巫女舞
母が溜息をついて言った。
「私は如何して佐織ちゃんと居ても殺されなかったのかしら…。治さんは殺されて…」
「令一は宇子さん達を無視出来ないんです。特に宇子さんは、お富さんの孫ですから、殺せない」
岐顕の説明に、母は、納得出来ない様子で、其処よ、と言った。
「其処が分からないわ。単純に言えば、其れだけだもの。瀬原集落を抜けた人間の子孫、というだけ。今更私に、何か出来る事が有るとは思えないのに」
岐顕は、言い難そうに言った。
「口伝狙いですよ、多分」
「え?」
「お富さんだけが知っていたと考えられている口伝です。彼女を失う事は、イコール教義の大半を失う事だと認識されていた様です。其れが苗の神教の信仰に与えた打撃は甚大だったらしい。令一は、苗の神教の教義の幻影を追い掛けているんでしょう。まぁ…、そうでなくとも巫女舞だけでも再興したいんでしょうけど、そっちは、ちょっと、ねぇ…」
「い、いちごの一。そうなの?御父様。巫女舞って」
母は、口を押えて、立ち上がった。
「え?其れって…」
馨にも心当たりが有った。
其れは祖父から教わった、数え歌だった。
馨は、信じられない気持ちで問うた。
「苺の一、人参の二っていう、あの歌?」
「そう。あれが、あれが?あれがまさか、そんな」
動揺する母に、祖父は、バレたか、という顔をして、踊ってみれば、と、淡々と言った。
『苺の一、人参の二、三輪車の三、新聞の四、御飯の五、蝋燭の六、七面鳥の七、ぶんぶんぶんの八、お化けの九、ジュースの十』
此れは祖父が教えてくれた数え歌で、母も馨も、此れで数字を覚えた。
ユーモラスな数え歌で、ぶんぶんぶんの辺りからが楽しくて、良く歌ったものである。
十まで歌うと、よく、ジュースが貰えたものである。
其の時に、祖父が棒を持って、数字に合わせて踊るのである。
時々真似をした。
馨が数字の勉強をする時は、祖父が、足の下に、三×三の枡に、一から九までの数字をバラバラに書いた紙を敷いてくれていた。
其処を歩きながら、手の振りをつけて踊るのである。
祖父の歌は、かなりテンポが遅いのだが、『苺の一』から『ぶんぶんぶんの八』までが、『とん・と・とーんとん』というリズムで、『お化けの九』と『ジュースの十』は『とんとん・ととん』というリズム。あとは繰り返しである。
馨は、母と二人で十年ぶりくらいに踊ってみたが、何と、踊れた。
馨は踊りながら体がゾクゾクした。
そうだったのか、と、父が感嘆の声を上げた。
「変なテンポで、棒を持って、ドタドタするから、危ないし、馨が数字を覚えきった頃には、家では遣らせなくなっていたけど、此れ、意味が有ったのか」
「小さい子が喜びそうな物を歌詞に入れて、数字を覚えさせながら、其れとは分からない形で伝えたわけですか」
秀逸ですね、と言って岐顕も、頻りに感心している。
でも、と馨は言った。
「お化けの九、が、よく分からないけど…」
「あら、お化けはキュウちゃんでしょう?」
「そうそう」
両親は納得顔で頷き合った。其処は戦後の改変だけど、と祖父は言ったが、馨は、以前尋ねた時も似た様な反応を両親に返されたのを思い出し、首を傾げた。
でも、と母は言った。
「私、佐織ちゃんにも教えました」
「え?」
其の場に居る全員が、声を揃えて、母の方を見た。
母は続けた。
「治さんが、教えてやってくれって言うもので。其の時は、てっきり数字を教えてくれっていう事だと思っていましたけど。でも、今思うと、あちらの御宅に馨を連れて行った時に、此の子が踊っているのを、治さんが見た時に頼まれた様な…」
成程ね、と祖父は言った。
「兎に角、材料は揃ったな。此の手を使うか」
祖父は、気を取り直した様に、そう言いながら、大きな模造紙を一枚、バサリと広げ、マジックでサラサラと字を書き付けた。
「…何?此れ」
馨は、読み上げながら首を傾げた。
「苗の神様の神名探し。苗の神教を潰す為に、苗の神教を取り返さないと。瀬原令一の手から、我々の宗教としてね」
「…そういう事が出来るの?」
馨の問いに、祖父は、無表情で、うーん、と言った。
