81.追憶
※ドル=フランソワ視点のお話です。
「では、復興税の導入は全会一致ということでよろしいかな?」
「異議なし」
私の確認に対し、列席した一同が賛意を示す。
「では、本日の会議はここまでとする。諸君、また明日」
解散を告げると、「臨時政府」という名ばかりの餌に食いついた連中が退席していく。
私はそれを無感情な瞳で見つめていた。
「いやー、ドル様、流石ですな」
「本当に。復興には金がかかる。我々貴族ももちろん身を切る覚悟ですが、やはり痛みは平民たちにも分かち合って貰わなくては」
聞き飽きた追従と、聞くに堪えない戯れ言にも、私は満足そうに微笑みを返した。
上辺を取り繕うことにはもう慣れた。
「アルドワン伯爵もルロン子爵もありがとう。貴殿らが賛意を示してくれたことに感謝する」
心にもない感謝の言葉を口にすることにもためらいはない。
「もちろんですとも。私は前々から思っていたのです。ドル様ほど国の未来を考えていらっしゃる貴族は他にないと」
「いや、全くですな」
などと言う伯爵と子爵だが、元々はアシャール侯爵の一派だった。
侯爵が失脚すると尻尾を振ってすり寄ってきたので、喜んで迎えてやった。
彼らは義も理もない、唾棄すべき政治屋だ。
私と一緒に滅びるに相応しい。
「ありがとう。それじゃあ、私もここで失礼するよ。ああ、そうだ。献金ありがとう。有意義に使わせて貰うよ」
去り際に礼を言うことも忘れない。
献金などと言ったが、あれは紛れもない裏金だ。
「ええ、どうぞどうぞ」
「ごきげんよう、フランソワ公爵」
媚びへつらう二人をおいて、私は議場を辞去した。
本来、聖域にも等しいこの場所を、こんな形で使わなければならないことに、ほんの少しの罪悪感を覚えながら。
◆◇◆◇◆
屋敷の自室に戻ると、私は椅子に深く身体を預けた。
疲れが溜まっている。
いくらこの身ともども不正貴族を一掃するとはいえ、民にまで犠牲を出すわけにはいかない。
サッサル火山噴火の事後処理には全力で当たる必要があった。
元々、レイの助言に従い噴火には備えていたが、被害は想定を大きく超えていた。
「復興増税だと? 経世済民を知らぬ愚物どもが」
この状況で増税など行えば、民から反発を食らうことは必至だ。
奴らは民を言うことを聞かせるだけの奴隷か何かと勘違いしているが、民が本気で怒りを露わにした時、己の愚かさを思い知るだろう。
「……娘に軽蔑の目で見られるのは、少々辛いがね」
噴火の前、陛下からの不正貴族摘発の任を受け、私を糾弾した時の娘の顔が忘れられない。
信じていた理想に裏切られた――娘の顔には失望がありありと浮かんでいた。
十把一絡げの貴族どもにどう思われようと構わないが、目に入れても痛くないほど可愛い愛娘にあんな目を向けられるのは、耐え難い苦痛だった。
「だが、もう少し……。もう少しだよ、ミリア」
私は机の上にある写真立てに向かって、積もり積もった思いを込めてそう呼びかけた。
元々、私とて必ずしも褒められた貴族ではなかった。
私が変わったのは、ミリアと出会ってからだ。
ミリアは高潔な女性だった。
侯爵家の令嬢として生まれ育ちながら、不正を嫌い悪を憎む高潔な人物だった。
『フランソワ公爵、ちょっとよろしくて?』
ある夜会で声を掛けてきた彼女は、公爵という私の肩書きにも物怖じせず、今の貴族界を公然と批判して見せた。
漫然と貴族という身分をこなすだけだった私には、それが大層眩しく思えたことを覚えている。
それから、彼女とは会う度に議論を重ねた。
他人からすれば色気のない話だと思われるかも知れない。
だが、私にはそれがたまらなく楽しかった。
しばらくして、私は彼女にプロポーズした。
彼女の反応はこうだった。
『わたくしと理想を分かち合って下さる?』
彼女にとって理想という言葉の意味するところは途方もなく重い。
理想を分かち合う――それはすなわち、腐敗しきった貴族の世界と戦う覚悟を問われているのと同義だった。
