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緑色の空 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
佐藤馨
15/49

訃報

 昨夜、母、宇子(たかこ)が、気を失った状態で帰ってきた時には、随分驚いたものである。


 父が抱いている状態を見たので、馨には、母が如何(どう)やって帰宅したのかも分からなかった。




 三月七日から此処数日、母は家を空けていた。


 親戚の葬儀だと言っていたが、訳を尋ねようにも、戻った母は憔悴しきっていて、あれから一言も発しない。

 見れば、腕は痣だらけである。


 其のうち、何処からか黒服姿の男達が遣って来て、龍顕の荷物を洗い(ざら)い、全部持って行ってしまった。

 父も何か事情を知っている様子だったが、尋ねても、何も答えてはくれなかった。


 其れで、今朝、馨の朝晩の日課、散歩の通り道に、大量の書類入りファイルが捨てられていた。


 此の辺りは、ゴミの分別こそ厳しくはないが、何かの袋で包まなければ、ゴミとしては回収してもらえない。

 此の近隣では、今更知らぬ者とてない(はず)の常識である。


 そうだとすれば此れは、此の地区のゴミ事情を知らない人間の迷惑な置き土産か、『ゴミとして回収されない(よう)に』残された物かの、何方(どちら)かである、という事になる。


 馨が気になって中身を見てみれば、案の定、中身は龍顕の字で、何かが書かれている。後者の(よう)だ。


 馨は其れを、龍顕から馨へのメッセージと解釈した。




 最初のファイルには、馨が行った事の無い南の県の、辺鄙(へんぴ)な場所の地図が数枚挟まっていた。手書きの地図である。


瀬原(せばる)?…鹿児島か」


 聞いた事も無い地名である。


 大体、龍顕の出身地だという福岡にすら行った事が無いのだから、其処から以南(いなん)は、全部未知の場所である。




 手書きの地図には、沢山の印が書かれていた。


 地図の(すみ)に、『瀬原集落 苗の神様石像分布図』と書かれている。


 ファイルの中身にザックリと目を通すと、如何(どう)やら其の瀬原(せばる)という土地の資料らしい。


―何故、此れを俺に?…此の土地に、(りゅう)が居るとか?




 馨は、其の、ウンザリするくらい字の多いファイルに目を通していると、次第に目がチカチカしてきた。


 内容は飛び飛びで、項目ごとに粗方(あらかた)(まと)まってはいるが、メモ書きを綴ったものを並び直しただけ、という印象を持った。




 『神立て(カンタテ)とは、瀬原集落(せばるしゅうらく)上方限(カミホーギリ)という地域で子供の名付けの時に行われる行事。神に伺いを立てる、という(よう)な意味であろうか。子供が生まれて七日目に、親戚が集まって、(ふだ)に、子供の名前候補を書いて(くじ)を作り、其れを引いて、子供の名前を決める。』




 拾い読みすると、知らない土地の習俗が立ち上がってくる(よう)な興味深い内容ではあるが、やはり、ただの郷土資料の(よう)である。


 馨は、少し休憩しようと、階下に降りた。


 馨がリビングで牛乳を飲んでいると、庭に人影が在るのに気付いた。


 カーテンの開いた軽銀(アルミ)窓枠(サッシ)硝子(ガラス)から庭を見ると、父が、最近では珍しく楽しそうに、『降参』のポーズを取っている愛犬、ペロの腹を撫でていた。