「結局ね、権威が欲しいわけだ、令一って人は。自分が一番偉く在りたい。そして其れは、苗の神教の長だから偉い。苗の神教を強くしたい。だから、うちが秘儀を持っていると思い込んでいる。其れさえ手に入れれば、苗の神教を強固なものに出来るってね。昭和初期から、否、大正の終わりくらいから、ずっとね。ずっとそうやって、思い込まれて、追いかけられているんだ、うちは。別に、令一君でなくてもさ」
「そんなに長く」
馨が驚いていると、岐顕は、言い難そうに言った。
「ま、巫女舞はね。有るの自体は、何と無く分かってましたけど。…秘儀は結局、有るんですか」
祖父は、実は有るんだ、と、何でも無い事の様に言った。
「残り滓の継ぎ接ぎになっちゃうけど、一応有る。龍君には説明してきたんだけど」
如何いう事です?と、岐顕は素っ頓狂な声を出した。
祖父は、眉一つ動かさずに続けた。
「伝承や秘儀の、残された部分から、本当に『苗の神様』と繋がる作法を作ればいい。神名が分かった今なら上手く出来ると思う。構想は練っていたけど、最後のピースが揃ったからさ」
祖父が指し示す模造紙を、岐顕は訝しげに見詰めた。
祖父は淡々と続ける。
「真名って分かるかな。真実の名前。本質を表す名前。神様にも本当の名前が存在する。其れを知る者は神様と繋がれる。滅多な事では口にしてはいけないから、其の名前は教えられないけど。其の、苗の神様の真名をね、如何してなのかは知らないけど、俺の死んだ妹は知っていたんだな。其れを、今、うちの弟が教えに来てくれた、というわけ」
「いや、真名を御探しなのもね?何と無く理解してはいたんですが。…御兄妹揃って、如何して、そんな事を御存知なんです?」
岐顕の言葉に、祖父は淡々と、さぁねぇ、と言った。
「俺も弟妹が、そんな事を知っていたなんて事は、今知ったしね。でも、遺言って言うからには、そうなんだ。何時彰二が由里から聞いた遺言なのかは知らないけど、そういう冗談は言わない弟だから」
兎に角、と言って、祖父は食卓を離れ、リビングに用意して置いておいたらしい油性ペンと模造紙を手に取り、リビングの床に模造紙を広げ、簡単な九州の地図を模造紙に描いて、更に字を書き込んでいきながら言った。
「まぁ、最初から話そう。疑問に思った事は無いかい?南九州に、『火山』の神様っていうのは居ないのかなって。あれだけ目立つのに」
「火山って言うと…桜島ですか?」
祖父に従って、全員、ゾロゾロとリビングに移動した。最初に口を開いた父に対して、祖父は、頷きながら言った。
「まぁ、一つは其れ。鹿児島に、火山自体を御神体にしている神社が無い、というわけではないと思うけど。例えば、開聞岳。薩摩富士だね。枚聞神社は、恐らく、本来は開聞岳自体が御神体なんだ。貿易なんかの時、開聞岳は海の玄関口になっていた。海運関係の人も信仰したのかな。航海神という説もあるね。神社周辺には最古の井戸だという玉乃井、という井戸の跡が残されていて、浦島太郎伝説と結び付けられているね。玉依姫、此れは、浦島太郎でいうところの乙姫かな。豊玉姫に奉納されたとされる化粧箱なんかも宝物庫に残っている。但し、神社の由来書が火事で焼失したとかで、詳しい事は分かっていない。だから、枚聞神社の祭神は、現在は大日孁貴神。別名、天照大御神」
「え?全然違うよね?火山とは」
馨の認識だと、天照大御神は太陽神である。
祖父は馨の言葉に頷きながら続けた。
「他にも、八柱の海神が合祀されてはいるけどね。明治時代、神社は大きな転換期を迎える。廃仏毀釈、そして、国家神道へ。寺は廃され、神社庁が創設されて、神主は国家公務員になったんだ。だから、代々神主を務める家が残っていない場合も多い。神主が転勤して、全く違う土地の神社で神主を務める事なんて、よく有る事だった。今でも、神主さんの居ない神社は、御祭りの時だけ出張で神主さんが他所から来るだろう?一度、明治期に、そうやって神社は統合されたんだよ。そういう時、由来が分からなくなっている神社は、祭神を比定して書き換えが行われたんだろう。だから、元は、御神体が薩摩富士なんだとしても、もう分からない、というのが実情だな」
成程、と岐顕が言った。
「じゃあ、桜島が御神体の神社、というのは?」
