38.お姉様を巡って
「クレア様、あの……申し上げにくいことなのですが……」
「? どうしましたの、ロレッタ。構わないから言ってごらんなさい」
いつもの東屋でピピとロレッタ、そして平民と一緒にお茶をしていると、ロレッタがそんなことを切り出してきました。
お姉様の姿はありません。
お姉様は王宮のお茶会に呼ばれているからです。
わたくしも参加しようかと思ったのですが、ロレッタとピピからお姉様に内緒の話がしたいと言われてこちらにやって来たのです。
ロレッタの表情は幾分固く、こちらの方が緊張してしまうような、そんな顔でした。
「その……マナリア様のことです」
「お姉様? お姉様がどうかしましたの?」
何を言われるのかと身構えてしまいましたが、お姉様のことと聞いて、わたくしは幾分緊張を解きました。
ところが、
「あのマナリア様という方……本当に信用していいのでしょうか?」
「……どういう意味ですの、それは?」
知らず、低い声が出ていました。
よりによって、あのお姉様が信用出来るか、ですって?
「ロレッタ、いくらあなたといえども、言っていいことと悪いことがありますわよ? 事と次第によっては――」
「クレア様」
「なんですのよ、平民。邪魔しないでちょうだい」
「落ち着いて下さい。ロレッタ様もピピ様も怯えていらっしゃいます」
平民の言葉に我に返ると、目の前のピピもロレッタもすっかり萎縮してしまっていました。
いけない。
始めからロレッタは言いにくいことだと言っていたではありませんの。
それを言ってみなさいと言ったのはわたくしの方。
これでは二人にとって理不尽な話になりますわ。
レレアも心なしか怯えているように見えます。
「ごめんなさい、ピピ、ロレッタ。少しかっとなりましたわ。話をよく聞かせてちょうだい」
「……クレア様がお怒りになることは、予想していました」
「クレア様はマナリア様のことをとても慕っていらっしゃるようでしたから」
二人が言うとおり、わたくしはお姉様のことをお慕い申し上げています。
かつてお母様を失ったときに、絶望の淵にいたわたくしをすくい上げてくれたのはお姉様ですし、そのことを抜きにしても、お姉様は素敵な方だからです。
ですが、ピピやロレッタはそうではないようでした。
「二人はどう思いますの?」
「私は……少し怖いです」
「私も……」
「怖い……って、あなた方二人とも、お姉様の前では随分甘えたような振る舞いをしていたじゃありませんのよ」
もっと構って構って、というような、少しミーハーじみた態度とすら言えるほどでしたのに。
「そこが怖いんです。あの方は別に何か特別なことをしているわけではありません。でも――」
「ただそこにいる、それだけで周りの者を引きつけてしまう、そんな力があるように思えます」
それが怖い、と二人は言います。
「そんなことでしたの。二人とも、考えすぎでしてよ」
わたくしは二人の不安を吹き飛ばすように、明るく笑い飛ばしました。
「二人がお姉様に惹かれるのは、単にお姉様が魅力的な淑女であるというだけの話ですわ」
「そ、そうでしょうか」
「そうですわよ。特に何もしていないのに、とロレッタは言うけれど、真の淑女というのは佇まいだけで人を魅了することが出来るものですわ」
「確かに、クレア様もそういう所がありますけれど……」
ロレッタもピピもまだ不安そうです。
場の雰囲気を察しているのか、テーブルの隅でビスケットを囓っていたレレアも顔を上げます。
わたくしは「大丈夫よ」と言うように、彼女の頭を撫でました。
「ねえ、平民。あなたはどう思う? マナリア様のこと」
「クレア様の言うとおりの方だと思うかしら?」
ロレッタとピピはよほど不安なのか、平民にまで意見を求めました。
「そうですね……。マナリア様は特別何か……例えば催眠術のようなものを使っているわけじゃないと思いますよ」
「それは……」
「そうでしょうけれど……」
「クレア様が言ったことがその内実のほぼ全てで、マナリア様は一挙手一投足が洗練されすぎていて、知らないうちに魅了されてしまうということだと思います」
「ほらみなさい。平民ですらこう言うんですのよ?」
「でも――」
「?」
わたくしに完全に賛同したのかと思いきや、平民の言葉にはまだ続きがあるようです。
「マナリア様は無自覚にそうしているわけでもないと思います。マナリア様は人を魅了するように、わざとそう振る舞っているのは間違いないでしょう」
「平民! あなた何を根拠にそんなことを……!」
「マナリア様は、ここバウアーで新しい人脈を築く必要があるからです」
「――!」
わたくしがはっとしていると、平民は続けました。
「マナリア様ご自身が仰っていたように、彼女は祖国から事実上の追放処分を受けたそうです。だとすれば、マナリア様が採れる選択肢は多くありません」
「どういうこと?」
「もったいぶらないで教えなさいよ」
ロレッタとピピが続きを促します。
「祖国を捨てて新天地であるバウアーで新しい生活を模索するか、あるいは――」
「スースでの王位継承争いに備えて雌伏するか――そう言いたいんですのね、あなたは?」
「さすがご聡明でいらっしゃいますね、クレア様」
平民が言いたいのはこういうことです。
お姉様が言った「ややっこしいお家騒動から離れられて、むしろ清々してる」というのは方便で、その実はバウアーで人脈を築き力を溜め、時が熟せばスースへとって返し、後継者争いに復帰しようとしているのではないか、と。
