚姻を行う場合には、血筋に気を付けなければならない。
名字が違っても従兄弟同士であったり、名字が同じでも、遠縁であったりする。
従兄弟同士の結婚は未だに禁忌とされている。
其処で、名字が同じ者の場合は屋号で呼び合い、集落の、どの辺りに家が在る者かを分かり易くしているのだという。
聞く人が聞けば、屋号だけで、誰と誰の子供、という事まで、明確に分かるらしい。
「と、いう訳で、結局、平成の現在に至るまで、此の場所は、ほぼ隠れ里、というわけですわ…本当に、御存じなかったのね。そう、御倒れになったから少し心配しておりましたけれど、食事会にも御出になられませんでしたし、此方も、あなたの説明を殆どされませんでしたけど…」
「ええ。…隠れ里…」
「あ、もしかして」
急に、那花の瞳に、嘲りの色が浮かんだ。
そして那花は、ゾクリとするくらい美しい、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ふふふ」
那花は妖艶に笑いながら、振袖を翻して、笑いながら去って行ってしまった。
「那花様?」
「どしたもんな、お富さん」
去り際に、那花は、歌う様に、そう言い残して、軽やかに歩いて行った。