「霧島に在る鹿児島神宮かな。鹿児島市内と垂水にも鹿児島神社というのが在る。『鹿児島』というのは、桜島の古名だったという説があるからね。此の場合、三ヶ所神社が在るわけだけど、社殿が何処か、というのは、其れ程関係無いと思う。御神体が桜島なのだとしたら、桜島を見られる位置に神社が在れば良いと思うよ。火山が近いと、噴火によって、社殿が、どんどん山頂から下方に移動する傾向が有るから、移動したと考えても良いし、其の場合も、麓である必要は無い。噴火の度に神殿の位置を変えたというと、霧島神宮なんかもそうだね。最初の社殿は、現在の位置より、もっと霧島連山の火口付近に在ったらしいよ。此れも多分、最初は山岳信仰、山自体の信仰だろう。でも、多分、開聞岳と同じ理由だね。鹿児島神宮も鹿児島神社も、霧島神宮も、祭神とされている神は別に存在する」
と、申しますと、と岐顕は問うた。
其れがね、と祖父は言った。
「九州の神宮は天孫が祭神になっている場合が多い。恐らく後付けなんだ。天孫降臨の地には、そういった神がいて然るべき、という発想の元に、明治期に比定され、天孫が祭神に統一されたんじゃないかな」
そうなの?と母が言った。
いいかい?と祖父は言った。
「天之忍穂耳命が英彦山神宮、邇邇芸命が霧島神宮、火達理命が鹿児島神宮。鵜葺草葺不合命が鵜戸神宮。神武天皇が宮崎神宮」
岐顕が、ハッとした顔をして言った。
「英彦山は言わずもがな、霧島神宮は霧島連山、鵜戸神宮は鵜戸山。元は山岳信仰ですか」
「そう。宮崎平野の事を考えると、宮崎神宮の位置は、ちょっと、山とまでは言えないけど。九州山地、鰐塚山地は在るけど、そんなに近いとは言い切れないもんね。でも、鵜戸山なんてさ」
岐顕が、再び、ハッとした顔をして言った。
「ええ、完全に修験の道場でしたよね。英彦山も」
「霧島神宮も、地元じゃ、開祖は修験者だって言われているんだよ。あの、天沼矛とやらが刺してあるという場所が霧島に在るんだけど、其れも修験者が刺した可能性は有るね。あと、火山っていうと…阿蘇山も、阿蘇神社の祭神は天孫だね。健磐龍命は神武天皇の孫だ。尤も、九州の火山なんて、挙げればキリが無いけど」
父が、感心した様に言った。
「成程、明治以前は九州では山岳信仰、修験者も強かったと。其れで、廃仏毀釈ですね」
「そう、霧島神宮に在った神像も、仏像だったらしいもの。其れじゃいかん、という事で、明治以降、鏡に換えられてしまったらしい。神仏混交、修験者。恐らく、それが明治以前に此の辺りで見られていた宗教の形の一つなんだろうと思う。神社の本来の機能は、一度、そうやって塗り潰されて、統合されてしまったんじゃないかな」
馨は、何となく分かった様な気がするけど、と言いながら祖父に問うた。
「其れと、苗の神教と、如何いう関係が有るの?」
「関係無いんだ」
其の場に居た全員が、え?と聞き返したので、祖父は、尚も言った。
「多分、関係無いんだよ。俺も昔は関係が在ると思っていたけど、由里の話が本当なら、多分、もっと古い話を持ち出さないといけない」
母が、古い話?と聞くと、祖父は、そうさ、と言った。
「修験より古い話。土着の信仰だよ」
父が、うーん、と唸ってから言った。
「鹿児島で土着って言うと…隼人とか、ですか?」
「うーん。『松野連系譜』っていう、おっそろしい系図を信じるなら、隼人とは言い切れないんだけどね。まぁ、卑弥呼も倭の五王も載ってる其の系図の信憑性は、さて置き。そうだな、苗の神教、という名前を付けて、宗教自体を確立したのは、うちの父親の考察通り、山伏と歩き巫女だったのかもしれないけど。巫女舞にも反閇や太刀舞が入っている感じはするからさ。ただ、元々は、薩摩藩が人配で移動させる以前は、瀬原集落の人々は大隅に土着していた先住民の可能性が高い、と、俺は考えていたわけさ。俺は、修験の痕跡が術や舞に入っている関係から、残っている伝承なんかと合わせて、神社の祭神の神名で推察しようとしていたけど。真名とやらを聞いてみると…集落として祀っている神自体は、元々は他所の土着の神で、名前だけ変わっていったものなのかもしれない。そして、大隅が発祥、とは言い切れなくなってしまった。人というのは移動するし。大まかにいって、精々南九州の土着の人々、という、大雑把な範囲の目星は付けていたわけだけれども…」
祖父は、模造紙に描いた地図を示した。