「考えすぎですわよ」
「まあ、私もマナリア様は王位継承権なんて興味がないとは思います」
「なら――」
「そうだとしても、新天地で新生活を始めるにしたって、人脈は大事でしょう? マナリア様はきっと、後継者争いうんぬんとは関係なしに、人脈を広げることを目的にしているのだと思います」
平民の言うことは一理あると思いました。
お姉様の真意がどこにあるにしても、今のお姉様は祖国からの支援がほぼ期待出来ません。
ならば、積極的に人脈を広げようとするのはごく自然なことでした。
「話は分かりましたけれど、一つ不思議なことがありますわ」
「なんですか? 愛しのクレア様」
「ふざけるのはおよしなさいな。どうしてあなたたち、お姉様になんというか……そう、苦手意識のようなものを持っているんですの?」
ロレッタにしてもピピにしても、そして平民にしても、どうもお姉様に隔意のようなものを感じます。
そうでなければ、惹かれることが怖いなんていう感想にはならないはずなのです。
「どうしてって……そんなの……ねぇ……?」
「ええ……」
「クレア様だけですよ、分かってないの」
「ええっ!?」
普段は決して仲が良いとは言えないロレッタ、ピピと平民が、まるで息を合わせたようにそんなことを言いました。
ちょっとお待ちなさい、どういうことですのよ。
「あははは、レイたちはボクにクレアを取られると思っているんだよ」
「お姉様!」
「ごきげんよう、クレア。レイやロレッタ、ピピもごきげんよう。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、内容が内容だけに言い出せなかった。ごめんよ」
いつの間にそこにいたのでしょうか。
わたくしたち全員の死角になるような位置に、お姉さまが立っていました。
驚くわたくしと、青くなって立ち上がろうとしたピピとロレッタに、「良いから」と手でジェスチャーをすると、「同席良いかな」と断りを入れた後に席に着きました。
ロレッタやピピは青い顔をしています。
当然でしょう。
悪気こそなかったとはいえ、言ったことは他国の王族への陰口に近いものです。
それを本人に聞かれてしまったのですから、気まずいを通り越した気持ちでしょう。
平民はしれっとしていますが。
「ロレッタ、ピピ、まずは謝らせて欲しい。ボクは確かに人脈を広げようと少し焦っていた。そのことでキミたちを不安にさせてしまったね。ごめんよ、この通りだ」
そう言うと、お姉様は頭を下げられました。
ロレッタとピピが慌てます。
「そんな、とんでもないです!」
「私たちの方こそ、とんだご無礼を――!」
二人は席から立つと、他国の王族に対する礼の姿勢を取りました。
その顔には驚きと動揺が浮かんでいます。
それを微笑みで受け止めて、お姉様は続けました。
「ボクはキミたちの友誼にヒビを入れるつもりはないんだ。ただ、クレアとは良くも悪くも付き合いが長くて深い。キミたちがクレアと仲良くしたいように、ボクもそうしたいと思ってる。そのことは理解して欲しい」
「は、はい!」
「もちろんです!」
ロレッタとピピの悲壮感を滲ませた返事に苦笑すると、お姉様はレレアを撫でながら、
「そうかしこまらないで。前にも言った通り、ボクはもう王族の一員とは言えない。楽にして欲しい」
「それは……」
「しかし……」
気安く言うお姉様の言葉を、ロレッタもピピもすぐには受け止められないようでした。
「クレアとも仲良くしたいのは事実だけど、クレアが大事にしているキミたち二人のことも、ボクはとても気になっている。二人さえ良ければ、仲良くして欲しいな」
「もちろんです!」
「光栄の極みです!」
「ありがとう。良かった。友だちが増えたよ」
そう言って輝くような微笑みを浮かべるお姉様は、同性でも思わずときめいてしまうほどに魅力的でした。
「……マナリア様、私は?」
わたくし、ロレッタ、ピピが見とれていると、平民が空気を読まずにそんなことを言い出しました。
それをお姉様は面白そうに見やって、
「レイはロレッタたちとは争う部分が違うからね」
「どういうことでしょう?」
「またまた、分かってるくせに。それとも、まだとぼけ続けるつもりかい?」
「何のことか分かりかねます」
「そう、キミはまだ覚悟が決まらないんだね。まあ、時間の問題だと思うけど」
お姉様は心底おかしそうに笑いました。
「まあ、その件は置いておくとして、改めてお茶を楽しもうじゃないか。王宮のお茶会で肩が凝っちゃったから、少しリラックスさせて欲しいな」
「くす……お姉様ったら。レーn……こほん、失礼しましたわ。平民、給仕をなさい」
「かしこまりました」
その後は、普通にお茶を楽しみました。
ロレッタもピピもようやくお姉様がどんな人かを理解したようで、お茶会を楽しむことが出来たようです。
平民は、ずっとポーカーフェイスのままでしたが、この者のことなのでまたおかしな事でも考えているのだろう、とわたくしは気にしていませんでした。
だから、わたくしは気がつかなかったのです。
お姉様と平民の関係が、あんなになるまで悪化していようことなんて。
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