写真
「早佐様の写真、ですか」
「ええ。もし有ったら、見てみたくて」
佐織は思い切って夕餉の後に紀和に尋ねてみた。
紀和は幾らか同情的な声で言った。
「そうですね、そういった物は全て纏めて、長が管理されているそうですよ」
「長が?」
「はい。此処には御座いません」
「そうですか」
佐織は少し期待していただけに悲しくなってしまってしまったが、食い下がった。
「其れでは、あの、御墓、御墓は何処ですか」
「ああ、御墓ですか。御墓は、御屋敷の中に在りますわな」
「…建物の中に、ですか」
「正確には御屋敷の何処かに御本家代々の、御遺骨を納める廟が在る、という事です。其処が御墓といえば御墓ですね。其処は、瀬原本家の当主、今は長しか立ち入れません」
また長か、と思うと、佐織はウンザリして、言った。
「母の御墓に御参りしたいのですが」
「決まりで、御本家以外入れませんので。私も入れませんし、私からは何とも」
紀和は、相変わらずの、有無を言わさない、キッパリした言い方で、そう言った。
今度は、先程醸し出してくれた同情心など引っ込んでしまった様子で、少し棘すら感じる態度だった。
如何してそうなるのか、という事では無く、正しいから、そうなのだ、という様な言い方である。
また、仕来り、また、決まりである。
如何いう理屈なの、と、少し腹を立てながら、佐織は更に聞いた。
「長は、何方に?直接御願いしてみても駄目でしょうか」
「長は御忙しい方なので。今も、ソトに仕事に行かれております。御戻りも、何時になるかは分かりませんが、戻られたら御会い出来る様に御伝えしておきます。では」
紀和が、そう言って去ると、佐織は、熟、嫌になってしまって俯いた。
今まで自分の築いてきた価値観が崩れていくのが、こんなに嫌な事だとは、佐織は知らなかった。
―何もかも、決まり事が有って、長が一番偉くて、長在りきで。自分で何一つ決められない。…少し前まで、自分の進路だって、何だって、自分の事は自分で決めさせてもらえてたのに。パパ、ママ。私、二人が如何して此処を出たのか分からないけど、気持ちは分かる気がする。長く髪を伸ばして、長くて重い衣装を着けられて、外にも出られないなんて…。私だったら堪らない。こんな決まり事だらけの所から出たいって、私なら思う。…私も帰りたい。
しかし、次の瞬間、また『逃げられない』と強く思った。
佐織は悲しくなって、少し泣いた。
夜になった。床は二つ並べられているが、佐織の隣の床の主は、未だ姿を現さない。
―…一年の間に、先に子供が出来た方が遺産を受け取る。養子、っていう話だと、無事に生まないといけないだろうし。考えれば考える程、長という人は何がしたいのかしら。其れに…誰にとっても急な話だった事は分かったけど、龍様は、如何いう心算なのかしら。流石に…私と子供を作る気は有りますか、なんて質問出来ないけど。期限は一年。もし一年経っても此の儘だったら…。私、如何なるの?其れは其れで怖い…。
佐織は其の時、途方も無い、深い、暗い淵を覗いてしまった気がした。
―如何して、こうなったの?本当に違う国に来たみたい。宇子さん。宇子さんに会いたい。本当は高校に行きたかった。パパ。パパの御骨は、ママの御骨と一緒に置いてある?…御屋敷の中に御墓が在るなんて…御墓に住んでいる様なものね。帰りたい。此処から出たい。
しかし、帰りたいと思うと、『逃げられない』という、強い呪縛の様な念が湧くので、佐織は何故か、其の思考の枷が不思議に思えてきた。
―私、此処まで意気地無しだったかしら。こんな性格だった?
佐織は、自分の事を自己主張が激しい性格だと思った事は無かったが、決めた事は努力して遣り遂げる様にしてきた心算だし、もっと物事を自分で決めていた様に思う。
しかし、何かが変だとは思っても、其れが何なのかは分からず、佐織は泣いた。
気付けば窓の外は白んでいて、佐織は、また泣き疲れて眠ってしまった事に気付いた。
布団の上で半身を起こし、隣の布団を見遣ると、やはり龍顕は居なかった。
佐織はボンヤリと龍顕の枕を見詰めた。
寝起きの頭では、自分に夫が居る事に対して現実感を抱く事が出来なかった。
―今までの事は全部夢で。本当は、龍様なんていう従兄は居なくて。パパが死んじゃったのも夢で。…ああ、そうなのかな。
佐織は暫く布団でボンヤリしながら座っていたが、現実は変わらなかった。
頭が覚醒してきた佐織は、何時までも布団に座っても居られないと思い、起き上がる事にした。
佐織は、ふと、枕元に何か在るのに気付いた。
手にしてみると、其れは、一枚の写真だった。
髪の長い、二人の女の子が、寄り添う様にして映っていた。
少し驚いた様な、自然な表情で写っている二人は、仲の良い友人同士か、姉妹の写真といったところだろうか。
古そうだが、カラーの写真で、二人の女の子の顔がハッキリと分かった。
一人は、道を歩いていたら人目を惹く様な、華やかな顔立ちだった。
勝気そうな瞳に、大きな口。
微笑んでいる其の唇は薄く、何か、赤っぽい着物を着ている。
何処かで見た様な顔立ちだ。
もう一人は、寝間着の浴衣の様な物に、華やかな羽織を肩から掛けた、病人の様な姿をしていた。
其の顔は、佐織に瓜二つだった。
佐織は思わず、今まで誰にも呼び掛けた記憶の無い言葉を、写真に向かって呟いた。
「ママ?」




