第四章 名無しの探偵と助手とはパシリであると知る日々
異世界転移あるあるその2。何故か言葉が通じる。
かつて日本にいたころ読んでいた本の世界のように、何故か俺はここに異世界転移して以来、言葉に困ったことはない。
一部例外はいるようだが、他の異世界転移者も同じらしい。
日本語で話そうとすると、それを訳した言葉が脳に浮かぶ。文字も同様で、それをもとに会話や読み書きをしていると、次第にこちらの言語をマスターしている、というわけだ。
この不思議な現象は、俺達をこの世界に斡旋した神のサービスらしい。俺にはできないが、一部の異世界転移者や異世界転生者は、その神と直接言葉を交わすことができるそうだ。そういう奴らが言うには、そういうことらしい。最も、これは伝言ゲームの末に道端で聞いた話なので、真相は不明だが。
言葉が通じなくて困ったことはないが、唯一困ったのは発音だ。
日本語は母音と子音がセット。それに対しこちらの言語は、英語のように必ずしもそうでもない。
俺が住んでいるこの町の名は、日本語で発音するとバッツゼゥヌルとなる。……こんな激ムズ発音がしょっちゅうで、例えばパンはネネネート、服はフォロロフと言う。
カタコト英語のような俺の言葉は、通じはするが聞き取りにくいらしく、初対面の人には身振りを交えて何度も言わないと通じないこともしばしばある。
ちょっとしたプライベートの会話なら別にいいのだが、お使いを頼まれているときは煩わしいことこの上ない。
今日のお使いは昼飯と来客用コーヒーの調達だ。
ロクに客なんざこねぇクセに、探偵様はそれが探偵の義務だと主張するかのようにクルクル火のついていないパイプを回しながら、朝から晩までガブガブコーヒーを飲んでいる。
高級品というほどではないが、一応は来客用なので格安の苦いだけの汁ではなく、それなりに香りや深みのあるコーヒーでなければならず、毎日がぶ飲みしていれば費用がかさむ。
ここで働き始めて今日で一週間。どう考えても経理は火の車だが、まるで気にしたそぶりを見せない。
……ひょっとすると、探偵業は道楽で、本人は金持ちなのかもしれない。
「お! 鏡一さんじゃないですか」
探偵様のランチタイムに間に合わせるために、コーヒーの袋を持って小走りで市場を走っていると、見知った顔に声をかけられた。
「健也か。これから潜るのか?」
黒髪黒目。マッシュヘアのどこにでもいそうな、高校生くらいの日本の少年だが、異世界らしく濃い紫色の鎧を纏っていた。
「ええ。魔猪の双角を納品するクエストを受けていまして。ポイントは抑えてあるので、これからパーティと合流して狩りに行きます」
そう言って、健也は屈託のない笑みを浮かべた。
健也は俺と同じくらいの時期に、こちらに異世界転移したという理由で知り合った友達だ。
クォーターヴァンパイアの俺と外見年齢はあまり変わらないが、精神的には俺の方が一回り近く上だ。それで、今でも律儀に丁寧な言葉で話しかけてくるのだ。できた奴である。
「鏡一さんは? これからパチンコにでも行くんですか?」
まだ真昼間だぞ。……お前は俺を何だと思っているんだ。
「仕事だ」
俺がそっけなくそう返すと、健也は呆気にとられた顔になり、次いで俺の手荷物を見た。
あんぐりと口を開ける。
「『世捨て人の鏡一』が昼間からマトモそうな仕事で働くなんて……。男児三日会わざれば、ですね」
「お前、その二つ名を本人の前で言うか……?」
もはや陰口だからな、ソレ。
「面白そうだったからな。たまにはそう言うこともあるさ」
「はー。……今度こそ、生活が安定するといいですね」
またそれか。
皆、ひとまずそれ言うよな。
「ありがとさん。まぁ俺はお前と違って、スキルには恵まれなかったからな。こうやって色々気ままに試すさ」
「僕も戦闘スキルとしては下位ですけどね……」
健也が自嘲気味に苦笑する。
生まれながらのスキル……ボーン・スキルの性能は、異世界転移者にとって超☆重要だ。異世界転生者と違ってこちらの教育を受け、成長する準備期間が殆どないから、初期スペックの差異が今後の一生を分ける。
健也のボーン・スキルは『色神の加護・紫』。紫色の物を持つとステータスが上昇するスキルだ。だから、健也の装備、私物は紫色で統一されている。
俺の持つスキル『食料生成』とどっちの方が優れたスキルか、それは正直微妙だ。
健也のスキルは下位とはいえ戦闘用スキルだ。ゆえに、一応冒険者として身を立てることができる。しかし、一流の冒険者になるのは難しいだろう。
一方俺のスキルは、およそあらゆる分野で役に立たない。このスキルを基に仕事を得ることはできないだろうが、食費をかなり抑えることができるので、生活の質を楽に上げることができる。
「「……」」
会話が途切れ、一瞬、互いに見つめあう。どちらからともなく、乾いた笑い声が漏れた。