「まぁ、九州に住んでいて火山を崇めないというのは、無理が有る話でしょう?大昔は、錦江湾一帯が火山だったという説があるくらいなんだもの。南九州南端が丸ごと火山だったのさ。馨さん、関東ローム層って分かるかい?」
「うん、そりゃあね」
「昔は丹沢パミスって呼んでたけど、最近の研究だと、あれは、姶良丹沢火山灰っていう名前なんだ」
「姶良って…鹿児島の?」
「そう。姶良カルデラが二万九千年から二万六千年前に爆発した時の灰が、関東まで飛んで来たんだよ。其れが関東ローム層の地層の中に堆積してるんだ。馨さんは、其の時飛んできた鹿児島の火山灰の上で育ったのさ」
凄いでしょう、と祖父は言ったが、馨には俄かには信じ難い話だった。
「うそ、鹿児島の灰が、関東まで来ちゃったの?」
「そうだよ。錦江湾の一帯が火山だったのが、ドカーンと、全部吹っ飛んで、其処に海水が入って錦江湾になった。其れで、島になったんだな。桜島が大隅半島と繋がったのは、大正三年の噴火で流れた溶岩が冷えて固まったからで、其れまでは錦江湾に在る島だったんだ。今の様な形じゃなかったんだよ」
「そんな凄い爆発があったんだ…」
「そう。九州の噴火っていうと、其のくらい凄いんだよ。阿蘇山なんて、富士山より古い火山なんだから。九万年前には在る。喜界カルデラ火山、特に、桜島を畏怖しないというのは不自然じゃないか?」
「うん、そんな気がしてきた」
「ただ、桜島が活火山じゃなかった時期、というのも考慮に入れないといけないのかもしれないが。ややこしいのは多分、桜島、という名前になってしまった事だと思う」
「名前?…えーと、昔は、桜島じゃなかったんだっけ」
「そう、その説を採るとすると、だ。じゃ、如何して桜島なんて名前になったのか、という事だな」
「桜…」
「桜の原種は太古の昔から在るけど、桜自体が持て囃されだしたのは平安時代くらいからで、そこまで古くない。奈良時代、花といえば梅だ。其れが、奈良よりもっと前の、古代からある名前で、桜の花という意味で使っているとしたら、少し違和感が有るな。やはり、古い名前は、桜島という名前とは別に有ったと考えても良い気がする」
「桜島っていう名前の由来って、分からないの?」
「諸説あるけど、平安時代に都から赴任してきた大隅守の桜島氏からとったという説は有る。木花咲耶比売命が祀ってある島だから、サクヤ島が転じて桜島という説も有るけど。やっぱり桜の花は関係無い気がするんだよね。木の花で、南国の方で日本原産と言うと、小椿、今で言う山茶花でも良い様なもんで」
「ああ、木花咲耶比売命」
馨は、模造紙に書かれた名前を見た。
そう、と言って、祖父は、神阿多津姫という神名を、トントンと指で叩いた。
「古事記、日本書紀には、こうある。記述には多少違いは有るけど、木花咲耶比売命の別名は、神阿多津姫。加世田の方かな、今で言うと。阿多地域の素晴らしい女性、という事だね。阿多は鹿児島の地名だ。隼人が居た。だから、土着の豪族の娘の事だと思う。神吾田鹿葦津媛命という名前も持っているが、其処に、木花咲耶比売命という名前を与えた、という事じゃ無いかな。木花咲耶比売命という名前自体は、もしかしたら、其処まで意味は無かったのかもしれない。美しいとか、娶った者には木に咲く花が咲き乱れる様な栄華が訪れるとか。其の場合、やっぱり、単に木に咲く花なんだと考えると、別に桜でなくても良いしね。それか、もう分からなくなってしまっただけで、何か、雨雪ではない、降り頻る物、灰とか噴石とか花びらとか、そういう物から転じて、噴火する畏怖すべき山に付けられた美称だったのか。富士山の方にも木花咲耶比売命が祀られている神社があるが、其方は、江戸時代くらいに結び付けられた祭神で、隼人や神阿多津姫と結び付けるのは位置的にも無理が有る気がする。宮崎県にある都万神社の祭神も木花咲耶比売命だけど、こっちは完全に後付けだと思う。天孫降臨神話は日向の辺りが舞台だ、という風に、記紀の神話が整ってから祭神に木花咲耶比売命と名付けたのだろう」
「意味の無い名前。桜も関係ない…」