私も若かった。
その困難さを真の意味で悟る前に、私は彼女にイエスと答えていた。
夫婦生活は順風満帆だった。
私は政治の世界で、ミリアは社交界でそれぞれ自らの理想を掲げて戦った。
子宝にも恵まれた。
ミリアによく似たその赤子に、私たちはクレアと名付けた。
クレアはミリアに本当によく似ている。
外見ももちろんだが、その内面すらも。
私が甘やかしすぎてしまったせいでだいぶワガママを言う娘になったが、芯の部分は変わっていない。
貴族である自覚を誰より強く持ち、己に厳しい苛烈な娘だ。
ミリアにも激しい一面があった。
魑魅魍魎が跋扈する貴族の世界にあって、彼女はあまりにも潔癖すぎた。
ミリアはアシャール侯爵を公然と批判した。
当時からアシャール侯爵には良くない噂がついて回っていたが、その家格と権勢を恐れて誰も表だって彼を批判することはなかった。
しかし、ミリアは違った。
彼女はアシャール侯爵の後ろ暗い部分をついては、正義と公正を説いた。
そして、あの事件が起きた。
馬車の事故として処理されたが、私には分かっていた。
あれはアシャール家の起こした謀殺だ。
不思議なことに事故当時の記憶は定かではないが、事故後、仕事に戻った私に侯爵が言った一言が忘れられない。
『生き残ってしまったか。運が悪かったな』
その場でヤツを殺さなかったのは、我が人生最大の過ちであり、最高の選択だった。
権力を使って謀殺仕返すことも出来たが、私はそれもしなかった。
なぜか。
私にはもう以前のような、傲岸不遜な貴族としての振る舞いは許されなかったからだ。
ここで私が元に戻ってしまっては全てが無に帰する。
そう、ミリアの死すらも。
私には怒りにまかせてヤツを殺すことすら許されないのだ。
それを悟ったとき、私は初めてミリアの言う理想というものの恐ろしさ、そして容赦なさを知った。
私の復讐にも似た計画が始まった。
アシャール家、ひいてはこの腐りきった貴族社会を一掃する――その為だけに生きてきた。
後ろ指を指されるようなことも随分やって来た。
気がつけば、あのアシャール侯爵に勝るとも劣らない大悪党になっていた。
悪を行いつつ、悪に染まらない――その難しさに何度懊悩したことか。
それでも、私はここまで来た。
あと一歩……あと一歩だ。
「ようやくここまで来た。お前と再会する日も、そう遠くないだろう」
口にしてから、いや、違うな、と私は思い直した。
ミリアのような高潔な人物がいる場所に、罪にまみれた私が行けるはずもない。
私が死んだら、行き着く先は地獄だろう。
「そうか……。お前とはもう二度と会えないのだな、ミリア」
それは少し……いや、とても悲しい。
だが、もう後戻りは出来ない。
ここまで来てしまった以上、もうやり通すしかないのだ。
「せめて……せめてクレアだけは助かって欲しいが……」
娘のことはレイに任せてある。
レイは大丈夫だと請け負ってくれたが、私には心配が拭えなかった。
クレアはミリアに似ている。
似すぎている。
そんな彼女が、生き恥をさらすことを良しとするだろうか。
「賭けるしかないな、彼女に」
レイ=テイラー。
不思議な娘だった。
彼女は別の世界から来たという。
荒唐無稽な話だと最初は思ったが、実際に彼女は結果を残して来た。
娘も明らかに変わった。
レイの存在は娘にとって掛け替えのないものになりつつある。
そんなレイなら、あるいは娘の生き方さえも変えてしまうかも知れない。
「いや……これは私の願望だな」
理想に殉じるよりも、娘に生き延びて欲しい――それが私の本音だ。
大切な者が理想に散る姿を二度も見たくはないのだ。
「ミリア……どうかクレアを守っておくれ」
写真の彼女は微笑んでいる。
イエスともノーとも言ってくれない。
当たり前のことだ。
だが、私にはそれが罪深い私に課された罰であるように感じられた。
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