類は友を呼ぶ。
これは、真実だ。
……別に友達を厳選したつもりはないが、いつの間にか、似たような奴らが俺の周りには集まっている気がする。
ロクに働かず、社会に交じれない俺の周りには、同じように燻っている若者が集まってくる。
――そしてその筆頭は、間違いなく俺だ。
「じゃ、俺はそろそろ行く。遅れて怒られるのは御免だからな」
「ええ。僕もそろそろ行かないと、約束の時間に遅れてしまいます」
じゃあ、と言って同時に歩き出す。背後から「頑張ってください!」という声が聞こえた。「お前もな!」と俺も返し、商店へ急いだ。
「遅い!」
薄汚い事務所に戻ると、腹をすかせた探偵がクッションを投げてきた。
ほんのついさっきまで探偵のケツの下にあったそれはほんのりと温く、そしてペラペラだった。
おかげでまるで威力がなかった。
「すみません、久々に友人と会ったもので」
俺が顔に乗ったクッションを払い落しながら謝ると、探偵は驚愕した顔になった。
「鏡一くん、友達いたんだね……」
「失礼な」
俺はテーブルの上に買ってきたものを広げた。
コーヒー豆が一袋。乾麺。トマトソースの缶。ソーセージ。
本日の昼飯はスパゲティナポリタン……の、ようなものだ。
作り方はうろ覚え……というか、正直知らんが、まぁ調味料はだいたいあるし、なるようになるだろう。
日本ならここでスマホを取り出し正しいレシピをチェックできるのだが、あいにく今ここにはあの便利な機械はない。レシピ本もないし、記憶が頼りだ。
小さくて微妙な長さの鍋しかないので、麺をぽっきり折って茹でる。出来上がったものにトマト缶の中身をぶちまけ、それっぽい調味料を振りかけて混ぜる。麺と一緒に茹でていたソーセージを川の字に並べる。
「おあがりよ!」
杜撰・乱雑・テキトの極地。全く料理をこだわらない男のザ・野郎飯だ。
「作ってもらって文句を言うつもりはないが……」
一口食べて、さっそく探偵は顔をしかめた。
「それを文句と言うのでは?」
「まぁ、ゆっくり上手くなっていってくれればいいよ。なるはやでね」
スルーしながら矛盾したことを言い、キレイに食べ終えた皿を押しやってゴロンとソファに横になる。
うーん、今日もだらけきった探偵様だ。
「今日も仕事はないんですか? 探偵」
「そうだよ助手。今は繫忙期じゃないからね」
「……探偵業に繁忙期があるんですか?」
「あるよ。春先なんかは忙しいね。なんでかは知らないけど、たぶん暖かくなって気が大きくなった奴が、何かしらやらかすんだよね」
「へぇ」
そういや、春になると変な人が増えるって日本でも言うよな。
「後は、大規模な武術・魔道の大会があるシーズンとかだね。装備品の強盗事件や不可解な出来事が増えたり……色々と事件が起きるんだ」
「そこらへんはファンタジー世界っぽいな」
「もう暫くしたら、騎士達の祭典――白光黒輝祭があるから、段々と忙しくなるはずだよ」
「なるほど。でも、普通は警察……自警団の仕事なんじゃないか?」
俺が至極当然の疑問を述べると、探偵は艶のある唇の前に人差し指を立て、しっ、と言った。
「私もそう思うよ。でも、普通冒険者は警察機構を頼らない」
「なぜだ?」
「同じ戦闘職としてのプライドや縄張り意識と……何というか、告げ口しているように感じるかららしいね。自警団の世話になった人は、その経歴をギルドカードに書かないといけないから、何となく、冒険者達の間には自警団を呼びづらい雰囲気があるんだ。おまけに、彼ら彼女らには脛に傷を持った人も多分に混じっているからね」
「理由てんこ盛りだな」
しかしそれなら、食いっぱぐれる心配はなさそうだ。逆に、どうして今こんなに暇なのか不思議なくらいだ。
……もしかすると、看板のせいかもしれない。
「にしても、看板は変えないのか? ちょっと胡散臭いじゃん」
この店の看板は、「気軽にどうぞ探偵事務所」と書かれた薄汚れた白い板だ。
「普通は名前+探偵事務所だと言いたいんだろう? だが、私には名前がない。ああああ探偵事務所になら変えてもいいよ」
「どうして名がないんだ?」
後半のギャグをスルーしつつ聞くと、探偵は明後日の方を向いた。
「――さぁね」
どうやら、何も言うつもりはないらしい。でも、答えるときその指がそっと翡翠の指輪を撫でたのを、俺は見逃さなかった。
「……ま、まぁ確かに致命傷ってほどじゃないけどさ。……客、早く来るといいな」
「私は忙しいの嫌いだし、別にいいよ」
そりゃ俺もだよ。
「フ」
俺の内心を見透かしたらしく、探偵は小さく笑った。
この辺、流石探偵って感じだ。勘が鋭い。
雇用主の手前、例えその雇用主自身が言っているとはいえ、仕事がない方がいいと言うのはあまりよろしくない。俺は肩をすくめて誤魔化した。
……俺達の希望通り、今日も客は現れなかった。