「木花咲耶比売命という名前自体は朝廷側が付けた美称くらいの意味で、天孫が隼人の娘を娶って姻戚関係を結んだ、という事の方が重要な話だったんじゃないかな。枚聞神社の話で出てきた浦島伝説だと、浦島太郎の元になったのは海幸山幸の弟の山幸彦の方。乙姫様の元の豊玉姫と一緒になって、鵜葺草葺不合命が生まれて、其の子供が神武天皇。山幸彦の兄、海幸彦は隼人の祖だという話もあるし。繋がりそうで繋がらない様な話になっているけど、歴史書として記紀を編纂した人間には、其処にこそ何らかの意図が有ったのかもしれないね」
「意図?」
「朝廷が隷属させている隼人と朝廷は、元々親戚でした、という書き方だな。多分、其れは事実じゃないんだろう」
「如何いう事?」
「豊玉姫、何処かの豪族の娘を妻として娶り、其の豪族の力を借りて海幸彦、隼人を討伐した、という事なんじゃないかな。でも、歴史書なんて、勝者の歴史しか書かないもの。奪った土地には、奪った正当性が有るって書くでしょ。分捕った、なんて書き方はしない」
父が、成程、と言った。
「其処で、隼人の祖である山幸彦には無礼を働かれた。だから懲らしめた。以降、相手は反省して仕えてくれるようになった。海幸山幸は元々血縁だから、山幸彦、つまり朝廷側が、兄の海幸彦、隼人を隷属させて土地を奪っても良い、と。血縁という事なら相続の権利が有る、とも読み取れますよね」
「そう。そして、敢えてハッキリ書かない、というのも重要だったんじゃないかな。記紀が編纂された時代には、記紀に登場してくる当事者にも存命の者、本当の事情を知っている者も存命だったかもしれないしね。反論の余地を少なくする為に、事実を暈して書く。こうして、似たような神名、ややこしい神名、本当か如何か、よく分からない様な血縁関係が記されていった、というのも有るんじゃないかな。だから、信用しても差し支えないのは、姻戚関係を結んで親戚になって武力協力してもらった、という風な下りくらいだと思うんだ」
隼人ですか、と、岐顕が興味深げに言った。
「そう。そして、こんな話をしておいて何だけど、神社の話に戻ると、桜島に在る神社の名前。平たく言うと竜神と、月讀命だ。月を信仰するという」
月も結構ポイントになって来るんだけどね、と言って、祖父は、更に、とんでもない事を語った。
一通り語ってから、さてと、と祖父は言った。
「まぁ、此れ等の話は補強だな。信じてもらい易くする為に使う。令一君に話に乗ってもらえれば、其れで成功」
語っている祖父の方が其れ程信じていないのだろうか、と、馨が言いたくなる程のアッサリさで、そう語ってから、祖父は気を取り直した様に言った。
「さて、今回の件だけど。令一君に、『苗の神様』を降ろしてもらう」
其の場に居た全員が、え?と聞き返したが、祖父は淡々と続けた。
「本当に令一君に資格が有れば、神を体に降ろしても大丈夫。でも」
「…多分、大丈夫じゃないですよ。普通の人間が遣る事じゃ無いんです。修業の方法も失われているんですよ?最悪の場合…」
岐顕が、オロオロした様子でそう言うと、紘一は、うん、まぁ、そういう事、と、これまたアッサリ肯定した。
「奪還は出来るでしょ。…殺人だって思う?」
滅相も無い、と言って、岐顕は慄いた。
「いえ、そんな…殺害方法が神降ろしだなんて。誰が信じるでしょう」
「令一君が神降ろしに耐えられれば、其れは其れで遣り様が有る。神名が分かっているのは俺も同じだから、繋がる事は出来る」
危険じゃないんですか?と問うてくる岐顕に、言い難そうに祖父は言った。
「…俺、出来るんだよね」
其の場に居た全員が、再び、え?と言って聞き返した。
祖父は、更に言い難そうに続けた。
「危険は危険だけど、巫女さんの御神託みたいな事だったら、出来るんだ」
初耳なんですけど、と岐顕が言うと、言ってなかったからねぇ、と紘一は言った。
「何しろ、戦後一度も遣ってないからね。でも、出来る。だから、そういう意味じゃ、令一君程は条件が悪いわけじゃないんだ。制御不能とか、自我を失うとか、そういう事にまではならないと思う。年だから死ぬかもしれないけど」
やめてよ、御祖父様、と馨が言うと、大丈夫、と紘一は言った。
「だから、最後の手段だな。使わなくて済むようになるとは思うけど。協力者も居るし」
其の時、携帯電話のバイブ音がした。
岐顕が其の場に居る全員に一礼して、電話に出た。
「もしもし。何?楽が?」




