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3.契約執事

エミリアの独白の続き。

 ベット横のサイドテーブル上に置いてある時計の針は深夜一時半を示していた。

 あと数時間で王都へ向けて出発する。

 破滅が回避出来るかどうか、これからの行動にかかっているのだと、緊張と高揚感でエミリアの心臓は早鐘を打っていた。


 イーサンとの婚約が解消、または破棄されればエミリアの価値は地に落ちる。

 価値を失い激怒した両親に勘当されても、今まで培った人脈で何とか生きていけるだろう。学園を退学することになっても、伯爵令嬢という窮屈な肩書からも解放されるのだ。


(やっとここまで来たのよ。やっと、グランテ伯爵家から離れられる。学園では目立たず揉め事を起こさず、平和に過ごして卒業出来れば上出来ね。婚約破棄されて退学となっても、真面目に勉強すればその知識だけでも生きていける。やっと死ぬ恐怖から解放されて自由の身になれるのよ)


 ベッドに仰向けになったまま腕を伸ばし、サイドテーブル上に置かれたランプのスイッチを入れる。

 上半身を起こしてヘッドボードに凭れかかったエミリアは、枕の下に隠している日記帳を取り出した。


 長年使い込み、端が擦り切れた日記帳の表紙を捲った最初のページ、そこに書いてある文字を指でなぞる。


『エミリア・グランデ 九歳。これから起きることの記憶を、前のエミリアの記憶を忘れないように記録をしておく』


 静かな室内に日記帳のページを捲る音が響く。


『父親と継母から冷遇された私は、溺愛されている弟とは違い物だけ与えられて後は放置される不満を使用人達へぶつけ、癇癪を起こして手に負えない我儘令嬢に育つ。十五歳になった春、王立学園へ入学する。学園で何かと注目を浴びる男爵令嬢シンシアが婚約者と仲良くなり、愚弟のせいで私は婚約破棄される』


 日記に書かれているレティシア王国の文字とは違う異国の文字で綴った文章は、“前のエミリア”の記憶の中にある最果ての修道院へ時々やってきた旅人が教えてくれた異国の文字で書かれていた。

 遠い異国の文字ならば自分以外の者に見られても、王宮の学者か外交官以外は読めないだろう。

 伯爵家が爵位を奪われ、婚約者から婚約を破棄されるきっかけになる学園入学後の自分の身に起こった出来事。それらを忘れないよう、幼いエミリアが書いたものだった。


「シンシア嬢がC組所属になり、後に生徒会役員となる男子生徒と親しくなったら婚約者殿は真っ先に彼女に落ちるわね。別にいいけど」


 六年前の顔合わせ後、イーサンと会ったのは二年前。

 嫌々出席した良家の食事会で挨拶を交わした程度で、誕生日に短い手紙をやり取りするだけの希薄な関係の婚約者。

 食事会の時に、彼がどんな顔をしていたのかは、ぼんやりとしか思い出せない。


 王立学園へエミリアが入学した直後、二年生のイーサンは幼馴染の一学年下の宰相子息を介してシンシアと出会い、彼女と急速に親しくなっていく。

 二人が惹かれていく過程は、物怖じしないシンシアの性格以上に、グランデ伯爵家の性悪姉弟の功労が大きい。

 ダルスからの付きまとい行為とエミリアからの嫌がらせに悩み、涙を流すシンシアを守る騎士役にイーサン自ら立候補し彼女との仲を深めていった結果、二人は恋人関係になるのだ。


「今思えば、私とダルスは悪役以下ね。二人の恋の当て馬役だったわ」


 顔合わせをした食事会の記憶はぼんやりしているのに、夜会会場へ向かう中庭でイーサンから婚約破棄を宣言された時の記憶、腹違いの弟の愚行を止めなかったエミリアへ向けられた侮蔑の表情はしっかりと覚えている。

 あの時、婚約者の真っ赤に染まった顔は赤銅色の髪と相まって金魚みたいだったと、エミリアは苦笑いした。


「爵位を剥奪されるならば、学園へ入学したら貴族ではなく、平民の友達を作ることが目標ね」


 学園には商売をしている裕福な家庭の生徒も在学している。

 婚約者殿に嫌われ学園を退学した場合、伯爵家が没落した場合、平民の友人に仕事を斡旋してもらえるように人脈作りをしなければならない。


「婚約者殿がシンシア嬢に心変わりしても嫉妬もしないし、愚弟は蹴っ飛ばしてでも止める。干ばつに被害を大きくした領地の水源管理も、ギルドに依頼してやってもらえているから今のところ災害は出ていないし、今後も大丈夫。あの時の私と同じ道には進まないわ」