―父さん、ちょっと機嫌良さそう。…今だったら、何か聞けないかな。


 馨も、窓枠(サッシ)を開けて庭に出て、外履き用のサンダルを突っ掛けると、ペロの近くに寄った。


 ペロは喜んで、父と馨の何方(どちら)に撫でてもらおうかと迷っている(よう)に、手足をバタバタさせたが、結局父に抱きかかえられて、満足そうに舌を出した。

 笑っている(よう)な表情に見える。


 此の前までは、此の輪の中に龍顕が居た事を思い出して、馨は俯いた。


―最初は、龍とペロ、あんまり仲良くなかったんだよな。ペロの方が、龍を怖がっちゃって。でも、()ぐ慣れて、こうやって、散歩したり、遊んだりして…。


 下を向いていると、ハフハフという、ペロの呼吸音が聞こえ、其れが何だか少し可笑しくて、馨は、クスッと笑って、ペロの方を見上げた。

 ペロは、実に嬉しそうに見える。

 時折ペロが父の顔を舐める。

 父は、困った(よう)な声を出しながらも、微笑んでいる。


 プラスチック製の犬小屋からは、薄汚れた毛布が、はみ出している。

 小屋や狭い庭の其処(そこ)彼処(かしこ)に、ペロの抜け毛が落ちている。

 そろそろ冬毛が換毛する時期なのだ。

 毎年、此れが犬の毛ではなく、羊の毛だったらセーターでも作れるのではないかと思うくらいに抜ける。


 此の風物詩を見るにつけても、すっかり春である。


「…母さんは?」

「部屋で寝てる。食事は少し摂らせたよ」

「そう…」


(はる)(いち)さんが亡くなったからね。暫くは、佐織ちゃんについてあげてたみたいだけど」


「え、亡くなったのって、治一さんだったの?東秋留(ひがしあきる)の?俺…大好きだったのに」


 そんな大事な事も、母は何も言わない。


 坂本(さかもと)(はる)(いち)というのは、都内に住む、これまた母方の親戚だ。


 (ちな)みに母の旧姓は坂本である。


 (おとこ)(やもめ)の治一は、一人で娘を育てていた。


 都内と言っても、此処からは結構距離が有る場所に住んでいたのだが、治一には他に身寄りが無く、時々母が食事を作りに行ったり、其処の娘の()(おり)という女の子の世話をしたりしていたのだ。


 昔は馨も時々、一緒に連れて行ってもらっていた。


 佐織は、当時は()だ小さくて、顔は(ほとん)ど覚えていないが、人懐っこい、愛らしい子だった記憶がある。

 多分、あの子が気に掛って、母は世話を焼きに行っていたのだろう、と馨は思っている。


 馨は、会えば随分可愛がってくれた治一が、大好きだった。

 馨は、思わず泣き出してしまった。


 父は言い(にく)そうに、事故だよ、と言った。


「交通事故だって。ニュースでも報道されたみたいだけどね。雪の日の事故だったから、降雪量の報道の方が多くて、あまり目立たなかったかな」


「其れじゃ…、佐織ちゃんは?一人になっちゃったの?」

「うん、佐織ちゃんは…、母方の伯父さんに、引き取られたって…」

「え、うちの他に親戚が居たの?あの人達…」


「治一さんには、うちの母さん達、坂本の家の人達くらいしか身寄りは無かったらしいけど。奥さんの方には()だ身内が居たみたいだね。…あそこの御夫婦は駆け落ちして上京して来た人達だったらしいからさ。そんなわけで、疎遠ではあったみたいだけど…一応ね」


「そうだったのか…」


 色々、込み入った事情が有るらしい。

 だから両親は話したがらないのだろうか、とは馨も思うのだが、馨は折角(せっかく)の話が聞けそうな機会を(のが)心算(つもり)は無かった。


「で?昨日来た、あの黒服の人達は誰」

「…佐織ちゃんの親戚…の、召使い…かな?」


「は?」


 父は、口が滑った、しまったという(よう)な顔をしたが、馨は涙を拭い、追及の手を緩めなかった。


如何(どう)いう事だよ。何で、佐織ちゃんの親戚が、龍の荷物、全部持っていくわけ?」


 しかし、馨は、其処まで言って、はた、と気付いた。


「…あれ?龍も母方の遠縁…。佐織ちゃんも母方…。坂本家の方は親戚が異様に多いから気にしてなかったけど…もしかして、()()()()()()()()()()()()()()…?」


「其処までだ」

 静かに馨を制する父の顔は、急に真剣になった。


 ペロは、父の様子に驚いて、父から離れた。


 父は辺りを窺うと、ペロを小屋に戻してやってから、家に入った。


 馨は慌てて、父を追いかけた。


「父さん」

 馨は幾分、声を抑え気味にして、リビングで父に声を掛けた。

 何故、周りを気にするのだろう、と馨は思った。

 父の様子が、おかしい。


「馨、春休み、暇か」

「な、何、急に。予定は無いけどさ」


「暇なら、渋谷の御祖父様(おじいさま)の所にでも行ってきなさい。御小遣いは遣るから」

「何だよ、急に。御祖父様の所って」


 突然の父の提案に、はぐらかされている(よう)な、厄介払いされている(よう)な気持ちになって、馨は腹が立った。


 しかし、馨を見据えた父の眼差しは、真剣其のものだった。

「俺に言えるのは、此れだけだ」


 父は、そう言うと、スタスタと自室に戻ってしまった。


―御祖父様?…坂本の…。


 母方の祖父、坂本(さかもと)紘一(こういち)は、前立腺癌の手術を終えて、先月通院が終わったばかりである。


 其れこそ、つい最近、家族で御見舞いに行ったばかりだった。


―御祖父様に聞くと、何か分かる…?


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