 日記帳を閉じたエミリアは、長年使い込んで色のくすんだ表紙を人差し指の腹で撫でた。




 ***




 不安と近況で朝方まで眠れなかったというのに、習慣というのか何時もの起床時刻になると自然と眠りから覚めてしまう。


 もう少しだけ眠ろうと、目蓋を閉じて心地よい眠りの淵へ落ちかけた時、部屋へやって来たメイドに肩を揺さぶられ起こされてしまい、エミリアは重たい体を起こした。

 眠たい目を擦りながら洗顔を済ませ、鏡の前でメイドに髪を梳かしてもらう。

 寝癖でうねっていた腰までの髪は真っ直ぐになり、眠気で半開きだった瞳も徐々に開いていく。


 ようやく頭が目覚めてきたタイミングで部屋の扉がノックされる。


「お嬢様、おはようございます」


 朝の挨拶と共に入室した若い執事は、エミリアの前まで来ると彼女へ頭を下げる。


 朝日で金色に輝く銀髪は後ろへ撫で付け、皺一つ無いスーツを着て銀縁眼鏡をかけた長身の執事は初めて会った六年前と変わらない容姿で、いつ見ても完璧な芸術作品のように綺麗だとエミリアは彼を見上げた。


「おはよう、ノア」

「朝食の準備は整っております。出発時刻に間に合いますようにお着替えを、お嬢様? どうされましたか?」

「え?」


 問われてからノアを見詰めていたことに気付き、エミリアは苦笑いした。


「気になることでもあるのですか?」


 領民の反乱で赤い炎に包まれた屋敷から逃げ出し、最果ての修道院に辿り着くまでの過酷な日々を夢に見てしまい、夜中に起きて泣いていた幼い頃のエミリアを知っているせいかノアは些細な心の揺れも見逃してはくれない。


「あのね、その」


 王都へ行きたくないと言えば、高レベルの冒険者だったノアは何とかして学園入学を阻止してくれる。

 湖を管理する古代の遺跡で魔物に襲われたエミリアを助けた時、仕えると言い膝を折った時からずっと“お嬢様”のことを第一に考えてくれていたのだから。


(理不尽な役割から逃げるのが一番楽。でも、それじゃ駄目だよね。病気や重篤な事情が無い貴族は、学園入学を義務付けられているのだから逃げたら皆に迷惑がかかるし、何よりもこの先がどうなるのか私が見てみたいもの。でも、ノアと離れるのは怖い)


 声に出そうになった思いを飲み込み、エミリアは唇をきつく結ぶ。


「ノアと皆が居てくれたから、ここまで頑張れたなって思ったの。今日までありがとう。私、頑張るね」


 感謝の言葉は嘘偽りではない本心だった。


 ノアに出逢わず、あのまま実父と継母に冷遇される屋敷で暮らしていたら前のエミリアの記憶があるといっても、エミリアの精神は疲弊して病んでいただろう。

 しかし、心細いという想いを彼にだけは感じ取られてはいけない。


「ノアとみんなはどうするの?」

「数名は別邸の管理のために残りますが、私は此処を離れます。私の雇用主はお嬢様ですから。お嬢様がいらっしゃらない伯爵家には用はありません」


 表情はやわらかく穏やかだが、ノアの深紅色の瞳に冷たい光が宿る。

「それなら、一緒に来て」と喉元まで出かかった言葉を飲み込み、エミリアは唇を動かして笑みを作った。


「そっか、そういう契約だったね」


 六年前、ノアと出逢った時のやり取りを思い出してエミリアは目蓋を伏せた。




『助けてくれてありがとうございます。貴方は、冒険者ですか? あの、代金を渡せば私の依頼を引き受けてくれるのでしょうか?』

『俺に依頼だと? お嬢様が?』

『ええ。私はグランデ伯爵家長女です。王立学園へ入学する日まで、私を守ってください。此処に居るといるということは貴方の狙いはこの先の遺跡でしょう? だから、報酬は……』


 腕組みをして無言でエミリアは見下ろしていたノアは、揺るがない意志の強さを小さな体から感じ取り、愉し気に口角を上げた。


『分かった』



 幼いエミリアからの依頼を引き受け、王立学園へ入学するまで仕えると膝を折ってくれたノアとの契約は今日で終わる。


 契約を結んだ後、ノアが顔なじみだというギルドマスターに掛け合ってくれたおかげで、湖の管理の代行依頼もスムーズに進んだ。

 孤独だった前のエミリアが得られなかった味方。

 契約で結ばれた関係でも、傍に味方がいることはこれほど安心できるものなのだと知った。


 一緒に王都へ行けないと分かっているのに、ノアと離れると考えるだけで急に胸が苦しくなってきたエミリアは、胸に手を当てて深い息を吐いた。



ノアは契約執事でも、エミリアにとっては大事な家族。

本日もう一話更新予定です。

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